Vischio

勇気をもらえた

クローシェ様が民衆の前に立つ。
既に演説広場には人が集まり、警備のために騎士隊も大勢借り出されている。
ここからでは確かめることができないけれど、街にあるテレモの周りにも人がたくさん集まっているのだろう。

演説台へと続く通路で佇みながらクローシェ様の様子を伺い見た。
部屋から出てきたときは硬く強張っていた表情も、仲間と会話するうちにほぐれてきたようだ。
隊長に頭を撫でられ(セットが崩れた、とルカが慌てて櫛を取り出した)ルカと笑い合い、アマリエや瞬、ジャクリとも言葉を交わしているのを見守る。

「なんかクロのほうが緊張で倒れちゃいそうだね」
「……そう見えるか?」
「うん。ここんとこがギューって寄っちゃってるし」

横から覗き込んできたココナが自分自身の眉間を指でつつきながら、指摘する。

「駄目だな、これじゃ」

苦笑しながら肩を竦めてみせると、ココナは「そうだよ」と言いながら拳を当ててきた。
ポス、と腕に当てられた拳がそのまま止まる。

「一番緊張してて怖いと思ってるのはクローシェ様なんだから、クロはしっかりしないと駄目じゃん!」

ココナの言うとおりだ。
そう相槌を打つ間もなく、ココナは近づいてきたクローシェ様に駆け寄っていった。

どう言葉をかけようか。
俺は見守ることしか出来ないし、それ以上をしてはいけない状況で立場だということはわかっている。
今日、この日このときだけはクローシェ様が一人で表舞台に立たなければ──

「クロア?」

声にハッとして焦点を合わせると、目の前に太陽を模した髪飾りが見えた。
僅かに視線を下げると紫紺の瞳が心配そうに揺れている。

「…クローシェ、さま」
「どうかしたの?」
「いえ……その、何をどう言おうか考えていたのですが」

結局なにも思いついていない。
取り繕っても仕方ないので正直に言うと、クローシェ様は「なんだそんなこと」と呆れたように漏らして両手を腰に当てた。

「いいですか、クロア。あなたは私の騎士、私の傍にいることが使命であり義務です」
「は、はぁ」
「なんですかその情けない返事は! しっかりなさい!」
「はい!」

つられるように背筋を伸ばして返事をすると、クローシェ様は途端に雰囲気を柔らかくして微笑んだ。

「それでいいのです。あなたはただ傍にいてくれれば……」
「クローシェ様?」

嬉しいことを言われた気がするけれど、それよりも俯いてしまったクローシェ様が気になって声をかける。
すると、手、と不躾に言われた。

「手を握ってちょうだい」
「え、」
「命令です、早くなさい。もう時間がないのですから」

言われたことを反芻するための間を、そのまま躊躇いと取られたらしい。
口早に言って、クローシェ様は自分から俺の手を取り、握手する形で握った。

一回りほど小さな手、細い指先。手袋越しに伝わる温度は思いがけず低い。
──やはり、緊張しているのだろうか。
少しでも温かくなればいい、そう思って自分よりも小さな手のひらを両手で包んだ。

びく、とクローシェ様が驚いたように顔を上げる。
さすがに行き過ぎた行動だっただろうか。
それでも、離したくない──震えていることに気づいてしまったから。
手を握ったまま、二言三言言葉を交わす。

その時になれば言葉なんて自然にでてくるものなんだ。
クローシェ様を応援したい。
俺が騎士なるきっかけを、夢を思い出させてくれた貴方の力になりたい。

「クローシェ様なら、きっと大丈夫です」

ふいにクローシェ様がぎゅう、と俺の手を握った。

「…ありがとう、クロア」

そう言うと一気に力を抜いて、そっと離れていった。
カツン、とクローシェ様のブーツが音を立てる。
背筋を伸ばしてまっすぐ前を向いて、あくまでいつもどおりに。
白い衣装の裾を僅かになびかせて、姿を隠すものが何もない演説台へと進んでいった。



