Vischio

どうしてこうなった!? (序・彰人)


とあるダンジョン内部にて

 ──いっそのこと、これが幻だったらよかったのに。

 抱きすくめた華奢な身体も、触れた唇の柔らかさも、掠める吐息の熱さも、全部。
 だけど開いた傷の痛みが、これは間違いなく現実だとオレにつきつけていた。
 もう後戻りできないことへの焦りや不安、今一緒にいるのが自分でよかったという安堵感が、熱に浮かされた思考の合間に割り込んでくる。

「こはね……」

 呼べば小さく反応して、オレの服を掴む指に力がこもった。わずかに触れあわせたままの唇を震わせながら「だめ」なんて言われても、ほとんど音になってない静止なんて無意味だ。

「しの……、ン」

 察しの悪いふりをしてこはねの口を塞ぐ。柔く唇を食むたびに抱きしめた身体がぴくりと跳ねて、鼻から抜けるような声が漏れた。
 それをもっと聞きたくて、食む場所や強さを変えながら反応のいいところを探る。夢中になりすぎて呼吸のタイミングが難しい。そんなふうに、どこか冷静に考える自分がいるのが不思議だった。

「……は、」
「しの、めく……、んっ」

 何度も肩をタップされ、「むー」だか「んー」だかわからない訴えに口を離せば、こはねは水面から顔をだしたときのように大きく息を吸った。顔が真っ赤で、目尻に溜まった涙が今にもこぼれ落ちそうだ。

「はぁ、はぁ……し、東雲くん、あの、ひあ!?」

 こはねの目元へ吸い付くと、ちゅ、と小さな音が鳴った。涙はしょっぱいものだと久々に認識した気がする。

「な…なめ……なめた……」
「いや舐めてねえだろ」
「おなじ、だもん」
「へえ……?」

 腕の中でぷるぷるしているこはねに違いを体感させてやろうか考えていると、こはねは急に表情を引き締めてオレの手を握ってきた。昔はほとんど変わらなかったのに、今のこはねはひと回りくらい小さい。自分との違いを実感していると、前触れもなくこはねが魔法を発動させた。じんわりと身体を覆う温かさで治癒術なのはわかったが、特段変化したところはない。

「……どう、かな」
「あったけえ」
「あの、他は? えっと、変な気分とか……治った?」

 治っていてほしいと訴えてくる瞳にそっと見上げられ、どくりと心臓が跳ねた。

「東雲くん……?」

 オレを呼ぶ不安そうに震える声。それを聞いた途端、喉が乾いたような気がして、ごくりと唾を飲み込んだ。握られたままの手を引いて寄ってきた身体を抱きしめると、なぜか乾きが加速する。これを癒せるのはこはねだけだと脳内が騒ぎ立てるから──こっちを見上げたままのこはねに顔を寄せた。

「……たぶん治ってねえわ」
「あっ、んむっ」

 今までとどう違ってたのか、何度目かわからない口づけは軽く歯がぶつかった。カチ、と硬質な音に煽られながら、今度はぶつからないように角度を変える。合間に漏れ聞こえる声が苦しそうだと気づいたけれど、オレは止まるどころかもっとこはねを追い詰めたい気分になっていた。

「……ぜんぜん、たらねえ」

 細い腰に回した腕に力を入れて、顎を掴んでこはねの顔を上向ける。
 上手いやり方なんて知らない。ただ本能に突き動かされるまま、もっと奥へ入れろと歯列を舐めて、空いた隙間から舌を入れた。



 狭い空間に充満する甘ったるい匂いと、嚥下した唾液の甘さで思考が鈍る。気持ちいい、もっと欲しい、それしか頭の中になかった。

「も……や、ら……しののめく、んぅ」

 こはねからの呼びかけが気に入らなくて、抗議するようにキスをした。ぴくりと跳ねた身体を抱きしめて舌を吸えば、舌と同じくらい甘い声が鼓膜を揺らす。
 ──足りない。キスだけじゃ全然足らない。こはねが欲しい。いますぐ、まるごとぜんぶ、オレだけのものにしたかった。




序(彰人)
 現在、彰人たちが依頼を受けている討伐の対象は中型モンスターが一体だった。熊に似たモンスターで、過去に何度か倒したことがある見知った相手。目撃情報を元に目標を発見するに至ったが、たまたま近くにいたのか複数の小型モンスターまで捕捉してしまった。こっちは依頼に関係ないが、明らかに討伐の邪魔になるだろう。

