Vischio

恋をうたうカナリヤ~秋詩~

≫現実世界ED色々捏造。



「愛してる」


そんな風に想ってくれていたなんて知らなかった。
──もしかしたら気づかないふりをしていたのかもしれない。

瞳は紅蓮の手のひらを握り締めながら、きつく唇を噛んだ。
自分の手の中にある彼の手は、段々と温度が低くなっていく。自らの熱をわけるように──少しでも温かくなるようにと願いながら力を込めるのに、確実に冷たくなっていくそれを感じて身体が震えた。
パタパタと涙が紅蓮の手の甲に落ちる。彼の名を呼ぶ声は掠れて、自身でさえ聞き取りづらかった。

「ぐっちゃん……」

呼びながら、もしかしたらこのまま──と、同時に浮かぶ考えを必死に否定する。
目を閉じる前の言葉があれだなんて、まるで目を覚ます気がないみたいだ。
祈るように。起きてほしい、目を開けてほしいと念じながら、瞳は再度紅蓮の手を握る自分のそれに力を入れた。

「……起きないと怒るからね」

涙混じりに告げると、直後に自分の手が淡く発光しだした。
白く、柔らかい光。あちらとこちらを行き来するときに何度も見た色。
それが包むのは自分だけだと気づいたとき、どくんと心臓が大きく鳴った。

「いや……」

呟いたのは無意識で、その間にも光は瞳の全身を覆っていく。
手、腕と次第に自分は透き通っていくのに紅蓮は何も変わらぬまま、眠るように目を閉じているだけだ。

「やだ、ぐっちゃん!」

どうして彼は光らないのだろう、いつもはどうだった?
わからない、思い出せない、何も。
このまま向こうに戻ったら、いつものように笑う彼に会えるのだろうか。

『はぁ? 何言ってんだバーカ。悪い夢でも見たんじゃねーの?』

そう言いながら瞳の頭を軽く小突いて、くしゃりと髪を混ぜる。
そうだったらいいのに。いっそ全部夢だったらいいのに……


『……瞳、愛してる』


眩しすぎて目を閉じた瞬間、紅蓮の声が聞こえた気がした。


***


ぼんやりと目を開いた瞳は、見慣れた天井を見上げながら数度ゆっくり瞬いた。
何してたんだっけ?
考える途中で、顔色の悪いグリーエン──紅蓮の表情が脳裏をよぎった。
瞳は勢いよく身を起こし、部屋を出る。思考に行動が追いつかないのか、少し足がもつれるのがもどかしい。

リビングに入ると朝食の支度をしているらしい母親が目に入った。
自分の心音が普段よりも心音が速い気がして、ゆっくり息を吐き出す。

「あら、瞳ちゃん今日は早起きね」

にこにこ嬉しそうに笑う母の言葉を聞きながら、リビング全体を素早く見渡した。
居ない。
振り払おうとしていた嫌な予感に呼応するように、落ち着かせようとしていた心臓が更に速くなった。

「……お母さん、ぐっちゃんは?」
「ぐっちゃん?」

きょとんと目を丸くして首をかしげる母の仕草が不安を煽る。
耐え切れずに視線を下げると、いつのまにか母の足元にはにゃーがいて、エサの催促をするように尻尾を絡めているのが見えた。

「ぐっちゃんよ、紅蓮……いるわよね?」
「まだ来てないけど…今日は早いの?」

よかった、ちゃんと戻ってきてる。
ホッとして身体から力を抜こうとして、母の言葉を反芻して息を止めた。どくり、とまた心臓が大きく鳴る。

「来て、ない……?」
「そりゃね。瞳が早起きしただけで、ぐっちゃんはいつも通り──」
「お母さん!」
「な、なあに、急にそんなに大きな声出して……びっくりするじゃないの」

予想外の反応に焦れて身を乗り出す。
同時にリビングのドアが開いたので視線をずらすと、新聞を手にした父だった。

「おや。瞳、どうした? 顔色が悪いようだけど」
「それがね、瞳ったらぐっちゃんがまだ来てないからがっかりしてるみたいなのよ。今日から学校だからお迎えに来てくれるだろうけど、まだ時間じゃないじゃない?」
「早く会いたいってことかい? 妬けるなぁ」
「本当にねぇ、いつまでたってもべったりなんだから。ぐっちゃんは迷惑じゃないのかしら」

──一体誰の話をしているのか。
家族ならこの会話の流れはおかしいし、父は紅蓮をくん付けで呼んだことなどない。
存在として“居る”ことは間違いないと思うのに、まるで別人の話を聞いているようだ。

「瞳?」

黙ったままの瞳を不思議に思ったのか、ソファに腰を落ち着けた父が気遣うように名を呼んだ。

「……ぐっちゃんは、家族よね?」

ぽつりと零すと父は少し困ったような顔で後ろ頭を掻いた。
その動作は紅蓮と同じで、少し泣きたくなる。

「うーん……いずれはそれもいいなあと思うけど、父さんはまだ瞳をお嫁に出したくないなあ」
「え?」
「あら、気が早いわよ」
「だって月江さん、瞳が“家族”って言ったらそういう意味じゃないのかな?」

瞳が戸惑いながら両親を交互に見ていると、二人の方が不思議そうに見返してきた。
事態を把握していないのは自分の方だというのに。

「……ぐっちゃんは私の、弟、でしょ?」
「やだ、瞳ちゃんこそ何言ってるのよ。変な夢でも見たの? そりゃ昔からずっと一緒だったけど、ぐっちゃんはお隣の子でしょ」
「お隣……?」