大勢の前で頭を下げるクローシェ様。
彼女か姿を現したときから、絶え間なく野次がとんでいる。
一つ一つは小さくても、集まると相当な大きさになり、マイクがその音を拾った。

殺せ、処刑台送りにしろ…
どうしてクローシェ様だけがその言葉を受け止めなければいけないんだろう。
御子──責任者だから。理屈はわかっても感情が追いつかない。

思わず身を乗り出すと、隊長が腕で進路を塞いだ。

「それ以上前に行くな」
「っ、」

落ち着け、と諌めてくる隊長も、焦点を合わせないように広場の遠くの方を見ているようで怒っていないわけではないらしい。

依然として止まない罵詈雑言に、ギリ、と奥歯をかみ締める。
今出て行ったら台無しになる──わかっているけれど、自分が無力すぎて悔しい。

「…いかんな。騎士隊を広場の方へ移動させろ!クロア、お前はここで待機。クローシェ様の護衛を頼む」
「隊長……」
「いいか、くれぐれもキレて暴れたりしてくれるなよ?」

わざとおどけたように言う隊長は、俺を気遣ってくれているんだろう。命令の内容にしてもそうだ。

…実を言えば移動しろといわれても何とかしてここに居るつもりだったけれど、助かった。
去っていく隊長に頷いて、再度演説台の方へ視線を移す。
いつの間にかジャクリが影のように傍にいて驚いた。

「演説台が高いところにあってよかったわね」

どういう意味なのか理解できずにジャクリを見ると、彼女は皮肉げに笑った。

「興奮して野次を飛ばす連中の中には、物を投げるというくだらない行為をする輩もいるからよ。言葉だけじゃ怒りが治まらないから、八つ当たり。そうなったらクローシェは傷だらけになっていたでしょうね」

聞きながら、クローシェ様の白い衣装が赤くなる様を想像してしまった。
慌てて首を振り、想像図を追い払う。

「冗談じゃない」
「ふふっ……だからよかったわね、って言ったじゃない」
「そういう問題じゃ──」

「まずは自分で謳ってみせろよ!」

訥々とメタファリカを生み出す為の話の途中で、強めの言葉が飛んだ。
クローシェ様の頭が下がる。わかりました、とわずかに震える声と願いを聞いて、そばに行きたくなる気持ちを必死で抑えた。

紡がれる詩、呼応するように姿を変えるインフェル・ピラ。
光がクローシェ様と広場に降り注ぐ様はとても美しい。
どうしてもメタファリカを紡ぎたい。
クローシェ様のその純粋な想いを目に見える形にしたらこんな光になるんじゃないかと、この光景を見ながら思った。

御子である前に一人の人間であり、レーヴァテイルであり、当然恐れも感じる。
諦めることなく前へ進む姿、かたくなにメタファリカを望むその意思。
そんなクローシェ様に俺は──

「死んじまえ!」

思考を切り裂くように耳に飛び込んできた物騒な言葉。
目を凝らしてみても、遠くにぼやけた姿が映るだけで詳細を捕らえきることができない。このときほど自分の視力を恨んだことはない。

