Vischio

オオカミの巣穴に飛び込む

人狼×人間(「赤ずきんのおでかけドレス」衣装)で幼馴染な私得パラレルワールド彰こは「オオカミの巣穴へようこそ」の続き。告白済み彰人→→→(←)こはね。付き合ってないけどキスはする。こはね自覚編
#片想い #パラレル #巣穴

 彰人へ手作り第一号の傷薬を渡した数日後、こはねがいつもどおり彰人の家を訪れると、出迎えてくれた彼は挨拶もそこそこにこはねの手を取った。
 不思議に思いつつ、手を引かれて誘導されたのは、室内に設置された棚の前だった。中身が見える透明な扉がついたそれは初めて見る。

「これお前の」
「…………えっ!?」

 使い方か、触れてはならないものか、棚の中身について説明が始まると思っていたこはねは、彰人の言葉への反応が遅れた。
 どういうことかと見上げれば、彰人は居心地悪そうに目を泳がせつつ首の側面を押さえる。目は合わないのに少しでもこはねの情報を拾おうとするかのように彼の耳が動き、こはねの手を握る力が増した。
 改めて棚を見ると、中に収まっているのは調合器具のようだった。こはねが彼の母に教わりつつ、傷薬を作ったときに使わせてもらったものがいくつかある。
 一見しただけで使い込まれているとわかるが、それを“こはねの物”と断言していいのだろうか。

「これ、東雲くんのお母さんのだよね?」
「……正確には、母さんが前に使ってたやつ。捨てる予定だったけどまだ使えるって言うし、棚ごと貰ってきた」
「私が使ってもいいの?」
「オレは使わねえし、ちゃんとこはねが使うって言ってあるから心配すんな……これ。無くなったら、また作ってくれんだろ?」

 言いながら彰人が胸ポケットから取り出したのはこはねが渡した傷薬だ。
 持ち歩いてほしいとは思っていたものの、それを実際に見せられて胸の奥がくすぐったくなった。こはねは反射的に彰人の手を握り返し、何度も頷くことで返事をした。彼の母にもあとでお礼を言いに行かなければ。

 当然のように『また』を望まれるのが嬉しい。たくさん練習して、もっと上手に作れるようになりたい。
 両手を握りしめる感覚で意気込んだこはねは、彰人と繋いだままの手にも当然力を入れていた。ふっと彰人が息を漏らす音がして、直後に「好きなだけ使え」と言葉が降ってくる。甘やかすような、笑い混じりの優しい声音。
 それを聞いたこはねの心臓は早鐘を打ち始め、じわりと全身の体温が上がった。こはねが意識していなかっただけで、彰人は以前からこんな声でこはねを甘やかしていたのだろうか。

「……ありがとう、東雲くん」

 何気ない会話をしただけなのに、自分でも顔が赤くなったのがわかる。恥ずかしくて顔が上げられない。代わりに繋いだ手を両手でぎゅうと握りしめつつ、彰人の肩に額をつけた。

「こはね、今は我慢するけど次はねえからな」
「うん……?」
「キス。次はする」
「っ、え!?」

 びくりと跳ねたこはねをなだめるように、彰人の手が優しく背中を叩く。
 幼いころから繰り返されてきた仕草は、いつもならこはねを落ち着かせてくれるけれど、今回はすぐにとはいかなかった。
 彰人が漏らす楽しげな笑い声、こはねが握りしめている彼の手から連想した背中を叩く手の大きさ、「する」と宣言されたことで思い出してしまったキス。落ち着ける要素がまったくない。

「で、今日はどこまで行く気だ?」
「……東の、原っぱと、花畑まで……行ってもいい?」
「いいけど、2箇所は珍しいな」
「東雲くんのお母さんと絵名さんから、頼まれてるやつ探しに行きたいの」

