Vischio

“ご褒美”決めました


「東雲くん、この前、その……私に……ご、ごほうび、くれるって言ったの、覚えてる?」

 こはねを自室に通し、少し待ってろと声をかけようと振り返った矢先だった。行くなとでも言うように、手を伸ばしてきたこはねが彰人の服を掴んだけれど、これはつまんでいる、と表現したほうが近いだろう。
 自分から言い出すことに躊躇いがあったのか、目は合わないし声の強弱もめちゃくちゃで、“ご褒美”だけがやけに大きく聞こえた。
 彰人はわずかに距離を詰め、身をかがめてこはねを覗き込む。こはねはびくりと肩を震わせ、不安そうな色を宿した瞳を揺らした。

「――やっと決まったのかよ」

 待ちくたびれた、と付け足せば、緊張がほぐれたのかこはねの表情が緩んだ。

「忘れるわけねえだろ」
「……うん」

 ぱちりと瞬きをしたと思ったら目を細めて柔らかく笑う。嬉しさのにじむそれに彰人が息を詰めている間に、寄ってきたこはねが肩に額をくっつけるものだから、ぐぅ、と喉が鳴った。

「東雲くんはそう言ってくれるだろうな、とは思ってたんだけど、こういうのあんまり言ったことないから」
「……褒美くれって?」

 ゆるくこはねの腰に腕を回しながら聞き返せば、照れの混じった笑い声が聞こえた。

「そうだよ。ドキドキするね」
「まあ……お前はそうかもな。そのうち慣れるんじゃねえの」

 彰人の言葉に反応してこはねが頭を上げる。目を丸くして何度も瞬きをしているが、彰人は彼女が何に反応したのかわからなかった。
 なんだと問う代わりにこはねを見ると、彼女は「そのうち」と呆けたように呟く。彰人はそれに相槌を打ったが、こはねが慣れるときは来ないかもしれないとも思う。
 何度繰り返しても、今みたいに言いづらそうにしているような気がするし、そんなこはねを想像するのも容易だ。
 想像に反してさらりと褒美をねだるこはねは見てみたいが――別に、今のままだって悪くない。

「なにニヤニヤしてんだ」
「え、してる?」
「口元ゆるゆるだわ」

 引き締めようとしたのか、こはねは自分の手で口の両端あたりをむにむにとこねる。ふと手を止めて彰人を見上げた彼女は、頬を染めながら「嬉しいの」と感情たっぷりに笑った。
 なにが嬉しいのかよくわからないが、言葉どおりに笑うこはねは可愛い。
 衝動に突き動かされるまま抱きしめると、腕の中でもくすくすと幸せそうに笑って彰人に寄りかかってくる。
 誘ってるのかと言いたくなるが、今のこはねは絶対にそんなこと頭にないに違いないのだ。

「東雲くんあったかいね」
「……ねえよな?」

 額が触れ合う距離で自然と小さくなる声に、こはねが意味を問うように彰人を見返してくる。
 ぱち、ぱち。二回瞬きを確認してから、どっちでもいいか、と目を閉じて彼女の口を塞いだ。



「――なんて?」

 言われた内容はしっかり聞き取れたのに、彰人はそれをうまく受け入れられず、反射的に聞き返した。
 あぐらを組んで座っている彰人に対し、こはねはかしこまったように正座だった。彼女は膝上で組んだ手をほどき、指先を無意味に絡ませながら彰人を見つめる。頬を赤らめ、そっと開かれた唇から紡ぎ出される音は先程と変わらなかったが、聞き返したせいだろう。躊躇いを含んで弱まっていた。

 ――“好き”って言ってほしいです。

 こはねからの要求はこのとおり、極めてシンプルだった。
 あの、あのね、と照れ混じりに話し出すこはねの声を聞きながら、どんな内容なのかは考えた。
 彰人がこはねに要求した褒美――こはねからのキス(エロいやつ)――のように、彰人にしかできないことだったらいいのに。とは、思っていたが。 

(……さすがにそうくるとは予想してなかったわ)

 想定外のところから攻められた気分のままこはねを見つめていると、彼女は胸元をぎゅっと握りしめ、わずかに身を乗り出した。

「東雲くんが私のこと……その、す…好き、って、思ってくれてるのはわかるの。ちゃんとわかるし、名前呼ばれたときとか、ぎゅってしてくれるときとか、伝わってくるよ」
「……おう」

