Vischio

ある夏の一幕 前日譚①



 久々に四人全員がWEEKEND GARAGEに集合した日。臨海学校の土産だとこはねから菓子折りを受け取った彰人は、彼女の存在を確かめるようにその手を掴んだ。
 驚いたのか、鳴き声のようなものを発したこはねが反射的に手を丸める。彼女の手のひらに触れていた自分の指先が巻き込まれて握られるのを、彰人はどこか他人事のように見ていた。
 こはねが慌てて力を緩め、引っ込めようとするのを逆に捕まえる。丸まっていた指に自分のを絡めて伸ばさせると、ひえっ、とまた鳴き声のようなものが聞こえた。

「し、東雲くん、ゆび……」
「お前縮んだ?」

 彰人よりも細くて白い指は元からだが、大きさはこんなものだっただろうか。会わなかった期間――たった数日だ――を思えば変化が起こるはずもないのに、そんな風に感じるのは久々に触れる気がするからか。
 親指で手の甲をなぞる途中で、それを咎めるようにこはねが彰人の指先を握りしめた。

「ち、縮んでないよ……」

 か細い声に惹かれてこはねの顔を見れば、涼しい店内とは思えないくらい赤い。彰人は自身の行動と今の状態を振り返り、慌てて彼女の手を解放した。

「……わりぃ」
「ううん! 嫌じゃないから……あの、ま、また、あとで」
「…………おう」

 彰人が握っていた手を胸元へ寄せ、小さな声で付け足されるこはねの言葉で心臓が跳ねる。じわりと熱を持った耳を摘まみながら視線を泳がせれば、店内にいる客の何人かと目が合ってサッと逸らされた。

「見せもんじゃねえぞ……」
「ちょっとー、うちのお客さん威嚇するのやめてよね。だいたい彰人が悪いんじゃん」
「もっと言ってやって杏ちゃん!」

 配膳しながら文句を言い始めた杏に、ここぞとばかりに常連客が便乗してくる。それらを右から左へ聞き流している間に、こはねは冬弥にも土産を渡し終えたようだった。
 身軽になったこはねが杏を気にするそぶりを見せる。練習の開始時間まで手伝いでも申し出そうな雰囲気を察して、彰人は思わずこはねの腕を掴んだ。

「ひゃ!?」
「10分抜ける」

 言いながら冬弥を見れば、全て察したと言いたげな穏やかな表情で微笑まれる。無言で軽い頷きを返され、気恥ずかしさから思わず悪態をつきそうになったが、どうにか堪えた。

「白石、アイスコーヒーをもう一杯頼む」
「オッケー、ちょっと待ってね。冬弥だけ? こはねと彰人はー?」
「いや、ふたりの分はまだいい」
「なんで冬弥が答えんの……あ、ちょっと彰人!」
「え、あの…東雲くん?」

 戸惑うこはねの手を引いて店を出る。背中に投げられる冷やかすような口笛にはイラっとしたが、反応すると余計にからかわれるのがわかっていたから聞こえない振りをした。
 ドアをくぐった途端、身体にまとわりつくような暑さが襲ってくる。日陰を選んで移動して、ひと気のない路地裏からセカイへと場所を移した。



「やっぱり、こっちは過ごしやすいね」

 こはねに何も言わないまま、チームメイトしか来られない場所へ連れ去る彰人の行動は強引でしかなかったと思うが、彼女は彰人を咎めもせず、のんきに笑っていた。

「……オレが言うのもなんだけど、お前もっと抵抗したほうがいいんじゃねえの」

 向かい合って言えば、こはねはきょとんとした顔で数回瞬き、繋いだままの手を揺らして「うん」と嬉しそうに表情を和らげた。

「いや、うん、じゃねえだろ」
「嫌だなって思ったときはちゃんと言うよ」

 暗に嫌じゃないのだと告げられたうえ、彼女のまとう雰囲気や声、仕草が彰人に嬉しさを伝えてくる。
 たまらずにこはねを引き寄せて腕を回せば、勢い負けしたこはねが彰人の肩に額をぶつけて声を詰まらせた。
 つい笑ってしまったが、原因は彰人だ。衝動に任せて力いっぱい抱きしめそうになるのを我慢して名を呼ぶと、身じろいだ彼女が彰人のシャツを掴む。一瞬だけ迷うそぶりを見せた後で、すり、と頭をこすりつけてくる動きに煽られて心臓が大きく跳ねた。
 勢いで潰してしまわないように、こはねを抱きしめる腕にゆっくり力をこめていく。
 密着感が増すにつれ、シャツを掴んでいたこはねの手が躊躇いがちに彰人の背中をさまよい始める。落ち着く位置を探すような指先の感触がくすぐったくて、嬉しかった。

