Vischio

曖昧THINKING



 カチャ、と微かに聞こえた音につられて東雲くんの手元を見る。コーヒーカップとソーサー、ティースプーンが触れ合った音だった。
 カップの中身がからっぽになっているのを発見して、この後おかわりをするんだろうなと思う。だって青柳くんの到着予定時間はもう少し先で、お店に入ったときに東雲くんが注文していたパンケーキもまだ来てないから。
 おかわりするなら、私が飲んでるメイコさんの特製カフェラテはどうかな。さっきは東雲くんも美味しいって言ってくれてたし……と思ったけど、パンケーキに合わせるには甘すぎるかもしれない。

「こはね」
「はっ、はい!」

 おすすめに提案しようか迷っていたら、唐突に呼ばれて背筋が伸びる。東雲くんはびっくりした顔で数回瞬きをしてから、ふっと柔らかく笑った。
 なんだろう……なんだか、ドキドキする。

「……なあに?」
「いや、ボケーっとしてっから。大丈夫かよ」
「う、東雲くんコーヒーおかわりするのかなって。おかわりなら私とおなじのはどうかなって考えてたの」
「……お前よっぽど気に入ったんだなそれ。美味いもんな」

 笑いながら言う東雲くんに頷きを返しながら、少しの引っかかりを覚えてモヤモヤしてしまう。東雲くんの言うとおり、美味しくて気に入ったからおすすめしたいと思ったはずなのに。なぜかそれだけじゃ足りないような、不思議な感じがした。



「――彰人くん、おまちどおさま」
「ありがとうございます」

 ふんわり漂ってくる美味しそうな匂いと一緒に、メイコさんとルカさんがやってきた。
 東雲くんの前に置かれたお皿からは甘い匂いがする。
 ふわふわしたパンケーキに添えられたホイップクリームと、山盛りのバニラアイス。アイスクリームとパンケーキにはメープルシロップがかかっていて、とっても美味しそう。

「あれ、メイコさん。いつもはアイスなかった気がしますけど」
「目を離した隙にカイトが乗せちゃったのよ。せっかくだし、溶けないうちにどうぞ」

 カトラリーの入った細長い籠を置きながらメイコさんが微笑む。大サービスだからね、と悪戯っぽく付け足すメイコさんに東雲くんも嬉しそうにお礼を言っていて、それを見ていたら私まで嬉しくなってしまった。

「こはねちゃん、なんだかご機嫌だね」

 ひょいと視界に入ってきたルカさんにびっくりしたものの、今の気持ちは“機嫌がいい”に当てはまっていると思ったから頷いた。
 ルカさんは笑顔で優しく私の頭を撫でると(ちょっと照れくさい)、東雲くんに向かって持っていたコーヒーポットを掲げた。

「彰人くん、コーヒーのおかわりはどう?」
「いただきます……つーか、ルカさんが手伝ってるの珍しいっすね」

 ソーサーごとカップを移動させて、東雲くんが首をかしげる。ソーサーから離れた手がカトラリーの籠に触れてカチャカチャ音を立てるのを聞きながら、私は肩をすくめるメイコさんと胸を張るルカさんの姿を見上げた。

「コーヒーはおまけ! 私、彰人くんにおねだりしに来たんだよね」
「……は?」
「それ、アイス付きはレアだって言うじゃん。だから一口もらおうと思ってさ」
「あー……そういう。どーぞ」

 にこにこ笑顔のルカさんが指差す先には、ふわふわのパンケーキ。東雲くんは一瞬だけ動きを止めると、苦笑しながらカトラリーの籠とお皿をルカさんの方へ押し出した。

「やった! ありがとー!」

 ふたりのやりとりは微笑ましいものだと思うのに、なんだか――苦しい、ような……
 胸の辺りに違和感があるのが不思議で、ぎゅっと服を握りしめてみたけれど、あまり変わらなかった。

「ルカ、あまり邪魔しないようにね」
「わかってるって。リンとカイトからも分けてもらわないとだし、すぐ戻るよ」
「……まったく」

 隣のテーブルからいそいそと椅子を持ち出してくるルカさんに、メイコさんが溜め息をついてコーヒーポットを回収していく。それをぼんやり見ていたら、トントンとテーブルを叩く音がしてハッとした。
 ぼやけていた視界は自然と音のした方に引き寄せられて、勝手に瞬きが多くなる。東雲くんと目が合うとドキッと心臓が跳ねて、さっきとは違う感覚で服を握ることになった。

