Vischio

こはねが見た夢の話


 ――東雲くんは猫耳似合うなあ。

 逃避するように考えながら、ベッドの中央に堂々と居座っている彼を眺める。
 髪色と同じ色をした三角形の耳に、身体に沿ってくるりと丸まったしっぽ。
 触ってみたい。けれど、彰人は先ほどからずっとこはねに背を向けていて、しっぽの先が“不満です”と言いたげにシーツを叩いているので、とても触らせてと頼めるような雰囲気ではなかった。

「東雲くん」

 数回目になる呼びかけに、ぴるぴると耳が動く。かわいい。今みたいに呼ぶと反応してくれるのに、振り返ってくれないのが寂しかった。

「声、聞きたいな」

 こはねはベッドに腰かけてから寝転がる。ベッドのふちに引っ掛けた足を揺らしながら、見覚えのあるシーツに懐かしさを感じた。これは高校生のころに使っていたものだったはずだ。
 ちら、と彰人を見る。今は背中側しか見えないけれど、彼も高校生のころの姿をしているような気がする。

「……東雲くん」

 ぺしぺし。シーツの上に投げ出したこはねの手を彰人のしっぽが叩く。痛くはない。
 距離をつめながら視線を上げて様子を窺えば、彰人もこはねを横目で見て不満そうに鳴いた。

「! 東雲く、んぷ」

 ぽふ、と口元にしっぽが触れた衝撃で目を閉じる。
 鳴き声は聞き間違いかと思ったのに、こはねの耳には「にゃあ」と不満に満ちた声が届いたから、今の彰人は猫語しか話せないようだ。

 文句は言いたげなのに声は出したくないらしく、代わりにしっぽの動きが激しい。
 呼びかけようとすれば遮られるし、拒絶されるような気がして手を伸ばせない。どうしたらいいかわからず、こはねは途方に暮れていた。
 こんなにつんけんした彰人を見るのは出会ったころ以来かもしれない。
 懐かしさよりも寂しさが大きくて、こはねは揺れるしっぽを目で追いながら胸元を握った。

 不意に動いた彰人が上から覗き込んできたことで視界が陰る。
 渋々といった雰囲気で開かれた口からは、にゃあ、と控えめながらも不満そうな声がした。

 ――名前。
 ――こういうときくらい、呼んでくれてもいいんじゃねえの。
 ――そっちじゃねえ。名前っつってんだろ。

「ひゃああああ!!」
「!?」

 がばっと勢いよく起き上がったこはねとぶつからないようにだろう、彰人も目を丸くしながら素早く身を引いた。
 しかし、今のこはねはそれに気づく余裕がない。

 薄暗い室内に浮かぶ彰人は目の前と言っていいほど近くて、触れる体温と耳元から聞こえる声の熱さにくらくらしていた中で言われた言葉。
 フラッシュバックした光景と耳に残る声に混乱しながら、こはねは激しくなった心音を落ち着けるのに必死だった。
 顔を覆って小さなうめきを漏らす。顔も耳も熱い。なかなか引いてくれない熱にしばらくそうしていると、じりじり距離を詰めてきていた彰人が寄り添うようにこはねにくっついてきた。
 こはねは傍らの彼に呼びかけようとして、音にする寸前にそれを飲み込む。
 そっと隣を窺えば、こはねをまっすぐ見つめる目は慣れ親しんだものになっていた。大丈夫かと問うときの、気遣いの宿る優しい目。


「…………あ、きと、くん?」


 わずかに丸くなった目が、すぐに嬉しそうに細められる。
 ずいっと近づいてきた彰人は、こはねの首元に頭を寄せてぐいぐいとこすりつけた。

「わっ、東雲く、ひゃ、」

 こはねは急に強くなった力を支えきれず、押されるままベッドに沈む。
 彰人からは微かに唸り声のようなものが聞こえるが、こはねに頭をこすりつけるのは変わらず、抱き枕よろしく両腕でこはねを拘束していた。

「……くすぐったいよ彰人くん」

 宥めるように彰人の頭を抱きしめる。呼びなれないせいか、どこかぎこちない呼びかけになってしまったけれど、彰人からはゴロゴロと機嫌の良さそうな音がした。






 まだ日の出も遠い真夜中に、彰人は息苦しさを覚えて目を覚ました。
 顔、というか頭を覆うなにかのせいで息がしづらい。無意識のうちに身じろげば「ん」と自分のではない声がして、圧迫感が増した。
 ぎゅっと頭を抱えられていることには気づいたが、なにがどうしてこうなったのかは謎だ。
 こはねも彰人も寝相はいい方だと思うし、似たようなことがあっても彰人が彼女を抱え込むほうが多いから現状は極めて珍しい。
 彰人は眠気でぼんやりしたまま、息がしやすい位置に調整してからこはねを抱きしめ返した。
 心地よい柔らかさと温かさにまた瞼が重くなってきたが、むにゃむにゃうにゃうにゃ、こはねが形になり損ねたなにかを吐き出していることに気づいて顔を上げた。

「……こはね」

 彰人の頭を抱いている腕に触れながら、起こすつもりで声をかける。
 暗さに慣れてきた目では(うな)されているようにも見えたからそうしたが、単なる安眠妨害だったかもしれない。

 んん、と声を漏らし、瞼が震える。うっすら持ち上がっていくそれを見ていると、こはねがなにか言ったようだった。
 柔らかく微笑んだこはねがゆったりした動きで彰人の髪を梳く。

「……にゃあ」
「――……は?」

 吐息に乗せられた鳴き声は、彰人の目を覚ますのに十分な威力があった。
 固まる彰人に気づかず、こはねの指はなにかを探るように頭を撫でていく。好きにさせていると「…あれ?」と不思議そうな声をあげた。

「耳、ないね」
「元々そんなところにはねえだろ」
「でもさっきまで……、」

 びくっと跳ねたこはねがばっちり目を見開く。どうやら眠気は吹っ飛んでしまったらしい。
 ゆるゆる動いていた腕が再び彰人の頭を抱きしめる。恥ずかしそうに「寝ぼけてた」と呟くのを聞きながら、彰人は笑い交じりにこはねの背を撫でた。

「どんな夢だったんだ?」
「東雲くんが高校生で猫だったの」

 なんだそれは。さすが夢というべきか、意味がわからない。
 耳もしっぽもふわふわで、と懸命に説明しだしたこはねの腕を自分から外し、懐へと抱き込む。まだ夜明けまでは遠いし、もう少し眠った方がいいだろう。

「起きたらまた聞くわ。ほら、もっかい寝るぞ」

 こはねが彰人にしていたように、ゆるゆると彼女の髪を梳く。
 返ってきた返事はとろみを帯びていて、早くも夢の世界へ片足をつっこんでいるようだった。

「…おやすみ」

 こはねから不明瞭な音が返ってきたことにふっと息を吐き出して、シーツをかけなおす。
 頭にそっと口づけを落とし、彰人も目を閉じた。

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