 こはねが探しているもののついでに見つかったら、と軽いおつかい程度の頼みごとだったけれど、どうせなら持ち帰って喜ぶところが見たい。
 彰人のもそうだが、こはねは彼らのしっぽが嬉しそうに揺れるのを見るのが好きだった。

「じゃあ、そろそろ飯食って出るぞ」

 とん、とん、とこはねの背中で一定のリズムを刻んでいた手が止まる。
 いつのまにか熱いほどだった体温が落ち着いていることに気づいて、こはねは安堵しながら彰人に頷きを返した。



***



 彰人の家の中に専用の場所を得たこはねは、森への素材採集(彰人の護衛付き)のあと、また彼の家へ戻って過ごす時間が増えた。
 彰人はこはねの側であれこれ聞いてくるときもあるが、大抵はこはねに構うことなく過ごしている。場所の提供に道具まで、だいぶ甘えてしまっていると思いながらも、気兼ねなく調合の練習ができるのはありがたかった。
 彰人はこはねを自由にさせてくれるばかりか「出かけてくる」と告げて、あっさりこはねを置いていくこともある。きちんと戸締りはしていってくれるが、簡単に留守を任せるのはどうなのだろう。

 初めてひとり残されたときは、それを認識する間もなく見送ってしまったあとだった。

『――ただいま』
『おかえりなさい。東雲くん、次は出かけるなら私も――ひゃあ!?』

 一緒に家を出て、そのまま帰ると言おうとしたのに。
 こはねを抱きしめて噛みしめるように自分を呼ぶ声と、ぶんぶん音がしそうなくらい揺れるしっぽが、こはねから言葉を奪い取ってしまった。
 次回こそは言おうと決意するものの、彰人がこはねを残して出かけるときは作業に没頭している最中で、つい見送ってしまいがちだ。
 集中が途切れると[[rb:家主 > 彰人]]のいない家の中、他人の自分がひとり過ごしている状態を意識して落ち着かなくなる。そう伝えてみても、彰人は笑って「慣れろ」と一言返してくるだけだ。

「お前、自分が閉じ込められてるとは思わねえんだろうな」
「……? お留守番のこと?」
「オレのこと待たなくても、勝手に帰っていいんだぞ」
「それだと鍵開けっぱなしになっちゃうよ」

 彰人が住んでいるこの家は、元々彰人の父が仕事場として使っていた小屋だ。
 静かな場所を好んでいたのか周囲に人の気配はないが、鍵もかけずに帰宅するのは気が引ける。

「……うん。やっぱり、東雲くんが帰ってくるまで待ってる。だから……なるべく早く帰ってきてね」
「…………オレ、次はするって言ったよな」
「なあに?」

 スッと彰人の目が細まり、鼻先が触れ合う。
 熱い手のひらがこはねの頬を包んだと思ったときには唇を塞がれていた。

「ん、ん……!?」
「こはね」
「な、んむ」

 どこで彰人のスイッチを押したのか。なにもわからないまま、繰り返される口づけに頭が真っ白になる。
 ちゅ、と唇から音がするたび、身体が勝手に震えてしまう。彰人がこはねの唇を喰んだり舐めたり吸ったりするものだから、そのうち口から食べられそうな気がした。

「んっ、ぅ……」
「――好きだ」
「しの、めく」
「好きだ、こはね」

 囁くようにこぼれ落ちた音に、こはねの心臓が大きな衝撃を受けて跳ねる。すでに限界まで稼働していたのに、さらに負担をかけてくるなんて酷い。
 高まった感情と酸素不足とで目尻から涙が落ちていく。彰人はそれを吸い取って、懸命に酸素を取り込んでいるこはねをじっと見た。
 すうっと細められる瞳、紅潮した頬、こはねを呼ぶ声。こはねの脳裏に浮かんだ“捕食者”という単語は、発されることなく彰人に呑み込まれた。

