Vischio

酔っ払い彰人くん編


 ふられた。今日は講義が終わったらデートする予定だったのに。彼女が行きたいって言ってたレストランでのディナーも、食べたいって言ってたスイーツもばっちり押さえておいたのに。
 楽しみで浮かれてたおれの元へ届いた彼女からのメッセージ。待ち合わせ時間の確認かと思いきや“ごめん、別れよ”って! こんなのあるかよ!?
 理由を聞こうにもSNSはブロック、電話は着拒、もう泣きたい気持ちでいっぱいだった。
 酒だ。酒でも飲まなきゃやってられん。こんなときひとりで飲むと死にたい気分になるって自分でわかってるから、道連れが必要だ。ぐだ巻いても許してくれて、ついでにモテる秘訣を知ってそうなやつ。
 鬱々とした気持ちのまま顔を上げたら、見覚えのあるオレンジ頭が前を歩いていた。中学高校とモテてたくせに大学でもモテてるやつで、見た目の印象とは違って意外と面倒見がいい――

「東雲ーーー! お前に決めた!!」
「は!?」
「今日飲みに付き合ってくれ、奢るから」

 東雲は面倒くさいという雰囲気を隠しもせずにおれを見たが、両手を合わせて頼み込む。気を緩めたらさっきスマホに届いたばかりのお別れメッセージを思い出しそうで、いい年してガチ泣きしそうだった。おれのなにが悪かったんだ……

「……はぁ。しょうがねえな」
「神!!」
「うぜえ。つまみが美味いところにしろよ」

 任せろと返して飲み屋の候補を脳内と手元のスマホで検索する。飲み屋を決めたらディナーのキャンセルを入れなければ……あーあ。予約取るの地味に大変だったんだけどなあ。



 ちびちびビールを煽りながら、ぐだを巻く。
 おれなりに彼女を大切にしてきたつもりだよ。遅刻もドタキャンも許容してきたし、ちょっと……いや結構……だいぶ? 甘かった自覚もある。ねだられると嬉しくなっちゃってあれこれ貢いじゃったりさあ!

「……お前、女見る目ねえな」

 しみじみと言ってくる東雲に胸を突き刺された気分で身を屈める。おれこれでも傷心中なんだけど!? 慰めろよ!!
 ちなみに飲み始めに早速モテの秘訣を聞いてみたが、「知らねえ」の一言で終わりだった。泣くぞ。

「そういう東雲には見る目あるのかよぉ……モテまくってるお前のことだからよりどりみどりだろ」
「モテまくってるってなんだよ」

 心底不思議そうに聞き返してくるのなんなの。
 おれに彼女(もう元だけど)ができる前は合コンのセッティングしたこともあるけど、「東雲くんがくるなら~」って条件ついたりしてたの知らんのか。
 ……思い返せば、誘い文句を言い切るより先に無理の二文字で切って捨ててたから、知らないかもしれん。
 いい機会だと合コンの条件に名前があがるのだと言ってみたら、東雲はすごくどうでもよさそうな顔で「ふーん」って。それだけだった。

「嬉しくねえの?」
「興味ねえし、そんなんでいちいち誘われんのめんどくせえ」
「はー。ストイックだねえお前は。モテるくせに女の影が薄いから何度も誘われんだよ」
「…………薄いか?」

 東雲は中学のときは男友達とつるんでるほうが楽しいってタイプで(おれもだけど)、高校ではだいたい青柳がセットだったし、たまに風紀の……そう、白石さん。彼女が加わることもあったけど、東雲とは悪友とか喧嘩友達って雰囲気だったしなあ。今は適度に広く浅くって印象だわ……中坊時代に巻き戻ってないか? なんだその意外って顔は。まさか……まさか!?

「彼女いるのかよ!?」
「いる」
「マジかぁ……いつから? 彼女何人目?」
「は? こはねはひとりしかいねーだろ」
「うん!? あ、彼女こはねちゃんっていうの?」
「名前呼ぶな」

 ええ……めっちゃ理不尽。受け答えの怪しさといい、東雲のやつ結構酔ってんのか?
 それにしても東雲の彼女か……今の“何人目?”への返事がボケじゃないなら、初めての彼女と進行形でお付き合い中ってことだよな。いいなぁ。
 ジョッキを片手にテーブルに突っ伏す。頬をつけたテーブルはひんやりしてて、酒で火照った肌には気持ちいい。
 そのまま東雲を見れば、東雲はマイペースに飲んで食べて、ときどきスマホでつまみの写真を撮っていた。