水を打ったように静まる空間、張り詰めた空気。
わずかにぼやけて見える後姿が崩れてしまいそうだ。

「クロア、駄目!!」

ぐっと腕を捕まれて、自分の足が演説台に向かって進もうとしていたことを自覚した。

「駄目だよクロア、我慢しないと…駄目なんだから…」
「ッ、ルカ……」

つかまれた腕に指が食い込んで痛い。ルカも、必死で耐えている。

「あら、残念ね」
「ジャクリ……なんで構えてるんだ」
「クロアが飛び出そうとしたら私が力ずくで止めてあげようと思って」

詩魔法を紡ぐときの構えを解きながら、ジャクリは非常に恐ろしいことをサラリと言ってのけた。

「落ち着きなさい。あなた達が動揺してもできることなんて何もないんだから」

確かにその通りだ。
こうしてここで焦っていても想うことしかできない。

いつの間にかルカは両手を組み合わせて必死に祈っていた。
ジャクリは腕を組み、視線を演説台から逸らさない。

頑張れ。

伝わるといい。
俺が、俺たちがちゃんと後ろにいること。

あの広場の中にもきっと、クローシェ様の真摯な想いや今まで積み重ねてきたものをわかってくれる人がいる。

「クローシェ様、がんばれー!」

ぽつんと聞こえた小さな声援に、空気が緩んだ。
とても長く感じた無音の時間が動く。
凍りついたように動かなかったクローシェ様が身じろいで、お礼の言葉を口にした。

完璧に変形したインフェル・ピラを半ば呆然としながら見上げて(視界の端でルカはジャクリに飛びついて全力で喜んでいた)、ようやく肩から力を抜いた。

こちらに向かって歩いてくるクローシェ様は俯いていて表情を伺うことができない。
演説が終わったことで集まってきていた仲間が労うなか、クローシェ様が急にフラリとよろめいた。

「っ、クローシェ様!」

駆け寄って支える。
腕の中でぐったりとしているクローシェ様は意識がなくて、一瞬ヒヤリとしてしまった。

「クロア、クローシェ様は…」
「気絶してる──部屋まで運びます」

ルカに答え、近くにいた隊長に報告しながらクローシェ様の身体を抱え上げる。私も行く、と後ろをついてくるルカと一緒に長い廊下を歩いた。

「クローシェ様頑張ったね」
「ああ…」

部屋へと続く道すがら、ルカからクローシェ様が普段演説台に立つときの気構えを聞いた。

──本当は人一倍臆病で、常に緊張していて、それでもそれを表に出さないよう最大限気をつけている。
そのせいで威圧的になってしまうこと、御子を務めるために、それは皮肉にもプラスに繋がっていたこと。
いつもの演説では話すことをあらかじめ何度も練習しているのだと。

けれど、今日の演説は違う。
素のままのクローシェ様の言葉だった。

「あ、私ベッドの準備するよ、ちょっと待ってて」
「ありがとう」

相変わらずぬいぐるみに埋め尽くされた部屋の中央にあるベッドを適度に整えて、ルカがシーツをまくった。
指示されるままクローシェ様の体をおろす。
やや青ざめて見えるけれど、どこか満足そうでもあった。

額に張り付いてしまっている前髪をそっと避ける。
無言で横にいたルカが、ごほん、とひとつ咳払いをした。

「なんだ?」
「…クロア、私がいるって忘れてないよね?」
「いや、忘れてないけど」
「……忘れてなくてそういうことしちゃうんだ……」
「ルカ?」
「ううん、なんでもない。…私、先に行くけど……レイカちゃんに変なことしないでね」
「それなら俺も…………いや、わかった」

俺も行くと言えればよかったとは思う。
けれど、もう少し傍にいたかった。
長年の付き合いでルカにはバレバレだったんだろう。苦笑して、約束だからねと釘をさして出て行った。

「…クローシェ様」

ベッドの横で膝をついて、穏やかに呼吸する様子を眺める。
名を呼ぶと、ぴくりと睫毛が動いた。

「……クロ、ア?」
「…はい」
「あら? 私……さっき…演説は?」
「無事終わりましたよ。お疲れさまでした」

ゆっくりと目をあけるクローシェ様はまだ状況が把握できてないらしい。
身を起こすとポツポツ質問を投げられた。

「運んでくれたのね、ありがとう」
「いえ、全然重くありませんでしたから」
「……」
「クローシェ様?」
「な、なんでもありません! そういう重い重くないなどはわざわざ口にださなくていいんです」
「は、はい、すみません」