 足どころか全身に力が入らず、ぐったりと彰人にもたれかかったこはねは、上機嫌な彰人に抱えられたまま息を整えていた。
 両腕の檻に囲われ、肩に頭を擦り付けられ、これでもかと彰人の匂いをつけられている最中なのだが、混乱の真っ只中にいるこはねは自分のことで精一杯で気づかない。
 “捕食者”の目をした彰人のキスは背筋から全身がぞわぞわする。勝手に変な声が出てしまうのが恥ずかしいのに、すぐになにも考えられなくなってしまう。彰人の舌の感触や、口の中をなぞられる感覚は未知のものすぎて――

(怖いのに……気持ちよく、て……私……)

 息がうまくできず苦しかったにも関わらず、こはねはキスの終わりを感じた瞬間、解放された唇から「もっと」と声を漏らしていた。結果、足腰に力が入らなくなり彰人に抱えられている。
 衝動的な行動が自分でも信じられず、ものすごく恥ずかしい。恥ずかしいけれど、未だにきちんとした返事ができていない気持ち――彰人から伝えられた“好き”のことが浮かんだ。
 彰人の“好き”はどんな感覚なのかを尋ねたとき、彼は難しい顔で「難易度たけえな」とぼやきつつ、真剣に答えてくれた。
 幼馴染としての関係だけでは全然足りない――

『――ずっと、オレのでいてほしい。あとは……あー……キスしてえとか、抱きたいとか、そういう……やらしいことしたくなる』
「…………ッッ!!」
「? こはね?」
「な、んでもない、なんでもないの」

 ぶるぶる頭を振って回想の彰人を追い出す。あけすけに言われたことはわかりやすかったが、気まずさも大きかった。
 あのときは照れて考えることをやめてしまったけれど、こはねはどうなのだろう。
 彰人と手をつないだり、抱きしめられたりするのは安心感があって好きだ。

(キスは……)

 自問しながら、そっと自分の唇に触れてみる。初めて彰人とキスをしたときから今まで、驚いたり戸惑うことはあっても嫌だったことはない。したいかと聞かれたら口ごもってしまうけれど、つい先ほど「もっと」と求めたのはこはねだ。いつも彰人がきっかけになる行為は、自分からしてみたら、どんな感じがするのだろう。

「……東雲くん、キス、してみていい?」
「…………こはねが? オレに?」
「う、うん。だめ?」
「これ夢オチじゃねえよな」

 彰人の手のひらが持ち上がり、口元を覆い隠す。
 じわっと赤く染まる目元と、床を叩く音がするほど激しく振られるしっぽを視界に入れたこはねは、ぎゅうっと胸の奥を握られたような感覚を覚えた。

(かわいい)

 不意に彰人を抱きしめたくなった衝動を抑え、彼の口元を覆う手の甲に触れる。ごくりと動いた喉仏にも触れてみたい気持ちが湧いたけれど、今は確認が優先だ。
 両手を彰人の肩に置く。こはねの腰を支えている手がぴくりと反応し、指先に力がこもるのがわかった。つられたように緊張感が増して、心音はどくどくと激しくなっていく。それを意識の外へ追いやりながら距離を詰めようとして――届かないことに気づいてしまった。
 こはねは彰人に横抱きにされている状態で、軽く身体を起こさないと彼の口元に触れられない。しかし、まだうまく力が入らない。
 どうしたらいいか悩んだこはねは、少しでも近づこうと肩に置いた手を彼の首に回した。

「東雲くん、少し屈ん、ぅ!?」
「……悪い、待てなかった」

 口では“悪い”と言いながらも、表情は明らかに“悪い”と思っていない。
 それなのに、バシバシ床を叩くしっぽの音や、頬を紅潮させて熱のこもった瞳でこはねを見る彰人があまりにも嬉しそうに微笑むから、こはねはなにも言えなくなってしまった。
 心臓はずっとうるさいし、体温はちっとも下がらない。考えたいことが色々あったはずなのに、気づいたときには彰人の首に抱きついてキスをしていた。
 ただ押し付けるだけのつたない口づけ。すぐに離した唇は屈んだ彰人に塞がれたうえ、後頭部を彼の手のひらで押さえられ、離れられなくされた。