「で、今度はなに考えてたんだ?」
「ううん、なにも。ぼうっとしてただけだよ」
「ふーん……」

 本当なのに、東雲くんは納得してないみたい。
 じいっと見られているのが落ち着かなくて、メイコさん特製のカフェラテを飲み込んだ。

「ごちそうさま! 美味しかったー」
「よかったっすね」
「これ、こはねちゃんも好きそうな味だったからさ、わけてもらったらどうかな」
「へ!?」
「アイスけっこう溶けてるし、早めに食べたほうがいいと思うよ」
「そうします」

 突然振られた話題に戸惑っているうちに、ルカさんは席を立ち上機嫌に去っていく。後ろ姿を追いかけると鼻歌混じりにフォークを揺らしているのが見えて、それをいち早く察知したミクちゃんに叱られていた。

「こはね」

 呼ばれて反射的に座り直しながら視線も戻す。
 どうしたの、と聞くつもりだったのに、目の前にはパンケーキが刺さったフォークが差し出されていて、頭の中はハテナマークでいっぱいになった。

「ほら」
「え…?」
「さっきのおかえし。一口やるよ」

 落ちるぞ、と付け足されて思わずパンケーキに焦点を合わせれば、アイスクリームに加えてホイップクリームも乗っている。東雲くんの言うとおり今にも零れ落ちそうだったから慌ててかじりついた。だけど東雲くんが切り取ってくれたパンケーキは私のひと口より大きくて、半分以上を残してしまった。

「おま…お前……」
「ん、む…」

 急いで両手で口を覆って、きちんと飲み込む途中で東雲くんが赤くなっていることに気づく。それから、自分が取った行動も。
 直接食べさせてもらうなんて、さすがに家でも学校でもやらないのに――どうして、東雲くんにしてしまったんだろう。
 せっかくのパンケーキを味わいたくても、もう味がわからなくなってしまった。恥ずかしい。

「……こはね、まだ残ってる」
「えっ」

 恥ずかしさよりも東雲くんの言葉が衝撃的で、思わず顔を上げてしまった。東雲くんはさっきと違って、とても楽しそうというか――

「ほら」
「し、東雲くん?」
「あーん」

 見間違いでもなんでもなく、東雲くんはとっても楽しそうだった。いつもならそんな東雲くんを見ると胸の辺りが温かくなるけれど、今はドキドキが大きくてそれどころじゃない。
 さすがに恥ずかしいからとフォークを受け取ろうとしたのに、あっさり避けられたうえに東雲くんの片手で両手を押さえられて逃げ場は消えた。
 びっくりしすぎて言葉が出てこなくて、視線で離してほしいと訴えることになったけれど、東雲くんからは笑顔が返ってきただけだった。
 ――東雲くんの差し出すパンケーキを食べきるまで、私は三口分の「あーん」を受けることになりました。




「……アイス溶けちゃったでしょう」
「まあ、溶けてても美味いよ。もっと食うか?」
「もっ、もうごちそうさま!」

 首を振って断る私を見て東雲くんが笑う。私は顔が熱くてしかたないのに。本当なら、今すぐ杏ちゃんのところまで逃げてしまいたかった。だけど東雲くんがまだ食べてる途中だったから、席を立てずにいる。
 そっと盗み見たつもりだったのに、ちょうど東雲くんもこっちを見ていたようで目が合った。不意に柔らかく微笑まれたことにドキッとして、気づけばまた胸元を握っていた。
 この感覚ってなんなんだろう。そわそわして落ち着かなくて、でも嬉しいような不思議な感じ。

(……東雲くんに聞いてみてもいいかな)

 あとで杏ちゃんと青柳くんにも同じことを聞いてみるつもりで投げた質問だったけど、東雲くんがぴたりと動かなくなってしまって戸惑う。
 少しずつ赤くなっていく東雲くんにびっくりして目が離せないでいたら、言おうか迷っているみたいに口元が覆われた。

「――お前が言ってる感覚ってやつはオレにもわかる。けど、自分で気づいてほしいっつーか……」
「東雲くんもあるんだね」
「今まさに感じてるとこだわ……いいか、こはね。これだけは言っとくぞ。オレは、お前といるときだけ、そういうのがあるんだからな」

 東雲くんの言葉で、また心臓が跳ねる。
 私といるときだけ――言われたことを繰り返すと、より大きく動き始めるのがわかった。

「……私も、東雲くんといるときだけかも」
「お前そこまで気づいてて……あー、まあ、いいか。いくらでも待つから、しっかり答え出してくれ」

 苦笑する東雲くんに頷くと、笑顔の雰囲気が柔らかくなる。それをずっと見ていたいと思いながら、私は答えを探るように胸元を握りしめた。

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