Vischio

夢のしじまに見たものは、 after


 彰人から銀色の指輪を贈られた日の夜。こはねは入浴のために指輪を外すことになった。
 本音ではずっとつけていたいが、お湯につけて変色してしまうほうが怖い。そっと外してタオルの上に乗せたとき、鮮やかな赤が視界に入ったことに驚いた。よく見れば、指輪の内側に赤い石がひとつ嵌めこまれている。
 こはねはキラキラと光を反射するそれに目を奪われながら、彰人の言葉を反芻していた。

(……これ見て私のこと、思い出したって)

 そう、確かに彰人は言っていた。そのときは不思議に思ったけれど、小指につける赤い色から連想したのだとしたら――彰人に話した赤い糸の夢を、幻を、現実にしてくれたのかもしれない。
 こはねは再び指輪をつけて、衝動に突き動かされるまま彰人がくつろいでいるリビングへ戻った。
 風呂場へ行ったと思えばすぐに出てきたこはねに、雑誌から顔をあげた彰人が「虫でもでたか?」と言いながら立ち上がる気配を見せる。こはねの代わりに退治してくれようとするのは嬉しいが、今はその場にいてほしい。
 急いで距離を詰めて抱きつくと、彰人はソファとこはねに挟まれて息を詰まらせた。

「おまっ、潰す気か」
「ご、ごめんなさい!」
「……バカ、本気にすんな。お前程度の重さで潰されるわけねえだろ。それで? 風呂はどうした」

 先を促しながらこはねの腰を支える彰人に、こはねは自分が彼の膝に乗りあがっていることを知った。
 目で確認した途端恥ずかしさが湧いてきて降りたかったのに、こはねの腰に回された腕が拘束のようになっていて思うように動けない。
 ちらりと彰人の様子を見れば、こはねの羞恥に気づいたうえでの行動だと言いたげに笑って腕の囲いを狭めてくる。
 なんとなく悔しいような気もするが、今は彰人にくっついていたい気持ちの方が大きい。膝から降りるのはあきらめて力を抜きながら、ぎゅっと彰人を抱きしめた。

「こはね?」
「……あのね、指輪に赤い石、ついてるでしょう?」
「あー……気づくよな、さすがに」
「それでね、それ見たらね、私の糸が東雲くんに繋がったみたいで嬉しかったって――それだけ、言いたくなったの」
「…………それ、風呂出てからでもいいだろ」

 言葉のそっけなさとは裏腹に、彰人の声は小さくて照れているような響きがあった。こはねを抱きしめながら胸元へ顔を埋めるものだから表情はわからないが、耳は赤い。思わず触りたくなってその輪郭に指を沿わせると、彰人はビクッと身体を震わせて文句を言いたげにこはねを見た。
 頬が赤くて、照れているのがわかるから睨まれても全然怖くない。むしろ、可愛いとすら思う。胸の奥をぎゅっと掴まれるような感覚はもう数え切れないくらい味わっている。なのに、全然慣れる気配はない。

(ドキドキする……)

 胸元にある彰人の頭を撫でるように髪を梳けば、不満げだった目が驚きで丸くなる。それを見るとますますドキドキすると思いながら、こはねは彼の額に唇を寄せた。

「…………いや、そこかよ」
「だって東雲くんが離してくれないから」

 密着しすぎていて、そこが一番触れやすかったのだと言うと彰人はぐっと言葉を詰まらせて腕を緩める。
 これならどうだ、と言い出しそうな視線とともに少し身体を離すから、やり直しを要求されているようだ。
 こはねが彰人の頬に手を添えると表情が和らぐ。じっと見つめ合ったままの時間に耐えられなくなったのは、こはねの方が先だった。

「し、東雲くん、目……閉じて」
「ん」

 ふっと笑って、すぐにおろされた目蓋が意外で(もっとごねると思っていた)、思わずじっと見つめてしまった。
 だいぶ速度の上がった心音を意識しないように、そうっと近づきながら目を閉じる。ただ触れるだけの音すらしないキスは一瞬だけど、こはねの心臓は大暴れだった。今みたいに意識していないときのほうが上手にできると思う。
 
 無意識に止めていた息を吸うと、彰人が小さく笑った。腰を支えていた腕が動いてこはねの手を引く。あ、と思ったときには再びキスをしていた。
 先ほどこはねからしたのとは違う、離れるたびに音が鳴るキス。同時に声が漏れてしまうのが恥ずかしいと思うのに、自分ではどうにもできない。
 唇が離れたタイミングで息を整えながら彰人を見れば、舌が彼自身の唇に沿うように動くのがわかって、こはねの体温を一気に上げた。見てはいけないものを見た気がする。

「こはね」
「なっ、なに……ひゃっ!?」

 ぐっと腕を引かれたと思ったら身体の位置を入れ替えられ、こはねはソファに沈んだ。
 目の前には天井からの明かりを背にした彰人が覆い被さっていて、熱の籠もった目がこはねを射抜く。

「続き。このまましたい」

 真っ直ぐに見つめられながらの言葉に、かっと顔に熱が集まるのを感じる。求められるのは嬉しくて、頷きそうになったけれど今すぐには無理だった。

「お風呂、入ってから……で、いい?」
「……オレも入る」
「じゃあ、東雲くんが先で」
「一緒に入るに決まってんだろ」

 こはねの上から降りた彰人は、そのままこはねの手を引いて、起き上がる手助けをすると当然のように言い切った。思わず流されて了承しそうになったが、さすがにそれは遠慮したい。

「なんで。もうお互い散々見てんのに?」
「そ、そうだけど、それだけじゃなくて……東雲くんえっちなことするから、のぼせちゃうんだよ」

 心の準備も含めてゆっくりしたいのだと付け加えている間、彰人は片手で顔を覆って俯いてしまう。
 とりあえず、ひとりで入りたいと言い直そうとしたら「加減するから」と、なんの気休めにもなっていないセリフと共に連行された。



「…………繋がったんじゃねえの」

 加減するとはなんだったのか。予想どおりのぼせたこはねをベッドに寝かせ、うちわで扇ぎながら彰人がつぶやく。

「ん……? なあに?」

 ぼんやり彰人を見返しながら聞くと、彼は外していた指輪をこはねの指に通したあと、小指に口づけながら「糸」と端的に言った。
 どうやらこはねが彰人に突撃したときの話を覚えていて、それに応えてくれているようだ。
 そうだったらいいなと思う。そうじゃなかったとしても、今の言葉で彰人も同じ気持ちだと伝わってきたから十分だった。



***



 後日、こはねに贈られた指輪がペアリングだったことが某A氏の発言――彰人が贈るのを迷っていると相談されたうちのひとつだ。ちゃんと小豆沢に渡せたんだな――がきっかけで発覚したうえ、それを彰人自身ずっと持ち歩いていたと知った。
 彰人はこはねが知ったと聞いて即抗議の電話をしていたけれど、最終的には言い負かされたようで「くそっ、冬弥のやつ……言われなくてもわかってんだよ」とぼやいていた。

「――こはね!」
「ど、どうしたの?」
「お前の指輪、この先全部オレが用意するからな! 覚えとけ!」

 こはねに指を突きつけての宣言が唐突すぎて、勢いに呑まれるまま頷くことしかできなかった。
 まるで宣戦布告のようだったと反芻しながら、内容を思い返して心臓が跳ねる。全部には、左手の薬指も入るだろうか。
 真意は聞かないとわからないけれど、できればこの先も――ずっと、一緒にいられたらいい。
 幸せな気持ちで、こはねは小指の指輪にそっと口づけを落とした。

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