ある夏の一幕
「…………あっちぃ」
思わず漏れた声に溜め息をつく。言葉にしてしまったことで余計に暑くなった気がして、うんざりしながらネクタイごとシャツを引き、気休め程度に風を送った。
気温が高いのはもちろん、地面からの照り返しや頭上から聞こえてくるミンミンうるさい蝉の声が暑さを増長させていると思う。
少しでも涼を求めて木陰に避難しているが、校舎内とどちらがマシだろうか。
(なんで登校日なんてあるんだろうな)
大した話が聞けるわけでもなく、昼前には解放されるのだから無くてもいいのに。
早いところWEEKEND GARAGEまで涼みに行きたいが、冬弥が呼び出しを食らったせいで校内に足止めされていた。
時間がかかるようなら先に行くと言った彰人に「すぐ戻る」と返してきたから、つい何の用事で呼び出されたのかを聞いてしまった。
冬弥を呼び出した相手は同級生の女子で、クラスや委員会関係ではないらしい。
「知り合いか?」
「……おそらく。これなんだが」
だいぶあやふやな答えと共に、うっすら青みがかった封筒が出てきたことで察した。
“すぐ戻る”つもりの冬弥を思い返し、呼び出した相手に若干同情を覚えながら「さっさと行ってこい」と送り出したのが数分前の話だ。
なぜ登校日に告白を、と思わないでもないが、夏休みの半ばであることを考えればちょうどいいのかもしれない。
彰人はVivid BAD SQUADでの練習やイベント参加が最優先だが、こはねを連れて海やプールなどのレジャー施設、祭りに行きたいという欲求もある。未だにタイミングを図れず誘えていないままだが、一日くらい遠出したい。
(…………海)
木陰を作り出している樹に寄り、そのまましゃがむ。スマートフォンを操作して、先日こはねとの取り引きを経て手に入れた写真を呼び出した。
青空と海を背に、宮女の体操服を着たこはねが彼女の友人――こはね曰く司の妹――に抱きつかれ、照れくさそうにはにかんでいる光景。見ていると気が緩み、暑さも和らぐ気がする。
錯覚だとしても、ジリジリと焼かれ続けるよりはマシだった。
「――おい、大丈夫か?」
「うわ!?」
ポンと急に肩をたたかれ、彰人は飛び上がるほど驚いた。手から滑り落ちたスマホが芝生に着地する。
それを拾う余裕もなく振り向けば、なにやら険しい顔をした司と目があって困惑した。
なんでここにこいつが? いつ来たんだ? なんだその顔は……なにもかも理解が追い付かない。
「おまっ…司、センパイ。急に声かけないでくださいよ」
「すまん。具合でも悪いのかと思ってついな。違うようで安心したぞ」
「……それは、どうも。見てのとおり、大丈夫です。冬弥が戻ってくんの待ってるだけなんで」
常にうるさいというイメージが先行するせいか、近寄られても気づかなかった。
こいつも静かにできるんだな、と年上に対していささか失礼なことを考えながら、司が彰人の落としたスマホを拾ってくれるのを眺めていた。
「ありがとうございます」
拾ってくれた礼とともに手を差し出したが、司は画面を見つめた状態で固まり、一向に彰人のスマホを返してくれる気配がない。
「司センパイ、それオレのなんすけど」
「彰人……お前、お前まさか咲希のここここ、恋人とやらか!?」
「は?」
「これは我が妹だろう!!」
急になにを言いだすのかと眉根を寄せたが、なるほど、司が指しているのはこはねの隣に写っているほうだ。こはね本人からも聞いていたとおり、彼女が司の妹なのは間違いないらしい。
「ど、どうなんだ!?」
「違います。オレはこっちの――ってなんであんたにこんなこと言わなきゃなんねえんだよ」
違う、と否定だけで事足りただろうに余計なことを言った。
司にはあまり自分の個人情報を渡したくないのだが、うっかり口を滑らせたのはきっと暑さのせいだ。
内心で頭を抱える彰人をよそに、司はまじまじと写真を見なおして「オレたちのファン第一号のほうだったか」と得心顔で呟いたあと、ようやく彰人のスマホを返してくれた。
――“オレたちの”、ね。
軽い引っかかりを覚えてひきつりそうになるこめかみを揉み、小さく息を吐く。