呆然と立ち尽くした瞳を寝ぼけていると勘違いしたのか、月江は瞳の身体を反転させて「顔洗ってきなさい」と促した。
ふらつく足取りのまま洗面所に入り、言われたとおり顔を洗う。

紅蓮は弟ではなく、隣の家に住んでいる。
母は確かにそう言っていた。
お隣といえば昔から家族ぐるみの付き合いがある家だ。越してきた時期が近かったらしく、すぐさま意気投合して仲良くなったと言っていた。時折大人4人で一緒にでかけたりもしているようだし、瞳や紅蓮も幼い頃から可愛がってもらっていた。

(でも……)

“紅蓮”はそこの子どもだと言うけれど、隣家に子どもはいなかったはずだ。
──同じ名前に期待してもいいのだろうか。
期待してもし違っていたら、自分はどうなるんだろう。

不安が消えない。
握り締めているのに段々と冷たくなっていく手を思い出して、瞳はくちびるを噛んだ。

「瞳ー、早く着替えて朝ご飯食べないと……あらあら、来たかしら」

母の言葉の途中で玄関のチャイムが鳴った。
こちらへ向かってきていた足音が方向を変えてあっという間に遠ざかる。
今日から新学期だったということを思い出して、着替えるために2階へ向かうことにした。

2階へ上がった瞳は、ふと思いついて自分の部屋を通りすぎ、さらに奥──紅蓮の部屋の扉を開けた。
部屋の中は空だった。
紅蓮が使っていた机も、ベッドも、本棚も、壁に貼ってあったバイクのポスターも、なにもない。
ただ白い壁とフローリングの床があるだけだ。定期的に掃除はされているのかやけに綺麗で、瞳はその部屋の中心で力がぬけたようにぺたりと座り込んだ。

「ぐっちゃん」

ドクドクと未だに落ちつかない心臓を押さえながらようやく呟いたのは弟の愛称。
空の部屋で呼んでも返事がないのは当然なのに、それを実感した途端、ぽた、とフローリングの床に水滴が落ちた。

「……っ、く……」

(怖い……)

紅蓮が本当に向こうで消えてしまっていたらと思うと怖くてしかたない。
こんなとき、いつもなら「大丈夫だ」と言って撫でてくれる手があるのに。
隣家にいるという紅蓮のことを確かめたいと強く思いながら、迷っている。

「……なにやってんだ?」

聞きなれた声に反応して振り返る。
ぐっちゃん、と呼びかけようとした口は途中で止まり、視線が縫いとめられた。
入り口に寄りかかる姿は瞳の思い描いていたものと随分違う。

「どうした? あんま泣くと余計ぶさいくになるぞ」

──黒。
弟の持つ色合いとは全然違う。髪の色は漆黒で、眸も黒い。
けれど、声も、喋り方も、雰囲気も。一言余計なところまで瞳の良く知る紅蓮だ。
何もない部屋を見渡して一瞬だけ辛そうな顔をしたかと思うと、瞳に視線を移して近づいてきた。
距離をつめてしゃがんだ彼が手を伸ばし、眦にたまっていた涙をそっと掬った。それがあまりにも優しくて、驚いて止まっていた涙がまた流れる。

「これ、オレのため……だよな?」
「……ぐっちゃん…なの…?」

呼びかけると困っているような、嬉しそうな顔をして瞳の頭を撫でた。

「おう。つーか、やっぱその呼び方なのかよ」
「ほんと、に? 本当にぐっちゃん?」
「まぁ信じられないってのもわかるけどな。オレも未だに実感ねーし」
「しょ、証拠は?」

勢いに身を乗り出して、瞳はつい相手の制服から伸びていたネクタイを掴んだ。
ブレザーの前を締めていないせいであっさり捕まった黒いタイに皺が刻まれる。

「証拠だぁ? んなもんねーよ。お前が信じるかどうかだろ」
「何か、あるでしょ! ……ぐっちゃんしか知らないようなことでいいの」
「オレしかって……瞳は料理が壊滅的に下手だとか、水泳部のわりに泳ぎはオレより遅くて万年補欠。勉強もあんまできなくて夏休み中も補習があったとか、暗いところと雷と怪談の類が苦手で中学ん時の文化祭の出し物程度で泣いたとかか?」
「なッ!」

瞳としては向こうの世界でのことを予想していたのに、全然違うどころか自分の恥ずかしい話ばかりを並べられる。
自分が覚えていないようなことまで──
彼は顔を赤くした瞳を見て楽しそうに笑うと、一転して真剣な表情になった。
ぽん、と軽く瞳の頭に手を置いて、自分の方へ引き寄せる。
されるがままに抱き寄せられた形になった瞳はより強くタイを握り締めて、言葉を待った。

「……気づいたらこっちの世界に戻ってきてたんだ。絶対死んだって……思ったんだけどな。またお前の傍にいられるみてーだ」

小さく、呟くような声音で落とされた内容に息を呑む。
顔をあげようと身じろぐと、肩を抱かれて動きを止められた。

「あの時のこと、思い出すのちょっと辛いっつーか…さ。オレかっこ悪すぎだろ?」
「…ぐっちゃ…、」

また涙が滲む。
このままだとシャツが濡れるかもしれない、どこかで冷静に考えながらもそのまま顔を押し付けた。

「瞳、もう泣くなよ……」

優しく頭や背中を撫でる手のひらが温かい。
耳元で聞こえる心臓の音はきちんと鼓動を刻んでいる。

「よかっ……、よかった、ぐっちゃん……!」

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