ある夏の一幕 前日譚③
青の割合が多いガラス石――シーグラスで作られた写真立てには見覚えがある。
いつどこで見たんだったか。興味を惹かれた彰人はそれを手に取ったが、すぐにフレーム部分よりも収められている写真の方に意識を持っていかれた。写っているのはこはねと三人の宮女生。記念品らしきものを手に四人とも嬉しそうに笑っていて、後ろにはドラムとキーボードが置いてある。
これを隣で見せてもらったときに聞いた話では、グループ発表を終えたあとに撮ったやつだったはずだ。若干人物が小さい以外はいい写真だと思った覚えがあった。
「東雲くんお待たせ……あれ? 座っててよかったのに」
「おー、ちょっと気になったんだよ」
「なにかあった?」
「これ」
テーブルにグラスを並べているこはねに持っていた写真立てを見せると、彼女は嬉しそうにみんなとお揃いなのだと笑った。
「杏ちゃんに作ったときにね、自分の分も一緒に作ったの」
「……それだわ」
「え? どれ?」
「どっかで見たなってさ。あいつ、お前が作ってくれたっつって見せびらかしてただろ」
こはねが! 私のために!とテンション高く散々自慢されたときに見たのが既視感の正体だろう。
こはねは僅かに間をおいて首をかしげると「東雲くんも使う?」と聞いてくる。
写真立てを元の位置に戻しながらフレームのデザインを見返した彰人は、いや、と反射的に口からこぼしていた。
こはねの手作りには惹かれるが、彰人の部屋に置くには“可愛い”の比率が大きすぎる。
「ふふ、やっぱりそうだよね」
「わかってて聞いたのかよ。中身は欲しいけどな」
テーブルの長い辺の片方に、二つ横並びにされているグラスを見ると口元が緩む。
なぜか中腰のまま固まっている彼女を追い越して、彰人は用意された自分の席――こはねの隣に腰を下ろした。
「この前は見せてもらっただけで終わったけど、こはねが写ってるやつ……お前座んねえの?」
どうせならと望みを口にする間もこはねが動かないものだから、思わず聞いてしまう。
すると、彼女は彰人に向かって正座をし、膝にかかるスカートを握りしめながら背筋を伸ばした。
「……私も、東雲くんの写真欲しい、です」
やけに緊張した面持ちで言うのを、彰人はじっと眺めてしまう。
珍しい、と感想が浮かんだ。こはねはあまり自分の要求を口にしない。もっとわがままを言えばいいのにと焦れったくなることがあるほどに。
ただでさえ珍しい“お願い”が彰人のことだなんて、嬉しくないはずがない。
何も言わない――言葉が出てこない彰人に不安になったのか、スカートを握る手に力が入っていく。
「……だめかな」
「いや、そんなことねえよ……悪い、お前そういうの言うんだなってちょっとびっくりした」
「い、言うよ。東雲くんだって……東雲くんのほうが先に言ったのに」
「オレはいいんだよ。つーか、オレ自分の写真なんか大して持ってねえぞ。撮るのか?」
納得いかないと言いたげだった顔がパッと明るくなる。かと思えば眉尻を下げて「うぅ」と唸り始めた。
「ふ……、お前、なんだその顔」
「東雲くんの写真撮りたいの。すごく撮りたいけど、今欲しいのは違うんだもん」
こはねは究極の選択でも迫られているかのように言う。どちらか一つしか選べないと思い込んでいるようだが、彰人からすれば両方選べばいいんじゃねえの?といったところだ。彰人ならそうする。
けれど、それを伝える前にこはねは元々の希望を通すことに決めたらしい。顔を上げ、わずかに彰人のほうへ身を乗り出してきた。
「あのね、お祭りの……ステージに出たときの東雲くんが欲しいの」
「…………こはね、もっかい」
「え」
「もう一回。オレが、なんて?」
彰人は疑問符を浮かべるこはねとの距離をさりげなく詰めていく。手を伸ばし、スカートを握ったままの姿勢を崩さない彼女の腕をやんわりと掴んだ。
こはねは数回瞬きを繰り返す間に彰人の意図を悟ったのか、頬を赤く染める。自身の腕を掴む手をちらりと見たあと、恐る恐るといった様子で彰人の方へ視線を移すものだから、ごくりと喉が鳴った。
「お前、それ余計に煽ってるからな」
「ええ!? そんなつもりじゃ……」
混乱しているのか瞬きが多くなり、だんだん俯いていくこはねを覗き込む。
ぱち、と瞬いた瞳の中に彰人が映っているのを認識した直後、小さく息を呑む音が聞こえた。
肩を抱いてさらに身を寄せれば、こはねが空気を食んでからきゅっと唇を閉じる。そのまま瞼が降りたのを合図にして、彰人はこはねにキスをした。
「――これ、体勢キツイな」
「……ふふ」
くすぐったそうに笑うこはねが可愛くて、薄く色づく頬にも口づけてから身体を離す。
いつの間にか彰人の服を掴んでいた手に心臓が大きく跳ねて、脱力しながらこはねの肩に寄りかかった。
「し、東雲くん、くすぐったい」
