恋愛初心者の攻撃力が高すぎる件について
結論から言えば、イベントの打ち合わせはあっという間に終わった。内容は全体的なタイムテーブルの確認とか、参加する他のチームのこととか。
ステージに立つ順については「空いてるとこ選んでいいよ」だそうで、こっちが決めるのかと(待たされた苛立ちもあって)反論しそうになったが、すんでのところで飲み込んだ。
話し合いを長引かせたくなかったのもあるが、雰囲気を察したのか予想してたことだったのか、杏が「ありがとうございますー!」と余所行きの妙に明るい声で割って入ってきたからだ。
そのまま空いてる枠に“Vivid BAD SQUAD”を書き込んでから「ここでいいよね」と断定口調で聞いてくる無意味さには口の端が引きつったが、妥当なところだったから文句はない。
主催者の行き当たりばったりな進め方に若干不安を覚えたけれど、参加者は見覚えのある――場慣れしてるところが多かったから大丈夫だと思いたい。
終わってみれば、主催者の野暮用とやらで待たされた時間の方が長かったんじゃないか。次からこの主催者のイベントは参加するかどうか迷うところだが……まあ、そのときになったら改めて相談すればいいだろう。当日のタイムテーブルと、先行して作成していたらしいフライヤーをもらって(なぜ先に作ったのかは謎だ)挨拶を終えたところで、杏はこはねに向かって一直線だった。犬か。
「こはねーーーー!」
「わっ、危ないよ杏ちゃん。ご、ごめんね青柳くん」
「気にするな。白石、勢いが良すぎるぞ」
突撃されてよろけるこはねを冬弥が支える。勝手に沸く不快感を逃がすために、一度目を閉じて息を吐き出した。相棒に妬く自分の余裕の無さくらいはどうにかしたいもんだが。
目を開ければ、“心配するな”と言いたげな冬弥と、「ごめーん」と言いながらニヤニヤ笑ってこっちを見る杏と、杏に抱きつかれたままのこはねが視界に入る。
「おかえりなさい、東雲くん」
「…………ただいま?」
――これ、なんて答えるのが正解だったんだ。
あっちで待たされてる間は頑として目を合わせてこなかったくせに、ここにきて真っすぐこっちを見ながら笑顔で出迎えってどういうことだよ。混乱して家でするような返事をしちまったじゃねえか。
オレの返事を受けてうっすら赤くなったこはねが、自身に巻き付いている杏の腕にすがるようにして俯くのが見えて、可愛いだとか抱きしめたいだとか、ぐっと湧き上がってきた衝動の代わりに持っていたフライヤーを握りつぶしてしまった。
グシャ、と無残な音を発してよれたものを冬弥に差し出す。
「……なに笑ってんだ」
「言ってもいいのか?」
「やっぱ言うな」
フライヤーの皺を伸ばしながらわざわざ聞いてくるのには嫌な予感しかしない。
オレに余裕がないこととか、見せつけるようにこはねを抱きしめてる杏にイラついてるとか、そういうのを悪気なく口に出してきそうな気がする。
「おい、杏。さっきのやつ共有しとくぞ」
「はいはい」
女ふたりでヒソヒソしていたところに被せていうと、杏はようやくこはねを解放した。
イベントに関する情報連携を終えて(時折挟まる杏の愚痴は冬弥とこはねが上手いこと宥めた)、次の練習予定を決めればチームでの活動は終了だ。
「東雲くん、このあと時間もらってもいいかな」
付き合い始めてから、オレがこはねを送っていくのは暗黙の了解になっていたのに、やたらと畏まった言い方をされて思わず身構える。
こはねは緊張しているらしく、胸元を握る手に力が入りすぎて服に皺ができていた。その雰囲気に引きずられそうになり、こはねに気づかれないよう唾を飲み込んでから下がっている方の手に触れてゆるく握った。
「どこ行きたいんだ」
「……えっとね、座れるところ。ちゃんと決めてなかった」
あからさまにほっとした様子で笑うこはねの返事に気が抜ける。断られると思っていたらしいのが癪で鼻を摘まんでやると「んぅ」と驚き混じりの声がして、両目をぎゅっとつむるのが可愛かった。
「彰人ー、ここまだライブハウスだから。あとこはねのこといじめないでよね」
しれっと混ざってきた声に驚いて肩が跳ねる。振り向けば、満面の笑みを浮かべた杏が手を振った。
「いたのかよ……」
「いましたー。っていうか解散したばっかりなんだからいるに決まってるでしょ」
「今の彰人は小豆沢しか目に入ってないからな」
仕方ないとか言いながら訳知り顔で頷いている冬弥の口を塞いでやりたいが、あいにく距離が遠い。代わりに、それ以上言うなと視線で訴えて生温い笑みを返された。頑張れ彰人、じゃねえんだよ。
「こはね、メイコさんとこはどう?」
「うーん……メイコさんのお店ではちょっと話しづらいかな」
「じゃあうちは?」
「白石、それだとあまり変わらないと思うが」
「そうかなー。今の時間なら結構賑わってるから、紛れて目立たないって」
「小豆沢はともかく彰人がな……顔見知りが多い分、良くも悪くも目立つ。白石だってふたりが店にいたら気になるだろう」
「……それは、まあね」
オレとこはねのことなのに、なんで冬弥と杏が口を出してくるのかと思ったが、冬弥は杏の提案に対して意見を言っているだけで場所を気にしているのは杏の方だ。おそらく、こはねが話したい内容を知ってるんだろう。さっきの緊張した様子といい、そんなに深刻な話なのか?
