開催!シークレットライブ
「――東雲くんにしてほしいこと?」
数度瞬きながら聞き返し、自分の声の掠れが気になったこはねは、彰人が淹れてくれたコーヒーに口を付けた。こくん、と飲み込めば、喉を通っていく温かさと自分好みに調整された甘さにほっとする。
「……お前万全じゃねえし、外行くの無理になったろ。だから……なんかねえの?」
とっくに食事を終えている彰人は、どこかそわそわと落ち着かない様子でこはねを見た。それがなんだか可愛かったので、こはねは思わず口元を緩め、焦らすように「うーん」と声を漏らしながらパンケーキにナイフを入れた。
「東雲くんが一緒ならなんでも嬉しいかも」
久しぶりだもんね、と付け足しながら、こうして一緒に食事をするのも久々だと実感する。彰人が目の前にいること、率先してご飯を作ってくれたこと、こはね好みのコーヒーを淹れてきてくれたこと。目が覚めてから今までの全部が嬉しくて、こはねの頬は緩みっぱなしだった。
彰人と目が合うと、彼はぐっと言葉を詰まらせ、前髪をくしゃりと混ぜながら視線を下げる。小さく息を吐き、テーブルに肘をついた彰人は胡乱な目でこはねを視界に入れた。
「お前なあ、オレのこと喜ばせてどうすんだ――じゃなくて、こはねが希望言わねえならウザいくらいまとわりつくことになるけど、いいのかよ」
嫌だろ?と続けそうな顔をして見せるけれど、それもやぶさかではない。どこへ行くにもぴったりと自分にくっついて歩く彰人を想像してしまったこはねは、ふふ、と零れる笑いを袖口で隠した。
「……東雲くん、わんちゃんみたいで可愛いね」
「は?」
「私、東雲くんとくっつくの好きだよ」
「おい、ほんとにやるからな。明日も出掛けられなくなっても知らねえぞ」
想定外の返事に飲み込もうとしたパンケーキが喉に詰まる。彰人の言う“くっつく”は、こはねが想定している触れ合い――隣合って座ったり、抱きしめあったり――とは程度が異なるらしい。
「……明日は、杏ちゃんと約束あるからだめ。それに、東雲くんと歌いに行くのも――あ。歌がいいな」
「歌? お前はまだ駄目だぞ……つーか、今度水差しでも買ってベッドのそばに置いとくか。昨日もまめに水分取っておけばいくらかマシだったろ」
「し、東雲くん!」
ゆうべの濃厚な触れ合いに話が飛んでしまいそうだったのを慌てて遮る。改善案は取り入れて欲しいけれど、せっかく彰人にしてもらいたいことを思いついたのだから聞いてほしい。
「……ライブ」
「うん! 東雲くんの歌いっぱい聞きたい!」
歌うことの楽しさを知るきっかけになった杏の歌が特別なのはもちろんだが、こはねは彰人や冬弥が歌っているのを聞くのも好きだ。学生の頃から変わらず、いつだってこはねの胸をドキドキさせてくれる。一緒に歌っているときとはまた違うときめきを感じられるのも楽しかった。
彰人は少し考え込むように静かになってしまったけれど、ふっと苦笑を漏らしたあと「わかった」と頷いてくれた。
朝食兼昼食が一段落し、ふたり掛けのソファに座る。
普段はほとんど意識しないのに、今日はなんだか彰人に触れていたい気分だった。ちらりと僅かに空いた隙間に目をやって、思い切って距離を詰めた。
「うお!?」
「わっ、ご、ごめんね」
勢いがつきすぎたのか、ぎゅっと彰人を押し込む形になってしまう。咄嗟に受け止めてくれたのか、傾いたのはこはねだけで、彰人は身体を震わせて笑いをこらえていた。
「……しょうがねえな。ほら」
「え、あ、う……」
彰人がこはねを抱えて横向きに体勢を変える。座面に乗せられた彼の足の間に収まったこはねは、彰人に背中を預けながら両手で顔を覆った。
「こはね、照れてねえで曲選べ」
彰人の左腕が腹部に巻き付いて、胸元には彼のスマホ画面がかざされている。ずらりと並んだ曲名は、懐かしさを感じるものから最近練習しているものまで雑多に混じっているようだった。どうやら彰人のライブのセットリストはこはねに任せてくれるらしい。
「……東雲くん、これは? 入れていい?」
こはねもスマホを取り出して、甘い歌詞とメロディラインで構成されたラブソングを提示してみる。ぎゅう、とこはねに巻き付く腕の力が増し、葛藤の気配を感じたものの、入れていいとの返事がもらえた。
「あ。うちわ持ってこなきゃ」
「あ? なんて?」
「えへへ……前にね、みのりちゃん――モモジャンのライブに持っていくやつ杏ちゃんと一緒に作ったんだよ、ファンサうちわ」
Vivid BAD SQUADのライブには雰囲気が合わないけれど、今回は彰人がこはねのためだけに歌ってくれる特別ライブだ。ファンサービスを要求しても彰人は応えてくれないかもしれないが、せっかくだから振らなくては。
両手をぎゅっと握って意気込むこはねの頭上で、呆れたのか諦めたのか、彰人が小さく息を吐いた。
ふたりだけのライブ会場(リビング)で、彰人は全力を出してこはねのお願いを叶えてくれた。しかも、駄目元で要求した“ウインクして”と“指さして♡”にもしっかりと応えてくれたので、こはねは大満足だった。興奮状態のまま、水分補給をしている彰人に感想とお礼を言えば、優しく笑い返されて心臓が痛いくらい跳ねた。
「――東雲くん、抱きしめてもいい?」
「オレ汗かいてっけど?」
笑って腕を広げる彰人に頷いて、こはねは力いっぱい彼を抱き締めながら、大好き、と愛を囁いた。
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2348文字 / 2025.09.23up
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