Vischio

酔っ払いこはねちゃん編


「――それでは! みなさん課題お疲れ様でした!! カンパーイ!!」

 幹事の乾杯の音頭に合わせて、あちこちでグラスをぶつけ合う音がする。みんな好きなように注文したから、グラスの中身は見事にバラバラだった。
 幹事の趣味なのか、店の雰囲気は居酒屋というよりもスナックっぽい。薄暗く、こぢんまりとしたスペースにいわゆる“ママ”がいてカラオケがあって……で、貸し切り。
 課題という名の長く苦しい戦いから解放されたうえに貸し切り。女しか居ない、かつ他の客へ気を遣う必要がないせいか、周囲を見回せば早々に騒がしい状況ができあがっていた。
 誰かがカラオケを使い始めたのか、店内の曲を打ち消す大きさでBGMが流れ始める。少し耳を傾けたもののBGMしか聞こえてこない。
 歌わないんかい、とつっこみたくなる衝動を抑えたつもりが声に出ていたらしく、隣に座っていた小豆沢さんが控えめに笑うのが聞こえた。
 彼女とは今回の課題をきっかけに知り合ったので付き合いは浅いものの、話しやすくて時折見せる小動物めいた仕草が可愛い子だ。

「小豆沢さんはなに飲んでるの?」
「えっとね……名前忘れちゃった。見た目で選んだんだけど、美味しいよ」

 小豆沢さんの手には細長いグラス。中には赤みの強いオレンジ色から黄色へ、綺麗なグラデーションがかかったカクテルが入っているようだ。
 にこにこ嬉しそうに言うのに興味を惹かれて一口もらう。甘さも程よく飲みやすい……けど、これ結構アルコール強めでは?
 お酒には強いのかを聞いてみたら、まだしっかり把握できていないらしい。よく一緒に過ごす人たちよりも誕生日が遅いから、経験値もそんなにないんだとか。
 許容量がわからないのに強めのを飲んで大丈夫だろうか。

「……具合悪くなってない?」

 心配になって思わず聞くと、小豆沢さんはにこにこ笑顔のまま大丈夫と頷いた。
 そのまま、流れで課題に取り組んでいた間の苦労話に花を咲かせる。小豆沢さんは聞き上手なのか、だいぶ一方的に話を聞かせてしまった。愚痴っぽくなってごめんなさい。反省します。

 合間合間にオレンジ色のカクテルを飲む小豆沢さんは、しれっと三杯目に突入している。彼女がそれを口にするたび嬉しそうに笑うので、思わずつられて笑ってしまった。

「それ気に入ったんだね」
「東雲くんみたいだから」
「しののめくん?」
「うん」
「あ、彼氏だ。でしょ?」
「……うん」

 相手を思い浮かべたのか、表情を和らげて幸せそうに微笑む小豆沢さんに、聞いた私のほうが照れてしまう。
 どんな人なのかを聞いたら、すごく優しくて努力家で、かっこよくて照れ屋さんで、時々とっても可愛い――といった内容を(もっと長かったと思うけど覚えていられなかった)笑顔で教えてくれた。小豆沢さんが普段よりもたくさん語ってくれたことにびっくりして、同時に相手のことが好きなんだなあと感動に似た気持ちが湧いた。
 小豆沢さんの話を聞いて、私の脳内では生真面目そうな男性像が出来上がったわけだけど、オレンジ要素が全くない。その人の好きなものとか?
 考えていたら目の前にマイクがずいっと差し出され、反射的に受け取ってしまった。
 いつの間にかカラオケはちゃんと利用されていたらしく、一曲どうかという話のようだ。
 ええ……、と戸惑いながら隣の小豆沢さんを見れば、彼女は目をキラキラさせてやる気に満ち溢れていた。マジですか。
 それなら、と小豆沢さんにマイクを渡そうとしたら、可愛らしいにっこり笑顔で「一緒に歌いたいな」って……なにその表情断りづらい!!

「……じゃあ、小豆沢さんと一緒なら……でも私、そんな上手くないよ?」
「好きな曲とか、歌ってて楽しい曲とかある?」
「それだったら……」

 ぽつぽつと数曲伝えたら、小豆沢さんはにこにこしながら「私もその曲大好き!」と同意しつつ、私が伝えたやつの中から一曲を選んでくれた。
 あれよあれよという間に小さいステージみたいな場所へと誘導されて、両手でマイクを握っている。
 小豆沢さんは歌う前から楽しげで、雰囲気どおり「楽しもうね!」と両手で(片手にはマイク装備)拳を作った。



