<評価>
★持ち運びのしやすさ:要相談
★リクライニング機能:要相談
★座り心地:悪くないが良くもない
★安定感:文句なし
※リラックスできるかどうかは時と場合による
★持ち運びのしやすさ:要相談
★リクライニング機能:要相談
★座り心地:悪くないが良くもない
★安定感:文句なし
※リラックスできるかどうかは時と場合による
「……なあ、ガチ寝って喜んでいいやつ?」
彰人はぽつりと呟きながら、横抱きにしたこはねの前髪を軽くさらう。
ん、と微かに漏れた声と寄せられた眉に動きを止めれば、こはねはもぞもぞ身じろぎをして彰人の肩に頭を擦りつけた。目を開けるどころか、そのまま寄りかかるように力を抜いて安らかな寝息を立て始めるのだから複雑感は増すばかりだ。
「イタズラされても文句言えねえぞ」
口ではそう言いながらも、こはねを起こしてしまわないように声が小さくなるし、抱えなおす動きは最小限になるようにと気を配ってしまう。彼女の鼻や頬をつまみたい衝動も湧いてくるが、こはねの睡眠不足を知っている身としては、このまま寝かせておいてやりたいとも思う。
(……まあ、今日はおとなしくしといてやるか)
彰人は一つ息を吐き出すと、再度こはねの前髪をさらってからポケットに入れっぱなしだった音楽プレイヤーを取り出す。今後のイベントで使うセットリストでも考えながら、こはねが起きるのを待つことに決めた。
***
ノートへと押し付けたシャープペンシルの芯が、ポキリと折れてどこかへ飛んでいく。
芯と一緒に彰人の集中力も遠ざかっていき、盛大なため息とともにローテーブルへと突っ伏した。
せめて宿題はやれ、と冬弥から小言混じりに言われているから手を付けていたが、もう限界だ。自分にしては頑張ったほうだろう。提出日まではまだ時間があるし、残りはまた後で。
彰人は半分ほど残っている課題にさっさと見切りをつけ、指を組み合わせると伸びをした。
そのまま室内の時計を確認すれば、22時を少し過ぎたところだった。そろそろ寝ないと明日の早朝練習が辛くなる。
(……つっても、このまま寝たら変な夢見そうだし)
集中して眺め過ぎのか、目を閉じると数字やら演算記号がまぶたの裏に浮かび上がってぐるぐる回転する。彰人はやんわりと目元を押さえたあと、おもむろにスマホを取り出してその場で『Untitled』を再生した。
「――あれ? 彰人!? 珍しいじゃん、こんな時間にこっちくるの」
セカイへ到着した途端、たまたま近くにいたらしいレンが駆け寄ってくる。
挨拶代わりに片手を挙げた彰人が返事をする前に、レンの後ろをのんびりついてきていたカイトが自身の顎に触れながら「あっ、もしかして待ちあわせ?」と謎の言葉を発した。
「カイトさん、それオレに言ってます?」
「もちろん! 30分くらい前かな、こはねちゃんも来てたみたいだから」
「こはねが?」
「そうそう。ボクたちは見かけてないんだけど……その様子だと違うみたいだね」
無意識のうちに頷いて、彰人はこはねとやりとりをしたメッセージのログを見返す。宿題に取り掛かる直前だったせいか、こはねは“がんばって!”とエールを送ってきていて、それに彰人が礼を返したところで終わっていた。
こはねに連絡を入れようか考えていると、ずいっと距離を詰めてきたレンが仁王立ちで彰人を見上げてくる。
「なあ彰人、もしリンを見かけたら遅刻だって声かけといてくれよ」
「ん? 歌の練習か?」
「そうだよ。それに、カイトからDJのコツ教わるって約束もしてたのにさ」
「まあまあ。リンにも事情があるかもしれないし、さっき先に始めて待ってようって決めただろう?」
カイトが宥めるようにレンの肩をぽんぽんと叩く。彰人には「会えたらでいいからね」とさりげなく無理に探す必要はないのだと伝えてから、ゆるく手を振った。
彼らの練習の邪魔をしたら悪い。彰人はふたりとのやり取りを早々に切り上げ、メイコの店に向かうことにした。一歩踏み出したところで自分が裸足だと気づいたが、わざわざ履き物を取りに戻るのも面倒だ。屋外ではあるものの、バーチャル・シンガーの他には人の気配が全くないセカイだし、別にいいかとそのまま歩き出した。
彰人がこちらに来たのは気晴らし目的で、ついでに数曲歌って帰る程度に考えていたけれど――こはねがいるなら直接会っておきたい。今日はチームでの練習がなかったから尚更だった。
一応、どこにいるのかを問うメッセージを送ってみたが既読すらつかない。こはねもどこかで歌っているのだろうと予想していたから、それはいいのだが――
(こっちでヒントもなしに人探しって途方もねえわ……)