オレが横やりを入れたら杏がうるさくなりそうだから黙っていたけれど、場所一つで話しやすさが変わるなら協力してやりたいとは思う。咄嗟に浮かんだのは自宅だが、両親も絵名もいる家にこはねを連れて行くとなると、まずこはねが気を遣うだろうし、母さんと絵名がうるさくなるし、こはねの帰宅も遅くなるから却下だ。
公園、カラオケルーム、ショッピングモール。
こはねの希望(座れるところ)は候補がありすぎて、逆に難しい。
そう思いながら隣を見れば、ちょうどこはねが顔を上げるところだった。強い意志が垣間見える真剣な瞳。
オレは、こはねのこの目が好きだ。もう逃げない、と真っ向からオレに宣言してきたときのことを思い出す、真っすぐな目。
「杏ちゃん、私――」
***
こはねとふたり、のんびり帰り道を歩く。夕方から夜に差し掛かる時間の住宅街は、ひと気が少なくて静かだった。
真面目な顔でこはねが選択したのは、帰り道の途中にある公園だ。こはねを送っていくときの道沿いにあると言われたが、そんなのあったか?レベルの認識だったから中の作りはわからない。
「――よかったのか、こっちで」
屋内は気が乗らなかったとしても、向こうでミクに聞けば穴場くらい教えてくれたんじゃないかと言えば、こはねは生返事を寄越した。これはちゃんと話を聞いてねえな。
上の空に加えて落ち着きがなく、繋いだ手で指先を辿るといくらか温度が低い。また緊張がぶり返してるようだ。熱を分けるように指先を絡めたが、こはねは無反応だった。いつもならすぐに反応して、照れながらくすぐったいと言葉にするか、ぎこちなく握り返してくるのに。
「東雲くん、こっち……っ!?」
誘導するために手を引くこはねが現状に気づいて大袈裟なくらい驚く。反射的に逃げ出そうとするから、がっちり捕まえてわざとらしく笑ってやった。
オレに離す気がないと察して、おとなしくなったこはねが前方の遊具を指す。中央がドーム型になっている動物を模した滑り台。公園にはありがちで目立つものだが、出入り口からはやや離れていたせいか通りがかりには視界に入っていなかったらしい。
「あれふたりも入れるか?」
「たぶん」
こはねも広さを把握しているわけじゃないようだ。
どう見ても対象年齢から外れた高校生がふたりは厳しいんじゃないか?