 夏服は生地が薄い。抱いた肩や腰からそれを実感する。彰人にはない柔らかさは心地よく、“もっと触れたい”という欲求を掻き立てる。ふとした瞬間に暴走してしまいそうなほどに。
 ――躾のなってない犬。
 冬弥とチーム名を決めるときに交わした会話が脳裏に浮かんで、自嘲めいた笑いがこぼれた。

「……こはね」
「ん……?」
「そのうち、オレに全部くれ」
「うん」

 即答されたのが意外でこはねを覗き込めば、どこかぽやっとした雰囲気で、意味を理解していないのは明白だった。それなのに、了承されたことへの嬉しさが抑えきれない。

「……わかってねーのに返事すんな」

 文句じみた言葉とともに、彰人はこはねをより強く抱きしめる。苦しいよ、と言葉では言いながらも、笑い混じりで楽しげな声はちっとも苦しそうじゃない。とはいえ、そろそろ解放してやるべきかと力を弱めれば、こはねの方が彰人に寄りかかってきた。
 ――なら、まだいいか。
 彰人は力を込めなおし、こはねを放すという選択肢を遠くへ追いやる。夏の暑さが反映されていないセカイの適温は、こういうときにもありがたいと思う。拒絶されないのをいいことに、彰人は時間いっぱいまでこはねを抱きしめたまま過ごした。

 WEEKEND GARAGEに戻れば、店を出たときと同じように冷やかしでも飛んでくるかと思ったが、彰人の予想は外れた。微笑ましいものを見守るような視線は送られたものの(それはそれで鬱陶しいが)、特に声はかけられることなく冬弥のいる席まで辿り着く。
 おかえり、と律儀に言ってくる相棒に頷きを返すと、ちょうど手が空いたらしい杏が寄ってきた。

「――こはねのためだからね」

 じとりと彰人を睨みつけながら言われたことで、常連客からの冷やかしが飛んでこなかった理由を察する。彰人たちが出ていくときの様子を見て、こはねをからかうなと釘でも刺したのだろう。
 反応を返すよりも先に、杏は彰人の後ろ――こはねに寄り添い、彼女を覗き込むように身をかがめた。

「こはね、大丈夫?」
「……え?」
「なんかぼーっとしてる。暑さにやられちゃってない? ちょっと彰人、」
「あの、違うよ、杏ちゃん。えっとね、東雲くんは男の子なんだなって……思って、て……」

 そこで一気に顔を赤くするこはねに、なに当たり前のこと言ってんだ、と突っ込もうとした言葉が喉に引っかかった。照れた彼女が頬を押さえながら俯いて「ごめんね」と付け足す姿に、彰人の心臓がドッと大きく動いた。

「へ? あ、うん? そっか」

 こはねにつられたのか、杏まで照れながらよくわからない相槌を打ち、こはねの背中をぽんぽん叩く。
 なんで今赤くなったんだ――聞きたいが、聞いたら藪蛇になりそうな予感がする。
 完全に声をかけるタイミングを失くした彰人は、ふたりのやりとりを見なかったことにして冬弥の前の席に腰を下ろし、そのまま突っ伏したくなるのをこらえた。

「……冬弥」
「ん?」
「それ、水、もらっていいか」
「構わないが、もうそんなに冷たくないぞ」
「いい」

 目の前に差し出されたグラスを掴み、中身を一気に煽る。やけに渇いていた喉が少しマシになったのを実感しながら、ゆっくり息を吐いた。
 ――こはねが可愛すぎて困る。
 理不尽に文句を言いたくなる衝動を逃していると、前方から微かに笑い声が聞こえた。視線を上げれば、「すまない」と言いながらも笑ったままの冬弥に眉根が寄る。

「なんだよ」
「いや、声に出ていた」
「…………は?」
「小豆沢も座ったらどうだ?」

 冬弥が彰人との間にある椅子を引きながら、彰人の頭上の辺りへ視線をやる。

「は!?」

 勢い良く身体をひねって振り返ると、バッグを両腕に抱えたこはねが気まずそうに立っていた。赤い顔は杏と話していたときから継続しっぱなしなのか、今のでまた染まったのかわからないが、つられるから勘弁してほしい。

「あの、私、ミクちゃんたちにもお土産渡してくるから、先に行ってるね」

 引き止める間もなく反転したこはねは、カウンターのほう――杏の父へぺこりと頭を下げてから杏に手を振って去っていく。
 こはねが居なくなった途端に集まってくる視線も、もの言いたげな杏の目も全部意識の外へ追いやって、今度こそ彰人はテーブルに突っ伏した。





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