こはねがメイコの店に顔を出している可能性に期待しながら、気配のほうも探して歩いていると微かにリンの歌声が聞こえてきた。
足を止めた彰人は、歌声が聞こえた方向を探るべく耳を澄ませる。
レンと組んで歌っているときとは雰囲気が違う。おとなしめなリズムとやわらかい曲調、それにボリュームも控えめなのか、聞こえてくる音は途切れがちだ。歌詞はついていないのか、それともあえてなのか、リンはずっと“ラ”だけで音程を取っていた。
歌声を頼りにリンの元へたどり着いた彰人は「あ」と声を漏らした。
壁際で地べたに座り込み、ゆるく曲げた膝に手を乗せて歌うリン。その隣にこはねがいる。
「――あれ、彰人くんだ。珍しいね、この時間に来るの」
「さっきレンにも同じこと言われたわ」
不意に止んだ歌声に瞬きをしながらリンに答える間も、こはねは俯いたまま動かない。こはねはどうしたんだと問う前にリンが彰人の視線に気づいたようで、くすくすと楽しそうに笑いながら彰人にも座るよう促してきた。
「こはねちゃん寝てるんだよ」
「……は?」
数歩でふたりに辿り着いた彰人が直ぐ側にしゃがんでも、こはねは動かないままだった。リンの言うとおり寝ているようだが、壁に寄りかかっているとはいえ、俯いた姿勢は辛そうに見える。腰や首は痛くないのだろうか。
「彰人くん裸足だ。わたし、カイトに靴借りてきてあげようか?」
「案外平気だから気にすんな。つーか、レンとカイトさんがリンのこと探してたぞ。遅刻だとさ」
「わっ、もう時間だった……彰人くん、こはねちゃんが起きるまでここにいるよね」
「……おう」
疑問の余地なく断言されたことに一瞬返事を躊躇ったが、実際に彰人はリンに言われたとおり行動する気だったので頷く以外ない。
「じゃあこはねちゃんに伝言お願い」
やたらと楽しそうに笑うリンに了承を返すと、こはねの私物だという音楽プレイヤーも一緒に託された。
こはねを起こさないよう、そっと立ち上がったリンを見送った彰人は、リンが居た位置――こはねの隣に座り直す。その際、指先がなにかに触れてカシャ、と軽い音が鳴った。
見れば、こはねとの間には数枚のCDケースが置かれている。布地の袋の上で、雪崩を起こしたあとのようにバラけている一枚を手に取ってみると、彰人には馴染みのないシンガーのアルバムだった。
こはねの持参品だろうそれらをまとめるついでに確認すれば、ロックにポップス、バラードとジャンルは見事にバラバラだ。中にはサウンド・トラックやヒーリング・ミュージックなんてものまである。
先ほどリンから託されたメッセージは「また一緒に聞かせてね」だったが、おそらくこれらを指しての言葉だろう。
ケースが割れないよう袋に入れて遠ざける途中でこはねにも触れたのか、投げ出された手がぴくりと震えた。
そろそろ起きるだろうかとこはねを覗き込んだ直後、がくんと頭が揺れる。彰人とは逆側へ傾いた身体がそのまま倒れ込むんじゃないかと驚いて、咄嗟に肩を抱いて引き寄せた。
「……ぅ、リンちゃんごめん、ね……? あれ? しののめくん? ……ゆめ?」
「あ? いや、夢じゃ……っ!?」
そろりと伸びてきた腕が彰人を捕まえるように背に回る。思わず身体を跳ねさせた彰人をよそに、密着したこはねは嬉しそうに笑って夢心地のまま彰人を呼んだ。
どく、と心臓が大きく動き、顔に熱が集まる。彰人は奥歯を噛み締めると、一呼吸おいてからこはねを思い切り抱きしめ返した。
「ふあ!?」
「……起きたか?」
こはねがびくついたのを確認してから力を抜く。顔を覗き込めば、首元からじわじわ赤くなっていたこはねと目があった。
「…ぅ、ぁ……おは、よう」
「はよ」
カタコトで挨拶してくるこはねに笑って、彰人も同じように返す。こはねは赤い顔をますます赤くすると、彰人の肩に額を押し付けながら「ずるい」と呟いた。
「なにが」
聞いてもこはねは唸るばかりで、まともな答えが返ってこない。一向に顔を上げないこはねの後頭部を包むように撫でると、びく、と跳ねた彼女は小刻みに震えながら再度「ずるい」と呟いて彰人のシャツを握りしめた。
「……ずるくていいから。そろそろ顔見てえんだけど?」
笑い混じりに言う彰人に抗議するかのように、こはねが抱きつく腕に力を込める。それは彰人を喜ばせるだけの行動でしかないので文句は全くないが、顔が見たいのも本音だ。
「こはね」
隠しきれない嬉しさが声に乗る。うぅ、と唸りつつ葛藤を見せる彼女にたまらない気持ちになりながら、彰人はこはねの頭に頬を寄せてもう一度名を呼んだ。