「──冬弥」
「ああ。まずは分担だな」
「おう。小せえ方頼む」
「わかった」

 短いやりとりで方針を決めた直後、冬弥が召喚した小さな氷柱が小型に向かって飛んでいく。それの着弾に合わせ、彰人は中型モンスターへと斬りかかり、注意を引き付けてから冬弥と距離を取るように移動した。
 小型複数相手とはいえ、冬弥の技量なら任せても問題ないだろう。彼の手が空くまでは彰人がこちらを足止めしつつ獲物の体力を削って、最後はふたりで一気に畳み掛けて終わらせる。

 そうして意図どおりの展開に持ち込み、彰人は間違いなく相手にとどめを刺した。手応えもしっかりと感じたから間違いない。それなのに、剣を抜き取る直前微かに唸り声が聞こえた。
 ザワリと鳥肌が立ち、考えるよりも先に身体をひねる。しまった、と思ったときには既に鋭い爪が二の腕を掠め、その衝撃で地面を転がった。
 かろうじて受け身は取れたものの、うまく動けないことに焦る──立て。早く!

「彰人!」
「構うな!!」

 モンスターを挟んだ向かい側にいる冬弥を制し、今にも閉じそうになる目を気力でこじ開ける。息を詰め、地面に突き刺した剣を支えに上体を起こしたところでモンスターの身体が傾き、ズシンと音を立てて地面を微かに揺らした。どうやら今のは最期の気力を振り絞った行動だったらしい。
 じっと見つめ、数秒動かないことを確認し、ようやく彰人は大きく安堵のため息をついて力を抜いた。

「彰人、傷を見せろ」

 呼ばれて顔を上げれば、寄ってくる冬弥の片手は既に携帯袋に突っ込まれている──回復薬の在庫はあとどれくらいだったか。

「まだ残ってるか?」
「下級のが三本ある。こいつは毒を持ってなかったと思うが……」
「そのはず……ああ、くそ……痛え……」

 一応飲んでおくか?と見せられた毒消しを断って、段々と“熱い”が“痛い”に置きかわっていく傷の付近を掴んだ。

「ザックリいってるからな……それにしても、お前が油断するなんて珍しいんじゃないか?」
「ちゃんと決めた手応えあったんだよ」
「なるほど……そういうこともあるのか。覚えておこう」

 冬弥の返しに頷いて、彰人は自身にも同じことを言い聞かせる。最後まで油断はするな、なんて初歩の教えだ。
 冒険者になって数年目の、慣れを感じ始めた時期が一番危ないと言われるのはこういうことなのかもしれない。
 彰人は自分で簡単に応急処置を済ませ、冬弥に立ち上がる補助をしてもらう。その場で軽く動いてみたが、移動に支障はなさそうで安心した。腕の方はじわじわと痛みが増してきているから、今夜はきっと熱が出るにちがいない──おそらく、夢も見ることになるだろう。


 ***


 あのときこう動けていたら、あと少しでも速く剣が抜けていたら、もっと冷静に対処できていれば。
 戦闘を終え、彰人が後悔や自己嫌悪を覚えたとき、その日の夢に高確率で現れる人物がふたりいる。ひとりは姉で、もうひとりは隣家に住んでいた彰人と同年の少女。彼女たちは彰人を鼓舞するように、そして冒険者になったきっかけや目標を思い出させるように、かつての思い出を再現してくる。

 夢に出てくる姉──絵名は、常に彰人よりも背が高かった。というよりも、彰人が縮んでいるといったほうが正確かもしれない。おそらく記憶に残っている絵名が数年前の、彰人が村を出るころの姿だからだろう。
 彼女は両手を腰に当て、普段の傍若無人さをどこへやったと言いたくなるような、優しい姉の顔をして笑う。

「──とりあえずさ、試しにやってみたらいいんじゃない?」

 夢の中の絵名はいつもこれを言う。
 昔、彰人は絵名とふたり──おつかいの帰りか遊びの最中かは忘れたが──モンスターに襲われたところを通りすがりの冒険者に助けられたことがある。それをきっかけに“冒険者”というジョブに興味をもった彰人に向かって、軽い調子で紡がれた言葉だった。
 このときの彰人は“とりあえず”なんて軽い気持ちで始めることに抵抗感を覚えて「そんな簡単に言うなよ」と反論した。けれど絵名は呆れたような顔をして、わざとらしくため息をついてみせた。

「あんたは考えすぎ。だって興味あるんでしょ? 向いてないって思ったら辞めたっていいんだしさ、それならやってみてから考えたほうがいいじゃん」

 このときの絵名との会話は、結果的に彰人の背中を押してくれた。こうして夢を見るとほんのり感謝の気持ちが湧いてくるけれど、それを本人に伝える気は全くない。伝えたら絶対調子に乗るに決まっているからだ。