「――んっ……、ふぁ……」
「は……、こはね。もっと」

 こはねの感覚では十分したと思うが、彰人はまだ足りないらしい。
 ぼうっとする頭で苦しいから待ってほしいと伝えれば、甘さを煮詰めたような眼差しとともに微笑まれ、反射的に身体が強張ってしまった。甘すぎる。糖分の過剰摂取はよくないと思う。
 彰人を直視することも、彼からの甘すぎる視線にも耐えきれなくなったこはねは、そっと両手で顔を覆って視界を遮った。

「なんで隠すんだよ」
「……だって、恥ずかしい」
「いまさら?」

 笑いながらそう言って、顔を覆うこはねの指先に口づけてくる。
 びくりと跳ねたこはねをがっちりと抱き込んで、指先から手の甲、耳へとキスを繰り返した。触れて、すぐ離れていく唇がくすぐったい。ちゅ、ちゅ、と聞こえる音は可愛いのに、こはねはこれが“可愛い”だけで終わらないことを知っている。

「……東雲くん」
「『待て』は終わりか?」
「でも、あの……ゆ、ゆっくり、して」
「…………おう」

 息苦しくなるのを避けたい、ただそれだけだったのに。再開した口づけは、こはねの願いどおり“ゆっくり”ではあった。時間をかけてじっくり、たっぷり、ねっとりと口の中を弄られ、結局翻弄されっぱなしになったこはねは息切れを起こした。

 舌がしびれ、勝手に涙がにじみ出てくる。彰人が微笑み、指先で優しく涙を拭ってくれた。彼の口からほろりとこぼれた「かわいい」の甘さにドキッとしつつ、彰人は軽く息を乱している程度なのが不思議だった。
 息継ぎのタイミングがわからないこはねとは違って、彰人にはだいぶ余裕があるように見える。
 ――経験値の差だよ、と不意に頭の中でささやく声が聞こえた。
 無意識に考えないようにしていたこと。彰人とキスを繰り返すうちに、頭の片隅に浮かび上がっていた答えを突きつけられ、一気に体温が下がった。
 こはねのことをさりげなく甘やかす手や、「しょうがねえな」と言いつつ優しく笑う顔、声、抱きしめられたときの温かさ。
 こはね以外にも知っている人がいるかもしれない。

(……やだ)

 嫌だと思うのに、想像したくないのに、見知らぬ誰かに触れる彰人の姿を思い浮かべてしまう。
 こはねはそれを拒絶するようにぎゅっと目を閉じながら――ようやく、彰人への恋愛感情を自覚した。

 彰人が優しく触れて、甘やかす相手は自分だけがいい。
 この距離で彼に触れられるのも自分だけ。他の誰にも、触れてほしくない。
 独占欲とは重くてドロドロで、暗い色をしている気がする。
 ふと思い出したのは“自分のもの”を主張する行為の話。

『――オレの匂いつけて、こはねが他のヤツに取られねえようにしてた』
(私にも、できたらいいのに)

 こはねは緩慢な動きで彰人の背に腕を回す。
 密着した瞬間、びくっと伝わってきた振動に顔を上げれば、赤くなった彰人と目が合った。
 すぐに逸らされたかと思えば、また戻ってきてこはねを見る。
 ちらちらと忙しなく動く視線は、こはねの行動に戸惑っているようにも、見守っているようにも見えて、無性に彼を抱きしめたくなった。
 こみ上げてきた想いはこはねの胸を満たし、あっさりとこぼれ落ちる。

「――好き」

 彰人は息を呑み、こはねを見つめたまま固まってしまった。
 言葉だけでは、うまく伝わらなかっただろうか。そもそも、自分でも唐突すぎると思っているくらいだ。彰人はこはね以上にそう感じただろう。
 それならば、確実に伝わる方法を取らなくては。