半信半疑でドーム部分を覗くものの、こはねでさえしゃがむ必要がある入り口には不安が募る。油断したら絶対頭ぶつけるだろこれ。オレはともかく、こはねの動きには注意しておこう。
先に中へ入ったこはねを見て、内部の広さを測る。こはねがふたりなら収まるだろうけど、オレがふたりは確実に無理。オレとこはねでギリギリってところか。
「こはね、一回出ろ」
「や、やっぱり難しいかな」
「お前次第だな」
手をつきながら出てくるこはねと入れ替わりで中へ入る。下は直接地面なのかと思ったが、筒型にくりぬかれているようで滑り台と同じ材質だった。当然、狭い。こはねもここまで狭いとは思ってなかっただろう。
とりあえず安定するように座りなおし、こはねを手招いた。
じりじりと四つん這いで寄ってくるこはねは猫みたいだと思う。目の前までくるとぺたりと足をつける女子特有の座り方をして、互いの近さに戸惑っていた。
「どうする。移動するか?」
「……ううん。このままで大丈夫……ありがとう」
そう言うと、こはねは前のめりに――オレの方へ傾いてきて、肩に顔を埋めた。珍しい行動に驚いてこはねを見ようとしたが、近すぎて上手くいかない。こはねの緊張状態は続いているのか呼吸が浅く、話し始めるきっかけを探しているようだった。
少し迷ったものの、こはねを引き寄せてから力を抜いて壁に寄りかかる。足は伸ばせず、落ち着く位置を探したら自然とこはねを閉じ込めるような形になっていたが、狭いんだから仕方ない。
半ば強引に寄りかからせた状態で、強ばったままの肩を抱く。
「目閉じて。深呼吸」
唐突な指示に戸惑いながらも従うこはねの身体から力が抜けて、オレの方へかかる重さがわずかに増す。
そのことにいくらか安心してこはねを抱えたまま手を組めば、ますます閉じこめてる感じが強くなった。
「……今日、ごめんなさい」
「なんかあったか?」
話し始めたと思ったらいきなり謝られて面食らう。咄嗟に今日のことを振り返ってみたが、こはねに何かされた記憶はなかった。
「青柳くんから、東雲くんが私のこと見てるって教えてもらったんだけど……反応できなかったから」
頑なにこっちを見ないとは思っていたが、あれはあえてだったらしい。冬弥がオレの方をチラチラ見てきたのもそれでか。
「それ言うってことは理由あんだろ」
「……うん」
沈んだ声を出したこはねは一呼吸置くとぐっと身を起こし、オレと目を合わせてきた。見る度にこはねのことを好きだと意識する例の目。光の加減か、水気が増しているのか。こはねの目がやけに綺麗で、気づけば顔を寄せて目元に口付けていた。
びくっと大きく身体を震わせるこはねの振動が伝わってきたことで、やっちまった、と思う。
「……悪い、つい」
何かを言おうとしていたこはねが真っ赤になって小刻みに震える。そういう反応されるとますます触りたくなるんだけど。
組んだ手を外そうか考えている間に、こはねはへなへなと元の位置に戻り、額をオレの肩に押し付けながら服を握った。文句の代わりなのかもしれないが、なんでこいつの行動はいちいち可愛いんだろうな。
「……私、これでも悩んでたのに」
「悪かったって」
わずかに顔を上げたこはねから恨めしげな声が飛んでくるのが珍しくて、そういうのを見せるようになったんだと嬉しくもなる。
結局こらえきれずに指の背でこはねの頬に触れ、その赤さに比例するような温かさに笑った。
「東雲くんが、あの人と話してるところ見たくなかったの。見てると……モヤモヤして嫌な気持ちになる」
仕切り直しだとオレが中断させた話を聞き出すと、そんな言葉が返ってきた。
こはねはしょぼくれながら「ごめんね」と続けたが、あいにく“あの人”が誰のことかわからない。
「イベントの主催者さん。明るくて、綺麗で……東雲くんのこと、彰人くんて呼んでたでしょう?」
思いがけず、こはねが名前で呼んでくるからそっちに気を取られたが、こいつが言いたいのは前半の方だろう。
今日話した主催者と言われて思い出すのは、無計画さだとかイベンターには向いてないって印象ばかりで、今後のために覚えておこうと思った名前の他は朧げだけど、こはねにとっては違ったらしい。
悩んだと言うだけあって、やたらと後ろめたさを感じているようだが――内容を考えたら嬉しくてたまらない。
要はこはねがあの主催者に妬いたってことで、そういうドロドロした感情とは縁遠そうなこいつが、妬くくらいにはオレのこと想ってるってことで……杏が怒ったのも当然だった。
こはねを抱き寄せながら叫びだしそうな衝動を逃がしていると、腕の中から戸惑う気配がする。
「お前でも妬いたりすんのな」
浮かれているのが隠しきれなかったことに内心舌打ちしたくなったが、覗き見たこはねがオレを凝視したあと安心するみたいに笑ったから、まあ良しとした。
「今は難しいけど、慣れるようにするね」
「なんで。必要ねえだろ」
「あ、あるよ。今日だけじゃなくて、一緒に歩いてるときもだし……東雲くんを見てモヤモヤするの嫌だもん……」
そのモヤモヤってのはオレじゃなくて、オレと話してる相手を見て感じることじゃねえの?