クローシェ様はなぜか顔を赤くして、まくしたてるように怒った。

まだ言い足りないのか、手招きでもっと傍へと示しながらベッドシーツを叩く。

「クロア、こちらへ」
「…えぇ!? ですが、」
「床では遠いと言っているの。なにも同衾しろとは言ってないでしょ」

またすごい例えを持ってくるな…
思わず絶句すると、クローシェ様も言ったことの意味に気付いたのか、顔をそらしながらわざとらしく咳払いをして「いいから早くなさい」と命令系になった。

言われた通り、ベッドの縁に腰掛ける。
一介の騎士でしかない自分が御子様のベッドに腰掛けることになるだなんて、入隊したてのころは想像もつかなかっただろうな。

現実逃避のように過去の自分を思い出す。

「お願いがあるのだけど」
「俺で叶えられることなら、なんでも」
「…言ったわね?」

クローシェ様との距離が先ほどよりも近い気がする。伸ばされた手が俺の腕を伝って下へ動き、俺の手に重なった。
…どうでもいいけど上目遣いはやめてほしい。
位置的にどうしようもないことだと、心ではわかっている。でも──

「クロア、聞いているの?」
「は、はい、すみません!」
「……だめ?」

なにがだろう?
聞いていなかったせいで断ったことになったんだろうか。
やけにしょんぼりするクローシェ様に慌てて謝罪する。

「っ、ま、まったく、女の子に何度も言わせるなんて失礼でしょう」
「申し訳ありません…それで、なんでしょう」
「…………だ、抱きしめて、ほしい」
「……………………」

真っ赤になって俯いてしまったクローシェ様を可愛いと思ってしまうのは間違っていないと思う。
俺の上に重なっていた手を空いていたほうの手で握り、そのまま引き寄せた。
ふわりと甘い香りがして、柔らかい身体を腕で囲う。

「もっと強く」
「ですが、その、痛いんじゃないかと…」

右はいいとして、左側は鎧部分が大きい。
万が一傷をつけてしまうのも嫌だけれど、痛い思いもしてほしくない。
クローシェ様は不満そうにしながらも納得したようだった。

「デザインを変更したほうがいいんじゃない?」
「クローシェ様が言えば簡単だと思いますけど」

大鐘堂の騎士隊はほとんど御子のもののようなものだろうし。
…でもデザイン変更の理由が抱きしめづらいからというのは微妙にかっこ悪いと思う。
クローシェ様も同じことを思い浮かべたのか、やっぱりやめましょう、と言ってくれた。

「その代わり」
「はい?」
「騎士じゃないときにまたお願いするわ」

いいことを思い付いた、と言いそうな顔で提案するクローシェ様は嬉しそうだ。

「ねぇクロア、私を抱きしめるのは好き?」
「…………は!?」

突然。
なんだかとんでもない方向に質問が投げられた。
どうなの、と更に答えを求めるように問われて、反射的に「はい」と答える。

「なぜ?」
「…………あの、クローシェ様?」
「答えはどうしたの」
「……どうしても答えないといけませんか」
「聞きたい」

どうしてこうなったんだろう。
大体なんでそんなことを聞きたがるんだ?
理由を挙げろと言われればいくつかあるけれど、さすがにそれを本人に…しかも面と向かって言うのは恥ずかしい。
なんとかして誤魔化そう。

「えー、あー……そ、そういえばそろそろ皆待ってると思うんですが。今後どうするかって決めてませんでしたよね」
「クロア」
「…勘弁してください」
「なら、いつか教えてくれる?」

もぞ、と動いて俺から少し離れたクローシェ様にまっすぐ見つめられる。
この距離は眼鏡がなくても十分すぎるほどよく見えて、紫紺の中に自分が映っているのさえ判別できた。

「……いつか、そのうちでよければ」

クローシェ様は勝ち誇ったように笑って「約束しましたからね」と言った。

「それとね、クロア」
「ま、まだあるんですか?」

今度はどんなお願いだと身構えたけれど、予想に反してクローシェ様は柔らかく幸せそうに笑い、俺の耳元で小さく「ありがとう」と呟いた。

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