こはねの訴えには返事をせず、ぐりっと頭を押し付けながら、ゆっくり長く息を吐く。こはねが戸惑っているのはわかるが、噛みつきたいとか、押し倒したいとか、そういう衝動を抑え込むのに時間が必要だった。
言わせるのに失敗した“東雲くんが欲しい”は、失敗してよかったのかもしれない。
「え……ないの? 一枚も?」
「ステージに立ってた側なんだから、そりゃそうだろ」
夏祭りの会場ならまだしも(冬弥やレンが撮りたがったんだと思うが、屋台を背景にした彼らや、食べ物を手にする彰人の写真があった)、こはねが欲しいと言ったステージに立っている最中のものはない。
「ダンス中がいいってんなら、今度レンとあっちでやるときの撮ればいいんじゃねえの?」
「それももちろん撮ろうと思ってるけど、実際のステージとはやっぱり違うだろうし……見たかったな」
こはねがこぼした“見たかった”は彰人に聞かせる気がない、無意識に呟いた一言のようで、今の距離でなければ聞き逃しただろう。
見るからにしょんぼりと肩を落とされて、彰人は妙な罪悪感に苛まれる。
「……しょうがねえな。ちょっと待ってろ」
「え?」
「持ってそうなやつに聞いてやる。それでなかったら諦めろよ」
「う、うん! ありがとう、東雲くん!」
途端に笑顔になるこはねは現金だと思うが、嬉しそうな彼女は可愛くて憎めない。
せめてもの意趣返しに、彰人は目の前のテーブルを押しやってスペースを作り、自分の懐へこはねを引っ張り込んだ。
足の間に収まったこはねを後ろから抱きしめると、びくっと身体が震える。伝わってきた振動に笑ってから、彼女が脱出できないように腕と足を使って囲い込んだ。
こはね越しにスマホを操作し始める彰人に、戸惑いがちな声が「いいの?」と小さく問いかけてくる。
「なにが」
「私、これじゃ見えちゃうよ」
「別に見られて困るようなもんなんかねえけど? 結果がすぐわかっていいだろ」
平然と操作を続ける彰人に対して、こはねは気まずそうなままだ。
彰人がこはねを抱える体勢なのも一因だろうが、プライバシーの塊とも言えるスマホを覗き見る行為が落ち着かないのだろう。
そわそわしっぱなしの彼女の耳が次第に赤くなるのは目に毒だと思いながら、彰人はそこから視線を引き剥がした。
今は目的を果たさなくては。
――絵名、お前シブヤ祭の写真って撮ったか?
――は? いきなりなに。
――野外ステージ。見に来てただろ。
――彰人の写真ってこと? ないけど。
――じゃあいい。
――はあ!? なんなの? 説明くらいしなさいよ!
「あの、東雲くん……」
「いつもこんな感じだからいいんだよ」
絵名との短いやりとりを終えると、なぜか見ていただけのこはねが落ち着かなげに身じろぐ。
覗き込んだ彼女の眉尻は下がっていて、このまま絵名を放置したらこはねの方が延々と気にしそうだった。
「……わかった」
彰人は溜め息をひとつ吐き出して、先ほどから連続で届いている文句代わりのスタンプに「あとで」と短い一言を割り込ませる。
ピタリとやんだスタンプ攻撃に安心したのか、こはねが力を抜いて彰人のほうへ寄りかかってきた。
無意識なのだろうが、この機を逃すなんてもったいないことはしない。彰人は内心でこの状況を作ってくれた姉に感謝しつつ、彼女を囲っている腕を狭めた。
映えがどうとかで撮影に付き合わされることが多いからと絵名を思い浮かべてしまったが、よく考えればBAD DOGSに出演を依頼してきた張本人に聞けば話は早く済んだかもしれない。アマチュアからプロまで呼んでいた祭りだ、撮影していた可能性は高い。
それをこはねに伝えながら、彰人は早速履歴の方から翔太の名前を探す。トーク画面を開くよりも早く、別の相手からのメッセージを受信した。送信者は暁山瑞希。
「あ……?」
「えっ、東雲くん、駄目だよ」
すぐに内容を確認しようとした彰人を遮って、こはねが両手をスマホの画面にかざす。
「さすがに……あの、私移動するよ?」
顔を合わせると、こはねは困ったように笑いながら彰人の腕に手を添えた。
そのまま解放してしまうのは惜しくて、彰人はスマホを脇に置いて両腕を使ってこはねを抱きしめる。
「え、あれ? 東雲くん……?」
「……もうちょい」
言えば、少しの間を置いて「うん」と小さな返事があった。
意識しているせいなのか、こはねの身体は返事をする前よりも緊張して強張っている。彰人は自身の腕でそれを感じながら、慣れるのはいつだろうなと密かに笑った。
瑞希からのメッセージは、サークルの作業中だった絵名が唐突に彰人の文句を言い始めたこと。原因はなにかを問うものだった。
特に隠すものでもなかったからそのまま伝え、ついでに瑞希にも写真を持っていないか聞いた。
――写真はないな~。動画ならあるよ。
――動画?