 こはねは身を乗り出すと、ちゅ、と音の鳴るキスをした。彰人に教えられたそれは、彼の時間を動かせたらしい。
 赤い顔で、ぎこちなく動き出した彰人はゼンマイ仕掛けのブリキ人形を連想させて、思わず笑いが漏れてしまう。

「……好き」

 改めて伝えてみると、彰人はこはねを緩く抱きしめてくる。
 そのままずるずると俯いていき、肩に額を押し付けられた。彼の髪とふわふわした耳の感触が首に触れるのがくすぐったいけれど、いつの間にか強まっていた拘束のせいで身じろぐこともできなかった。

「――夢オチじゃねえよな」
「ふふ、それさっきも言ってたね」
「こはねが、前フリとかしねえからだろ」

 彰人はぼやくように言うけれど、こはねを抱き込んだ腕は緩む気配がないし、しっぽはずっとご機嫌に揺れている。近いうちにブラッシングしたいとお願いしようか考えながら、こはねは彰人の方に頭を傾けた。こつりと軽く触れあう感触を確かめつつ、どうにか腕を動かして彼を抱きしめ返す。

「……大好きだよ、東雲くん」

 ぎゅう、とこはねを抱きしめる力が強まる。
 少しの間を置いて、彰人は「オレも」と照れの混じった返事を聞かせてくれた。




その後のふたり





「東雲くんは、キスしたことある?」

 長年の片想いが成就して――片想いで終わらせる気などこれっぽっちもなかったが――内心浮かれていた彰人は、こはねから聞かれた内容について理解することを脳が拒否していた。
 今までさんざんしてきたのは何だったというのだろう。
 やはりこはねからの告白やキスは夢だったのか、いつから夢なのか――疑いそうになったが、それを振り払ったのもまたこはねだった。
 彰人にぴったりくっついて緩く腕を絡ませてくるのは、これまでになかった仕草だ。こはねからじんわりと伝わってくる体温にも安堵しつつ、間違いなく現実だと実感した。

「――質問、それであってるか?」

 念のため聞き返してみたが、こはねは無言でこっくり頷く。
 質問してきたにも関わらず、なぜか聞きたくないと言いたげな雰囲気を漂わせながら、彰人の手に触れてきた。
 積極的な行動が嬉しくて好きにさせていると、彰人の小指と薬指に自分の指を絡ませ、握ったり緩めたりし始める。くすぐったいのもあるが、妙にムズムズして欲を煽られている気分になってしまう。

(……そういうの、これっぽっちも考えてねえんだろうな)

 おそらく、不安なときや心細いときに抱きしめるぬいぐるみの代わりだ。
 彰人はこはねに気づかれないよう、細く長く息を吐き出して思考を切り替える。それから彼女の顔を覗き込み、触れるだけのキスをした。

「もう数えきれないくらいしただろ」

 言いながら見つめれば、素早く瞬いたこはねの頬がじわっと赤く染まる。
 こはねは彰人の肩に顔を伏せ、絡ませたままの指先を強く握り混んだ。わかりやすく照れていることに満足感を覚えながらこはねの背を撫でると、違うと言いたげに額をぐりぐり押し付けてきた。

「わ、私とじゃ、なくて……他の、誰か」

 こはねの声は、まるで花が萎れるように弱々しくなっていく。
 やけに緊張している様子なのも不思議に思いながら、「ない」とはっきり否定した。
 こはねはパッと顔を上げ、わざわざ互いの顔が見える距離まで離れて彰人を見る。半信半疑といった雰囲気が気に入らなくて、軽く鼻をつまんでやった。

「ふぁっ!?」
「信じてねえ顔すんのが悪い」
「うぅ……だって、ほんとに?」
「こはねとしかしたことねえわ」
「……東雲くんも、私が初めて?」
「そうだよ。つーか、なんでそんなこと聞くんだ」

