Vischio

恋をうたうカナリヤ 修正前ver.

≫現実世界ED色々捏造。夏休み終わりかけ





今ある情報を整理したくなった瞳は、朝食も取らないままその場から逃げ出すように部屋へ戻った。
どういう状況なのかわからない。紅蓮は弟──少なくとも前回彼も一緒に戻ってきたときは弟であったはずなのに。

「従弟……ってどういうこと?」

従弟なんて知らない、それは自分が知っている紅蓮ではない。

自室のドアを静かに開けて、ゆっくり隣の部屋へ進む。
起きたときには焦っていて確かめる余裕もなかった。閉じられた扉の向こうは物音一つしないばかりか、気配すらない。
瞳は手を軽く握り、数回ノックをしてみた──当然、反応はない。
部屋の中は空だった。紅蓮が使っていた机も、ベッドも、本棚も、壁に貼ってあったバイクのポスターも、なにもない。
ただ白い壁とフローリングの床があるだけ。定期的に掃除はされているのかやけに綺麗で、瞳はその部屋の中心で膝を折った。

「ぐっちゃん」

握り締めた冷たい手、段々血の気がなくなっていく表情が蘇る。
『オレがずっとお前を守るからさ、』
思い出すのは照れながら言ってくれた言葉。

『約束する』

「…傍に、いてくれるって……言った、くせ、に……」

一人ごちて俯くと、ぽた、とフローリングの床に水滴が落ちた。目を擦ると手の甲が濡れる。
空っぽの部屋の真ん中で、瞳は声を殺して泣いた。

目も鼻も真っ赤にしてようやく涙を収めた瞳は、紅蓮を探すことを決めた。
このままただ泣いているだけでは何も変わらない。

自室に戻り、部屋の奥からアルバムをひっぱりだす。
季節や記念行事等、幼いころは家族ぐるみで出かける機会が多かった。
海に山に遊園地。小さな瞳は紅蓮の手を引いてあちこち連れまわしていた記憶がある。

パラパラとページをめくっていくが、瞳の隣に写っているのは見知らぬ少年だった。
紅蓮と同じまっすぐな髪質だったけれど、髪の色は漆黒で、眸も黒い。彼は誰だろう。
紅蓮が持つ色は父に似て赤みがかった茶色の髪と、自分と同じ色素の薄い灰茶の眸だ。
幼い自分がしっかりと黒髪の少年の手を握っている写真もあるし、瞳が少年を泣かせているような写真もある。
この黒髪の少年が、先ほど話に聞いた従弟だろうか。

どの写真を見ても瞳の記憶にある紅蓮の姿はなかった。
まるでそこだけ差し替えたかのように、黒髪の少年が紅蓮の代わりに写っていた。
──もしかしたら、何か関係しているかもしれない。
確証はなかったが、ここまで親密に関わっているらしい従弟の記憶が瞳には微塵もない。
突然現れた従弟と消えた弟。無関係と考えるほうが難しかった。

「お母さん、私、これから叔父さんの家に行ってくる」
「急にどうしたの?」
「紅蓮…くん、に──用があって」

同名なのはとても厄介だと思う。
この名前を口に出すと無性に泣きそうになるのは、やはり向こうでの別れのせいだ。
必死で気を逸らしながらテーブルにつくと、母が不思議そうに首をかしげた。

「あら、今日は約束してないのね」

朝食にしてはだいぶ遅い食事が目の前に並ぶ。気を逸らすために食事の味に集中していた瞳は、咄嗟に何を言われているのかわからなかった。
箸を止めて、視線でどういう意味か聞くと苦笑が返ってくる。

「さっきあんなに待ち遠しそうにしてたから、てっきり今日も迎えに来るのかと思ったのに」
「……なんのこと?」
「何って、ぐっちゃんよ。宿題手伝ってもらってるんでしょう?」