――途中までちょっと映り悪いんだけどね。好きなアーティストが出てたからさー。弟くんたち撮ったついでにカメラ調整したんだ。
――ちょい待て。聞く。
「こはね、ステージのやつ動画でもいいか?」
「動画……本当!? 嬉しい! 見たいな」
隣で自分のスマホを触っていたこはねはゆっくり瞬きをしたあと、ぱあっと満面の笑みになった。
わかりやすい表情の変化にあてられて、彰人のほうが照れくさい気持ちになってしまうのが些か悔しい。ともあれ、目的は果たせそうだと瑞希とのやりとりに戻ろうと画面を見ると、怒涛の質問が並んでいて「げ」と声が漏れた。
彰人が欲しいわけではなかったのか、誰に聞くのか、冬弥か、彼女か、絵名に聞いてもいいか――どう答えたものか迷い、結局こはねに見せるのだという事実を端的に伝えた。
思いきり名前つきで返答した直後に失敗したかと思ったが、瑞希はこはねのことをVivid BAD SQUADのメンバーとして認識していたから問題ないだろう。
了解、の二文字であっさり引き下がった瑞希になんとなく嫌な予感を覚えたものの、今すぐなにかあるわけでもなさそうだ。
送られてきた動画に礼を返し、彰人は顔を上げた。
「こはね」
「うん!」
ずっと待っていたのだろう。彼女はにこにこ嬉しそうに笑って身を寄せてくる。本当は今送ると言うつもりだったが、一緒に観賞したあとでもいいかと思い直し、彰人はこはねに自分のスマホを渡した。
「あれ、東雲くんは見ないの?」
「見る。お前はこっち」
こはねの腕を引きながら彰人が自分の前を指差せば、彼女はじわっと頬を染めて「お邪魔します」と小さな声で応じた。
彰人はこはねを後ろから抱え――瑞希とやり取りをする前までの状態で動画を再生する。
こはねは相変わらず緊張していたが、途中から動画の方に集中しだしたのがありありとわかった。「ふわぁ」と気の抜けた声をもらし、食い入るように画面を見つめている。
彰人も自分の成果を確認するつもりだったのに、ついこはねのほうに意識がいってしまう。かっこいい、と呟いた彼女の声で咄嗟に画面を見て、彰人が前に出ているパートだったことにほっとしてしまった。ついで、気恥ずかしさと自分の余裕のなさに対する悔しさとが混じり合って複雑だ。
「東雲くん、もう一回見てもいい?」
いつの間にか曲の終わりまで再生が終わっていたようだ。
頬を上気させたこはねに苦笑を返しながら頷いてやると、彼女は嬉々として再生ボタンをタップした。
「……はぁ」
「こはね?」
「東雲くん、すっごくかっこよかったよ! ありがとう見せてくれて」
こはねはスマホを胸に抱いて――それは彰人のものだが、彼女はおそらくそこに気が回っていない――彰人のほうへ寄りかかるようにしながら笑顔を見せる。真っ向からの褒め言葉は嬉しいのに気恥ずかしくて、彰人は短い相槌を打つだけになってしまった。
彼女の方は気にした様子もなく、特にあのパートがと鼻歌まじりに教えてくれる。その様子がたまらなく可愛くて、彰人は彼女を抱きしめながらまだまだ語りたそうな口を塞いだ。
「……あとでお前にも送ってやる」
「う、ん……ありがとう……」
元々興奮状態で桜色だった頬はより赤みをおびている。もう一度、触れてもいいだろうか。
迷う彰人を後押しするように、「しののめくん」と舌っ足らずな声がしてシャツを引かれた。
ごくん、と喉がなったのはもう仕方ないと開き直り、彰人は誘われるままこはねを味わうことにした。
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