 初めて、と念を押すように確認されるのがやけに恥ずかしい。

「だ、だって……いつも、長いし、その……き、気持ちいい、し……私は苦しいのに、余裕そうだから……前にも、したこと、あるのかもって」

 なにげなく聞き返しただけなのに、彰人は心構えもなにもないまま恐ろしい威力を持った発言を聞かされた。
 こはねは躊躇いがちに答え、相変わらずもじもじと彰人の指先を弄んでいる。
 弾け飛びそうになった理性を必死の思いで繋ぎ止めた自分は偉い。思わず自身を褒めながら、彰人はかろうじてこはねを抱きしめるだけに留めることができた。しかし、彰人の葛藤を知らないこはねは容赦なく彰人が守った理性の耐久値を削ってくる。
 嬉しそうに笑い、ぎゅう、と彰人に抱きついて頬を擦り寄せる仕草。

「東雲くんも、私だけなんだ……そっか」
「っ、ぐ……」

 反芻するように呟くのが聞こえて、彰人は反射的に息を止めた。
 それからこはねを懐へ抱え込むことで視界から隠し、ダメージの軽減を試みる。けれど、こはねに対して特に鋭敏になっている五感を持つ彰人にとっては、視界ひとつ塞いだくらいでは大して意味がなかった。
 甘く囁かれた「好き」を耳が拾い、意識しないようにしていた“おいしそう”な香りに鼻をくすぐられ、抱きしめた身体の柔らかさが追い打ちをかけてくる。

 こはねは元々の素直さに加え、彰人が長年かけて馴れさせてきた距離感のおかげで、こうして彰人と触れあうことへの躊躇いや抵抗感が薄い。
 望みどおりではあるものの、恋愛感情を自覚したこはねの威力を舐めていた。彼女は彰人の心臓ド真ん中を撃ち抜くスナイパーかもしれない。

 非現実的なことを考えることでこはねを押し倒したい衝動を落ち着かせようとしていた彰人は、ぐらぐらと茹だる頭でこれからのことを考えた。今日を乗り越えたところで、この調子が続くならすぐに負ける。
 それならば――これまでと同じように、少しずつ段階を踏めばいい。

「……こはね、味見」
「ん? え? あじみ?」
「味見させてくれ」
「東雲くん、お腹すいたの?」
「ずっと減ってる」
「わっ!?」

 こはねの膝裏に腕を通して担ぎ上げ、そのままベッドへと連行する。
 片膝を乗せたベッドの軋む音がやけに耳障りだと思いながら、そっとこはねを横たえさせた。
 運ばれている間、戸惑いながら彰人にしがみついていたこはねは、ベッドに降ろされたことで“味見”について察しがついたらしい。
 真っ赤な顔でぷるぷる震え、掠れた声で彰人を呼ぶ。彼女の潤んだ瞳に映る彰人は、どう見えているのだろうか。

「前に言ったよな。やらしいことしたくなるって」
「う、ん……ちゃんと、覚えてるよ」
「そんな不安そうな顔しなくても、今日いきなり抱いたりしねえよ。準備もしてねえし――こはねも、まだ無理だろ?」

 びくりと身体を跳ねさせたこはねは赤い顔をますます赤くしてぎこちなく頷いて見せる。
 彰人は彼女を安心させるように笑うと柔らかく頭を撫で、ベッドを軋ませながら覆いかぶさった。

「――抱くまではしねえけど、我慢できねえから味見」
「あの、それ痛い……?」
「抱きしめて寝るだけ……いや、ちょっとかじってもいいか?」
「痛いのやだ」
「絶対痛くしねえから。他には? つーか、[[rb:これ > ・・]]は? 嫌じゃねえの?」

 彰人の眼下で、身体を丸めて縮こまっていくこはねの様子をじっと見つめる。
 こはねは両目をぎゅっと閉じ、手のひらで表情を彰人から隠すようにしながらも「嫌じゃないよ」と小さな声で応えた。