朝に交わした話の内容を思い出そうとしたけれど、混乱していた瞳の記憶にはほとんど残っていなかった。
確かに夏休みの課題は溜め込んでいたかもしれないし、去年は紅蓮に頼み込んで手伝ってもらっていた記憶もある。
今年も例にもれず少しだけ──と瞳は思っている──協力してもらっていたが、それは弟に、だ。母の言っている従弟にじゃない。

「お部屋じゃ集中できないからって図書館まで行って……瞳ちゃん?」
「ごちそうさま!」

急いで朝食を終わらせた瞳は、母の話の途中でリビングを後にした。
出てきたばかりの部屋へ戻って机の上に放置されているノートを開く。
明らかに自分とは違う筆跡。ちょくちょく書かれている赤い文字は確かに紅蓮のものだ。

(……ぐっちゃん、なの?)

カレンダーを見ると、今日は8月26日──最後に向こうの世界へ飛んだ日から一日程度しか経っていない。
それを証明するように、紅蓮の手を借りていた課題の進み具合も記憶にあるものと変わっていなかった。
“紅蓮”の存在に関する部分だけ、昨日──瞳の体感では15日ほど前──と違っている。
考えすぎて痛くなってきた頭を抱えてベッドに倒れこむと、図ったようにメール着信音が聞こえた。

Time 08/25 10:34
From ぐっちゃん
───────────
今から行く

寝転がりながらメールを開いて目に入ってきた送信者名に、頭の痛みが吹っ飛んだ。
勢いよく起き上がり、確かめるように何度も瞬きを繰り返す。
登録されている名前、文章、たった今見たノートの筆跡。
異世界でのグリーエンと同じように、中身は弟なんじゃないかと、そんな期待をしてしまう。
そうじゃなければ自分は元の世界と非常に似通った別の世界に飛ばされたのだろう。

「……だって、おかしいもの」

紅蓮がいない世界なんておかしい。
──いっそのこと、これが夢ならいいのに。

『瞳! いつまで寝てんだ、いい加減自力で起きろよな』

いつものように、文句混じりの声で目を覚まして朝食を食べながら一日の予定を話す。
数日前のことなのに懐かしく感じるやりとり。

「本当に……夢だったりしないかな……」

携帯を放り投げベッドに横になると、瞳はそのまま目を閉じた。

「……マジかよ。遅くなったのは悪かったけど寝るか普通……おい瞳、起きろ!」

聞きなれた声に意識が浮上する。
あのまま寝てしまったのだろう。身体を軽く揺すられる。
乱暴な口調とは裏腹の優しい動作がなんだかくすぐったい。

「ほら、起きろって」

やはり紅蓮は自分と一緒に戻ってきていたようだ。そう、あれは夢で──

(違う)

ぼんやりと目を開けた瞳は、違和感を覚えて目を擦った。
自分が思い浮かべた姿とは違う。
──黒。
アルバムで見た色合いの少年が、目の前にいた。

「…………誰?」
「…言うと思った」

少年は大きく息を吐き出して、瞳のいるベッドへ腰掛けた。

「いつ戻ってきたんだ?」

見知らぬ相手に警戒して身体を固くする瞳に構うことなく、質問を投げかける少年に戸惑う。
彼は苦笑して肩を竦めると、やっぱわかんねーよな、と呟いた。
その声と雰囲気に、瞳の心臓が大きく鳴った。
声をかけようとして、喉がカラカラに渇いているのに気づく。少年はそんな瞳に気づかず、持参していたらしい鞄から小さな手帳を取り出して瞳に投げた。

