Vischio

ねこまっしぐら

上帝門にある宿の一室で、アオトは窓から外を眺めていた。
自分の本来の故郷だと知ってはいるけれど、ここで生活していた記憶がおぼろげ過ぎて懐かしさは感じない。
──架種上帝門──自分の真名に含まれているのになんとも薄情だなと他人事のように思った。

「じゃあアオト君、これと、これと…あと別の店で申し訳ないけれど、」

後ろで買い物メモを作っていた五条は申し訳ないと言いながら店の場所の地図を書き足す。どうやらその店でしか買えないらしい。
完成した一覧を流し見て、結構な量になりそうだと顔がひきつった。
じゃんけんで負けたとはいえ、数分前の自分を恨みたい。

「先生…ここぞとばかりに書きこんでねぇ?」
「アオト君なら大丈夫さ。僕はちょっとカテナに用があるから研究所の方へ行ってるよ、昼は向こうで取ってくるから僕の分は心配しなくていい」
「…わかった。サキ達は?」
「彼女達なら少し前に揃って出かけたよ。前に来たときはあちこち見て周る余裕もなかったからね」

ウィンドウショッピングにでも行ったんだろうというのが五条の予想らしい。
ふと不安がよぎったが、4人一緒に行動しているなら大丈夫だろう。

宿のカウンターで出かけてくる旨を告げ、外にでた。
──今日もいい天気だ。

途中で刻の輪研究所方面へ向かう五条と別れ、店を回る。
片手だけではきつくなってきたころ、桃色のスモック姿が視界の端を掠めた。

「サキ!?」

思わず大声で呼んだのはサキがひとりに見えたからだ。
だが振り返った先に相手の姿はない。

(気のせいか…?)

大きな声のせいで注目を集めてしまったのが少し恥ずかしいと思いながらも、アオトは念のためにとサキが消えた場所へ近づいた。

やはり見間違いだったらしい。
自分の勘違いならそれでいいかと安堵した途端、肩を叩かれた。

「うわっ!?」
「ちょ、ちょっと、ココナだよ!」
「…ココナか…おどかすなよ…」
「そっちが勝手に驚いたんじゃん!…って今はそんなことどうでもいいの!サキがいなくなっちゃったんだ!」
「な、どういうことだよ!?」

ココナに掴みかかりそうな勢いで詰め寄ると、彼女は困りきった表情でうな垂れた。

「ココナもわかんないよ…途中までは一緒に買い物してたんだ。でも気づいたらサキだけ居なくて…」

──やっぱり本人だったのか?
返事をしなかったのは気づかなかったからか、それとも故意か。
いずれにせよなるべく早くサキを見つけたい。

「…他の2人は?」
「もしかしたら宿の方に帰ってるかもと思ってそっちに行ってもらってる」
「わかった、俺も捜すからココナは2人に宿で待機するように連絡してくれ」
「先生は?」
「そっちは俺から連絡入れる…っと、これ頼む!」
「重っ、ちょ、アオト!!」

ココナに買出し荷物を押し付けて、アオトはテレモを探しに中央通りを目指して走り出した。

アオトは走りながら周りを見回し、近くの公衆テレモに駆け込んだ。
五条が持つテレモに直接かけてみたが繋がらない。研究話にでも没頭しているのだろうか。

「ッ…頼むよ先生…!」

繋がらない通信を乱暴に切り、研究所の番号を──押そうとしてピタリと止まる。番号を覚えていない。
焦るのはよくないとわかっているのに落ち着けない、嫌な考えばかりが浮かんでは消えていく。

アルキア研究所もクラスタニアもサキを狙うことはもうない。
だが危険はそれだけとは限らない。
ふわふわして人を信じやすいサキが路地裏にでも迷い込みでもしたらと思うと気が気でない。
カツ上げとか。ナンパとか。

──とりあえず、相手はぶん殴る。

想像にイラついたアオトは勢いに任せて壁を殴りつけた。

「…あった…」

殴った部分のすぐ傍に貼ってある今にも剥がれそうなチラシ。
事務員募集の文字はだいぶ色あせているが、連絡先の上部に“刻の輪研究所”の文字が読み取れた。
すぐさま番号をプッシュしたアオトは五条を呼び出し事情を説明したものの、激昂しすぎていて通話回線越しに五条に宥められることになった。

『わかった、もちろん僕も協力するよ。…え?ああ。アオト君、切るのはちょっと待って…猫?』
「先生?」

五条の近くにカテナもいるらしい。
アオトを引き止めた五条はなにやら話しており、アオトはそわそわしながらそれを待っていた。

『こら、カテナ、ちょ、』
『もしもし、アオト君?カテナです。サキさんの居場所だけどね、もしかしたら──』

いるかもしれない、と告げられたのは先ほど五条が地図で示した場所の近くだ。

『見つかったら五条のテレモに連絡して。あ、やっぱり見つからなくても連絡よろしく!こっちは別の場所中心に回るからね』

疑問を挟む間もなく捲くし立てるように言われ、通話は一方的に切れた。

(考えるより動いたほうがはえぇ!)