「さっきまで、リンちゃんだったのに……」
こはねは想定外だと言いたげな雰囲気をにじませて、小さく口を動かす。
「夢のがよかったか?」
いまだに頬を赤くしたままの彼女へ、抱きついてきたのはこはねが先だと思い出させるように言えば、こはねはきゅっと唇を引き結んで彰人に寄りかかった。
「……嬉しいよ。夢じゃなくてよかった」
サラリと言葉にする素直さに、彰人のほうが照れくさくなる。こはねは彰人を“ずるい”と言っていたが、どっちが、と言いたい気分だった。
親指を使ってこはねの頬から目尻を柔らかく撫でる。こはねの目が細まり、まぶたが降りる瞬間、そこに被せるようにキスをすると、触れた頬から彼女が震えたのが伝わってきた。
「……ふっ、お前、あっか……」
「しの、東雲くんが、急に、するから」
「急じゃなきゃ赤くなんねえの? じゃあ今からもっかいする」
「ひゃっ、わ!? ま、待って、」
さっきよりも赤さが増した顔で、こはねは両手を使った制止をかけてくる。彰人は笑いながらそれを捕まえて、ぎゅっと閉じられた目元へもう一度キスをした。
「待って、って……言ってる、のに」
返事の代わりに頬へ軽く口づけてから、揺れる瞳を覗き込む。
言われたとおり“待て”をしてじっと見つめ続ければ、こはねは耐えかねたように瞬いて微かに唇を開くと彰人の名を口にした。
こはねからの遠まわしな許可。彰人は緩む口元をそのままに、音もなくこはねの口を塞いだ。
散々こはねをからかって満足した彰人は、肩で息をしている彼女を抱えたまま「そういえば」とマイペースに話を切り出した。
「リンから伝言預かってたわ。また一緒に聞かせてくれってさ」
言いながら、メッセージと共に託された音楽プレイヤーをこはねの手に乗せる。若干彰人を警戒していたこはねは、パッと笑顔になると嬉しそうに礼を言って自分から彰人との距離を詰めてきた。
「東雲くん、リンちゃんすごいんだよ!」
(……チョロ)
「あのね、学校の友達から借りたCDの中にリラックスできるっていうのがあってね……」
「こん中にあるやつ?」
音楽プレイヤーをいじり始めたこはねを見て、先ほど袋にまとめ入れたCDを思い出した彰人は、脇に避けていたそれを差し出した。
「うん! 私途中で寝ちゃったんだけど、リンちゃんが曲に合わせて歌ってくれたからだった気がするの」
カシャンとケースが触れ合った音がして、取り出した一枚を彰人に見せてくる。予想どおり、さっき物珍しさに目を止めたヒーリング・ミュージックのジャケットだった。
「確かに普段聞かない感じだったけど……お前、こっちくる前から寝不足だったんじゃねえのか」
「え!?」
「なあ、これいつ借りたやつ?」
こはねは勧められたCDを徹夜して聞き通した過去がある。最初は杏が勧めた分、次が彰人で、順当に冬弥から勧められたときにも同じことをしていたはずだ。
止まらなくてつい、とは毎回のようにこはねの口から飛び出る言葉だが、気持ちがわかるからこそ注意しづらい。こはねが自制しないから、彰人たちが勧める量を調整する方向へシフトしたほどだった。
「こはね」
「えっと……き、昨日…かな…」
「……お前のことだから、どうせもう全部聞いたんだろ」
えへへ、と笑って誤魔化そうとしているが、否定しないところを見ると図星のようだ。彰人は軽く息を吐き、壁に背を預けながらこはねの腕を引いた。
「明日は早朝練だし、もう寝たほうがいい……って、言うべきなんだよなオレは」
こはねを膝に乗せて、自分に寄り掛かるよう促す彰人はセリフとは逆の行動を取っている。
彰人の行動に戸惑いながらも抵抗は見せず、おとなしく懐へ収まるこはねを抱きしめて、これを堪能したら離すと自分に言い聞かせた。
「……東雲くんは、練習いいの?」
「練習じゃなくて息抜きしに来たんだよ」
「ふふ、そっか。宿題は終わった?」
「…………半分終わった」
他愛もない話をかわすうち、心なしかこはねの声が眠気を誘うものになっている。ついあくびを噛み殺したが、抱きしめた身体は柔らかいし温かくて、いい匂いまでするから仕方ない。
離れがたくはあるが、明日に備えて解散すべきだろう。そう頭ではわかっているのに――
「――こは……、お前…寝るかこの状態で」
あと5分、と解放までの時間を告げる気だった彰人は、いつの間にか寝入っている彼女に出鼻をくじかれた。
よほど眠かったのか、それとも彰人の腕の中は居心地が良いのか、どちらだろうか。
後者であれば嬉しいが、堂々と眠れるくらい安心しきっているようでもあって、正直に言えば複雑だ。
(めちゃくちゃ警戒されるよりはマシか……?)