「…………めっちゃ気持ちよかった」

 小豆沢さんから心配そうに名前を呼ばれて、それへの返答がこれでいいのかと思うけど、本当にすごかった。

「ふふ、楽しかったね」
「……うん」

 自己申告どおり、私自身は本当に大して上手くない。ただ、小豆沢さんのハモリがめちゃくちゃ綺麗で、歌が格別に上手くなったような錯覚と満足感でテンションがおかしい。
 小豆沢さんは歌い始める前と同じか、それ以上に機嫌良さそうに笑っている。歌うの好きなんだろうな。
 今の、私と一緒に歌ったときは終始ハモリに徹してたけど、彼女自身がメインパートを歌うのも聞いてみたい。絶対うまいでしょ!?
 上がったテンションのまま歌ってほしいとお願いしようとしたけれど、彼女はスマホを確認しているところだったので口を閉じた。私はちゃんと待てができるのだ。
 不意に小豆沢さんの雰囲気がパッと明るくなる。スマホを操作している彼女はとても嬉しそうだ。微笑ましくて、見ている私の口元も緩んでしまう。
 その緩んだ口からは「小豆沢さん嬉しそう」と思いっきり言葉が滑り出ていたらしい。彼女は気を悪くした様子もなく頷いて、しののめくんから連絡が来ていたと教えてくれた。
 スマホで口元を隠すようにして笑う小豆沢さんが可愛い。しののめくんとやら、幸せ者だなあ。
 彼氏はこの打ち上げ会の時間を把握していたようで、小豆沢さんを迎えに来るらしい。直接この店まで来るなんて相当注目されそうだけど、そういうのは気にならないタイプなんだろうか。
 そっちも気になるといえば気になる……が! 今は! 小豆沢さんの歌が聞きたいんですよ私は!
 やり取りが終わったであろうタイミングを見計らってお願いしたら、彼女はびっくりした顔で何度も瞬きをしてから照れくさそうに頷いてくれた。

 ――改めて、ありがとう幹事。居酒屋もといスナックは貸し切りライブ会場に化けました。カラオケ音源なのがひたすら惜しい。
 曲の終わりに各所からあがる小豆沢コール(「こはねちゃーん!」パターンも混じってて面白い)を聞きながら、小豆沢こはね単独ライブ独占レポート、と脳内でテロップが流れた。
 もう課題から解放されたんだからレポートは嫌だ。でも小豆沢さんのライブレポなら書いてもいいよ。
 予想していた以上に小豆沢さんの歌が上手くて、かっこよくて、お願いした直後の一曲を聞いたあとはしばらく呆然としてしまったくらいだ。
 無意識に拍手はしていたようで、それに乗せたアンコールが私じゃない別のところから聞こえた。

「……じゃあ、もう一曲だけ」

 小豆沢さんはそう答えて既に数曲歌っている。酔っぱらった女の絡みと泣き落とし強いな。
 聞いているほうはもちろん、歌っている小豆沢さんも楽しそうにしているから止めずにいたけど、さすがに次が終わったら彼女に無理してないか確認をとろうと思う。

 ――チリリン。

 まるでタイミングを見計らったかのように、店のドアに着いていたベルが鳴って扉が動く。
 近かったのもあって、この店のママが寄っていって貸し切りだと伝えているのをなにげなく見ていたら、ママはドアを開けて客を迎え入れていた。
 なんだかチャラい感じのお兄さんがご来店だ。

「あ、東雲くん!」

 マイクを通して大音量で名前が飛び出た途端、お兄さんが「うげ」って言いたげなしかめっ面をした。
 っていうか、小豆沢さん今“しののめくん”って呼んでた? 彼氏じゃん!? イメージと全然違うんですけど!?
 ライトを反射しているピアスに、髪に入っているメッシュ。加えてストリート系のファッションがチャラ男感を増幅させていて、私の脳内にいた生真面目な青年像が音を立てて崩れていく。
 店内が薄暗いせいか明るい髪色が目立って見えて、小豆沢さんが飲んでいた“オレンジ”はこれかと変な納得の仕方をしてしまった。
 小豆沢さんはマイクを持ったままステージから降りて彼の方へ寄っていく。
 もちろん注目されまくってるんだけど、彼女は気にした様子もなく「早かったね」と声をかけていた。にこにこ笑顔の小豆沢さんはとても嬉しそうだ。でもマイクのスイッチ入ったままだよ。
 しののめくんとやらは寄ってきた彼女に微笑みを返すと、さりげない動きでマイクを切っていた。視線を集めているのは変わらないけど、店内いっぱいに声が響くことはなくなったようだ。

「お前……酔ってんな」
「そうかな? いつもと同じだと思うけど……」
「……顔に出ねえのが厄介だわ。気分は?」
「ふふ、楽しいよ」
「そうじゃねえ……まあ大丈夫そうだな」
「あ、あのー、小豆沢さん?」
「――ああ、すみません。小豆沢の迎えに来ました」

