Vischio

Rainy Day

≫現実ED後、雨の日

連休前日。その日、帰り道は雨だった。

終日晴れるというアナウンサーの言葉を鵜呑みにしたせいで、傘は持ってきていない。置き傘なんてのもしていない。
まあいいか、と一つ年上の彼女の元へ行って傘持ってるかを尋ねてみれば、喜んでいいのか呆れたほうがいいのか、非常に複雑な返事が返ってきた。

『ぐっちゃんが持ってるんじゃないかと思って』

それはオレを当てにする言葉。
嬉しいっちゃ嬉しいけど、つまりは二人して予防策を張っていなかったってことだ。
更に悪いことは重なるもので、この時オレはクラスの週番だった。

図書室で待ってる彼女を迎えに行った時には既に誰も残っておらず、借りるという選択肢すら消えた。明日から始まる連休と、天気の悪さが拍車をかけたに違いない。
昇降口の屋根の下、二人並んで呆然としながら地面を叩く雨を眺める。コンクリートで跳ね返る水滴は思った以上に大きくて溜息がでた。

「一本くらい黙って借りてってもいいんじゃねー?」

こんなにあるんだし、と傘立てに無造作に突っこまれているビニール傘をチラ見しながら言ってみた。
彼女──瞳は一瞬ぐっと声を詰まらせて傘に目をやった後、勢いよく首を横に振った。
瞳の中では良心のほうが勝ったらしい。

「……なら、しょうがねーな」

これからずぶ濡れになる事を考えてか、隣りから大きな溜息が聞こえた。
自分よりも低い位置にある頭に手を置く。
気落ちしたまま視線だけを上げてくる瞳に苦笑を返した。
オレはズボンの尻ポケットを上から叩いて中身を確認して、自分の荷物を瞳に突き出す。

「ぐっちゃん?」
「ちょっとここで待ってろ」

それだけ告げて、屋根のある昇降口から飛び出す。

「ちょ、どこいくの!?」
「コンビニ!」

慌てて引きとめてくれる声が背中に投げられるのが嬉しくてむず痒かった。

ブレザーをひっぱって屋根代わりにするものの、全然役に立たなかった。
ずぶ濡れになって、ようやく辿り着いたコンビニ。やたらと親切な店員──タオルを貸してくれた上に乾かして行かないかとまで言われた──の誘いを断って、傘を差しながら来た道を戻った。
──まぁ、オレにはもう傘なんて意味なかったけど、手に持ってるだけってのも間抜けだしな。

「瞳!」
「もう、ぐっちゃんのばか! 風邪ひくでしょ!?」

戻るなり文句を投げつけてくる瞳に、思わず顔が緩む。
だって手にはハンカチが待機済みで、文句の合間に心配する言葉が混じってる。
屈んで、と命令する声に素直に従って頭を下げると少し乱暴に髪を拭かれた。

「どーせまた濡れんだからいいって。ほら、帰ろーぜ」
「うー……」

不満そうな顔をする瞳を無視して、その手にビニール傘を押し付けた。
瞳が濡れないようにと少し距離を空けると、更に不満そうに唇を尖らせる。

「なんだよ」
「それじゃぐっちゃんが濡れちゃうじゃない」
「バーカ、オレはもう意味ねーんだっての。見ろよコレ、真っ黒だろ?」

深い緑をしたブレザーを示すと、水を吸って色が黒く変わってる。
重さを増したそれはシャツまで侵蝕して、濡れた感触が気持ち悪い。

「それでも駄目!」

そう言いながら一気に距離を詰めた瞳は、オレの袖を掴むと逆に傘を握らせようとする。
触れた手が思っていた以上に温かくて、少し驚いた。

「私に持たせたらぐっちゃんの頭に突き刺すわよ」

……なぁ、それ脅しのつもりなのか?
噴出しそうになるのを堪えて、傘を受け取る。このまま瞳が濡れないように傾けとけばいい話だし、袖を掴んだままの瞳をわざわざ離すなんて勿体無い。

「瞳、そこ滑りやすいから気をつけ──」
「ぎゃ!」
「ッ、」

間一髪。
転ぶ前に受け止められたことに安堵したと同時に呆れた。
…………お約束を外さないヤツっているよな。
言った傍から転びそうになるなんて……っとに、放っとけねーよ。

「大丈夫か?」
「ありがとう……」
「わりぃ、濡れたな」

転ぶのとどっちがマシだったんだろう。
瞳を庇うのに思わず傘を投げ出して、結局二人して強力な天然シャワーを浴びていた。
落ちた反動で近くを転がっていた傘を拾い上げると、クスクス小さく笑いが聞こえた。

「もうこのまま帰ろ?」
「……ったく、帰り寄ってけよ。風邪ひくとまずいだろ?」

速水の家へ帰る道すがらにあるオレの部屋で── 一人暮らしってやつだ──シャワーと着替えくらいは貸し出せるだろうと算段し、「さっさと行くぞ」と促した。

「ただいま~」
「……お前の家じゃねーだろ」
「ぐっちゃんが言わないから代わりに言っただけだもん」

家の主(=オレ)よりも先に上がりこむ瞳の首根っこを掴んで、慌てて止める。
こいつ今自分がずぶ濡れだって忘れてんじゃねーだろーな。
文句を言い出しそうに見上げてくる瞳の向きを強引に変えて、脱衣所へ押し込んだ。

