たまには雨も悪くない
今日の練習場所は、いつもより広くて緑が多い公園だった。ひととおり四人で合わせたあと、屋根付きの休憩所……冬弥が言うにはガゼボってやつで振り返りと意見交換、調整してまた合わせての繰り返し。次に予定してるイベントまでに納得できるところまで持っていきたい。
――意気込みはともかく、まだ時間はあるし焦りすぎるのもよくない(特に彰人、と声を揃えて言われたのは納得いかねえ。こはねは何も言わなかったけど、同意って顔してたのはバレバレだ)ということで、練習時間は延長なしの11時半……予定通りに終わった。
午後はバイトだが、昼一からってわけじゃないから時間まで微妙な空きができてしまった。冬弥は司センパイに呼ばれてどうのこうの(忘れた)でさっき帰ったし、こはねは杏とショッピングモールに行くと昨日の夜嬉しそうに報告してきてたな。
昼飯をどっかで食べながら自主練の方法でも考えようかと携帯をいじっていたら、杏の叫びが耳に入った。
「ごめんねこはねー!!」
「大丈夫だよ杏ちゃん。それより、早く帰らないと杏ちゃんのお父さん困っちゃうよ」
「う~~~、今度こはねのトッピング大サービスしてって父さんに言っとくから」
「本当? えへへ、嬉しい。楽しみにしてるね」
杏はこはねをぎゅうぎゅう抱きしめながら、絶対埋め合わせすることを約束しつつ謝罪して、オレには「じゃね、彰人!」と片手を挙げると全力で走り去っていった。
「……なんだあいつ」
「急に団体のお客さんが来たんだって。杏ちゃんもよく知ってる常連さんみたい」
ドタキャンされたわりに、こはねはにこにこ笑って上機嫌だった。
「杏ちゃんとはまた今度遊べるし、杏ちゃんのお父さんがつくるトッピングコーヒー好きだから嬉しいよ。東雲くん、おにぎり食べる?」
隣に座りながら急に話題を変えられて、内容を理解するのに少し時間がかかった。ワンテンポ遅れて頷けば、こはねは「よかった」とこぼし、鞄から両手に収まる大きさの布包みを取り出してオレの前に置いた。
「お前の弁当?」
「今日はここで練習って聞いてたから……そっちは杏ちゃんのだよ。私の分はこれ」
おかずは杏の担当だったらしく、おにぎりだけでごめんね、とか言ってるがむしろ役得だと思う。
綺麗な三角形に並ぶ、少し小さめでやや不格好な三角形はこはねが握ったやつだろう。妙に和む並びを崩してしまうのが惜しくて、こはねの手を同じフレームに入れてスマホにおさめた。
「い、今撮った!?」
「撮った」
「……あんまり上手じゃないのに」
そこがいいんだろ。とは、さすがに言えなかったが誤魔化すための「成長記録になるな」ってのは果たしてちゃんと誤魔化しになったんだろうか。
頑張ると意気込むこはねが可愛かったから、深く考えるのはやめた。
「お前午後どうすんの」
「うーん……もう少しここで練習してから帰ろうかな。東雲くんはバイトだったよね、夜まで?」
「そう。七時で終わる」
「じゃあ大丈夫かな」
日課と化してるこはねとのやりとりはもっと遅い時間だから関係ないし、なにかあるのかと聞き返したら、やけに真剣な顔で今日は雨だと言ってきた。
「東雲くん傘持ってないみたいだから、少し気になったの。お昼から夕方までって予報で――あ」
「げ……」
こはねの発言がきっかけになったかのように、ポツポツと不規則に屋根を叩く音が聞こえてくる。
土砂降りってほどではないものの、視界に入る景色から雨が降っていると認識できる程度。それを見ながらここからバイト先までかかる時間を考えて、思わず溜め息が出た。
「東雲くん、私送っていくよ!」
任せて、と握った手で自身の胸元を叩きながら、こはねが傘を見せてくる。折り畳みじゃないし、ビニールでもない、しっかりした布のやつ。
……実を言うと、傘なら持ってる。オレのは折り畳みだけど、こはねと同じく天気予報を見ていた母さんが玄関先に用意してくれてたから、バッグに放り込んできた。けど断るという選択肢は、なんの苦労もなく好きな女とくっつけるというシチュエーションの前には無いも同然だった。
「時間になったら頼むわ」
「うん! ……東雲くんまだ時間あるの? あの、教えて欲しいところがあって……聞いてもいいかな」
期待の混じる眼差しに笑いながら頷く。
元から練習を続けるこはねを見ていくつもりだったと言えば、こはねは嬉々として歌詞カードとペンケースを取り出した。
――ピピピピピ。
「ひゃっ!?」
セットしておいたアラーム音にこはねが間抜けな声を上げる。どんだけ集中してんだと言いたいところだが、びくついたこはねに驚いたオレも似たようなものだった。
なんにせよ、予防線を張っておいて正解だったな。
集中力が勝って雨音も遠のいていたけれど、周りの音が戻ってみれば降り始めとさほど変わりはなく、まだ止みそうにない。移動で足元が濡れるのは不快だが、広げた傘を手にオレを見て笑うこはねが全部帳消しにしてくれるから、不満はなかった。
「――お邪魔します」
「ふふ、どうぞ」