「…生徒手帳?」
「ん。それオレの名前」

渡されたのは海楠高校の生徒なら全員持っている手帳だ。
ひっくり返して名前を目に入れた途端、瞳は息を呑んで固まった。

──速水紅蓮──

会おうとしていた従弟の名前、大切な弟と同じ名前。

「さすがにもう気づいたろ?」

確かに期待はしていた。でもまさか…

「……ぐっちゃん…なの…?」
「おう。つーか、やっぱその呼び方なのかよ」
「ほんと、に? 本当にぐっちゃん?」
「まぁ信じられないってのもわかるけどな。オレも未だに実感ねーし」
「しょ、証拠は?」
「はあ? 証拠って……んなもんねーよ。お前が信じるかどうかだろ」
「何かあるでしょ! ……ぐっちゃんしか知らないようなことでいいの」
「オレしかって…瞳は料理が壊滅的に下手で水泳部の万年補欠で勉強もあんまりできなくて夏休み中も補習があったとか、暗いところと雷と怪談の類が苦手で中学ん時の文化祭の出し物程度で泣いたとかか?」
「なッ!」

瞳としては向こうの世界でのことを予想していたのに、全然違うどころか自分の恥ずかしい話ばかりを並べられる。
自分が覚えていないようなことまで──
彼は顔を赤くした瞳を見て楽しそうに笑うと、一転して真剣な表情になった。

「……気づいたらこっちの世界に戻ってきてたんだ。絶対死んだって……思ったんだけどな。またお前の傍にいられるみてーだ」
「……!」
「あの時のこと、思い出すのちょっと辛いんだけどな。オレかっこ悪すぎだろ?」
「…ぐっちゃ…、ん」

パタ、と滴が落ちてシーツに染みができた。
一度溢れてしまったそれは止まることなくシーツを濡らす。

「瞳、もう泣くなよ……」

優しく頬をすべる指先がこぼれる涙を掬い取る。
そんな風にされたら余計止まらない。

「よかっ…た…、よかった、ぐっちゃん……!」

瞳は少年──紅蓮に勢いよく抱きついた。
首に回された腕と密着する身体に戸惑いながら、紅蓮は華奢な身体を抱きしめ返した。

「落ち着いたか?」
「ん……ありが、と」

涙でボロボロになった顔を俯かせながら離れようとすると、そのまま手を引かれて洗面所へ連れて行かれた。
紅蓮は手馴れた動作で棚からタオルを出して押し付けると、瞳の頭をひと撫でしてそこから出ていった。
──やはり彼は間違いなく、瞳の知っている弟と同一だ。

「ひどい顔」

目も頬も真っ赤で、瞼が少し腫れている。声は若干掠れ気味で別人のようだった。
顔を洗って戻ってみると、紅蓮は服を着替えていた。見かけたことがあるような気がする服に首をかしげると、瞳に気づいた彼が「借りた」と短く言った。
瞳の涙で着ていられなくなったのだろう。謝ろうとして身じろぐと、遮るように声をかけられた。

「瞳、これ作ってもらったからこっち座れよ」

夏だというのに湯気の立ち上るカップがテーブルに置かれている。
中身は、と覗き込んで鼻を掠める甘い香りにホッと息をついた。ハチミツ入りのホットミルク。
大泣きの余韻を残すしゃっくりを漏らしながら、瞳は示された場所に腰を下ろした。

「今更謝ってもらわなくていいっての」
「……なん、で、わか…のよ」

しゃっくりのせいで途切れがちになる言葉に紅蓮が噴出す。
お前泣きすぎ、と言って今度は冷やしたタオルを瞳の目元に当てた。

「今日は宿題どころじゃねーな」

瞳の隣に座った紅蓮は、机から勝手に持ち出してきたノートをパラパラめくる。
いつのまに手にしていたのか、右手には赤ペンを握っていてこれまた勝手にノートに書き込みをしていた。

「何、して、るの」
「補習常連のお前の手伝い…っつーか変な感じだよな。ちょっと前って言ってもこっちでは一日くらいか……それまでは弟だったのにな」
「……うん、今、は?」
「母さんに聞いたんじゃねーの? 瞳の様子が変だって心配してたぜ」