 好意が伝わっていることへの安心感が真っ先にきたが、それを明言されたらされたで気恥ずかしさが湧いてくる。顔を逸らしそうになるのをこらえていると、こはねがそろっと視線をあげた。

「でも、久しぶりに……言葉で欲しいなって」
「っ、おま……お前な、それわざとか」
「え?」

 こはねの上目遣いは心臓と理性を脅かすから、不意打ちで仕掛けてくるのはやめてほしい。不思議そうに瞬く彼女に一つ息を吐き出して、彰人は手を伸ばす。こはねの膝上で硬く握られていた手を掬い取り、もっとこっち来い、と言いながら軽く引いた。

「い、いいの?」
「できることならやってやるって言っただろ」

 膝を擦って距離を詰めてくるこはねが、パッと表情を明るくして頷く。嬉しいのだと全身から放出されているような雰囲気に、彰人はまたもや息を詰めることになった。

 彰人は割と口が回る方だ。相手によって態度を変えることもあるし、心にもない世辞だって簡単に言える。
 認めた相手への賛辞だって比較的素直に伝えられるのに――こはねへの好意に関しては、気恥ずかしさが勝るせいで、わかりやすく口にすることは滅多にない。
 こはね自身が言ったように、それを感じとってくれているからか、言葉で欲しいと言われたのは初めてだ。
 わざわざ褒美として要求してきたのは、こはねの周りには「好き」を明言するやつが多いから(彼女の相棒が筆頭だろう)、なにかがきっかけでそれに触発されたのかもしれなかった。 

「お前、指先冷てえぞ」
「き、緊張してたから……ん、ふふ、くすぐったい」
「そっちも」

 固く握られていた手をほぐして指先を絡める。絡めた片手はそのままに、こはねの胸元を握っていたほうも寄越せと手のひらを上向けた。
 冷えた指先を温めたくて、彰人は自分の手で包むようにして握る。ゆるゆると握ったり緩めたりを繰り返すうちに指先が同じ温度になり、こはねからは緊張が抜けていく。彰人が動きを止めてこはねを見ると、つられたのか彼女も彰人を見返してきた。


「――好きだ」


 口から出した途端、速度を増す心臓の音を意識して逃げだしたくなる。喉が渇くような感覚にも悪態をつきたくなったが、どうにか耐えた。
 彰人の言葉を受けて、こはねの頬が鮮やかに色づく。息を呑む音。次いで、こらえるようにきゅっと閉じられた唇。水気を増して潤んだ瞳。
 頬だけではなく、目元や耳の先まで赤くなっている。
 こはねはわずかに視線を下げたが、彼女をじっと見ていた彰人には、嬉しさと照れが滲み出ているのがよくわかった。

「こはね」

 名を呼べば、彼女は小さく肩を揺らし、逃げるように身体を反らす。生憎、彼女の両手は彰人が握ったままなので逃亡は失敗だろう。

「あ、あの……ありがとう」

 赤い顔のまま、かすかに声を震わせるこはねに彰人の口元が緩む。
 言ってほしいと望んだくせに、彰人よりもこはねのほうがよっぽど照れているのが面白い。こうなれば、彰人の中に湧いてくるのは羞恥よりも悪戯心だ。

「まだ一回しか言ってねえぞ。遠慮すんな」
「遠慮はしてな……わっ!?」

 彰人はこはねの手を引いて、彼女を懐へ招き入れる。
 眼下に見える耳は赤みが増していて、それにも気分が高揚した彰人は、笑いながら赤く染まった部分に柔く噛みついた。

「ひゃああ!?」
「こはね」
「し、しの、しののめくん」

 離してほしいと訴えてくる瞳は潤みきっていて、涙目と言ってもいいくらいだ。けれど、これが照れからきていると知っている彰人は、到底彼女を離す気にはなれなかった。
 わざとらしいくらいの笑みを返し、赤い目尻に口づけて、追い打ちをかけるように耳元へ口を寄せる。

