Step Forward
ホームルーム終了の挨拶を合図に、こはねは上機嫌で帰り支度を始めた。今日はセカイの――メイコのカフェにあるステージを借りて練習ができる日だ。
ひとりで練習していたところが前よりも少し上達したのだと杏に伝えたい。みんなで歌えるのも楽しみで、油断すると鼻歌を歌いそうになってしまうのをスマートフォンを取り出すことで誤魔化した。
今から向かう旨を伝えようとメッセージアプリを開き、“Vivid BAD SQUAD”で作ったグループにある数件の未読に目を通す。
――一時間ほど遅くなる。委員会で寄贈本の整理を頼まれた。
――私も風紀委員に呼ばれたからちょっと遅れそう! 先に始めててー
――了解。
(杏ちゃんと青柳くんは委員会。東雲くんはもう向こうにいるかな?)
杏の“ごめん!”のスタンプの後に並ぶ彰人からの簡潔な二文字を眺めながら、こはねは“今から行くね!”とメッセージを送信した。
画面に並んだ吹き出しを確認した直後、送った文章の横に既読の文字が付いて心臓が跳ねた。反応が早い。
このタイミングで既読をつけたのが誰か、なんて決まっている。きっと、ちょうどスマホを触っていたところだったのだろう。
彰人からの反応を期待しそうになる自分を落ち着かせるつもりで、こはねは理由を考えながら画面に触れた。トン、と指先がメッセージアプリを閉じたと同時に、上部にメッセージが割り込んでくる。
――はやくでてこい。
「え!?」
思わず声が出た口にパッと手をやる間も、ポロポロと短いメッセージが連続して画面の上部に浮かんでは消えていく。
こはねは怒涛の勢いで届くそれを見送り、静かになったタイミングで改めてアプリ画面を見直した。
グループの会話はこはねの送ったメッセージが最後のままだ。既読は一。
表示画面を変えて送り主を確認すれば、相手は彰人個人だった。ひらがなだけの小さな吹き出しがいくつか続いている。
先ほど見た「はやくでてこい」から始まって、みやじょまえ、まだか、めだつ、みせもんじゃねえ、はやく、こはね――最後が自分の名前だけで終わっているせいか、直前の“はやく”と繋がって、助けを求められているような錯覚を起こした。
(たぶん、違うよね……)
そうは思いながらもなんだか焦る。こはねはカバンを掴み、友人たちへ挨拶してから廊下へ飛び出した。
廊下を走るのは厳禁。そんな校則がちらりと脳裏を掠めたが、ドクドクと大きくなる心音の主張が勝ってどこかへ追いやられてしまった。
連続で届いた言葉は彰人が宮女まで来ていることを指していたけれど、本当にいるのだろうか。
杏や冬弥が一緒のときならまだわかる。でも彰人だけが女子校の前で待つ姿は想像しにくいし、以前本人も嫌だと言っていたはず。
居るはずない。でも、居たらどうしよう――居てくれたらいいのに。
こはねは悶々と考えながらも急ぐのをやめないまま、上履きを靴に履き替えて校門まで走り、人の塊を発見した。数人の女生徒に囲まれている他校の制服を着た男の子。周囲から頭半分は飛び出ているのもあって、彼はとても目立っていた。
優しげな雰囲気と人あたりの良い笑顔で女生徒に応対しているのは、メッセージが示唆していたとおり彰人本人だった。
(ほんとにいる……)
軽く弾んでいる息を整えながら、近づきもせずに彰人の様子を見つめてしまう。杏曰く“猫かぶり”で笑顔を振りまいている彰人の姿はこはねにとっては珍しいものだったけれど、別人のようで寂しさを感じた。
「東雲くん」
思わずこぼれた呼びかけは、こはねにしか聞こえないくらい小さなもの。それなのに、彰人は反応してこはねの方を向いた。
目が合った途端、こはねの心臓が大きく跳ねる。驚きと嬉しさが混じって、半端に笑ってしまった。彰人はそんなこはねに一瞬安心したような表情を見せたものの、すぐに不満げな顔になり口元が動く。おそらく“遅い”と文句でも言ったのだろう。