たえず動くペン先を眺めながら、朝の出来事を反芻する。
自分は相当必死だった、と苦笑した。

「従弟、だって」
「そういうことだ。今のオレは叔父さんとこの一人息子で、お前の弟じゃない」

キュ、と勢いよくラインを引いてペン先が浮いた。
瞳は何も考えずにそれがキャップに収まるまでを目で追って、思っていた以上に近い紅蓮に驚いた。

「あのとき言ったことは本気だぜ」
「ぐっちゃん?」
「“……オレは、お前を姉以上に思ってる”」

徐々に近づいてくる紅蓮に合わせて後退していた瞳は、いつのまにか壁際に追い詰められていた。

「あ、あの……」
「“お前のこと好きだ……愛してる”」

見慣れない黒い眸に身動きが取れない。段々顔に熱が集まるのがわかって思い切り顔を伏せた。
ふっと笑った気配を感じた途端、頬に軽い口付けが落ちてきて瞳は思考を止めた。
それが数回繰り返されたころ、ようやく正気に返った瞳が紅蓮を押し戻した。

「……くっ、やっとかよ」
「な、なん…!」
「あんまりぼけーっとしてると襲っちまうからな」

赤い顔で口をパクパクさせる瞳に指を突きつけた紅蓮は、絶句している瞳を満足そうに見て表情を緩めた。

「冗談」
「…………え?」
「とりあえずオレの気持ちは知っとけってことだ。……さて、時間微妙だな……」

瞳の理解が追いつかないうちに、紅蓮は勝手に話を打ち切って部屋を出てしまった。
この短時間で色々なことが一度に起こっている気がする。
瞳はいつのまにか固く握り締めていたタオル──目元を冷やせ、と紅蓮が持ってきてくれたもの──を額に当てて、火照った顔を冷やした。

コンコン、と扉をノックする音。返事をしようとした途端勝手に開かれて驚く。

「なにやってんだ?」
「ぐっちゃん、勝手に開けないでよ!」
「今更だろ……で、何してんだよ」
「冷やしてるの」
「ふーん」

ニヤニヤと笑いを寄越す紅蓮を軽く睨むと、その足元で黒い影がサッと動いた。

「にゃー? 連れて来たの?」
「勝手についてきたんだよ。昼飯にしようぜ」

瞳の代わりに、にゃーが答えるように鳴き声をあげた。

◆◆◆

紅蓮の様子は今までとほとんど変わらなかった。
従弟として再会したその日に瞳に思い出させるように告白をしたくせに、その後は弟だったときと同じように瞳に接する。
生意気で口が悪くて一言多い、文句を言いながらも結局は瞳に甘い紅蓮。
紅蓮がそんな風だから、瞳も気楽だった。

──ただ、以前よりもずっと優しくなったような気がする。

ここ一週間ほぼ毎日のように接してきて、瞳は漠然とそう思った。
他には、視線。鈍い自分が気づく程、自分を見つめる眸は真っ直ぐに思いを伝えてくる瞬間がある。

「瞳ちゃん、早く食べちゃいなさいよ? 今日から新学期なんだからシャキっとしないと」
「あ、うん」

珍しく早めに起きた瞳は、向かいの席でコーヒーを飲んでいる紅蓮から朝ご飯に視線を戻した。

「ぐっちゃん、コーヒーのおかわりは?」
「んー、もらいたいとこだけど、そろそろ時間だし、いいや」
「今日は午前で終わりなのよね?」
「そう。あ、叔母さん、部屋だけどさ、」

カシャン、と食器を鳴らしてしまい、存外大きなその音に驚く。

「ご、ごめんね」

二人のことも驚かせただろうと謝ると、紅蓮が目笑を寄越して「早く食べろよ」と優しく言った。
頷いて返しながら、紅蓮と母の様子を伺う。
自分と紅蓮は従姉弟という関係なのだから、二人が『叔母と甥』なのは明白なのに、紅蓮が母を「叔母」と呼んでいることに違和感を覚えた。

