【補足】
・彰こは付き合ってる
・絵名は彰こはが付き合ってるの知らなかった
・彰こは付き合ってる
・絵名は彰こはが付き合ってるの知らなかった
「ちょっと彰人」
「あ?」
風呂上がりに水を飲んでから部屋に戻ろうとキッチンに寄ったら、リビングでスマホをいじっていた絵名に声を掛けられた。
待ち構えていたように「聞きたいことあるんだけど」と言葉が飛んでくる。水を飲みつつ視線で続きを促せば、この前のお礼がしたいと前置きされ、なんの話だと考えてたら予想外の名前が出てきたことにむせた。
「――は? こはねの好きなもの?」
「そ。愛莉と雫から歌とカメラって教えてもらったんだけど、一応あんたにも聞いておこうかなって」
チームメイトでしょ?と続けられ、脳裏には話題にあがったこはねの笑顔が浮かぶ。
「あんた、床ちゃんと拭いときなさいよ」
「言われなくてもやるっての」
首に掛けていたタオルで床にこぼした水を拭き取りつつ、こはねの好きなもの、と頭の中で繰り返す。真っ先に浮かぶのは、やっぱり歌だった。ただ、歌とカメラ――写真を撮ることはすでに聞いているらしいからそれ以外。
となれば、ペットのヘビとかか。食いしん坊で可愛いと言いながら、嬉しそうに食事風景の写真を見せてきたことを思い出す。
あとはフェニランも相当好きだろ。そこでやってた司センパイたちのショーも、ファン第一号なんて呼ばれてるくらい好きだったよな。
飼育委員だったときは世話も楽しんでたみたいだし、小動物も好きなものに入りそうだ。あいつ自身も小動物っぽいし。
食い物を候補にあげるなら桃まんにごま団子、あとはトッピングを盛ったコーヒーあたりか? メイコさんに再現してもらいたいのだとごちゃごちゃ書き出してたアレは、どれくらい取り入れてもらえたんだか。
「……いや、コーヒーに限んねえか」
「なに?」
以前あいつらを連れて行った店で、こはねは初めてだったにも関わらずパスタにトッピングを盛っていたから、色々な味を試すのが好きなんだと思う……けど、トッピングの話を出したら、映える組み合わせがどうのこうのと絵名が変に食いついてきそうな気がするからやめておくのが無難だろう。
頭の中に浮かんだものから、ハズレのなさそうな食べ物を教えておこうと思ったのに――
『――好き』
俯いてオレのパーカーを握るこはねと、耳が拾った小さい声が脳裏をよぎったせいで、絵名へ伝えようとした内容が喉に詰まった。
こはねのそれがどんな話の流れで飛び出したのか、思い出せないくらいオレにとっては唐突だった。とっくに気持ちは伝え合ってたし、冬弥と杏、ついでに謙さんにも知られてることだ。
言われたあとでこはねのほうを見て、なんで今?とか、こいつやっぱ頭丸いなとか、赤くなった耳は触ったらあったかそうだとか、関係ないことばかり考えてたのはきっと動揺してたせいだ。俯いたままのこはねが寄ってきて、丸っこい頭が肩にこすりつけられ──
「ちょっと彰人、知らないならそう言いなさいよ」
焦れた様子の絵名に急かされて、一度瞬きをした。こはねの好きなもの。
「――……オレ」
「は?」
反射で聞き返してくる絵名と、異様に静まり返った空気にハッとして思わず口を押さえた。
──今、オレなんつった?
勢いに任せて床に拳を叩きつけそうになったのをこらえる。
本気かと言いたげにこっちを見てくる絵名の視線を遮るように顔を覆った。くそ恥ずい。
“オレ”がこはねの好きなものに入ってるのは間違いじゃないにしても、絶対に今この場で言うべきじゃなかった。
「……彰人、あんた」
「うるせえ」
「まだなにも言ってないし。っていうか、そういう態度取るわけ?」
「くそ……」
明らかに面白がっている絵名に苛立つが、今の答えだけは口止めしておかないとどこまで広まるかわかったもんじゃねえ。
「おい絵名。今の絶対他のヤツに言うなよ」
「彰人に小豆沢さんの好きなもの聞いたら自分だって答えたこと?」
わざわざ言い直す絵名を睨みつけても不利なのはオレのほうだからか、ニヤニヤと余裕ぶった笑いが返ってくるだけだ。
しかも見せつけるようにスマホをチラつかせるから叩き落してやろうかと思った。やらねえけど。
「じゃあ小豆沢さんうちに連れてきてよ」
「は?」
「あんたのアルバムとか見せたら喜んでもらえそうじゃん」
「やめろ」
「それなら小豆沢さんの連絡先教えて。私が呼ぶから」
「ぜってーやだ」
拒否を兼ねて立ち上がると、絵名は「あのとき聞いておくんだった」とブツブツ言いながらスマホを触りだした。
改めて口止めをして、はいはい、と雑な返事をされたことに不満は残ったが、絵名にも一応あるだろう良心に賭けることにした。
自分の部屋に戻り、メッセージアプリからこはねとのトーク画面を呼び出す。
さっきまで話題にしてたせいで、無性にこはねの声が聞きたかった。できれば顔も見たい。
「――あ、東雲くん」
「……セカイって便利だよな」
小さく手を振って、にこにこしながら近づいてくるこはねを見て思わず漏れた独り言。
こはねは不思議そうに「そうだね」と頷いたあと、ハッとなにかに気づいたように一度止まってから、いつもより離れた位置に座った。
――さすがに、手を伸ばしても届かない距離は遠すぎるだろ。
「おい、こはね」
「だ、だって……東雲くん、“会いたい”って」
手をすり合わせ、無意味に指を絡ませては外すこはねはわかりやすく照れていて、見ているこっちまで照れくさくなる。
ほとんどなにも考えないで送った“会いたい”が特別な意味でも持ってるみたいだ。あっさり“じゃあセカイで”って返してきたくせに。
「顔見て[[rb:話 > はな]]したくなったんだよ」
今日は既に放課後の練習で会って話して、寝て起きたらまたすぐ早朝練習でも会うのにと思わないでもないが、オレにとっては全然違うものだ。
こはねは呆れてるかもしれないと思いながら盗み見れば、両手で顔を覆ってぷるぷる小刻みに振動しているところだった。おろした髪の隙間から見える耳と首が赤い。
──これは抱きしめてもいいやつだろ。いいよな?