「撮る基準なに?」
「こはねが好きそうなやつ」

 どういうこと。聞けば、今度一緒に来たときに食べる用らしい。ついでに、って感じでおれに礼を言ってくるから笑ってしまった。
 どうやら東雲を付き合わせる条件だった“つまみの美味いところ”は無事にクリアできていたらしい。気に入ってくれて何よりだ。
 飲み屋でも一緒に楽しめる間柄なんだな。羨ましいわ。きっと東雲が撮った写真も話題の一つになるんだろう。おれの彼女はこういうとこ嫌いだったなぁ。

「……なあ、彼女ちゃんどんな子? 可愛い?」
「かわいい。可愛いの塊だあいつは」

 構内では難攻不落扱いになってる東雲を落とすならきっと可愛いだろう。そんな軽い気持ちでの質問だったのに、予想外にも即答だしガチトーンで返ってきた。
 やっぱこいつ結構酔ってるわ。

「写真は? 写真! みーせーてー」
「うぜえ」

 それくらいでめげるおれではない。
 しつこく見せろと絡んでみたが、「お前に見せるこはねは無い」と頑なだった。この流れなら自慢気に見せてくるだろ普通! 独り占めしたいってことかよ!?

 ある時間を過ぎたあたりで、東雲はスマホをテーブルの上に置いた。なんでも「そろそろバイト終わる」とのこと。誰の、とは言わなかったけど、確実に彼女ちゃんの話だろう。っていうか、東雲は彼女のバイト時間も把握してんのかよマメだな。
 ふいに画面がパッと明るくなって、それを東雲が操作するのをつまみを食べながら眺める。

「オレ帰るわ」
「は!? 今日はやけ酒つき合ってくれるって言ったじゃん!」

 急な話に飲みかけていた酒が零れた。咽せるのはなんとかこらえて東雲を見ると、ずいっとスマホの画面をおれの目の前にかざす。

 ――バイト終わったよ。飲み会楽しんできてね。
 ――家に着いたらまた連絡します。

 メッセージアプリを使った一対一のやりとり。この画面を見るとお別れメッセージがちらつくんだが?
 東雲と彼女ちゃんは至って平和に、お互いを思いやる感じのメッセージを送りあってるのがわかって余計につらい。おれ彼女からこんな優しいメッセージもらったことない。

「こはねのとこ行く」
「んえぇ……迎えに行くってこと? おれも行く」
「なんでだよくんな、邪魔」
「辛辣!! お開きにするならお前の彼女ちゃんをひと目見てから帰る! もう決めたからな!!」
「……見たら帰れよ」

 よっしゃ! 思わずガッツポーズをしたおれを見て東雲が盛大に溜め息を吐き出したが、そんなもん無視だ。
 飲み屋を後にして東雲についていく。清算中に置いていかれるかもと思ったが、なんだかんだで終わるまで待っててくれたし「ごちそうさん」と添えてくるあたり、こいつを道連れにしてよかったと思う。
 さんざん愚痴ってスッキリはしてるしな。強制終了されたけど!
 東雲は背が高いぶん足も長いが、それにしても歩くの速くないか? そんなに彼女ちゃんに会いたいんだろうか。
 ……いや、愚問だったわ。会いたいから飲み会切り上げられたんだし。
 スタスタ歩いていく東雲がまた速度を上げる。さすがにおれがこれ以上頑張ると酒が回りそうで、無理はせず東雲の進む方向を注視した。


「――こはね!」


 やけに通りの良い声に、前方にいた小柄な人影がビクーンと跳ねる。おれもびっくりしたわ、東雲、お前急にでかい声出すなよ!
 東雲の呼びかけで立ち止まった人影は確実に彼女ちゃんなんだろうけど、もし人違いしてたらどうすんだろうな。

「……びっくりした。東雲くん飲み会は?」
「終わった」

 彼女ちゃんの戸惑う声が聞こえてくる。それに即答する東雲にはこのやろうと言いたい気持ちが湧いたが、なんとかこらえた。
 女子と話すときの東雲はだいたいクールで口数少なめか、優男モードの取り繕った感じの笑顔が多いけど、今はわかりやすく上機嫌な雰囲気がだだ漏れだった。彼女ちゃんすごいな。

「もう終わったの? 遅くなるってメッセージに……わっ!? ふふ、東雲くん酔ってる」
「そーだよ。だから一緒に帰るぞ」

 会話の途中で彼女に抱きついた東雲に驚く。まるっきり偏見だけど、東雲ってあんまり彼女にベタベタするイメージなかった。ってか、そもそも声がさあ! 甘ったるくない!? 誰だよ!!
 東雲のやつ、絶対おれのこと忘れてるよな。東雲の身体ですっぽり隠れちゃうくらい小柄な彼女ちゃんからはおれ見えてないだろうし、今のおれは空気!