 彰人はベッド上で丸くなってしまったこはねの背後にまわり、包むように抱きしめる。彰人よりもひと回り小さくて、頼りないくらい華奢で柔らかな身体。いつもと抱きしめかたを変えたわけでもないのに、体勢が変わったせいか、こはねとの関係が変わったからなのか、味見と称したこのシチュエーションか――いつも以上に心臓がうるさくて、身体は熱いくらいだった。

「こはね」

 こはねの腰に腕を巻き付けて、引き寄せながら名前を呼ぶ。
 微かに震え、巻き付いた彰人の腕を掴んだこはねの手も熱い。香りに誘われるまま首元へ顔を寄せれば、思わず喉が鳴った。

「ふあっ!? ッ、ん……ふ……」

 襟元のボタンを外し、開いた隙間から首筋をなぞる。あらわにした肌に口づけて、ちゅ、と音を鳴らせば抱きしめた身体が大きく跳ねた。こはねの口からは艶めかしい声が漏れ、それを聞くと余計に飢餓感が増す気がした。
 宣言どおり柔く歯を立て、滑らかな肌を味わうたびにこはねがビクビク震える。普段聞くことのない甘い声は彰人の興奮を掻き立て、ますます“味見”に熱中してしまう。もっと聞きたかったのに、焦った様子のこはねが口を覆ってしまったせいで、くぐもった音が微かにこぼれる程度になってしまった。

(まあ、これはこれで……)
「し、の、しののめく、ッン」
「……ん?」

 音を立てて啄んで、吸って、甘噛みして、と彼女の反応込みで楽しんでいた彰人は、もぞもぞ身じろいで懸命になにか訴えくるこはねに動きを止めた。
 気づけば彼女の肌には数カ所赤いしるしがついている――もしかしなくても、やりすぎだ。

「しののめくん」
「わるい、痕つけた」
「痕……?」

 ぼうっとした様子のこはねは寝返りをうって彰人のほうに向き直る。目元は赤く、呼吸が浅い。さらに瞳を潤ませた状態で、髪も服も乱れた姿は目に毒だった。
 無意味にごくりと唾を飲み込んだ彰人は、咄嗟に焦点をずらしてこはねから意識を逸らそうとした。けれど、こはね本人が見ろと言うかのように彰人を呼ぶので回避はできなかった。
 伸びてきた手が彰人の頬に触れ、首から肩へと形をなぞるように動き、心臓のあたりに落ち着く。
 ゾクゾクする接触に奥歯を噛んで耐えていた彰人は、こはねの「こっちがいい」という呟きへの反応が送れた。
 そのわずかな間にこはねはぎゅっと彰人の服を握り、胸元へ額をこすりつけて恥ずかしそうに俯いてしまう。
 今のひと言のどこに照れる要素があったのかわからないが、彰人に擦り寄って照れている彼女はかわいい。

「こはね、もう一回。なにがいいって?」

 ゆるゆるとこはねの頭を撫でながら聞けば、ゆっくり顔が上がる。
 胸元を握っていた手は彰人の背に回され、しがみつくように抱きしめられた。

「……抱きしめられるの、こっち向きがいいって言いたかったの」
「こはね、」
「東雲くんにぎゅってされるの好きだよ。私も東雲くんのこと、んむぐ」
「こはね、わかったから」

 思わず強く抱き込んで、物理的に彼女の口を塞いだ。
 こはねを抱きしめたまま仰向けに転がると、尻の下で潰れる尻尾が痛い。圧迫される不快感もあるが、おかげで少し落ち着けた。
 わかったのは、多少触れあった程度では燻る衝動はどうにもならないこと。それからこはねの行動や言動が彰人にとっては燃料にしかならないことである。
 表現を抑えてほしいと頼めば、きっとこはねは頷いてくれるだろう。けれど、これまでずっと一方通行だった好意を返されるのが嬉しい。彰人が思っている以上に行動で示してくれるのも嬉しい。
 彰人は自分だけに許された特等席で見られるすべてを、ひとつも余すことなく見たかった。
 ならば、彰人自身をどうにかする方向で考えるしかないだろう。

(……最悪、親父に相談か?)

