Vischio

意地から始まる、彼の優しさに触れた彼女の話


 シブヤのスクランブル交差点は、今日も人の通りが多い。色々な音が混じって不思議な音色になっている周囲の音を聞きながら、ぼんやりと横断歩道を行き来する大勢の人をじっと眺めてしまう。目的地は横断歩道を渡った先――センター街のほうなんだから、上手く流れに乗らないと!
 心の中でよし、と気合を入れ(勢いで手のひらも握ってしまった)、ひるみそうになる足を踏み出す。
 不意に見えないところから急に出てきた人に驚いて、ぶつかる、と思った瞬間腕を掴まれた。びくっと身体が跳ね、すれすれのところですれ違っていく人の会釈に返す余裕もなく振り返る。すぐに私から離れていく手と、小さく息を吐いた東雲くんが見えてほっとした。

「……ありがとう」
「おう……まあ、ちょうど目に入ったからな」
「うん、東雲くんのおかげでぶつからずに済んだよ」

 東雲くんは苦いものを食べたような、なんだか複雑そうな顔で頷いて、もっと道の端に寄るようにと手振りで促してくる。私は急いでないからいいけど、東雲くんの用事はいいのだろうか。東雲くんと一緒に移動しながら、急いでないのかを聞いてみた。

「早めに出てきたからバイトまでまだ時間ある。お前は? どこ行くんだ?」
「センター街にあるペットショップだよ。パール伯爵の床材がそろそろ切れそうだから、買いに行くの」
「前に“お気に入り”って言ってたやつ?」
「うん、そう! ……ふふ、よく覚えてるね」
「それは……お前、やたら機嫌よかったし」

 いつ話したのか忘れちゃったくらい軽く触れた話題だと思うのに、大好きな家族の話を覚えててくれたことが嬉しい。ふいに『それもそうか』と同意してくれた東雲くんの表情も思い出して、余計に嬉しくなった。
 思わず東雲くんのほうを見れば、ぱちっと目が合う。
 嬉しい気持ちが抑えきれずに笑いが漏れて、なにニヤニヤしてんだって呆れられるかと思ったけど、私の予想は外れた。
 びっくりした顔で、ゆっくり瞬きをした東雲くんが口元を覆う。ふらりとよろめく身体に驚きながら、慌てて東雲くんを支えられるように両手を出した。掴むのは邪魔になりそうで、うろうろ彷徨わせることしかできない。
 焦りばかりが強くなっていくなかで「悪い、なんでもねえ」と呟くような声がして私の肩に手が置かれた。この前も思ったけど、東雲くんの手は温かい。それに、杏ちゃんやみのりちゃん、志歩ちゃんの手と全然違うと感じるのは、男の子の手だからなのかな?
 すぐに肩から離れていく手をぼうっと見ていたことにハッとして、思わず東雲くんの服を掴んだ。

「ほ、本当に? 大丈夫?」
「いや……あー……悪い、ちょっと確認させてくれ」
「ん? うん、いいよ」

 なにを聞かれるのか、東雲くんを見上げて待つ。東雲くんも私を見返してきたけれど、すぐにスッと視線がずれて、わかった、と小さい声が聞こえた。

「え、もういいの?」
「いい――センター街、行くんだろ」

 私にはよくわからなかったけれど、東雲くんの中ではなにかの答えが出たらしい。どこかすっきりした顔で、先日と同じように「ほら」と腕を示された。バイト先へ向かうついでに、私のことも連れて行ってくれるつもりらしい。自分で頑張ると宣言したばかりだから、少し情けない気持ちになってしまうけれど、東雲くんの優しさは嬉しかったし、移動のしやすさも非常に魅力的だった。