「バイトお疲れさん」

 東雲の労いに、彼女ちゃんがお礼を言うのが聞こえる。東雲の背中に添えられていた手が、そろっと動いて背中の真ん中あたりで服をぎゅっと握るのを見て、自分でも驚くくらいドキッとしてしまった。さすがに、これ以上見続けるのは居たたまれなさがヤバい。

「東雲、彼女ちゃんに挨拶させてくれよ」
「…………こはねはオレのだぞ」
「知ってるけど!?」

 なんの牽制なのか。これだから酔っ払いは……
 彼女を隠すみたいに抱き込む東雲を眺めていると、彼女ちゃんがなにか言ったらしい。東雲はめちゃくちゃ不満そうな顔で彼女を解放し、おれはようやくその姿を確認することができた。

「こんばんはー、東雲の飲み友です」
「こ、こんばんは! 気づかなくてごめんなさい」
「彼女ちゃんじゃなくて東雲のせいだから。気にしないで」

 何度も頭を下げて謝ってくる彼女ちゃんの第一印象はふわふわしてるな、だった。雰囲気とか、色合いとか。いかにも女の子というか、守ってあげたくなるタイプ。
 東雲が可愛いと即答していたのを思い出しながら、おろおろしている(たぶんイチャイチャを見られてたのが恥ずかしいんだと思う)彼女ちゃんに右手を出した。
 挨拶の握手をするつもりだったのに、掴んできたのが東雲ってどういうこと?

「……ドーモ、東雲クン。これからもよろしく?」
「こちらこそ」
「いや、意味わからん。あと猫かぶりやめろ」
「こはねに触んな」

 ぺっ、と放り出されたおれの右手が可哀想。飲み屋でも思ったけど、こいつかなり独占欲強いな。
 それはそれとして、さっきから東雲を呼びながら服を引く彼女ちゃんが見えてるわけだけど、それ効果無いと思うなー。だって頑張って東雲を宥めようとしてるの可愛いもん。東雲もわかってて放置してるぞ絶対。

「……さーて。彼女ちゃんにも会えたし、今回はめっずらしいデレデレの東雲くんに免じて引いてやるよ。次はちゃんと付き合えよな!」
「お前またフラれる予定でもあんの?」
「ちっげーよバカ! 次は彼女自慢飲み会にしてやるわ!!」
「開けるといいなそれ」

 こいつホントひどい!
 絶対近いうちに開催してやるし、そんときは東雲は強制参加だからな。宣言しながら彼女ちゃんにも去り際の挨拶をすると、またもや深々頭を下げつつ謝られてしまった。彼女ちゃん全然悪くないのに。
 悪びれもしない東雲が、彼女ちゃんを懐に仕舞い込むのを視界の端に引っ掛けながら踵を返した。
 次に付き合うなら、東雲と彼女ちゃんみたいな関係が築けるような相手がいい。それを目標にしようと決めた。



***



 東雲くんの友達を見送って、帰ろう、と声をかけようとしたら東雲くんに抱きしめられた。

「こはね」

 私を呼ぶ声が優しくて、胸の奥がくすぐったい。
 応える代わりに寄りかかると、少しだけ力が強くなった。伝わってくる温かさとか、東雲くんの匂いとか(今はほんのりお酒の匂いもする)、トクトク聞こえてくる心音には嬉しくなるけれど、ここが路上だと意識したせいで落ち着かない。
 酔った東雲くんは外でもこうして距離が近くなるし、素直だなあと思う。頭の中でホイップクリームマシマシ、とトッピングを思い浮かべてしまうくらい甘さもわかりやすくて――だからこそ、早く連れて帰りたかった。

「東雲くん、帰ろう?」

 今度はちゃんと言えた。東雲くんは「うん」なのか「ううん」なのか判別しづらい返事をして、私の頭に顔を押しつけてきた。そのままぐいぐい押されるせいで頭が揺れる。なんだか楽しげな雰囲気が伝わってくるのもあって、可愛いなあと思っちゃうけど……このままはちょっと困る。か、帰るんだよね?

「……運んで」
「え!?」

 反射的に出た声に東雲くんが微かに笑う。直後、ずしっと私の方にかかる重さに驚いて、慌てて東雲くんを抱き返しながら足に力を入れた。
 ここから家までどれくらいかかるかな。

「頑張る、けど、東雲くんも頑張って歩いてね」

 今の位置を確認しながら言ったら、東雲くんはご機嫌な返事と一緒に抱きしめる力を強めてきた。
 びっくりして震えた身体を押さえるみたいに、ぎゅうっと強く抱きしめられて少し苦しい。途切れがちに東雲くんを呼ぶと、ゆっくり解放してくれた。
 おかげで東雲くんの顔がよく見える。優しい表情と真っすぐな眼差しは甘さが全開で、心臓が大きく跳ねた。その表情も甘い眼差しも、向けられるのはとっても嬉しいけど外で見るには甘すぎると思う。
 受け止めきれずに視線を下げると、私の顔を包むように手が添えられる。東雲くんの手がひんやりしているように感じるのは、頬が熱いせいかもしれない。