一瞬躊躇したアオトはそう割り切って、地図の場所に向かうことにした。
宿からの道案内になっている地図は少しわかりづらく、道行く人を捕まえて尋ねる。

目的の場所へ向かう通路の一本向こうは、サキを見失った場所だった。

息を切らして路地を走りぬける。
カテナから聞いた場所は袋小路になっていて、たくさんの木箱が積まれていた。
これではサキがいたとしてもすぐに見つけられない。

「サキ、いないのか?」

何度も呼びかけるが、返ってくる声はない。
代わりとでも言うように、にゃあ、と猫が鳴いた。

「サキ!」
「にー」
「……お前じゃねぇって……つーか…やたら多いな…サキー、いるなら返事してくれ」

木箱を持ち上げ、避けるたびあちこちから猫が出てくる。
人に馴れているのか逃げるそぶりもなく、まるでからかうようにアオトの周りを猫がかこんだ。
やはりいないのだろうか。
諦めて踵を返そうとしたアオトの頭に猫が飛び乗る。

「っ、おい!」

頭上の猫を掴み上げようとしたアオトの胸に、別の猫が体当たりをかました。

「ちょ!?」

足元には数匹の猫がいて、避けようと無理に身体をひねる。
そこへさらなる追撃を受け、アオトはなすすべもなく木箱の山に突っこんだ。

派手な音を響かせながら、崩れ、ぶつかり、身体に角がめり込む。
アオトの体重を支えきれず壊れる物もあり、アオトは木箱の欠片に埋められた。

「……い…ってぇ~~~~!!」
「だ、大丈夫ですか!?」
「サキ!?」

欠片に重さはあまりなく、頑丈なアオトは呻きながら身を起こす。
が、自身の前に現れた姿に我が目を疑った。
逃がさないようにと反射的に手首を掴む。
アオトの動きに対し、サキは目に見えてホッとして小さな声で謳い始めた。

「……痛いところありませんか?」
「あ、ああ。サンキュ…」

サキの詩で回復したアオトは礼を言いながら様子を伺う。
突然失踪したとは思えないほどいつもどおりのサキだった。

「サキ、なんでこんなとこにいるんだよ。みんな心配して──」
「ごめんなさいっ!」
「──へ?」

勢いよく頭を下げたサキは正座になっていて、気圧されたアオトは出鼻をくじかれた。

「あの、その、フィルちゃんたちとお買い物をしていたら、猫さんたちのケンカを見かけて…よく考えずに追いかけて…気づいたら迷子になってました……」
「……俺が呼んだときは追いかけっこ中だったってことか」
「ア、アオトさん、サキのこと呼んでくれたんですか?」
「さっきも嫌ってほど呼びまくってたけど?」
「う…、ご、ごめんなさい…お昼寝、しちゃってました……」

沈んで浮いて沈んでとサキの表情変化は目まぐるしい。
最後のほうは理由のせいか、消えそうなくらい小さな声になっていた。

はあ、と大きく息を吐き出したアオトは、掴んだままになっている手を引いた。
よろけて近づいてくるサキの額を指で弾く。

「!!?い、痛いです…!」
「ったり前だろ。心配かけた罰だ。ただでさえ危なっかしいんだからひとりでフラフラ行動するな。あと猫追っかけるときは一言おいてくこと、それから俺も一緒のとき限定にすること」
「…………はい」

涙目になったサキは額を押さえたまま、アオトの言葉を受けてふにゃりと笑った。

「…なんで嬉しそうなんだよ」
「幸せだからです」
「痛いのが?」
「ち、違いますよ!アオトさんがサキのために怒ってくれることがです!」

──ったく、しょうがねぇ。

毒気を抜かれたアオトは苦笑し、サキを見つめる。

「ちゃんと反省してんのか?」
「は、はいっ、もちろんです!」
「じゃ、復唱してみな」
「え、えっと、ひとりで行動しない、猫さんを追いかけるときはちゃんと言う、アオトさんと一緒のときだけにする……です、よ、ね?」
「足らねぇな」
「え、足りませんか!?」

うんうん唸るサキをひとしきり見て満足したアオトは、本当は合っていたと告げようとしたが、ギブアップしたサキのほうが早かった。

「ご、ごめんなさい……教えてください」
「…そうだな、じゃあ追っかけるときは手を繋ぐ。はい」
「はい、猫さんを追いかけるときは手を繋ぎます!……………………。アオトさん、それ、ありませんでしたよね?」
「ばれたか」
「…でも、サキはアオトさんと手を繋ぐの好きですから、守ります」

にこにこしながらそう言われてしまい、照れさせるつもりだったアオトの方が照れた。
誤魔化すように立ち上がり、懐にしまっていた買い物メモをサキに押し付ける。

「アオトさん?」
「……先生に連絡入れねぇとな。サキは俺の買い出しに付き合うこと」
「わぁ、たくさんありますね。サキ、こう見えても力持ちですから任せてください」

どん、と自分の胸を叩いたサキの手をとり、中央通りに戻るべく足を向ける。
後ろを振り返り猫に手を振るサキを見て、アオトは心底安心している自分に気づいた。

──無事でよかった。

確かめるように自分よりも小さな手を握れば、応えるように握り返された。

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