こはねが彼らのステージを見るのが好きなことも、司や彼の仲間からそう呼ばれていることも知っている。だが、どうにもその呼ばれ方はこはねが彼らのもの呼ばわりされているようで気にいらない。
「む? 彰人、お前やはり体調が悪いんじゃないか?」
「あー……全然。そういうんじゃないです」
体調ではなく、ごく個人的な気分の問題だ。
独占欲とも言えるこれを司にぶつけたところで、どうにかなるとは思えない。
「……それより、センパイはさっきからなにしてるんすか」
彰人の具合を確かめにきたのだとしても、もう問題ないと確認したのだからさっさと別の場所へ行って欲しい。この暑いなか、暑苦しい司の相手をするのは面倒極まりない。
「うーむ……いやな、さっき彰人が見ていた写真に既視感があったんだが、オレのほうには穂波もいた」
(誰だよ……)
口を挟みそうになるのをこらえながら、見ろとでも言うように差し出された画面に目を移す。
真っ先に飛び込んできたのは上部を占める“ほなちゃん先生の水泳教室☆”の手書き文字。右にこはね、中央にはおっとりした雰囲気の女子がいて、左に司の妹が写っている。
共通点といえばこはねと司の妹がいるくらいで、場所も時間も服装も違う。いったいどこに既視感を覚えたのか全くわからない。いや、そんなことより――
「これがあんたのとこにあるのおかしいだろ!」
「いきなりどうした!?」
自分の彼女の水着姿が他の男のスマホから出てきて落ち着いていられるか!? 無理だろ!?
カメラとの距離が近いし、彼女たちが抱えているビート板でほぼ隠れているとはいえ、こはねの水着姿をこんなところで見ることになるとは思わなかった。
実を言えば彰人がこの写真を見たのは二度目だ。こはねが持っていたのは手書き文字がないもので、照れた彼女にすぐ次に送られてしまったけれど。
「彰人? おい、大丈夫か?」
「……なんでセンパイがこの写真持ってんすか」
「咲希から送られてきたからだな。臨海学校がよほど楽しかったようでな、毎日大量に送られてきていた……いい思い出になってなりよりだ」
まるで自分のことのように、嬉しそうに言う司に首を傾げたくなる。きょうだいから送られてくる写真、で彰人が思い出したのは絵名からの“これ帰りに買ってきて”くらいだ。
彰人から絵名に送ることは滅多になく、あっても向こうから来るのと似たようなものだからあまり理解できない。
理解はできないけれど、司が宮女の臨海学校の写真を大量に持っているのは事実だろう。
「…………司センパイ。頼みがあります」
「お、おお? 珍しいな!? もちろんいいぞ! このオレ! 天馬司にできることであれば協力しよう!」
本来であれば避けたいところだが、背に腹は代えられない。彰人はこはねの写真が見たかったし、あわよくば手に入れたかった。
演技がかった仕草で胸に手を当てながら上体をそらす司に暑苦しさを感じつつ、回りくどいことは性に合わないと直球でこはねの写真を要求した。
「それは構わんが、オレより本人のほうが持っているものじゃないか?」
「あいつ、自分の写真はほとんど撮らないんすよ」
彰人がこはねからもらった一枚も、彼女自身が友人からもらったと言っていたものだ。
こはねは写真を撮るのが趣味だが、被写体に自身が入っていることは稀だと思う。撮る方に集中していると忘れるらしく、臨海学校の写真も貝殻やらガラスっぽい石やらの無機物から始まり、食べ物や風景、浜辺の生き物がメインだった。
人の写真はないのかと聞いた彰人に、それはこっちのフォルダだと嬉しそうに見せてくれたが、当たり前のように本人不在だったものだから、つい「こはねは?」と聞き直してしまったくらいだ。ちなみに貰い物のほうにしかいなかった。
「自分を撮らない!? なぜだ!?」
「……センパイはめちゃくちゃ撮りそうっすね」
乾いた笑いをこぼしながら相槌を打っていると、スマホを操作していた司が「この辺だ」と言いながらそのまま彰人に寄越してきた。
「は?」
「量が多いからお前が探した方が早いと思うぞ」