「こはね、こっち見ろ」
「い、今は無理だよ」

 東雲くんの手を上から押さえながら拒否すれば、軽く上向かされて指先で耳や首筋をくすぐられる。
 勝手に漏れる声が恥ずかしくて、口を閉じて唇に力を入れた。ついでに抵抗も兼ねて両目も閉じると、東雲くんが笑う気配がした。
 ちゅっと音を立てて、一瞬だけ唇へと触れた熱に反射で目が開く。映ったのは悪い顔。
 ふ、と吐息混じりに緩んだ表情は私が好きなものの一つだけど、今は驚きと恥ずかしさのほうが大きいせいで素直に喜べなかった。
 顔も、耳も熱い。この熱さが触れている手から東雲くんにも伝染すればいいのに。

「こはね」

 たった三文字。名前を呼ばれただけ。
 ……だけど、その三つの音には東雲くんからの“好き”が込められてるのがわかって、熱は引くどころかますます上がってしまった。
 私の顔を包んだまま、東雲くんが嬉しそうに笑う。確実に赤くなってる頬を指が滑ったと思ったら、すっと近づいてきてこめかみの辺りで小さなリップ音を鳴らされた。
 今のはたぶん音だけ。触れてない、と思う……でも、私は東雲くんが鳴らすこの音自体に慣れなくて、いつも身体が震えてしまう。
 東雲くんは知ってるはずなのに。

「……お前ほんとかわいいな」
「もっ、もう、お砂糖いらないです……」
「なに言ってんだ」

 笑い混じりに言う東雲くんの手を握って顔から外し、目をそらす。耳も塞ぎたいくらいだけど、私の両手は東雲くんの手を止めるために使用中だ。
 もう悪戯されないように東雲くんの肩に顔を埋めながら、早く帰ろう、と二度目の提案をした。
 甘さにあてられたせいか声が上手く出てくれず、震えたうえにだいぶ小さくなってしまった。でも、この距離なら届いたはず。

「まだ離したくねえ」

 降ってきた独り言みたいな響きにドキッとしたものの、“じゃあもう少し”と頷くわけにはいかない。だって、人が全然通らないとはいえ、ここは普通に道端だから。

「おうちで、じゃ……だめ?」
「お前すごく帰りたがるな」
「東雲くんのせいだよ」

 思わず返した言葉は八つ当たりみたいなものだったけれど、東雲くんはなんだか嬉しそうだった。

「……じゃあ帰るか」

 ふっと息を吐いたあと、合図をするようにコツンと頭がぶつかって、ようやく待ち望んでいた言葉が聞けた。

 東雲くんに手を引かれるまま、家へつながる道をのんびり進む。
 やっと帰れることにほっとしながら少し足を速めて隣に並んだら、ちらりと視線を送られた。

「家で、って言ったのお前だからな」
「わ、わかってるけど……あの……お砂糖は控えめにしてほしいな」
「さっきも言ってたなそれ」
「東雲くんのことだよ」
「ふーん? けどお前好きだろ、マシマシってやつ」
「東雲くんのは甘すぎるの」

 なんだそれ。そう言って笑う東雲くんの纏う空気は甘やかで優しくて、むずむずする。
 意味もなく声を出しそうになった衝動を誤魔化すように、つないだ手にぎゅっと力を入れた。
 不意に、東雲くんがなにかを思いついたみたいに「あ」と音を漏らし、私の方を向いてニヤリと悪い顔をする。さっきも見た顔だ。

「なら、今日はこはねの言うとおりにしてやるよ」

 どういうことなのか問うように見返せば、繋いだ手を持ち上げられて手の甲にキスをされた。唇を触れさせたまま私を流し見る東雲くんは楽しそうだけど、とても心臓に悪いと思う。

「どこに触って欲しいとか、触り方とか、言葉とかな。そういうの全部お前に言われたとおりにしてやる」

 控えめがいいなら自分で調整しろということらしい。
 東雲くんとくっつくのは好き。でも、細かく言葉にしてお願いするのってすごく難易度が高いと思う。

「………………もし、言わなかったら?」
「そんときはオレの好きなようにする」

 やめるわけじゃないんだね。
 しれっと返してくる東雲くんに任せたら糖分過多になりそうだけど、主導権を委ねられるのも難しい――どうしよう。

「ほら、早く帰るぞ」

 どっちも選べないままでも東雲くんは待ってくれない。さっきまで帰るのを渋っていたのが嘘みたいに、私の手を引く東雲くんの足取りは軽かった。
 ……とりあえず、自分から言う方を頑張ってみよう。
 そう決意して、帰り道は東雲くんが送ってくれた写真の話を聞くことにした。





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