「……おねがいします」

 差し出しされた腕の布地部分に掴まらせてもらう。
 直後、掴んでないほうの東雲くんの手が伸びてきて私の手を外し、戸惑っているうちに指先をまとめてぎゅっと握られた。

「し、東雲くん……?」
「痛かったら言え」

 痛くはないけど、手をつなぐこと自体に緊張して心臓がドキドキとうるさい。それに、五本の指が全部東雲くんの手の中に入れられてるせいかムズムズした。
 歩き出しても緊張感は変わらず、ぐいぐいと引っ張られる感覚に焦りが混じる。ただでさえ息がうまく出来ない状況なのに、自分に合わない速度まで加わったら体力切れを起こしてしまうかもしれない。

「東雲くん、もう少し、ゆっくり」
「っ、悪い――はあ……だせえ……」

 自嘲するような呟きにドキッとして、反射的に握られた指先が動いた。東雲くんも気づいたのか、握る力が弱まる。する、と手のひらを東雲くんの指でなぞられるような感覚にぞわぞわした。落ち着かないまま胸元を握り、そっと深呼吸を繰り返す。

「――こはね」
「!? な、なあに?」
「ビビりすぎだろ。こっち通ってくぞ」

 東雲くんが指で示す方向を確認して頷くと、軽く手を引かれた。指を締め付けられるような窮屈さが減っていることに気づいてチラ見するけれど、私の手はしっかり握られたままだ。ただ、東雲くんと触れている面積が広がっている気がする。

「――どうだ?」
「えっ、えっと……東雲くんの手、あったかいね」
「お前、ちゃんと聞いてなかったな? 歩く速さどうだって……この前はこんなもんだった気がするけど」
「う、うん。歩きやすいよ」

 見当違いの答えを返してしまったことが恥ずかしくて、足元に視線を移す。顔が熱い。さっきまでの急かされる感覚はなくて、人の波も東雲くんが上手に避けてくれているのか、いま気になるのは繋がれた手だけだった。

「東雲くんは歩くの速いよね」
「歩幅の分だろ。お前はちっこいもんな」
「東雲くんが大きいんだよ」
「……チビ」

 目元を和らげて、からかうように呼ぶ東雲くんにびっくりするくらい心臓が跳ねる。息が止まるような感覚に驚きながら、急に速くなった心臓を上から押さえるようにして胸元を握った。
 ――どうしてこんなにドキドキするんだろう。
 チビ、とたった今呼ばれたふたつの音を反芻する。そんなに前じゃないはずなのに、懐かしいと感じる呼び方。同じ音でも聞こえ方が全然違ったから、こんなにびっくりしたのかも。
 ぐるぐると考えている最中、ふっと微かに笑った東雲くんの声が聞こえてまたドキッとしてしまう。
 いつの間にかセンター街の入り口に到着していたようで、繋ぎっぱなしだった手がするりと離れていった。
 ずっと握られていたせいか、東雲くんの温度が残っているようで手のひらが温かく、その温かさがなくなったことに寂しさを感じる。

「こはね、オレ……これからじっくりいくつもりだから。よろしくな」

 なんの話をされてるのかよくわからないのに、胸のドキドキが収まらない私は東雲くんの笑顔に圧されるように頷いていた。私がわかってないことに東雲くんも気づいているようで、どこか楽しそうに笑って見せる。聞き返そうとした口はうまく動いてくれなくて、東雲くんはそれ以上なにも言わずに「じゃあな」と挨拶を置いてあっさりバイト先へ向かってしまった。
 遠ざかっていく背中を見送りながら、なんとなく東雲くんに握られていた手がムズムズして握っては開くのを繰り返す。

「……ドキドキする」

 ぽつんと落ちた言葉が自分のものだと気づいた途端、顔に熱が集中した。どうしてこんなふうになるのかわからないけれど、知るのが少し怖いような気もした。

「と、とりあえず、お店、行かなきゃ」

 最後にぎゅっと手のひらを握りしめて、ペットショップのほうへ歩き出す。用事が終わったら、このドキドキを知るために東雲くんのバイト先へ寄ってみようと思った。

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