 絵名と入れ替わるようにして彰人の前に現れるのは、小柄な少女。絵名と同じく村をでた当時の背格好をしていて、彰人も絵名のときから引き続き縮んだままだった。絵名と違って、彼女は彰人よりも少しだけ目線が低い。そのことに安心するようになったのはいつからだっただろう。
 胸の前で手を組んで、身体を縮める彼女の癖のせいで、ただでさえ小柄な身体がより小さく見えた。彼女の癖は夢の中でも健在である。
 対面するのが絵名のとき、背景は毎回バラバラなのに(単色だったり、森や家の中だったりする)、話し相手が彼女に変わった途端決まって村の中──それも、彰人と彼女の家の間に生えていた木の下に移動していた。
 隣に座る彼女に向かって、彰人はあれこれと冒険者に関する話をする。彰人と姉のことを助けてくれた冒険者の話、伝説級の冒険者ギルドを立ち上げたというKENの噂話、流れの吟遊詩人が語った英雄の冒険譚。
 彰人の話を聞いて、うんうん、と楽しげに相槌を打ち、それに合わせて頭が小さく動く。彰人は彼女のそんな様子を見るのが好きだった。
 幼馴染として親しくしていたものの、彼女は彰人とはまったく違うタイプなので、家が隣でなければ彰人は彼女と接点を持ったかどうかすら怪しい。今でさえ、まれに当時を振り返っては不思議に思うくらいだ。
 けれど幼い頃の、舌ったらずに「あきとくん」と呼びながら、ちょこちょこ彰人の後ろをついてきて自分のことを頼りにする彼女は、彰人の庇護欲を大いに刺激した。引っ込み思案で、彰人か絵名の後ろにいるのが常で、弱々しくておとなしい少女。
 成長するにつれ、彼女は彰人にも絵名にも遠慮を覗かせるようになったけれど、幼い頃に芽生えた“こいつはオレが守らなければ”という使命感のようなものは根強かった。
 だから彼女から彰人も冒険者になるのかと聞かれたときに頷いて、守ってやると言ったのだ。

「いつか強い冒険者になって、母さんと一応絵名と……ついでにお前のことも守ってやるよ」

 夢は、いつもここで終わる。
 そのため、彰人の宣言に対する彼女の反応は全くわからない。実際の彼女がどう反応したのかも、なぜか思い出せなかった。
 記憶にある彼女を参考にするなら、戸惑ったあとに礼を言ってきそうな気がするけれど──なにか、言われたような。


「──東雲くん」


「……!」

 終わるはずの夢が終わらないばかりか、いつのまにか何もない場所へ放り出されていた彰人は、自分を呼ぶ声に勢いよく振り返った。先ほどまで隣にいた幼馴染は、いつのまにか消えている。
 振り返った先にはフードつきのローブを着込み、手に杖のようなものを持った女が立っていた。わざわざフードを被って俯いているせいで彰人からは顔すら見えないが、なぜか彰人は彼女を幼馴染だと認識していた。
 まるで冒険者のような格好をしている彼女を見下ろしながら、東雲くん、の響きに懐かしさを覚えた。夢に見るのは彰人が彼女へ一方的に話をするところばかりで、彼女から呼びかけられることがないからだ。
 しかし、懐かしさとともに彼女が彰人を苗字で呼ぶようになったときのことまで記憶から引っ張り出され、モヤモヤしたものが胸のあたりにわだかまる。自業自得、と鼻で笑う姉の声まで聞こえた。幻聴だ。けれど、過去に実際言われた言葉でもあった。

 村を出るよりもさらに前。10歳前後まで彼女から彰人への呼びかけは、幼い頃から変わらず“彰人くん”だった。
 そのころの彰人は、彼女に呼ばれるたびにそわそわと落ち着かない気分になり、そんな自分に苛ついて「名前呼ぶな」と理不尽に言いつけたのだ。
 彼女は当然困惑していたけれど彰人へ理由を問うことはしなかったし、彰人の言いつけどおり呼ぶのをやめた。彰人を呼ぶときは「あ」で一度口を閉じ、「あのね」と言い直してから彰人の服を引く。彼女の弱々しい力と小さな手は余計に彰人を落ち着かなくさせたものだから、見ないふり聞かないふりでやり過ごすこともあった。
 眉尻を下げ、しょんぼりと肩を落とす彼女を見ると胸のあたりがざわついてチクチクするし、泣いていないか不安になる。その場に絵名がいるときは怒られるしでいいことなんて全くないのに、当時の彰人は自分で自分がコントロールできなかった。
 呆れた、と彰人に向かって呟いた絵名が落ち込む彼女を呼び、ひそひそ内緒話をしていたのは覚えている。なぜなら、その直後に「東雲くん」と呼ばれたからだ。
 彰人はこのとき呼ばれたのが自分だと認識した瞬間、驚くくらいショックを受けた。絶句して彼女を見つめ、“よかった、これなら大丈夫”と言いたげに笑った彼女にますますなにも言えなくなり、その後も意地が邪魔をして撤回できないまま村を出た。

