優しい傍観者
「あいつ、オレのことそんなに好きじゃねえのかも」
「――は?」
彰人がぽつりと呟いた言葉が理解できず、杏は隣の男を見上げる。反射的に「なに言ってんの」と思ったし、実際に声に出してぶつけてやった。
しかし、彰人は杏のほうではなく、ライブハウスの隅っこへ顔を向け、じっと一点を見つめたまま微動だにしない。視線の先には(杏の位置からは冬弥に隠れて見えないけれど)こはねが居るはずだ。
近々ここで行われるイベントについて、企画者と話をするのに慣れているほうがいいだろうと代表を買って出たのは彰人だし、出演する順番や待ち時間の話し合いになった場合のサポートとして杏を指定したのも彰人のくせに、よほどあちらが気になるらしい。
彰人のいう“あいつ”がこはねを指していることは明白だが、同時に杏の脳裏には彰人のことで悩んでいたこはねが浮かんでいて、思わず胡乱な目をしてしまう。
「彰人……あんた、それ本気で言ったんだとしたら怒るからね」
「もう怒ってんじゃねえか」
「こはねの気持ち疑うようなこと言うからじゃん」
――杏ちゃん、あのね。
こはねとふたりだけの練習日、ふと集中力が途切れた彼女に「なにかあった?」と声をかけたのは杏だ。
言いづらそうにしていたけれど、ひとりではどうにもできないと結論はでていたようで、抱えていたものを吐き出してくれた。それがまさか彰人とデートをしたときの話になるとは思っていなかったが。
「東雲くんは知り合いが多いでしょう? それでね、一緒に街を歩いてると色んな人が声をかけてくるんだよ。前は単純にすごいなって思ってたのに……最近、気になるようになっちゃった。綺麗な人とか、可愛い人も多いし、知らない女の子が東雲くんを呼ぶとね、この辺がもやもやして嫌な気持ちになるの」
服の胸元を握りしめながら話を終えたこはねは、そんな気持ちになるのが初めてらしく戸惑っているようだった。
今にも泣きそうな顔で「こんなの嫌だな」と呟くこはねが自己嫌悪で潰れてしまいそうで、杏は彼女を力いっぱい抱きしめながら話してくれたお礼を言った。それから、その気持ちは全然悪いものじゃないこと。
「……ねえ、こはね。それってさ、やきもちってやつでしょ」
「え……」
「彰人に言ってみたらすっきりするかもよ」
杏に抱きしめられたまま固まっていたこはねは数度瞬くと、そっと杏を抱きしめ返してからゆっくり息を吐いた。
「ありがとう、杏ちゃん。……東雲くんには、まだ言えないけど、言えるようになりたいな」
「うん、頑張れ。あ! でも、こはねの相棒の座は絶対譲らないからね!」
「ふふ。私も、ずっと杏ちゃんの相棒でいたい」
そう言って笑うこはねに安心した。その後の彼女はいつもより声の伸びがよかったし、今のこはねが歌う恋愛系の曲を聴いてみたいとも思った。
あの時のこはねを見たら、“好きじゃないかも”なんて絶対に言うはずない。むしろ彰人は喜びそうだが、それはそれで腹が立つ。こはねが自分で伝えるというから嫉妬云々の話は黙っていることにしているが、あと一言か二言は文句を言ってやりたい。
そう思いながら彰人を見たけれど、相変わらず視線はこはねに向いたままだ。
「……見すぎじゃない?」
「いいだろ別に」
「いいけどさ。変なやつが寄ってこないか心配とか? 冬弥が一緒なんだから大丈夫だって」
杏の言葉に彰人はわずかに眉を寄せ、だろうな、とぶっきらぼうに呟いた。
「…………もしかして、冬弥に妬いてんの?」
まさかね、と思いながら言ってみたら、彰人は苦虫を噛み潰したような顔で杏をちら見してくる。図星らしい。
「いや、冬弥はあんたの相棒じゃん」
「そんなことはオレが一番わかってんだよ。冬弥のやつも生温い目でチラチラこっち見やがるし……くそ」
悪態をつきつつ視線をこはねへ戻すのだから、なんだか笑いそうになる。この様子からして、どうやらこはねは全く彰人の方を向いてくれないようだ。
先ほどの聞き捨てならないセリフといい、一方通行なのが不満らしいが、こはねは意識して彰人を見ないようにしているのだと思う。
なぜなら――これから打ち合わせをする相手は、こはねが“嫌な気持ちになる”と言っていたタイプに近い。女の人で、綺麗で、フレンドリー。
もちろんイベントの企画者と参加者でしかないけれど、気持ちはまた別問題だから。公私を混同しないために、こはねなりの自衛をしているのだろう。
杏が今できることは――
「おい、さっさと終わらせて戻るぞ」
「……それには同意見だけど、なんか素直に頷きたくないのよね」
「は? つーか、呼んどいて待たせるってどういうことだよ」
彰人はとうとうしびれを切らしたらしい。不機嫌を押さえ込み、人当たりの良い笑顔で状況確認に動くのには感心する。
このまま打ち合わせもスムーズに進められるように、杏は考えをまとめながら彰人の後を追った。
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2149文字 / 2021.05.15up
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