笑顔とはかけ離れているし、愛想の欠片もない。でも、それが彰人の素の表情だと知っているから、こはねは嬉しくなってしまう。
勝手に緩む口元を隠すように俯くこはねをよそに、彰人のほうは彼を囲んでいた女生徒たちとの会話を終えたようだった。
ふっと影が落ちてきたと認識する暇もなく、こはねの肩に重力がかかる。うなじに触れる布の感触と、自分のものとは違う熱源の近さに驚いて息を止めた。
「っ、しの――」
「バカ、呼ぶな。誤魔化してた意味なくなるだろ」
肩に乗せられていた腕が動いて、手のひらがこはねの口をふさぐ。ひそめられた声が斜め上から降ってくるけれど、距離の近さに対する混乱で目が回りそうだった。
こはねと彰人はいわゆる恋人同士と定義できる関係だが、こんな風に密着したのはステージを終えたときの興奮と熱気に押され――仲間として、数回あるかないかだ。
離れた彰人の手と入れ替えるように、無意識のうちに両手で自分の頬を覆ったこはねは、伝わってくる熱で自身の顔が赤くなっていることを自覚した。
(杏ちゃんと全然違う)
「……おい、大丈夫か?」
「…………いまは見ないでほしい」
恥ずかしさで彰人へ答える声も小さくなり、心なしか震えてしまったような気もする。
こはねの肩に移動していた彰人の手が微かに震えて、なぜか密着度が増した。落ち着きたいから少し離してほしいのに。
名前を呼ぼうとしたところで、呼ぶのを禁止されたことを思い出した。視線で訴えようと顔をあげたものの、見えたのは彰人の首元だけだった。やはり近い。
「行くぞ」
「う、ん……えっ、このまま!?」
「とりあえず、こっから移動したいんだよ。お前は前向いてろ」
「でも」
「いいから。転ぶなよ」
気をつける、と返した声がうわずっていて、こはねは小さく唸ってしまう。けれど、転んだら彰人に迷惑をかけることになるので、今は先導に集中することにした。
しかし、彰人との馴れない距離で足がもつれそうになるのはどうしようもない。こはねがよろけるたびに、彰人はこはねの肩を抱き寄せて支えてくれる――結果、距離がさらに縮まるので、残念ながら足のもつれは改善されそうもなかった。
宮女から少し離れた場所にある路地裏で足を止めた彰人は、着いたとでも言うようにこはねの肩をポンポンと叩いてから離れた。ずっと背中と肩にあった熱がなくなって、どこか寂しい気持ちになるのが不思議だ。
「……お前、赤すぎ」
「だって東雲くんが……あっ」
こはねは急いで口を塞いだけれど、もう呼んでしまった。そっと彰人を伺うと怪訝な顔でこはねを見返してくる。
「……もう呼んでいいの?」
「は? ……あー、宮女のやつに覚えられんの面倒だっただけだし、もういい。それより、」
彰人は言いづらそうに言葉を止めると、ふいと横を向いてしまった。
「東雲くん?」
「……どうだったんだよ」
「え?」
「待ち伏せ。されてみたかったんだろ」
視線だけを動かしてこはねを見る彰人に言われて、杏やミク、リンとそんな話をしたことを思い出した。待ち伏せというか、好きな人に迎えに来てもらうシチュエーション。
(東雲くん、やだって言ってたのに)
ミクから「彰人、行ってあげたら?」と話を振られたとき、苦い顔で考え込んだあと「無理」とはっきり言っていた。
こはねは彰人が少しでも考えてくれたことが嬉しかったし、女子校に男子が来るのは目立つうえに気まずいだろうと思ったから全然気にしていなかったのに。
「こはね」
じれたように呼ぶ彰人は返事を待っていて、どこか不安そうなところがこはねの胸をくすぐる。
「――すごくびっくりしたし、ドキドキしたけど……嬉しかったよ。迎えにきてくれてありがとう」
「ならいい」
「ふふ。今度は私が迎えにいくね」
彰人の顔を見ながら言うと、彰人はこはねに向き直り数回瞬きをした。神高なら何度か行ってるから大丈夫、と意気込めば、ふっと軽く息を吐き出した彰人の目元がニヤリと意地の悪い笑みをつくった。
「……その前に、こはねはもっと免疫つけろよ」
「ひゃ!?」
