Vischio

ろじうらおうせ


 メイコさんのカフェへ向かう途中、ふと路地裏のほうへ曲がっていく人影を見かけた。
 見えなくなる直前にヒラっと動いた赤いチェック柄は東雲くんがよく着ている(巻いている?)服だった気がして、無意識のうちに後を追っていた。
 東雲くん(仮)が入っていったところは細めの道が続いていて、二十歩も行かないうちにまたすぐ曲がり角に突き当たる。左にしか曲がれない角で、進む前にちょっとだけ順路を覗いてみた。

「なにしてんだ」
「ひゃああああ!!」
「声がでけえ!」
「だだだ、だって……びっくりした……」

 胸元に手をやると心臓がドクドク動いているのがわかるし、驚いたせいで少し苦しい。呼吸を落ち着けるために、ゆっくり息をしながら改めて目の前に立っている東雲くんを見ると、彼は耳を覆っていた左手を外しながら溜め息混じりに私を見返してきた――なんだか、元気がない気がする。

「……練習時間までには戻るから心配すんな」
「あ、の……この先に、なにかあるの?」

 遠まわしな言い方だったけど、東雲くんは私を帰したかったんだと思う。でも、それに気づかないふりをして食い下がった。
 今の東雲くんをひとりにしたくない。はっきり邪魔だと言われるまではついていくつもりで見上げると、東雲くんは“仕方ない”と言いたげな表情で一つ息を吐き出してから歩き出した。

「あ、待って!」
「言っとくけど面白いもんなんかねえぞ」

 言葉はぶっきらぼうだけど、ついていってもいいみたい。
 東雲くんの足取りに迷いはなくて、通い慣れている印象を受けた。道はふたり並んで歩けるほど広くなかったから、東雲くんの後ろについていく。置いて行かれないように気を付けようと思ったのに、そんな心配は必要なかった。東雲くんは何も言わないけど、私に合わせてゆっくり歩いてくれている。
 それに気づいた瞬間、心臓が大きく跳ねた。ドキドキする。さりげない優しさがすごく嬉しいのに、胸のところがぎゅっと締め付けられるみたいに苦しい。
 
 到着した先は袋小路になっていて、メイコさんのカフェの近くにあるものとは違うデザインの文字――グラフィティって言ったっけ――が壁一面に描かれていた。それから、階段みたいに積まれた鉄骨があって、奥の方にはボロボロの自転車が寄りかかっている。
 東雲くんは積まれた鉄骨に座り込むと、きょろきょろしていた私に肩をすくめて見せた。

「だからなんもないって言っただろ」
「じゃあ、どうして東雲くんはここに来たの?」
「…………」

 言いたくない、そういう空気を感じ取った。
 これ以上聞いたら鬱陶しいと思われるかもしれない。でも、追い返さずにここまで連れてきてくれたなら、少しくらい踏み込んでも大丈夫じゃないかって考えてる自分もいる。

(……勇気がほしい)

 教えて、の一言が言いたいのに声がうまく出せなくて、東雲くんが漏らす溜め息で肩が揺れた。
 今度こそ「帰れ」って言われるかもしれない。

「――なんでお前が暗くなってんだよ」
「…………だって、東雲くん元気ないから」
「は?」
「いつも私ばっかり助けてもらってるから、少しくらい……なにかできたらいいなって……」

 しどろもどろに伝えると、東雲くんは私を凝視したまま動かなくなってしまった。
 変なことを言ったかもしれない。じっと見られているのが段々落ち着かなくなってきて、意味もなく上着を掴んだ。

「はあ~~~……お前、あー……くそ……」

 長々と溜め息をついたと思ったら、俯いてしまった東雲くんの手が髪の毛をぐしゃぐしゃ混ぜてから首の後ろに回る。少し乱れたオレンジ色を見ていたら、不意に顔を上げた東雲くんと目が合った。

「……ほんと変なとこ頑固だよな」

 なにも言い返せなかったけど、どこか張りつめていた雰囲気が和らいだことにほっとした。東雲くんはずっと座っているから、私が見上げられる側なのも結構新鮮だった。
 東雲くんはゆっくり瞬きをすると、視線を遠くの方へ投げて何かを思い出しているようだった。

「――今日、バイト先でクレーマーの対応に駆り出された。んで、めちゃくちゃストレス溜まってる」

 段々低くなっていく声になにか言おうとしたけれど、「黙って聞いてろ」と言われたら頷くしかない。

「こっちに来ればマシになるかと思ってメイコさんのとこ行ったけど、レンとかリンとか……八つ当たりしそうになったから出てきた。ここは……まあ、声出しして発散したいときとか、ひとりで考えたいときとか、そういうときに来る」

 ここはレンくんと周辺を探索していた時に見つけた場所で、青柳くんとも共有しているらしい。
 東雲くんがここへ来る理由も知っているから、一言メッセージを送るだけで放っておいてくれる――そんな話を聞かせてくれる間も、東雲くんの声にはあまり元気がなくて、俯きがちになっているのが心配だった。
 元気になってほしい。私にできること、なにかあればいいのに。
 
 ――ファイトだよ、こはねちゃん!
 