「こはね、好き」
「ひ、ぅ……う~……」

 感情を込めて告げれば、彰人の背中に回った手が、ぎゅう、と強く服を握りしめた。

「……こはね」

 いつものように、湧き上がる愛おしさを名前に乗せる。ぴく、とこはねの肩が揺れるのを見て、言葉にしてほしいんだったなと意識し直した彰人は、改めて息を吸った。

「好きだ」

 囁くように言うと、こはねが言葉もなく額を押し付けてくる。さすがに少しやりすぎたかと腕の力を弱めたが、こはねは逃げるどころか彰人のほうへ寄りかかり小さく唸った。

「……力、入らない……」

 どこか悔しそうに呟くのが可愛くて、彰人は声をだして笑ってしまった。
 うぅ、と弱々しいうめき声を聞きながら、こはねが寄りかかりやすいように支えてやる。
 本人の訴えどおり足に力が入らないらしく、彰人がこはねを抱え直すまで彼女はされるがままだった。

「お前ふにゃふにゃじゃねえか」
「……東雲くんのせいだよ」
「そうだな」

 彰人の肩に顔を伏せたまま、小声で訴えてくるこはねを抱きしめる。
 気遣い屋で相手のことを優先しがちなこはねが、彰人のせいだと言い切るのがやけに嬉しくて、笑い混じりに肯定した。彰人が抱きしめているとはいえ、こはねも変わらず彰人の服を握りしめたままだから離れる気はないらしい。

「東雲くん、あのね」
「ん?」

 もぞりと動き、互いの顔が見えるところまで離れたこはねが笑う。赤みの引かない頬を見て、今は照れと嬉しさとどちらが上なのだろうかと触れたくなる衝動を抑えた。


「好き」


 どく、と変則的な動きをした心臓につられて彰人は一瞬息を止める。じわじわと顔に熱が集まってくるのがわかるけれど、今すぐどうこうできるわけもないし、この距離では隠せそうもない。
 やられた、と思いながら、照れつつも楽しそうに笑うこはねを見た。

「私も言いたくなっちゃった」
「お前……それじゃ褒美になんねえだろ」
「十分なってるよ」

 彰人は自分が貰いすぎているような気がして納得いかなかったが、こはねは満足そうだった。

「他にねえの?」
「えっ、他に!? うーん……」
(こいつほんとに欲がねえな)

 もどかしく思いながら、彰人は改めてこはねを抱きしめる。漏れ聞こえてきた密やかな笑い声が嬉しそうで気を取られていたら、もっと、と服を引かれた。

「もっと?」
「ぎゅって、してほし、っ!? しの、東雲くん、苦しいよ」

 悪い、と反射的に謝って慌てて力を緩めたが、油断していたところに可愛いおねだりをしてくるのはやめてほしい。
 こはね好みの力加減にできたのか、こはねが彰人に擦り寄って力を抜いた。彰人に身を委ねるこはねは温かくて柔らかく、いい匂いがする。何度抱きしめても飽きないし、何度でも触れたいと思う中毒性がある。

「…………こはね、キスしていいか?」

 唐突な彰人の言葉に、こはねは身体を跳ねさせて何度も瞬く。
 ポン、と音がしたのではと錯覚するほどに一瞬で顔を赤くした彼女が、どうして聞くの、と呟いた。

「い、いつもは、聞かないでするのに」
「一応、こはねへの褒美中だし……つーか、普段はいきなりしてるみたいに言うな」
「いきなりのとき多いもん。さっきも、」
「さっき? あ、だからお前目開けたままだったのかよ」
「だって、だって、“あっ”て思ったときは遅くて、東雲くんすぐ離れちゃったし」

 彰人としては空気を読んで、いけるだろうというタイミングで触れているつもりだが、こはねにとっては唐突に感じることも多いらしい。
 思い返せば衝動で、思わず、ということも少なくないので“いきなりが多い”と受ける側から言われては反論しにくい。今のように予告しろと言われたところで守れる気もしなかったが、それはまた今度話し合うとして。

「……なあ」
「なあに?」
「今さらっと聞き流しそうになったけど、さっきの言い方、もっとしたかったってことだよな?」

 腕を緩めてこはねを覗き込む。頬に手を添えながらじりじりと顔を近づけて声をひそめれば、こはねは両目をぎゅうっと閉じて息を詰めた。その様子が可愛くて、彰人は微かに笑いをこぼしながら硬く閉じられたまぶたに口づける。

「……な。していい?」

 問いかけに答える代わりに、ゆっくりと目を開けたこはねが潤んだ瞳で彰人を見返してきた。彼女の頬に添えたままの彰人の手に触れ、再び目を閉じる。差し出すように、わずかに上向けられた顔に喉を鳴らした彰人は、隙間ができないように角度を変えて自身の唇を重ねた。

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