ぐっと距離を詰めてきた彰人はこはねの肩を抱くと、耳元でそう囁いてから離れていった。
こはねがびくりと身体を跳ねさせる傍らで、彰人のスマートフォンはセカイと繋がる曲を再生していて、反応する間もなく視界が暗転した。
「っ、東雲くん!」
「“練習”ならいつでも付き合うからな」
彰人はスマートフォンを振って、笑いながら先に行ってしまう。今、後ろから突撃したらどうなるのかと思ったけれど、押さえた頬はやはり熱くなっていて小さく唸る。頑張れば、こはねが彰人をからかうことも出来るようになるのだろうか。
「いつか、してみたいな」
ぐっと両手を握りしめ、こはねは彰人を追ってメイコのカフェに足を向けた。
***
「こんちはー」
カラン、カランと小さく鳴るドアベルの音に被せて挨拶をすれば、メイコが柔らかな笑顔を浮かべて彰人を歓迎してくれた。
「いらっしゃーい。ご注文は?」
ふわりと漂うコーヒーの香りとメイコの穏やかに問う声は、彰人の荒ぶった心臓を落ち着かせるのに一役買ってくれそうだった――まったく、慣れないことをするものではない。
(……肩とか、あんな弱っちそうだったか?)
メイコに注文を済ませた彰人は、無意識のうちに手のひらを見て指先を擦り合わせ、こはねの肩を抱いたときの感触を思い返していた。
間近に見たこはねの顔が真っ赤で、自分がそうさせたことが妙に嬉しくて癖になりそうだ。
「彰人! あれ? こはねは? 一緒に来たよね?」
店の奥にいたらしいレンの声に振り向けば、レンは彰人の周囲を探るように見ながら寄ってきた。理屈は不明だが、彼らは彰人たちがセカイに来たのがわかるのだったか。
「あとから来る」
「なんで別々に……あっ、またこはねに意地悪したんだろー!」
「はいはい、そうだよ」
間違ってもいないので、おざなりに肯定を返す。すると、レンと一緒に近づいてきていたミクがふっと息を吐き出して「ふ~ん」と意味深に笑った。
「彰人が意地悪した方なんだ」
「なんだよミク」
「耳、赤くなってるからさ。それってこはねのせいでしょ?」
「は!?」
ミクの指先が自身の耳を指し、トントンと叩くように動く。反射的に右手で耳を覆った彰人がハッとしたときには、ミクがますます楽しそうに微笑むのが見えた。
「え、なに? ミク、どういうこと?」
「ふふ。こはねもやられっぱなしじゃないかもって話」
ミクと彰人を交互に見るレンが更に聞きたそうにしていたが、彰人に答える気はなかった。
こはねになにかされたわけではなく、照れるこはねを思い出したせいだなんて、恰好がつかない。
「――こ、こんにちは」
「こはね!」
「ちょっ、待てレン!」
パッと顔を上げ、出入り口の方へ視線をやるレンの首根っこを掴む。
急いだせいか、ぐえ、と詰まった声を漏らした彼には悪いと思ったが、止めなければ確実に彰人となにがあったのか聞きに行く気だっただろう。
「……彰人ー、オレだけ止めても意味ないんじゃない?」
締まった首元を緩めつつ、彰人を見上げたレンがぼやく。言われてみれば、先ほどまで隣にいたはずのミクがいない。
舌打ちしそうになるのをこらえてこはねの方へ視線をやると、ミクがこはねの肩を抱いてなにごとかを囁いているところだった。
こはねの視線を誘導するように、ミクが彰人を示す。素直につられたこはねが彰人を見て、目が合ったと認識した瞬間、彼女はわかりやすく顔を赤くした。
冬弥と杏がくるまで、質問攻めにあう覚悟をした方がいいのかもしれない。
レンと、ミクと、まさかのメイコまでもが興味津々といった様子で彰人に視線を集めるのがわかって、彰人はじわじわと熱を持ち始めた耳に触れながら天井を仰いだ。
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4983文字 / 2021.04.21up
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