「は、ハグとか! どうかな!」
「は?」
「この前ね、みのりちゃんと……あ、えと、クラスの友達とちょうどそういう、ストレス解消とか癒やしグッズの話をしたの。それで、私も杏ちゃんにぎゅってされるの嬉しいなって思うし、効果あると……思うんだけど……」

 パッと浮かんだみのりちゃんの笑顔と一緒に、教室で話したことで頭がいっぱいになって、思いつくまま口にしたらなんだか訳が分からなくなった。
 癒やし効果については一緒に話をしてた志歩ちゃんも「まあ、なくもないんじゃない」って言ってたから人によるかもしれないけど、それより東雲くんは“なにを言ってるんだろう”って顔でこっちを見るのをやめてほしい。自分でも同じことを思ってるから。

「……あの、ほんとうに、思いついただけだから」
「お前がやんの?」

 まさか話に乗ってきてくれるとは思わなかった。びっくりしたけど嬉しくて、思わず前のめりになる。

「わ、私じゃなくても、呼んでくるよ! 青柳くんとか、あ……杏ちゃん、とか……ミクちゃんだって……私、東雲くんが元気になるなら……」

 東雲くんを元気にしてくれる人は私じゃなくてもいい。ちゃんと、そう思ってるはずなのに、胸が痛くなるのはなんでだろう。杏ちゃんに抱きしめられるのが嬉しいと言ったのも私なのに、その場面はあまり見たくないって思ってる。

「……おい」
「ひゃ!?」

 考え込んでいたら、急に腕を掴まれて変な声が出てしまった。東雲くんはそのまま何か言いたげに視線をウロウロさせていたけど、何も言わないまま少しだけ握る力を強くした。

「東雲くん?」
「……頼むわ」

 聞き逃しそうなくらい小さな声で、どこか恥ずかしそうに言う東雲くんを見て、また胸がぎゅっと締め付けられる。こんなのずるい。
 さっきから心臓が忙しくて、息がうまくできなくなりそうだった。

「だ、誰を呼んでくればいいの?」
「こはね」
「うん」

 返事を待つつもりで頷いたら、東雲くんは呆れた顔でこっちを見上げて私の腕を引いた。

「小豆沢こはね。お前だよ、ほら」
「え」
「今更できないとか言わねえよな」

 誘導されるまま近づいて、私の腕が東雲くんの肩に乗せられる。触れている感覚はあるのに、ひとごとみたいに感じた。

「……私でいいの?」
「こはねがいい」

 被せるように言われて、反射的にずるいなあと思ってしまった。そう言ってもらえてすごく嬉しいはずなのに、泣きたい気分にもなっていて、やけくそみたいな気持ちで東雲くんの頭を抱きしめる。
 ふわふわした髪の毛が頬に当たってくすぐったい。東雲くんは、いい匂いがした。

「お、まえ、こはね! ちょっと待て!!」
「わ!」

 腕を掴まれて剥がされた勢いでよろけたものの、東雲くんの手は外れなかったからひっくり返らずに済んだ。視線を下げると、ちょうど顔を上げた東雲くんと目が合う――真っ赤だった。

「しの、」
「交代だ交代! だいたい、なんでお前ずっと立ってんだよ」

 勢いよく立ち上がる東雲くんに驚く間もなく、視界が暗くなって身動きが取れなくなる。
 頬に当たるのはふわふわした髪の毛じゃなくて、服の布地と、触れているところから伝わってくる温かさに変わった。抱きしめられていると認識した途端、勝手に体温が上がっていく。顔が熱い。耳鳴りがしそうなくらい心臓もうるさくて、息苦しかった。

「東雲くん、」
「まだ」

 身じろぐと、それを止めるように力が強くなるのが困る。せめて新鮮な空気を吸わせてほしい。


「…………ありがとな」


 そっと囁くような声に驚いて、思わず東雲くんの服を握りしめてしまった。緩んだ腕と明るくなっていく視界と、私を見下ろす東雲くんの顔を順番に認識する。目元を和らげて優しく笑う東雲くんが見えた。
 ――笑ってくれた。
 嬉しくて、つられて笑ったらなぜか頭突きをされた。

「し、しののめくん……?」
「あっぶねえ……」

 あまり痛くはないけど、唐突すぎてかなりびっくりした。額を押さえながらチカチカする視界を直そうと瞬きをしていると、肩を掴まれて身体を反転させられる。

「お前、あんま無防備だとそのうち取って食うからな」

 意味を考える時間もなく、私を追い越していく東雲くんに気を取られる。

「戻るぞ」
「うん」

 来た時と同じように、帰りも東雲くんの背中を追うつもりで後ろを歩いていたら、細い道に入る直前で東雲くんが振り返った。

「こはね。さっきの、もう男相手には言うなよ」
「……? さっきの?」

 どれのことだろうと思って首を傾げると、東雲くんとの距離が一気に近づいて片腕で軽く抱き込まれる。
 息を詰めている間に「これ」と耳元で声がして、あっという間に遠ざかっていった。

「わかったか?」

 むずむずする耳をこすりながら辛うじて頷くと、東雲くんは満足そうに路地の方へ進んでいく。立ち止まって待ってくれているのはわかったけど、少し落ち着く時間がほしかった。

 自分の行動を振り返ると、勢いですごく大胆なことをしたと思う。後悔はしてないものの、東雲くんを抱きしめたこととか抱きしめられたこととか、思い出すと蹲りたくなるくらいには恥ずかしい。
 なるべく考えないようにしようと思いながら、東雲くんの方へ急いだ。





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