 なるべくなら頼りたくない。ましてや恋愛ごとどころか、性欲云々などと言いづらいなんてものじゃない。
 しかし、それ以上に理性を失くしてこはねを傷つけてしまうことのほうが怖かった。
 父に相談したところで母へと回される可能性が高いけれど、いずれにせよ何かしらの対策は持っているはずだ。

「――今日はオレも家帰るわ」
「じゃあ家まで一緒に帰れるね」
「こはねん[[rb:家 > ち]]にも顔ださねえとな」
「? なにかあったっけ?」
「幼馴染以上になった挨拶」

 彰人の上でおとなしくしていたこはねが顔を上げ、じわじわ赤くなったあと照れくさそうに笑う。
 ふにゃりと崩れた表情と、はだけられた服の隙間から覗く赤いしるしのミスマッチ感がかえっていやらしいと思いつつ、このまま帰すのはまずい気がしてきた。ボタンを全部留めれば隠れるだろうか。

「こはね……これの消し方わかるか?」

 キスマークのひとつに触れながら聞くと、なんのことかと首をかしげる。
 確認しようとしたところで、ついているのは首と肩の境やうなじ――背面のほうになるからこはねからは見えないだろう。
 洗面台まで連れて行けばよかったのに、彰人はこはねの手を取ると手首の内側に吸い付いて新しい痕を残した。

「……ん。これ」
「し、知らない……お母さんに、聞いてみるしか」
「やっぱそうなるか。オレも聞いとくけど、ごめんな」
「じゃあ、教わったら東雲くんが消してね」

 任せろと頷いて、こはねとともにベッドから降りる。
 乱れた髪を結い直し、ボタンをきっちり留めてマントを羽織ったこはねは、来たときの姿に戻ったように見えた。多少服に皺が残っているうえ、追加でつけた手首のキスマークのほうはしっかり見えているので、彰人のやらかしは消えない。
 今すぐに消し方を知りたい、という緊急性はなくなったため安心したが、今後のために友人や知人から情報を集めておこうと決めた。

 出かける支度(こはねは帰宅準備)を進めている最中、ふたり分の身体を受け止めてぐしゃぐしゃになったベッドが視界に映る。
 直すのは帰ってきてからでいいかとすぐに目をそらした彰人は、就寝時シーツに残されたこはねの香りに悩まされることになるのだが、この時は思い至らなかった。

「こはね、そろそろ出るぞ」
「うん、大丈夫だよ」
「んじゃ行くか」

 ドアノブに手をかけると、こはねが「あれ?」と不思議そうに呟く。
 忘れ物かと思いきや、こはねが見ているのは彰人で、両腕をゆるく広げた待機状態だった。

「……ふ、今日は、一緒に帰るから意識してなかった」

 こらえきれない笑いをこぼしながら一歩でこはねとの距離を詰め、ぎゅうっと華奢な身体を抱きしめる。
 それから“こいつはオレの獲物だ”と主張するために、こはねの頭に頬をこすりつけた。
 いつもはこれに「また明日」が加わる、ふたりが別れ際に交わす挨拶。
 恥ずかしいのか、こはねは彰人の背に添えた手で服を握り「うぅ」と小さな唸り声を上げている。彰人としては、こはねにも当たり前の習慣として根づいていることが嬉しくてしかたない。
 また明日、の代わりにキスをして身体を離す。こはねはパチパチとまばたきをしたあと、一気に赤くなった。
 いつもの挨拶にキスを加えるのもいいかもしれない。彰人は笑いながらこはねと手をつないでドアを開けた。

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