 苦々しい記憶をため息で追い払い、目の前の幼馴染へと焦点を合わせる。彼女は相変わらず俯いたまま、手にした杖を力いっぱい握りしめていた。

「東雲くん、約束覚えてる?」
「……強くなったら帰る」
「ふふ。うん……それもあったね。でもね、そっちじゃないの」

 夢と言われればそれまでだが、なんだか様子がおかしい。

「こはね、お前」

 呼びかけた瞬間、彼女の身体がぐらりと揺れて彰人の方へ倒れ込んできた。咄嗟に受け止めた手にぬるりと嫌な感触が伝わってきて、ぎくりと身体がこわばる。無意識にぬめりの正体を確かめることを避けていたけれど、見下ろしたローブの背面がじわじわと赤黒く染まっていく光景からは逃げられなかった。今すぐ目を逸らしたいのに、目が、離れない。

「こは……」


「守ってくれるって、言ったのに」


「──っ!!」

 ガバッと上体を跳ね起こした彰人は、ズキリと腕に走る痛みに息を詰めながら蹲った。

「いっ……てえ……!!」

 痛みで荒くなる呼吸をそのままに周囲を見回すが、両手で受け止めたはずの幼馴染の姿はない。当然だ、今のは夢なのだから。
 ドッドッと嫌に速い心音を聞きながら、彰人は背中と額を伝う冷や汗に顔を歪めて手のひらを握りしめた。

「こはねは……あんな言い方しねえよな……」

 だからニセモノだと言い聞かせるように呟いて目を閉じる。血の滲むローブ、べったりと手のひらに付着する液体の感触をやけに鮮明に思い出してしまい、彰人は思わず舌打ちを漏らした。
 村を出るときに、強くなったら帰ると約束した。名が売れるまでは便りも控えようと決意していたけれど──今のを単なる夢として片付けてもいいのだろうか。彼女になにかあったのでは。せめて村の様子だけでも確認しておいたほうがいいのかもしれない。
 なかなか不安が拭えず、落ち着かない彰人の思考を遮るようにノックの音が聞こえた。

「──彰人、入ってもいいか?」
「……おう」

 ノックの主こと相棒へ返事をしてからベッドヘッドへ寄りかかる。
 時計を確認すれば既に朝食の時間だ。それを意識した途端、ズキズキと腕が痛みを強く訴えてきた。別のことで頭がいっぱいで痛みは意識の外へ追いやられていたけれど、昨日受けた傷は当然まだ治っていない。しかも勢いをつけて起き上がったときのダメージが今になって追い打ちをかけて来ているらしい。ズクン、ズクン、と重くなる痛みは熱まで持ち始めたようで、彰人は思わず裂傷の残る腕を押さえながら時間をかけて息を吐き出した。

「彰人が動けそうになければ朝食を持ってくるが……無理そうだな」
「あー…、動けなくはねえけどキツい。悪いけど頼んでいいか」
「わかった。報告ついでに俺もここで食べるがいいよな」
「もちろん……いや、報告ってなんだよ」

 彰人の了承を聞いただけで引っ込んだ冬弥に、彰人の疑問は届かない。
 一つ息を吐き出し簡単な身支度だけ整えると、彰人は時間をかけて室内にある小さなテーブルへ移動した。


「サンドイッチにしてもらったぞ」
「サンキュ」

 片手で食べやすいようにという気遣いが見える品揃えは素直に嬉しい。彰人の脳裏には未だに夢に見た不安がチラついていたが、今は食事に集中することにした。

「彰人、その傷はやはり治癒術士に()せたほうがよくないか? この街なら教会へ行けば確実にいるだろう」
「金がねえ」
「昨日の報酬は?」
「あれは装備に充てたいんだよ。オレのやつだいぶガタが来てるし」

 どうせだから、今よりもランクの高いものへ買い替えたい。時間経過で治る怪我の治療費に消えるよりは貯金だ。

「……それなら俺が」
「冬弥」

 言い出すだろうセリフの先を予想して視線で釘を刺す。
 冬弥も彰人が止めるのはわかっていたのだろう。「やはりか」と呟くと彼にしては珍しく、あからさまなため息をついた。