そう言ってやりたかったのに、予想外にこはねが妬く対象範囲が広かったことに加えて、表情とか言い方とか、諸々が重なって撃沈した。鏡がなくてもわかる。今、絶対赤いわ。くそ。
「こはね」
身体を起こしながら呼べば、こはねは目を合わせようとして顔を上げる。顔の熱が引かないままのオレを見て目を丸くしたこはねが数回瞬く間に、腕を引いて触れるだけのキスをした。
あっという間に赤くなったこはねを見て悔しさは消えたが、代わりに物足りなさが湧いてくる。
「……こはね」
頬を撫でて耳に触れ、呼ぶ声に“もっと”を込める。こはねはオレの手を捕まえながら一瞬だけ目を合わせ、落ち着かない様子で視線をうろつかせた。さっきよりも目元が赤く、耳まで温かい。じわじわと潤んでいく瞳に喉が鳴り、許可が出る前にはもう口付けていた。
「ん、」
こはねからこぼれる声を聞きながら、何度も唇を合わせる。柔らかくて、どことなく甘い気がするこはねの唇はただ触れているだけでも気持ちいいが、もう少し深く味わいたい。
表面を舐めるとこはねの肩が震え、同時に漏れた声が甘さを滲ませているおかげで、余計に熱が上がった。
――もっとほしい。もっと、奥まで。
その欲求を満たすために、触れ合う角度を変えながら指先でこはねの喉をくすぐるようになぞった。
「ふぁ!?」
耳に届く声のやらしさに心音が速くなる。びくりと跳ねた身体を抱きしめて、開いた口に舌を滑り込ませた。
舌先で口の中をくすぐるたびに、こはねが震えて声を漏らす。オレの腕に添えられた手がぎゅっと服を握りしめるのが可愛くて、そんな反応ごと楽しんでいたら舌を甘噛みされた。
「…………こはね」
「っは……、はぁ……はっ、も、苦しいよ……」
噛むなと言うつもりだったのに、息切れであえぐこはねの様子にあっさり吹っ飛ぶ。息を整えるこはねをじっと観察してから、薄く涙が浮いた目尻に口付けを落とした。
「…………おしまい?」
「それはまだ続けてもいいって意味か?」
くたっとオレに寄りかかりながら言うこはねに聞き返すと、小さく唸りながら「だめ」とどこか舌っ足らずに答えるから、反抗したくなって耳をかじっておいた。
「――そういや、なんで言う気になったんだ?」
公園を出てこはねの家へ向かう道すがら、ふと湧いた疑問。
なんとなく、こはねは嫉妬に限らず、他人へ抱くドロッとした感情を自分の中に溜め込みそうなイメージがある。打ち明けられたのは嬉しいが、不思議に思って聞いてみたら、ある意味お決まりのセリフが返ってきた。杏ちゃんがね、ってやつ。
「東雲くんに話してみたら、モヤモヤがすっきりするかもって言ってくれたから」
「……したのか?」
「うーん……まだモヤモヤはしちゃうと思うけど、私がそういう気持ちになるって東雲くんが知ってるのは気が楽かも」
「ふーん、そういうもんかね。まあ、お前と出かけるときくらいはどうにかするわ」
こはねは焦りながら気遣う必要はない、みたいなことを言ってきたが、逆の立場だったら――連れ立って歩いてるときにこはねが別のやつ(特にオレが知らないやつ)と話し込んでいたら邪魔する自信がある。
それを思えば、こはねのためじゃなくて自分のためになる気がする。
だいたい、女連れのとこに声かけてくるほうも悪い。
そもそもの話、こはねがチビだから視界に入ってなかったとか……さすがにそれはねえか。
「?」
「……お前がオレのだって知らないやつの方が多いしな」
話しかけられるのことが多いのはセンター街やビビッドストリートだと思うから、その辺に行くときにまた考えよう。
「ん、どうした?」
やたらと見てくるから何かあるのかと思ったのに、こはねはなんでもないと首を振って笑うだけだった。
なんでもないって言うわりに顔が赤く見えるけどな。
もっとつっこんで聞いてもよかったが、そろそろ時間切れだ。こはねの家が近い。
「東雲くん……あの……ぎゅって、してもいい?」
足を止めたこはねに手を握られ、一瞬なにを言われたのかわからずに固まった。普段は全然そんなこと言わないくせに、なんなんだ。
うまく思考が処理できないながらに、返事待ちしていたこはねを懐へ引っ張り込んで抱きしめる。半分夢かと思っていたが、背中に回るこはねの手の感触はちゃんとあった。
懐でもぞもぞ動かれるのがくすぐったくて力を緩めると、それを待っていたかのようにこはねが顔をあげる。胸元を引っ張られ、屈んだところで目を閉じたこはねのドアップと一緒にふにゃっとした感触が唇にあたった。
赤い顔をしたこはねが、またね、の言葉を置いて走り去る。息苦しさを感じたことで、自分が息を止めていたことを知った。
その場にしゃがみこみ、思いっきり息を吐き出す。やられたと言いたくなるような気持ちと嬉しさと、今すぐこはねを抱きしめたい衝動が渦巻いて動けそうにない。あとで電話をかけるか、それとも次に会ったときにやり返すか。
どっちにしろこはねは慌てそうだと思いながら、メッセージだけでも送っておこうとスマートフォンを取り出した。
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