(……ぐっちゃんは気にならないの?)
「瞳、まだ食ってんのか? もう行くぞ」
「ま、待って待って!」

急いでオレンジジュースを飲み込んで、二人分のカバンを持って先を行く紅蓮を追いかけた。

「いってきます!」
「はい、いってらっしゃい。気をつけてね」

玄関を出ると紅蓮が瞳のカバンを差し出した。受け取りながら、ついその姿を観察してしまう。
黒に近い深緑のブレザーと黒いタイを纏う紅蓮はどこから見ても瞳と同じ海楠高校の生徒だ。

「なんだよ」
「……ぐっちゃんと一緒に登校するのって変な感じね」
「あー、まあな」

今の紅蓮には従弟としての記憶と弟としての記憶が混在しているらしい。
混乱したりはしないのかと聞いたときには「お得でいいじゃねーか」となんとも気楽な答えが返ってきたが、実際のところはわからない。

「わざわざ来るの面倒じゃない?」
「別に、」

そういえば、なんでぐっちゃん海楠なの?」

海楠高校の制服を着て隣を歩く紅蓮を見上げながら問いかけた。
返ってきた呆れた視線に、聞くタイミング逃したの、と言い訳する。
悔しいが自分よりもよほど優秀な元弟は、家から少し遠い霧埜大付属に通っていた。2年である自分の課題を手伝えるくらいなのだから、今の紅蓮も頭がいいはずなのに。

「家から近いから」
「……嘘でしょ」

そんな理由なら以前──というのは少しおかしいが──付属高校に通っていたのはなんのためだったんだろう。

「別にいいだろ、なんでも」
「そんなに恥ずかしい理由なの?」
「そうそう、恥ずかしい理由なんだよ」

珍しくからかえそうなネタをつかめそうな気がして、瞳はしつこく問いかける。
──結局、折れたのは紅蓮のほうだった。

「聞いて後悔すんなよ」
「しないわよ」
「…………」
「ぐっちゃん?」
「……まえが……るから」
「え?」
「~~~~ッ、だから、瞳がいるからだって言ってんだ。我ながら単純すぎると思うけどな……おい、聞いてんのか?」

歩みを止めてしまった瞳を振り返った紅蓮は不機嫌そうだ。
言いたくなかったのと照れているのとでそんな顔になっているのだろうとは思うが、それ以上に聞いてしまった自分も恥ずかしい。

「なんでそんな理由で高校決めるのよ!!」
「知るかよ!」

立ち止まってわざわざ待っている紅蓮を焦らすようにゆっくり歩く。
立派な志望動機だろ、とか家から近いってのも本当だ、とぶつぶつ言う紅蓮を盗み見た。

今の理由は、きっと従弟としての紅蓮が持っていたものだろうと思う。

(だって、そうじゃなきゃ……私がいるから、なんて…言わないもの……)

なるべく思い出さないようにしていた告白を思い出してドキドキする。
勝手に顔が赤くなるのを止められない。

「そういやさ」
「な、なあに?」

瞳は話題を逸らす紅蓮に便乗して強引に思考を切り替えた。

「オレんち今日から親いねーんだ」
「ふぅん? 叔父さんも叔母さんも忙しい人だもんね。いつまで?」
「…………オレが卒業するころには帰ってこれそうって言ってたけど」
「そんなに!?」

瞳の記憶にある通り、叔父夫婦は相変わらず海外を飛び回っているらしい。
紅蓮が夫妻の子どもとして転生していても、過去は変わっていなかった。
両親が海外へ赴任している間、紅蓮は瞳の家へ預けられていた──ということになっている。
アルバムに紅蓮の写真が多いのも納得できると同時に、よくできていると思ってしまった。
そう思ってしまうのは、きっと瞳と紅蓮だけなのだろう。

それにしてもいくら紅蓮がしっかりしてるとはいえ、高校生が2年間も独り暮らしは厳しいんじゃないかと思う。
驚いて、だいじょうぶなのかと問いかける瞳に、紅蓮は小さく溜息をついた。