正面からそっと近づいて、やんわり腕を回す。ぴくりと反応したこはねに一度動きを止めて、胸にこすりつけられた頭に安心しながら、こはねを懐に閉じ込めるように抱きしめた。
「……私、このあと寝られないかも」
ぎゅっとオレのスウェットを握りしめたあと落とされた呟きに笑いが漏れる。
そろそろ慣れてもいいんじゃねえのと思いつつ抱きしめる力を緩めると、パッと顔を上げたこはねと目が合った。
寂しそうだった表情は「あ」とこぼれた音と一緒に恥ずかしそうなものに変わり、それを堪能する前にオレの胸に伏せる形で隠される。
首まで赤くしているこはねが可愛い。こはねも離れたくないと思ってるのがわかって嬉しい。胸のあたりからじわじわと全身に広がっていくような感覚がむず痒くて、思いきり笑いたくなった。
笑いをこらえても身体が震えることまでは止められず、照れたこはねが「笑っていいよ」と消えそうな声で呟くから、こらえるのはやめた。同時に衝動に任せてこはねを抱きしめたら、苦しそうな声とともに背中を叩かれたのでまだまだ力加減は覚える必要がありそうだった。
あのあと、改めて絵名からこはねの好きなものを聞かれた。
わざとらしく「彰人以外で」と付け足すところにイラッとさせられたものの、こはねへの礼のためだと自分に言い聞かせて思い当たるものを全部羅列してやった。
そんなことがあったから、登校してきたばかりらしい絵名と、オレたちと謙さん待ちしてたこはねが一緒にいるのを見ても不思議には思わなかったのに。オレに気づいたこはねが顔を赤くして俯くから、思わず絵名を見た。
「……おい絵名、お前こはねになに言ったんだよ」
「姉として挨拶してただけだけど? あ、やば、そろそろ行かなきゃ。じゃあ小豆沢さん、またね」
「は、はい! 絵名さん、これありがとうございました」
持っていた手提げ袋を掲げるこはねにひらひらと手を振った絵名は、オレにも「頑張んなさいよ」と珍しく応援を残して校舎のほうへ去っていった。
改めてこはねを見れば、手提げ袋を大切そうに抱え、嬉しくて仕方ないって顔をしている。
「東雲くんも、ありがとう」
「なにが?」
「絵名さんがね、私の好きなもの東雲くんから聞いたって言ってたよ」
「……あー、それか……こはね、」
「ん?」
――まさか“オレ”だと答えたことを本人に伝えてねえだろうな。
信じたいが、さっきオレを見たときの照れて俯いた反応が気になる。だがそれをどう探ればいいのかわからない。
「東雲くん?」
「……絵名、変なこと言ってなかったか?」
「変なこと? えっと……これもらって、連絡先交換して、東雲くんのことよろしくって」
姉として、とか言ってたのはそれか。
じわっと顔を赤くしたこはねは「あと、家に遊びに来てって誘ってもらった」と照れ笑いで付け足した。
「……こはね。それ、オレいなくてもいいって言ってただろ」
「えっ、うん……すごい、よくわかったね。絵名さんの冗談だと思うけど」
冗談じゃなくて本気だ。絵名のやつアルバム見せるとか言ってたの諦めてねえな。
こはねを家に呼ぶにしても、絵名に先を越されるのだけは避けたい。
かといって家に呼ぶってことは部屋に入れるってことで(さすがに家呼んどいてずっとリビングで過ごすとかねえだろ)、こはねが自分の部屋にいるシチュエーションには余裕をなくす予感しかしないのが問題だ。
そんなことをモヤモヤと考えていたら、すすっと寄ってきたこはねにパーカーの腕のあたりを握られた。
「……あのね、絵名さん……東雲くんのお姉さんに、東雲くんのことよろしくって言われたの、すごく嬉しくて」
言葉どおり嬉しそうに笑うこはねが可愛くて、衝動的に抱きしめたくなる。
だけどここは神高の校門前だからと理性を総動員したせいで不自然に身体が固まった。
こはねの話はまだ続いていたようで、それでね、とさっきよりも小さくなった声と縮まる距離に心臓が跳ねた。
「今日の遠征とか練習、全部終わったら……ぎゅってしていい?」
「おま……お前、こはね、」
衝動に負けずに思いとどまった自分の忍耐力を褒めてやりたい。
「――いいに決まってんだろ」
パッと顔を上げてにこにこするこはねをこれ以上直視してたら負ける。
冬弥でも杏でも謙さんでも、この際クラスメイトでもいいから、気持ちを切り替えるきっかけになってほしい。
こはねに気づかれないように目を閉じて呼吸を落ち着かせながら、隣から聞こえてきた上機嫌な鼻歌に集中することにした。