視線を落として確認した写真の枚数は、彰人の予想をかなり上回っていた。
こはねの写真フォルダと比較すると、人とその他の比率が逆転している。
多数の女子高生(しかも他校生)の写真が大量に並んでいる様に「うわ…」と声が漏れてしまったのは無意識だ。
「……つーか、マジで多い」
「えむから送られてきたやつも混じっているからな」
(だから誰だよ……)
時系列順に並んでいるだけの写真の中から、こはねを探すのは骨が折れる。暑さも相まって諦めようかと思ったが、そのタイミングで笑顔のこはねが出てくるものだから、なんだかんだで手は淀みなく動いていた。これはこはね本人にも送ってやりたい。
「――おや。なかなか来ないと思ったら、こんなところで涼んでいたとは」
「正直、涼しくはないな」
「だろうねえ。水を撒いてあげようか」
「またネネロボを改造したのか?」
「今は調整中さ。ほら、この前えむくんがびしょ濡れシャワーショーをやりたいと言っていただろう?」
変人が増えた。
声に出しそうになったのを抑えて視線をやると、類は愉快だと言いたげに微笑んで彰人を見返してきた。
「東雲くんが司くんに絡んでいるのは珍しいね」
「……司センパイに用が出来たからっすよ」
類の隣にはなにやらずんぐりしたロボットが追従していて、頭上へと向けた手のひらからは霧状の水が出ているようだ。ロボットの周囲に虹が見えて、こはねならシャッターを切りそうだと思った。
「司センパイ、選んだんで送ってください」
「任せろ!」
「……本当に珍しいね。また友人の頼みかな?」
「全然違います。だいたい、またってなんすか」
「フフ。以前、君が青柳くんの頼みを引き受けて結婚式に参加したことを思い出しただけさ」
口調のせいなのか、声の出し方なのか……どうにも含みを感じる。
そういえば冬弥を送り出してからかなり時間が経っているが、まだ戻ってこない。もしや厄介な相手だったのだろうか。
連絡が来ているかもしれないと暗転していた画面を復帰させると、司に絡まれる原因になった写真がそのまま表示され、同時に司からのメッセージを大量に受信した。
「……ふーん? きっかけは咲希くんだね」
「あんたら、人の画面勝手に見るのやめろよ」
心外だと肩を竦める類を呆れ混じりに睨む。わざわざ近寄ってきていたのだから説得力は皆無だ。
「オレのはわざとじゃないぞ!?」
「まあ、司センパイには今回世話になったんで……写真、ありがとうございます」
「うむ!」
「ついでに、センパイのとこにもありましたよ。これと同じやつ」
「やはり既視感は気のせいではなかったということだな!」
ハッハッハ!と大笑いまでして嬉しそうにしているが、むしろなぜあの水着姿のほうを引っ張り出してきたのか謎だ。あれだけ大量にあるなら、こはねのようにフォルダで整理したほうがいいのでは、とも思うがさすがにそれは余計な世話だろう。
「……しかし、オレのファン第一号とオレたちのファン第一号が並んで写っているのはなんとも感慨深いものがあるな」
腕を組んでしみじみと言われても、それを感じるのは司だけだと思う。
こはねはあんたらのじゃない、と否定したくなる衝動を溜め息で逃がしていると、不意に類と目があった。その訳知り顔の笑みはなんなのか。
舌打ちしたくなる気持ちを抑え、冬弥にまだかかるのかを問うメッセージを送った。既読はつかない。
「そうだ彰人。来週から我らがワンダーランズ×ショウタイムの演目が変わるんだ。ちょうどフェニランでも新しいイベントが始まるらしいからな! オレたちのステージを見にくるついでに、行ってきたらどうだ?」
「……なんでステージ見に行くのが前提なんすか」
普通はフェニックスワンダーランドの新しいイベントとやらのほうが目玉だろうに、司は自身に関する主張が強い。
新しい演目と聞けばこはねは喜びそうだが、素直に頷くのは癪で、当然とも言える疑問を口にした。
「ん? オレたちのファン第一号なら当然見にくるだろう? お前恋人だと言ってなかったか? まさか別行動で遊園地を楽しむ趣味……いや、中にはそういうカップルもいるかもしれんが」