「なんで私が溜息つかれなきゃなんないのよ」
「……母さんか父さんに聞いてねーの?」

紅蓮は従弟になった今でも、瞳と二人きりのときは以前のように両親を呼ぶ。
恐らくは伯父・伯母と呼んだときの瞳の反応が暗かったからだろう、やはり彼は瞳に甘いのだ。

「ねぇ……今、なんて?」
「またよろしく」

また足を止めてしまった瞳に、紅蓮はニヤリと笑いかけた。

──お前んとこに居候。

瞳が夏の課題に追われている間に、両親間と紅蓮とで決めたことらしい。
一人蚊帳の外だったというのも驚きだが、当日知らされるというのはどういうことだ。
今紅蓮から聞かなければ下校するまで知らないままだった。

「う、嘘でしょ?」
「嬉しくねーの?」
「そりゃ、またぐっちゃんと一緒なのは嬉…………ち、違う、今のなし!」
「ははっ、オレも」
「違うってば!!」

満面の笑みで瞳の攻撃から逃げる紅蓮を追って、小走りになる。
まだ残暑も厳しい時期だというのに何をやっているのかと、校門前で汗をかきながら思った。

「はぁ……はぁ……、も……ぐっちゃん、の、ばか……」
「お前運動部のくせに体力なさすぎ。はぁ、あっちー…瞳に付き合うんじゃなかったな……」
「ずる、い…!」

男子はブレザーだから上着を脱げばだいぶ違うのだろうが、女子用の制服はそれができない。
式典には式服を、と指定している校則を恨みたくなった。

「何やってんの?」

声をかけられて振り向くと、不思議そうに首をかしげた茜が立っていた。

「あか、ね……?」
「元気だねぇ、始業式だからってそんなに張り切ってどうするの」
「好きで、運動したわけ、じゃ……」
「よくわかんないけど、飲む?」

相変わらずゼェゼェと息を整えている瞳に、天の助けとばかりにペットボトルが差し出される。
汗をかいているボトルを嬉々として受け取った瞳は、茜に礼を言って口をつけた。
よく冷えたスポーツ飲料のおかげで、暑さも和らいだ。

「ありがと」
「どういたしまして。それよりいいの? 彼、行っちゃうけど」
「え? あ、ちょっと、ぐっちゃん!!」

上着を肩に引っ掛けて腕まくりまでしている姿は、普通に登校している生徒の中でよく目立っていた。
茜の言うとおり昇降口へ一直線に向かう背中に慌てて声をかけると、ギクリと立ち止まってやけにゆっくり振り返った。
半眼になった紅蓮の眉間に皺が寄っている。

(……お、怒ってる……?)

足早に近寄ると、低い声で名前を呼ばれた。不機嫌だ。

「ぐ、ぐっちゃん……?」
「お前な…その変な呼び方、やめろって言っただろ、散々! 大声で呼びやがって、」
「なんだそんなこと……」

自分が知らないうちに何かしたのかと思って心配してしまった。
安心した瞳に、そんなことじゃねーよ、と変わらず不機嫌な様子を見せる紅蓮に、今度は瞳が呆れた。

「別に呼び方くらいなんでもいいじゃない。ぐっちゃんは小さいこと気にしすぎなのよ」
「それはお前がそういう目にあってねーからだろ!?」
「私しか呼んでないんだから、いいの!」
「真似するやつがいるかもしんねーだろ!」
「っ、それは…やだ……」

ぐっと急に押し黙った紅蓮を伺い見ると、頬を赤くして絶句しているようだった。

「ぐっちゃん…?」
「お前……それは、……もういい、好きにしろよ」

言外に負けを認めたらしい紅蓮は、若干フラフラした足取りで1年生用の昇降口をくぐった。
置いていかれた形になった瞳は、変なぐっちゃん、と呟いて自分の教室を目指した。

「速水、朝騒いでたのお前だろ」
「あ、雪草くんも見たんだ? すごかったよね~」

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