 ふたりの様子を窺いつつ声をかけた幹事を見て、彼氏くんが人好きのする笑顔になった。のはともかく、声と口調の変化にびっくりして酒が変なところに……咳き込みが治まらなくて苦しい。いきなり好青年っぽくなるの卑怯では!?
 幹事と彼氏くんのやりとりから小豆沢さんが帰るという空気が店内に広がり、歌ってもらうのを待ち構えていた勢(私もだけど)がちょっとざわつく。
 彼氏くんは察しがいいのか「行ってこい」と言いながら小豆沢さんの背中をぽんと押していた。
 どことなく嬉しそうというか、自慢げというか――とりあえず、不機嫌ではなさそうで安心したし、聞きたかったほうとしてもありがたい。
 当の小豆沢さんは彼氏くんをじっと見上げて、控えめに彼のジャケットを引いた。

「……一緒に、歌いたいな」
「は? お前なあ、オレ部外者だぞ」
「でも、さっきまで青柳くんと歌ってたんでしょう?」
「おう」
「ずるい」
「ず、るい……って、」

 ……おっと?
 明らかに動揺し始めた彼氏くんが小豆沢さんを凝視している。
 確かに“ずるい”なんて普段の彼女は言いそうにない印象があるけど、付き合いの浅い私だけじゃなくて彼氏くんにとってもそうなのか。

「私も東雲くんと歌いたい」
「別に、今じゃなくてもいいだろ?」

 小豆沢さんはもう彼氏くんしか見てないけど、相手の方も小豆沢さんから目が離せないらしい。
 成り行きを見守る私(たち)のような第三者からの視線をものともせず、ふたりの世界を構築していた。
 ええ、まあ、ぶっちゃけるとめちゃくちゃ気になるので空気上等です。予想では小豆沢さんが勝つ。


「……あきとくん、おねがい」


 ――小豆沢こはねのおねがい攻撃。相手はしぬ。
 脳内で謎の戦闘ログが流れたけど、あながち間違ってないんじゃないかと思う。
 だってさっきまでの小豆沢さんとちょっと違う。甘えるような言い方は全然関係ない私が「いいよ!」って言いたくなるくらいだったもの。それを真正面から食らったら、ねえ?
 彼氏くんはなんとも言えない顔をしながら小豆沢さんの目元を手で覆って、くそ、と悪態をついていた。
 小豆沢さんの彼氏ガラ悪くない? 小豆沢さんがにこにこしながら[[rb:惚気 > のろけ]]けてた内容と違ってませんか?

「……こはね。お前、そんなのどこで覚えてきた?」

 あ、これは落ちてる。やっぱり小豆沢さんの攻撃は会心の威力があったらしい。
 小豆沢さんは彼氏くんの手を外しながら可愛らしく笑って「秘密」と返事をしていた。うーん、これは小悪魔の素質がありますよ。脳内の解説さんは言うけど、たぶん小悪魔になる相手は限られてると思いますね。

「はあ~~~、ったく……一曲だけだ。歌ったら帰るぞ」
「うん!」
「言っとくけど、お前が酔ってようが手加減しねえからな」
「酔ってないから大丈夫だよ」
「いや……酔ってんだって」

 小豆沢さんの足元を確認しつつ寄り添うように移動する彼氏くんを見ながら、相当切り替えが早いなって思った。そもそも彼女のお願いとはいえ、アウェー状態のこの中で歌えるその度胸もすごい。
 どこか慣れてるような雰囲気もあるし、バンドでもやってるんだろうか。
 にっこにこで「一緒に歌うならあれがいいな」とおねだり(に見える)している小豆沢さんは、いつの間にか彼氏くんの手を握って小さく揺らしている。
 “あれ”で通じるのすごいと思ったのに、彼氏くんは空いた手で小豆沢さんが持ったままだったマイクのスイッチを入れながら「あれってどれだよ」と普通に聞き返していた。
 ただ、その、マイクに拾われた声がね……めちゃくちゃ甘やかしてる感じ駄々漏れで砂糖を吐きそうです。私は何を見せられて……いや、聞かされてるんだ?

 甘々バカップル状態だったのはステージに登ったふたりがマイクを握るまでだった、と思う。
 置かれているのはカラオケ機器で、ここは貸し切りスナックのはずなのに。ピリッとした空気感はやっぱりライブ会場に近かった気がする。
 始まったと思ったら終わってて、私は「すごい」って呟くだけの人形と化した。語彙力は死にました。
 五分に満たない時間でお店の雰囲気を塗り替えたふたりは、そんなことをしておきながら小豆沢さんの「ありがとう東雲くん」って一言であっさりステージから降りて帰っていった。
 帰る前の彼女に話しかけたことは覚えてるのに、内容がさっぱり思い出せない。手元には見覚えのないフライヤー(近々シブヤのライブハウスでイベントがあるらしい)が残されているから、たぶんこれ関係のことだろう。記憶力やばいよ大丈夫か私。
 とりあえず、次に小豆沢さんに会ったときに会話を覚えてないことを謝って、もう一回教えてもらおう。




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