Vischio

酔っ払いこはねちゃん編 after



 背後で閉まる扉が鳴らすベルの音に被さって、こはねの鼻歌が聞こえてくる。サビから始まったそれは、ついさっきふたりで一緒に歌ったやつだった。
 わかりやすい機嫌の良さに思わず笑うと、距離を詰めてきたこはねがオレの腕に抱きついた。
 珍しいとも言える積極的な行動には嬉しそうな笑顔までついてきて、抱きしめないようにこらえるのに苦労する。

「東雲くん、まっすぐ帰る?」
「ん? 寄りたいとこでもあんのか?」
「ふふ、だいじょうぶ」
(……酔ってんなあ)

 知ってたけど、さっきよりも若干呂律が怪しくなっていることに気づいて改めて顔色を確認する。体調に変化があったかもしれないと思ってみたが、特に心配はなさそうだ。

「お迎えありがとう」
「おー……でもちょっと早かったか?」
「ううん。東雲くんが来る前にもいっぱい歌えて楽しかったよ」

 ――微妙に会話が噛み合っていない気がする。いや、合ってるか?
 思考がまとまらないのは、こはねがじわじわと指先をオレの手の中に滑り込ませてくるからだ。握るなら握るでひとおもいにやってほしい。
 オレから行動してしまうのは惜しい気もしたが、くすぐったさには耐えきれなくて、こはねの指先が動かないように捕まえる。こはねは諦め悪く指先をもぞもぞさせて(だからくすぐってえ)オレを呼ぶから、一度立ち止まってから手を離した。

「なんだよ」
「もっとぎゅってしたいの」

 こはねは両手を使い、緩んだオレの指に自分の指を絡ませる。いわゆる恋人つなぎにおさまったことに満足したのか、一度ぎゅうっと力を入れてから顔を上げてにっこり笑った。

「これでだいじょうぶ」

 一瞬息を止めたことで、ぐっと喉が詰まる。
 こはねの酒癖を把握するほどこいつが酔うところを見てないが、これは明らかに酒の力だろう。オレの理性によくないとか、迎えに来て正解だったとか、やっぱり今すぐ抱きしめたいとか――一気に脳内がうるさくなる。こんなことなら、酔うのは家の中だけにしておいてほしい。

「東雲くん」

 ゆらゆらと繋いだ手を揺らされてこはねに焦点をあわせたら、内緒話をするときのように口元に手のひらが添えられている。あのね、と続いた言葉は実際小声で、急にどうしたんだと思いながらこはねに合わせて屈んだ。

「だいすきだよ」

 えへへ、なんて呑気に笑ってるが、こっちは忍耐力を試されている気分だった。
 こはねのそれはただでさえ破壊力があるのに、舌の回ってない辿々しさと、声からにじむ甘ったるさが合わさって本当にやばい。

「……こはね、寄り道してこうぜ」
「うん。どこにいくの?」
「人目につかないとこ」
「ん? え…?」

 理解が追いついてないのか、戸惑うこはねの手を引いて路地裏の方へ入り込む。路上からは見えない位置で立ち止まり、繋がっている手を強く引っ張った。
 胸に飛び込んできたこはねを受け止めてそのまま抱きしめると、ゆるく息を吐いて応えるように抱き返してくれるのが嬉しい。

「ふふ。東雲くんドキドキしてるね」
「……そういうのは言わなくていいんだよ」 

 こはねは小さく笑いながら頭を押し付けてくる。もっと聞きたいとでも言うように耳を澄ませているのがわかって、心臓を落ち着かせたいオレの願いはしばらく叶えられそうもなかった。

「今日ね、東雲くんみたいなお酒飲んだの」
「オレみたいって意味わかんねえけど……それ絶対強いやつだろ」
「そうだったかなあ。オレンジ色と黄色でね、甘くて美味しかったよ。甘いところもだけど、ぽかぽかしてくるところとか、ふわふわする感じが似てるなあって」