何も言わないのは変かと思ったけど、言っても違和感があった。とりあえず、こはねもノリよく返してくれたからまあいいか。
オレが入りやすいようにという気遣いからか、こはねが傘の柄――カーブになっている部分を握りなおして持ち上げる。それは嬉しい……が、高さが全然足らねえ。布の部分に頭が触れるだけならまだいいけど、金具に髪が引っかかりそうな予感がした。
「こはね」
「あ、ごめんね。東雲くん大きいもんね。これくらい? どうかな」
オレの頭の方と傘を見比べながら、高さを調整するために頑張って腕を上げるこはねは可愛い。でも、それでずっと移動するのは無理だろ。
「……あのな。こういうときは“持って”って言やいいんだよ」
こはねよりも上の部分を掴み、引き取る意思表示を兼ねて軽く引く。小指と薬指の先でこはねに触れれば、目を丸くしたこはねが数回瞬いて、照れくさそうに手を離した。
「お前そういうの下手くそだよな……おい、もっとこっち寄ってくんねえと濡れる」
手を離すと同時に一歩下がったこはねに合わせて傘を傾けると、謝りながら慌てて戻ってくる。
忙しないこはねに笑いつつ、さっきよりも縮まった距離が嬉しかった。
こはねは歩きながらなにかを考え込んでいて、時折オレを見ては物言いたげに口を開き、なにも言わずに閉じるのを繰り返している。下手に促すと“なんでもない”と返されて終わりそうな気がして、聞きたくなるのをどうにかこらえた。
「……東雲くん、聞いてもいい?」
「おう」
「上手な甘え方ってどんな感じかな」
「…………は?」
「さっき下手って言われたから……なにか言ってみようと思ったんだけど、難しくて」
――なんだこれ。オレは今なにを聞かれてんだ? 甘え方? 答えによってはこはねがオレに甘えてくれるってことか? いや今の言い方だと手本を見せろって意味かもしれない。
絶賛混乱中の思考を放置して視線を下げればこはねと目が合う。オレをまっすぐ見返してくる上目遣いの瞳。いや、もうこれで十分だろ。このままこはねが『~~したい』とか『~~して』って言えば完璧だわ。
「…………言い方か」
「言い方?」
「お前、遠慮しすぎなとこあるからな。もっと強気でいけばいい感じになるんじゃねえの」
「つよき……」
言ってはみたが、こはねの控えめなところも嫌いじゃない。単に、オレがそういうこはねも見てみたいってだけだ。今すぐは無理でもいつかは――だけど、こいつが甘え方を覚えたら別の問題が出てきそうというか……オレの心臓に負担がかかる予感しかしない。
「あの、ね」
「ん?」
「今日は、電話……したいな。あと…東雲くんの歌、聞きながら寝てみたいなって、思ったんだけど……」
予感が当たるのが早すぎる。
ちょこちょこ言葉が途切れるのは、さっきオレが言った“強気”を意識した結果だろうか。
逃避しかける思考を追う傍らで、傘の柄を握る手に力が入りすぎて微かに音が鳴っている。そうでもしないと、今すぐ傘を放り出して人目も気にせずこはねを抱きしめそうだった。
「ど、どうかな」
――追い打ちやめろ。
うまくできたか、という意味の問いかけにも、電話と子守歌について聞かれたようにも取れたが……どっちにしろ最高だよくそ。
ついでにこはねの今の一言で人目を気にする余裕は消えたし、放り出した傘はコンクリートに落ちた。人通りの少ない路地だったことと、雨が弱まっていたことだけはラッキーだったと思う。
「それじゃあ東雲くん、バイト頑張ってね」
「ん。ここまで助かった、ありがとな。気をつけて帰れよ」
ひらひら手を振って帰って行くこはねをそのまま見ていると、傘がくるりと一回転する。小雨になったとはいえ、まだ降っているのに楽しげな後ろ姿。
もしかしたら歌でも口ずさんでいるかもしれないと思いながら、さっきふたりで追加練習したパートが浮かんだ。バイトが終わったらまた見直すか。歌い方とか感情の込め方とか――電話すると約束したし、こはねに話すのもいいかもしれない。
だいぶ小さくなったこはねの傘が、もう一回くるりと回転したことに笑いが漏れる。天気はまだ微妙なままだが、バイトは楽しくやれそうだった。
スタッフルームに移動して、肩の部分が濡れているジャケットをロッカーにしまう。幸い、そんなに染み込まずに済んだから接客する分には問題ないだろう。
こはねに感づかれなくてよかった。あいつこういうの絶対気にするからな。
ほっとしたのも束の間で、それをバイト先でいじられることになったのは誤算だった。「彼女のため!?」とか「意外と健気!」とか(意外は余計だ)、店長だけじゃなくて常連客まで青春だの甘酸っぱいだの盛り上がって……ホント、楽しそうでなによりだよ。
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4156文字 / 2021.06.26up
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