Vischio

意地から始まる、彼の話


 シブヤのスクランブル交差点からセンター街にかけては、いつも人が多い。オレがいつもどおりに歩くと、隣を歩いていたはずのこはねはすぐ視界から消える。
 歩幅、足を出す速さ。こいつはどっちもオレより控えめだから、油断するとあっという間に置き去りにしてしまう。意識して速度を緩めれば、視界の端っこに戻ってきたこはねが「あ、あのっ、東雲くん」なんて、軽く弾んだ声で話しかけてくるから反射的に足を止めた。

「ごめんね……先に、行っていいよ。場所なら、わかるから」

 小走りだったせいか、途切れがちに伝えられる言葉。それを理解しきる前に、オレの手はこはねの腕を掴んでいた。
 なんでそんなことをしたのか、本当に衝動としか言いようがない。言われるまま、平気で仲間を置いていくように見えるのかって苛立ちもあったかもしれない。
 とにかく、偶然会ったとはいえ同じ場所へ向かうのに、わざわざこはねと別行動するつもりがまったくなかったのは確かだ。

「東雲くん?」
「……別に、お前置いて行くほど急いでねえよ」

 オレの手ごと縮こまりそうになる腕を軽く引くと、つられてこはねの背筋が伸びる。そのまま目的地の方向へ一歩踏み出せば、こはねはつんのめるようにして二歩足を出した。

「お前ほんと歩幅狭いな」
「……そうかな? 東雲くんは一歩が大きいね」

 オレの言ったことにつられたのか、こはねは足元へ視線をやってそんなことを言う。普通だと返しながらも自分の靴の近くにあるこはねの靴がやけに小さく見えて、これならオレがいつものペースで歩いたら置いていくに決まってると納得できるものだった。
 こはねと速度を合わせるのは地味に難しくて、なんでこんなに苦戦しているのかと自問したくなる。
 途中からは絶対合わせてやると意地になっていたが、なんとなく動き方はわかってきた。ともかく、こはねだ。こいつの動線が確保できれば合わせるのは難しくない。
 問題は……こはねの自信のなさや遠慮がちなところが影響してるのか、目を離すとすぐ人混みに流されていくことだった。これを防ぐことができれば、だいぶ楽になるはずだ。

「ん」
「……?」

 道の端で立ち止まり、掴まれるように腕を差し出す。だがオレの意図が伝わらないのか、こはねは不思議そうに見上げてくるだけだった。居心地が悪い。

「はやく掴めって」
「へ……、え……? 私?」
「他に誰がいんだよ。ほっとくとお前流されるだろ」

 ほら、とこっちから距離を詰めて、ようやくこはねは手を動かした。やたらと時間をかけて近づいてきた手が躊躇いがちにオレの服をつまむ。
 これ遠慮ってレベルじゃねえぞ。

「そんなんじゃ意味ねえだろ」
「だ、だって、男の子と、こういうのしたことないから……」

 こはねの手首を取って、ちゃんと掴めるように自分の腕にくっつけたところで、聞こえた内容に動きを止めた。

「こんなに近いのも、緊張しちゃうし」

 言葉どおり緊張しているらしいこはねは俯きがちで、頭のてっぺんがよく見える。確かに近い。いや、こんなに近くなるもんか?
 ――掴めと自分で誘導しておいて、動揺するのはおかしいだろ。
 だけどこの距離は家族か同性の友人としか経験したことがないうえに、腕を組んでいるようにも見えると気づいてしまったからには仕方ないと思う。
 提案したこと自体が間違いだったのかもしれないが、今さらやめるのも自分勝手だし、こはねを突き放すようで気が引けた。

「東雲くん?」

 服越しに触れてくる指を意識したのと同時に見上げられて、心臓が変な動き方をしたことに驚く。思わず息を止めてこはねを凝視したせいで、オレの反応を待つようにまっすぐ見返してくる瞳と目が合った。
 なぜか逃げたいような気持ちが湧いて目を逸らすと、それを追って覗き込まれてますます心音がおかしくなる。

「あの……大丈夫? 具合悪い?」
「……ほんと、なんなんだろうな」

 心配だと言いたげな顔に向かって自嘲しながら呟けば、うまく聞き取れなかったらしい(聞かせる気もなかったが)こはねが今度は距離を詰めてきた。
 後ずさりそうになる足に力を入れて、掴まれた腕を動かさないようにしながら「平気だから気にすんな」と、今度は聞こえるように声を出した。
 ――というか、近すぎるから少し離れてほしい。
 さっきまでのお前の緊張感はどこに消えたんだよ。警戒心ゼロか?
 考えるだけじゃなくて言えばいいのに、実際に言ったらこいつは謝りながらまた距離を取るに決まってる。
 それはなんとなく気に入らないし、今までのやり取りが無駄になるから――なんでこんな言い訳みたいなこと考えてんだオレは。そもそも警戒心てなんだよ、無くて当然じゃねえか仲間だぞ。