悶々としながら、彰人はこはねの髪を撫でる。
このまま寝かせておいてやりたい親切心と、ちょっかいをかけて起こしてやりたい悪戯心とがせめぎあったものの、今回ばかりは親切心が勝った。
仕方がないと息を吐き出し、彰人はポケットに入れっぱなしだった自分の音楽プレイヤーを取り出した。
「――もう…うたわないの…?」
「ん?」
ぴく、と抱えたままの身体が震えたことでこはねが目を覚ましたことには気づいたが、とろとろした声が発した言葉の唐突さには戸惑うしかない。
「もっと聞きたいな…」
半分は寝ているような雰囲気で、すり、と頭を擦りつけながらのおねだりに息をのむ。押し黙る彰人をよそにこはねが断片的にこぼす内容から察するに、彰人は無意識に歌を口ずさんでいたらしい。
あまり聞いたことがない感じのを歌っていると言われたのは、寝ているこはねに影響されてバラードを中心におとなしめの曲を聞いていたせいだと思う。
「東雲くん、つづき」
「……今度な」
「ふふ、約束だよ」
目の前に差し出された小指に気恥ずかしさが湧いたものの、どうせここにいるのはふたりだけだ。ぶっきらぼうに相槌を打って、彰人はそっと指を絡めた。
軽く振るだけで満足したのか、こはねが嬉しそうに笑って身体を起こす。
数分のうたた寝で眠気が飛ぶはずもなく、彰人は不安定に揺れるこはねの背に手を添えて、彼女の膝にCDの入った袋を乗せた。
「ほら、もう部屋戻れ……部屋だよな?」
「うん。自分の部屋から来たよ」
「ならいい。また明日……遅れんなよ」
「だいじょうぶ。おやすみなさい」
「……おう。おやすみ」
いつもならメッセージアプリの文字でかわす挨拶が、直接に変わっただけで妙にドキッとする。
手を振るこはねが帰っていくのを見送った彰人は、ぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜて大きく息を吐いてからぐっと手のひらを握りしめた。
――まだこはねの体温が残っている気がする。
(……やっぱ2、3曲歌ってから帰ろ)
この日以降、彰人はチーム練習がない日にセカイを訪れることが増えた。大抵は寝る前かつ部屋からが多いせいか、いつの間にかメイコの店に彰人用のサンダルが置かれるようになったのには笑ってしまった。
こはねにはあえてなにも言わず、運試しのように顔をだす。なんとなく足が向いて前回彼女と遭遇した場所を訪れていたけれど、知らせていないのだから当然居るはずもない。
わかっているのに、今日も彰人は同じ場所へと足を運んでいた。
「……は?」
反射的に声を漏らしたのは、居ないと思っていたこはねの歌声を拾ったせいだ。途中からリンの声が重なって、数フレーズで途切れる。足早に近寄って覗き込めば、こはねとリンが揃って彰人を見て「あ」と呆けたようにこぼした。
「むー……ミクが言ってたとおりだった」
「ふふ、ミクちゃんすごいね」
状況についていけない彰人を置いて、リンはまたねと挨拶を残して手を振る。すれ違いざま「今度は彰人くんも一緒に歌おうね」と言いながら笑顔で去っていった。
「……お前、なんで」
「リンちゃんがね、このごろ夜になると東雲くんがこっちに来てるって教えてくれたんだよ。だから私もときどき来てたんだけど、タイミングが合わなくて……でもこの前、ミクちゃんが今日じゃないかって」
こはねはミクの予想どおりだったと楽しそうに笑う。さっきメイコの店に寄ったときは誰もこはねが来ているとは言っていなかったのに――居たらいいとは思いつつ、さほど期待していなかったから目の前にこはねが居る実感が薄かった。
「今日は、眠くねえの?」
近づいて、こはねの手を取る。じわじわと存在を確認していると小さく笑ったこはねが頷きながら彰人の手を握り返した。
「東雲くんに会えたら、お願いしようと思ってたことがあるんだよ」