「…………仲間だからと言ったところで、お前は受け取らない」
「わかってんじゃねえか。心配しなくても、こんくらい平気だって」
「そうは言うが、彰人は治療が雑なんだ。昨日も応急処置だと傷口に直接回復薬を──」

 小言を言い始めた冬弥に口を挟むと数倍になって返ってくる可能性が高い。
 神妙な態度で沈黙を貫く彰人だったが、彼には小言を聞き流していることを察されたらしく再びため息をつかれた。

「診せる気がないのであれば、治るまでしばらく安静にしていてほしい」
「……わーったよ」

 無理をしたところで、確実に冬弥の足を引っ張ることになる。それは彰人にとっては許せないことだ。それなら数日おとなしくして回復を待つ方がいいだろう。

「んなことより、さっき言ってた報告は?」
「……そうだったな。別件の依頼が入ったから、しばらく空ける」
「それは構わねえけど、お前がソロで動くの珍しいな」
「いや、ソロ……ではないんだ。以前世話になった──彰人も会ったことがあるだろう? あの人に護衛の手伝いを頼まれたから王都まで行ってくる」

 わかった、と相槌を打ちながら、ぱっと脳裏に浮かんだ人物像と高笑いを消し去った。冬弥にとっては恩人らしいが、あまり関わりたくないタイプだった覚えがある。

「それとは別件だが、近ごろ一部の街や村で奇病が流行り始めているそうなんだ。なんでもその病に(かか)ると最終的には石像になってしまうらしい」
「は? なんだそれ。治療法は?」
「王都を中心に研究中だそうだ。進行を遅らせる薬は司先輩の友人……確か錬金術士だと言っていたか。その人が発明したらしいんだが、詳細はわからない」

 このあたりでは聞いたことのない症状だが、冬弥の話し方からするに情報源は例の恩人なのだろう。人脈が広いのか、それとも情報屋でも兼任しているのだろうか。

「奇病ね……」

 ふと血に染まる幼馴染の姿がよぎったが、さすがにあれが病によるものとは思えなかった。しかし石像化なんて呪いじみた病も勘弁してほしい。

「彰人?」
「……それ、どこで流行ってんのかわかるか? 一応、故郷のほうに広がってねえか気になる」
「司先輩が言うには……彰人、地図を──いや、すまない。俺が取ってくるから座ってろ」

 席を立とうとして痛みに顔を歪めた彰人を制し、冬弥は勝手知ったる動きで彰人の荷物から地図を取り出した。精度は低い安物だが、位置関係程度ならこれでも充分である。

「確か、この街を中心にした近辺一帯と……少し離れているが、こっちの村からも同じ症状がでたそうだ」

 冬弥が指し示す位置を眺めつつ、彰人は自身の故郷である村の場所にトンと指を置いた。冬弥が教えてくれた街々とはだいぶ離れているが、感染経路によっては絶対に安心とも言い難い。

「……装備の新調はしばらく延期だな」
「ん? 治療する気になったのか?」
「情報屋使う」

 驚いたらしく、冬弥がわずかに目を見開く。彰人はその珍しさに笑い、素早く正確な情報が欲しいのだと言いながら手をひらりと振って見せた。

「要は安心を買うようなもんだ」
「情報屋なら……」
「まさかお前のセンパイとやらを紹介するんじゃねえだろうな」
「司先輩本人ではないが、先輩から聞いたのは確かだ。“お手頃価格が売り”らしいぞ」

 腕も確かだというけれど、冬弥経由とはいえ、ほとんど面識のない相手の話をどこまで信用していいのかわからない。
 しかしゼロから自力で探すより時短になる。少しでも早く情報を得て安心したい彰人にとっては利が大きいように思う。
 とりあえず直接確認してから決めることにして、彰人は冬弥へ礼を伝えた。

「彰人、くれぐれも無理はするなよ」
「お前もな。護衛のやつ、長引きそうなら連絡してくれ」
「連絡……謙さんのところに預ければ確実だろうか」
「おう。それで頼むわ」

 食事の片付けをしたあと、そのまま護衛の手伝いへ向かうという冬弥を見送る。
 痛みがいくらかマシになっているのを確かめた彰人は、ここから情報屋がいるという店の場所までの距離を測った。
 ──この程度の移動なら無理をしたうちに入らないだろう。
 そんな彰人へ抗議するように、突き刺すような痛みが走る。彰人は肘の辺りを強く掴みつつ息を止め、大きな波が去ったあと細く長く息を吐くことで痛みを誤魔化した。

書きかけ他

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