「あーーー! もうわかった! わかりましたよ! くそ……」
やはり司に口を滑らせたのは失敗だった。
彰人はげんなりしながら追い払うように手を振って、司の話を中断させる。ほぼ同時に、冬弥からの返信があり――遅くなってすまない。今戻る――勢いに任せて先輩ふたりに絡まれてるから早くしろと彼を急かした。
「そうそう、東雲くん。僕たちのステージに来るときは、大きめのタオルの持参をお勧めするよ。彼女がいつも座る席だと濡れるかもしれないからね」
「は……?」
「おい類、なんだそれは。オレは何も聞かされてないんだが!?」
「やだなあ司くん。それは今日、これからの話し合いで導入が決まるからさ!」
「お前な……」
「びしょ濡れシャワーショー、楽しみだろう?」
「はあ……まず名称をどうにかするべきか。彰人、では次はステージで会おう! 冬弥にもよろしくな!」
彼らの間では、既に彰人がこはねを連れてステージを見に行くのが決定しているらしい。
先輩ふたりは彰人に軽く挨拶をして日差しの下へ出て行く。暑さにやられたのか猫背になった司に、類の傍らにいたロボットが反応して水を勢いよく噴射するのが見えた。
(……まさかアレじゃねえだろうな)
類のこぼした“びしょ濡れシャワーショー”とやらがどうなるのか不明だが、タオルを持って来いというアドバイスには従ったほうが無難だろうと思った。
「彰人!」
「おう、やっと戻ってきたか」
「すまない。だいぶ遅くなってしまった」
「いいよ。センパイに絡まれたのは面倒だったけど収穫もあったからな。つーかお前汗だくじゃねえか……ちょっと休んでこうぜ」
戻ってくる際に走ったらしい冬弥は見ているだけで暑い。
彰人の案に「だが……」と渋りだしたのを適当にあしらい、木陰に座り込めば観念したようだ。
冬弥が水分を取っている間、カレンダーを呼び出してVivid BAD SQUADの練習日やイベントへの参加日、バイトの予定などを確認する。
空いている日に目星をつけていると、こはねからのメッセージを受信した。
さすがに宮女と登校日が被ることはなかったので、今日はこはねの方が先にWEEKEND GARAGEで待っているはずだ。
――杏ちゃんが帰ってきたけど、東雲くんたちもそろそろ到着する? 飲みたいものがあれば、すぐ出せるようにしておくって杏ちゃんのお父さんが言ってくれたよ。
助かる。さすが謙さんだと思いながら、冬弥にも意見を聞く。聞いたところでアイスかホットかの違いだろうが、気まぐれが起こるかもしれない。
「アイスコーヒーを頼む」
「だと思ったわ」
こはねへ軽く礼を告げ、謙さんにも先に礼を言っておいてほしいと伝言を頼む。
到着の予定時間とともに冬弥のアイスコーヒーを注文したところで指が止まった。
甘いものが飲みたいが、カフェオレよりはさっぱりしたものがいい。
――東雲くんは?
こはねも彰人の注文が抜けていることに気づいたようで、短い問いかけに首を傾げたハムスターのスタンプがくっついてきた。
――お前はなに飲んでんの?
――今日のお勧めのフルーツティーだよ。杏ちゃんがね、お父さんと一緒に考えたんだって!
――美味い?
――うん! 果物もそのまま入ってるの。東雲くんも好きだといいな。
「彰人? どうした、頭痛か?」
「……そんなんじゃねえよ。はあ……なんなんだあいつ……」
「ああ、小豆沢か」
冬弥の小さな笑い声に雑な相槌を打った彰人は、じゃあオレもそれ、と文面を作って送信した。
このままデートに誘うことも考えたが、彰人は自分の言葉でころころ表情を変えるこはねを見るのが好きだ。メッセージのやり取りでそれが見られなくなるのは惜しい。
やはり直接、目の前で言おうと決めて、立ち上がる冬弥の後に続いた。
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6899文字 / 2021.08.15up
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