「先にこっち」
「でも、」
「着替えはこれ、んでタオル」
「ぐっちゃんは、」
「お前の後でいい。文句あんなら聞くけど?」

言葉ではなく唸り声と視線で訴えてくる瞳は、渡したタオルと着替えを手にしたまま動こうとしない。
このままじゃ風邪をひく確立が高くなっていくだけなのに。

オレは仕方ないとばかりに溜息をついて、濡れた瞳の髪の隙間から手を入れて頬から耳元を撫でた。
ついでに空いてる方の手で色濃くなったリボンを引っぱる。

瞳はピクリと身体を震わせて、両目を大きく見開いて忙しなく瞬かせている。
それを見て笑い出しそうになるのを懸命に堪える。ここで笑ったら失敗するかもしれない。

「あ、の……ぐっちゃん?」
「じゃ、一緒に入るか?」
「は!?」
「お前先に使うの嫌みてーだし。でもオレはお前より先に使う気ねーし?」

瞳は顔を赤くしながら口をもごもご動かして、言葉に満たない音を発している。
それをあまり見ないようにしながら──見たら絶対笑う──耳元からさらに首へと回した手で引き寄せて「瞳がよければだけど」と小さく言い添えた。

「ッ、先、に! わたし、先に、使う!!」

距離を離そうとしてるのか、腕を動かしながら言う。
必死な様子に我慢しきれず噴出して、睨まれた。

「最初っからそう言っときゃよかったんだよ」
「からかったの!?」
「まあ半分以上はマジだけ」
「まままた後でね!」

瞳はオレに最後まで言わせることなく、いつにないほどの素早さで脱衣所へ消えた。
バン、と扉の閉まる音を聞きながらクツリと笑いが漏れる。
遊びにも似たやり取りは面白く、若干癖になりそうだ、と微かに思った。

***

顔が熱い。
ザァザァ降ってくるシャワーのせいでもあるけれど、それだけじゃない。
触れられたのは頬と耳、それから首元。なぞるように自分で触れていることに気づいて蹲った。

「~~~~もう!」

思わず声を出しながら目を閉じると、今度は表情と声が再現される。
耳を塞いで消えてほしいと願ってもそれはなかなか去ってくれない。
──このままではのぼせてしまいそう。

急いで身体と髪を洗う。これ以上いたら本当にのぼせる。
指の先も足の先も十分温かくなったから、ぐっちゃんも文句を言うことはないだろう。
着替えながら、いつだって私を優先させるぐっちゃんを思い返した。
昔も今も、それだけは変わらない。

今日の傘だってそうだ。
私の心配ばっかりして自分のことは二の次。そりゃ、私もぐっちゃんに頼りすぎだとは思うけど。
ただ、昔よりもずっと優しくなった。表情が甘くなったし、声も……

「──私のばか」

完璧に、鮮明に思い出してしまった。
ぐっちゃんが用意してくれた服に袖を通したことで、リアルさが増した気がする。

大きめのシャツは半袖みたいだけれど、私が着ると七分丈。裾は太ももの辺りまであるし、細身に見えてたけどやっぱり男の子なんだなぁと実感した。
スウェットパンツはいらないくらいだったけど、せっかく出してもらったから穿いてみる。

「……ぶかぶか」

シャツ以上に着づらい。
引きずりそうなくらい裾が余ってるし腰はゆるいし(これにはちょっと安心した)裾を踏んで転んでもおかしくない。

「ぐっちゃーん」
「おー、出たか。制服持ってこいよ、吊るすから」

軽く戸を開けて呼ぶと、ぐっちゃんはこちらを見ないままハンガーの用意をしだした。
さすがにずぶ濡れのブレザーとYシャツは脱いだらしい。まぁ、着てたら怒るところだったけど。

言われたとおり制服を持って、脱衣所から出る。途中でずり落ちそうになったスウェットを押さえることになって、やっぱりこれは動きづらいと思った。

「はい。お願い」
「ん」
「出しといてもらって悪いんだけど、もっと短いのない? これ転びそうで……ぐっちゃん?」

私の制服を受け取ったまま動かないぐっちゃんを見上げると、「あ、ああ」と無意味な返事をして(絶対私が言ったこと聞いてなかった)ハンガーを通した服制服をカーテンレールに引っ掛けた。
そのまま脱衣所の方へ行こうとするから、慌てて腕を掴む。
ぐっちゃんは肩が震えるくらい大げさなくらい驚いて、私から一歩距離をとった…私、なにかした?

「や、わりぃ。瞳は全然悪くねーから…んな顔すんなよ…」

ぐっちゃんは私の言いたい事すぐにわかるのね。
言葉にならないうちに、ぐっちゃんが肩にかけていたタオルを抜き取った。ふわりと降ってきたタオルは私の髪を優しく包んで丁寧に拭う。

「なんつーか、あー……」
「何よ」
「すげー可愛い」

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