 オレと似ているらしいところを懸命に挙げてくれてるが、にこにこ嬉しそうに説明するこはねが可愛いってことしかわからない。

「気に入ったのか?」
「うん。東雲くんみたいだから……あれ? これさっきも言ったのに」
「初耳だわ」
「言ったもん」

 間違いなく初めて聞いたが、酔っぱらいの言葉はあまり真に受けないほうがよさそうだ。オレみたいだから気に入った、って部分だけ覚えておいて、酔いがさめた後のこはねをからかおうと決めた。

「また飲みたい」
「今度な。あと飲むなら家で飲んでくれ」

 酔いが回ってきているのか、こはねはほとんどオレに寄りかかっている。これ、まだ歩けるんだろうか。
 いっそのこと、背負って帰ることも視野に入れたほうがいいかもしれない。
 こはねを支え直して声をかけようとしたら、すっと伸びてきた手に頬を包まれた。

「こはね?」
「……東雲くん、」

 じっと見上げられたが、続きが出てくる前に唇が閉じられる。こはねの手はオレの頬から離れ、一度空中で止まってから肩に落ち着いた。躊躇うように目を泳がせるのを見つめているうちに、目元の赤が少しずつ濃くなっていく――これは、酔いのせいだけじゃないはずだ。
 瞬きを繰り返しながら、オレの服を握りしめたこはねがきゅっと唇を引き結ぶ。そうして少し時間を置いてから、もう一度目を合わせてきた。

「あの、ね……キス、しても、」

 言い切るまで待てばよかったと気づいたのは、こはねの口を塞いだあとだった。
 ぴくりと身体を跳ねさせたのを触れ合わせた唇から感じ取る。こはねの後頭部に手を添えながら角度を変えると、強めに服を握られた。

「んっ……」

 こはねが漏らす声に被せ、ちゅ、と音を鳴らす。何度も柔く食んで吸ってを繰り返す合間に舌を這わせていると、こはねが吐息とともに唇を開いた。
 こぼれる喘ぎごと飲み込んで、差し込んだ舌でこはねのそれを絡めとる。強く吸い付けば、口内で水音が響いて漏れ聞こえる声の甘さが増した。
 それを聞くとぞくりと背筋が震えるし、興奮して身体は熱くなる。こはねの舌先に微かに残るアルコールの香りと味で、こっちまで酔いそうだ。

(……甘)
「ふ、ぅ……ん、んん」

 口内の熱さと絡む舌の柔らかさが気持ちよくて夢中になっているうちに、こはねは腰が抜けたようだった。
 かくりと膝を折って崩れそうになる身体を慌てて支える。見下ろしたこはねは、息を切らせて目をとろんとさせていた。

「はっ、はぁ……」
「こはね、」
「……ぁ、……東雲く、もっと……」

 これ以上したら止まれなくなりそうだとわかっていても、好きな女からとろけた瞳でおねだりされて抗えるヤツがいたらお目にかかりたい。
 もう手遅れな気がしなくもないが、がっつき過ぎないようにと自分に言い聞かせながら口づける。ゆっくり口内をなぞると、ぴくぴく身体を震わせるのがかわいい。舌を絡ませれば震えが大きくなって、縋るようにぎゅっと手を握るところも。

「――……こはね。オレ、家まで待てそうにねえんだけど」

 すっかりオレに寄りかかっている状態のこはねを抱きしめながら言えば、腕の中の身体が跳ねる。
 こはねはしばらく無言のまま、どう答えるかを散々迷ってから、ちろりと視線を上げた。

「……よりみち、する?」

 こはねの返事を聞いて、思わず抱きしめる腕に力が入ってしまう。目元にキスをすれば、照れくさそうに笑ったこはねから、お返しとばかりに頬に口づけられた。

「泊まりにしねえ?」
「う、ん……、うん。明日、お休みだもんね」

 頷いてオレの肩に顔を伏せるこはねは、だいぶ酔いが薄れているように見える――そうだったらいいけど。
 酔ってるこはねも可愛いが、抱くならやっぱりいつものこはねがいい。
 オレの錯覚じゃないことを願いながら、ふらついてよろけるこはねの腰に腕を回した。

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