 ぐるぐると頭の中を回る自問自答に疲れて空いた手で目を覆う。少し気持ちを落ち着けたかった。
 そんなオレの隣でこはねはオロオロしだしたと思ったら、ぴったりと腕にくっついてきて落ち着くどころじゃない。

「おい、」
「無理しちゃ駄目だよ」
「お前なに言っ――」

 こはねに疑問をぶつけるつもりが、こいつの行動が自分のせいだと気づいてしまった。急に目元に手をやって黙り込むなんて、そりゃあ具合悪くも見えるだろう。
 案の定、こはねは「どこか座れるところ」と呟きながらきょろきょろ周囲を見渡して、オレにまだ動けるか聞いてくる。
 不安そうな下がり眉と、オレの腕を掴んでいる指先。わずかに力が増したそこから伝わってくる熱に、なぜか言葉が詰まった。

「あっ、杏ちゃんと青柳くんに連絡しておいたほうがいいよね」
「おい」
「えっと、杏ちゃん……じゃなくて、グループの方」
「おいって……こはね!」
「ひゃあ!?」

 頼りない手つきでスマホを操作しだすこはねはどこか焦っているようにも見えて、思わず空いていた手で肩を掴んで止めた。
 身体を震わせたこはね自身にも、掴んだ肩の弱々しい感じにも驚いてすぐに手を開く。同時に口から飛び出た「落ち着け」は自分自身にも言うべき言葉だった。

「……さっきも言ったけど、別に体調悪いとかじゃねえから」

 意識して一拍おいて、言い聞かせるように言葉を並べる。こはねはゆっくりまばたきをして、本当か、と問うような顔でオレを見返してきた。しっかり頷いてやれば、安心したのか表情を緩めたが、次の瞬間には顔を赤くして気まずそうに俯いてしまった。
 くるくる変わるこはねの表情の変化を間近に見ていると、なんとなく胃のあたりがムズムズする。

「ご、ごめんね。早とちりしちゃって」
「あのなあ、お前が謝る必要ねえだろ。あー……、心配してくれたのは、まあ……サンキュ」
「……うん」

 わずかに頬を赤くしたまま、こはねが笑う。また心臓が変な動き方をするのがわかって、思わず焦点をずらした。
 気を取り直して目的地までの移動を再開させる。
 結局、こはねはオレの服を掴むことにしたらしい。
 袖に近い部分を握っていたが、オレとしてもこっちのほうが変に意識しなくていいぶん気が楽だった。
 移動中も少しは余裕ができたらしく、ぽつぽつと会話もできた。話題はもっぱら練習とか音楽に関することだったけど、意外と途切れないものだと変なところに感心した。

「――あ」

 急に立ち止まったと思ったら、こはねがぱっと手を離す。なにかあったのかと見返せば、慌てたように自身の胸元を握って頬を染めた。直後にごめんね、と照れの混じった声が届くから、わけがわからないままこはねを凝視してしまった。

「あの、東雲くんのこと、掴んだままだったから」

 言われてみれば、とっくに人の多い通りは過ぎていて、こはねが流される心配はなくなっている。だからオレの補助も必要ない――当然のことなのに、どこか物足りないような感じがするのはなんでだ。

「別に……気にしてねえよ」
「ここまでありがとう」
「……おう」

 こはねが笑いながら少し離れる。
 だいたいいつもと同じくらいの立ち位置なのに、距離を空けられている気になるのは近さに慣れてきていたせいだろうか。

「東雲くんのおかげで歩きやすかったよ」
「そりゃよかったな」

 残りの距離を歩きだしながら、楽しげに弾んでいるこはねの声に相槌を打つ。歩きやすいと言われて悪い気はしなかったし、一時的に後悔しかけたとはいえ、やった甲斐があるというものだ。
 そんなことを考えていたら、にこにこしたこはねが慣れてるのかと聞いてくるから、反射的に「は?」と声が出た。

「えっと、東雲くん当たり前みたいにしてくれたから……違うの?」
「人に流されるようなのお前くらいだからな。今までやったことねえわ」
「うっ……手間かけさせてごめんね」

 俯きがちに縮こまるこはねを横目に、自分でもやけに強く否定してしまったような気がしてモヤモヤする。なんだこれ。

「つーか、こんなの手間でもなんでもねえから。謝んなくていいっての」

 また謝罪が飛んできそうな雰囲気を察して釘を刺せば、こはねは開きかけた口を閉じ、ぷるぷる頭を振ると両手を握って拳を作った。

「今日はありがとう、東雲くん。次は流されないように頑張る!」
「まあ、駄目そうならまた手伝ってやるよ」

 こはねは笑って頷いたが、たぶんこいつは自分から言い出さないタイプだ。今日みたいに偶然遭遇したときくらいは注意しておこうと決めて、目的地のドアを開けた。





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