こはねは半分寝たまま交わした約束を覚えていたらしく、期待に目をきらめかせながら彰人が無意識に歌っていた曲名を告げた。普段はめったに選ばない、スローテンポなバラード。
気負わずさらっと歌えればよかったのだが、いかにも聞く姿勢をとられ、じっと見つめられた状態では歌いにくい。ラブソングではなかったのが救いだろうか。
「…………条件がある」
「うん! なあに?」
こはねの手を引いて座り込んだ彰人は、中腰状態になった彼女の腕を掴むといささか強引に自分の膝に乗せた。
そのまま抱え込んで手を組めば、彰人からは横座りになっているこはねの顔は見えないし、こはねからも彰人の顔は見えないはずだ。
「え……? え!?」
「この状態でなら歌う」
「こ……このまま……?」
頷いて返し、どうするのかと様子を窺う。こはねは微かに唸りながら葛藤を始め、彰人の肩に額をぐいぐい押し付けてきた。くすぐったさに笑っていると、ぴたりと動きを止めたこはねが、か細い声で「お願いします」と受け入れる返事をした。
「……マジかよ」
「だって、東雲くんの歌聞きたいし……その、こうしてるのも…好き、だから……」
「あ~~~」
嬉しさと照れくささとがごちゃまぜになり、思わずこはねを抱きしめる腕に力が入る。これはもう、彰人も期待に応えるしかないだろう。
はあ、と一呼吸置いて覚悟を決める。
「――わかった。約束したしな」
嬉しそうに頷いたこはねは、じゃあこれ、と音楽プレイヤーを取り出した。オフボーカル版まで準備万端だったらしい。
「……こはね。ちょっと動くのやめろ。くすぐってえ」
一曲歌いきったタイミングで、こはねは落ち着く位置でも探るように彰人の肩に顔を伏せたまま身じろぐ。背に回された手が服を握る際に、掠めた指の感触もむず痒くて落ち着かなかった。
「……ありがとう」
「おー……いや、お前どうしたんだよ」
ぎゅう、と音でもしそうなくらいにこはねが抱きついてくる。ぽんぽんと宥めるように背をたたいていると、余計にこはねの力が増した。
「ドキドキしすぎて、少し苦しいの」
くぐもった声で返された内容に動きが止まる。理解が追いついたと自覚するころには彰人の顔は熱くなっていて、こはねの言葉につられたかのように心臓が痛いくらいに鳴っていた。
彰人の膝に乗ったまま、頬を染めながら興奮した様子でまた聞かせてほしいと頼まれては断れるはずもない。
「お前、そのうちセトリ作ってきそうだよな」
了承代わりに冗談めかして言えば、こはねはパッと表情を明るくさせた。
“その手があった”とでも言いだしそうな雰囲気に、完全に余計なことを口走ったと後悔しながら、彰人はこはねを抱きしめて彼女の頭に顎を乗せた。
「し、東雲くん、頭、揺れる…」
「揺らしてんだよ」
「うぅ…」
こはねは彰人が出した条件――今の状態でなければ歌わない――は覚えているのだろうか。
悪戯をやめて壁に寄りかかりながらこはねの顔を見下ろす。頭をさすっていたこはねは彰人の視線に気づくと、ぱちぱち瞬きをして照れくさそうに笑った。
笑い返せば目を泳がせたこはねがぎこちなく身体を寄せてくる。
顔が見えないのは少し残念だが、触れているところから伝わってくるこはねの体温が心地良い。もっと寄りかかれるよう腕を回すと、彰人の意図を汲んだのか、少しだけ彰人のほうにかかる重さが増した。
「もっと寄っかかれよ」
「そんなこと言われても…」
「椅子だと思えばいいだろ」
「む、無理だよ」
「無理? お前寝てたことあるじゃねえか」
びくっと身体を跳ねさせて、あのときは云々と言い訳しているのを聞き流しながらこはねを囲うようにして手を組む。
だんだんとこはねの声が遠ざかっていく感覚がして、これは油断すると自分のほうが寝てしまいそうだと思いながら、彰人はゆっくり息を吐き出した。