Vischio

グリルイで本編前捏造

 学問の国ロッド。この国は今日も平和だ。
 この国の王子、グリーエンはバルコニーから市街を見下ろして、風に乗って届くざわめきに耳を傾けた。
 聞こえてくる音は明るく楽しそうで、それを耳にしていると自分がこんな城の中にいるのが馬鹿らしくなってくる。

(すげー退屈……)

 王子は部屋の中へ戻ると業務机に腰掛け、机上に広げてあった資料に目を落とし、サラサラとペンを走らせた。
 隣国からの書物閲覧許可願い──蔵書量ではシーベンスファルデ一を豪語するロッドには、時折他国から同じような申請が届く。
 それこそ隣国リーテのその先にあるブラウから、広い海を跨いだ向こうにある魔族の国までも。
 ──もっとも魔族の国からの書物が届くことなど年に一度あるかどうか、国交はとても細い糸のようなものだったが。

「──代理……グリーエン・ロッド、と」

 手馴れた動作で名前をつづり、印を押す。溜息混じりにそれを“処理済み”の方へ流すと、思い切り伸びをした。退屈だ。
 少しだけ休憩時間にして街へ降りてしまおうか。
 そう思いながら扉の方を見た途端、ノックの音がした。

「──入れ」

 まるで心を読まれたようだと内心驚きながら入室の許可を出す。
 失礼致します、と断って入ってきた文官の手にした書類の量を見て、王子は不快気に眉を寄せた。

「そう不機嫌な顔をなさらないでください、王子。本日の書類はこれで全てですから」
「“書類は”ね……その前に休憩行ってきていいか?」

 否定は許さない。
 尋ねる声と表情にはそんな色が篭められていた。
 それに慣れている文官は軽く肩を竦め、書類の束の中から一枚を抜き取ると、おもむろに王子の目の前に翳す。

「せめてこれだけでもお願いします。どうも急ぎの用らしく、日が沈むまでには向こうへ送ってしまいたいのです」
「また閲覧許可か?」
「ええ。ヴァイツからのものですね。一週間の滞在許可とその期間の──」
「……三日」
「は?」

 書類の詳細を読み上げる文官を遮った王子は、彼の手から書類を抜き取ると許可印の他に一言付け加え、再び文官へ押し付けた。
 概要は滞在期間について。一週間は許可できない、三日で全てを終わらせろという期間短縮要請だった。
 仮にも国から国への正式な申請書である。文官は僅かに目を見開くと、咎めるように王子を呼んだ。

「無理だっつーなら許可は出せねーな」

 それにもそう書いた。
 無感情に淡々と言ってのけると、そのまま執務室を出ていってしまった。

 ──この国に根付く人魚への嫌悪はとてもわかりやすい。

 いつからなのか、何がきっかけなのかは歴史を細かく紐解かなければわからないが、リーテやブラウ以上に、この国──ロッドは人魚への不快感を顕著に表す人間が多かった。
 王族──王子はその筆頭とも言える。
 文官はそっと溜息をつくと、完成された書類と“処理済み”の束を手にして部屋を後にした。
 王子が自主的に休憩を取るということは、3時間は戻ってこないだろう。せめて戻ってきたときに少しでも機嫌がよくなっていることを願う。
 城を抜け出した王子は賑やかな街とは正反対の、静かで人も滅多に通らない塔の方へと足を向けていた。
 うっそうとした森を経由して奥へと進む。
 ふと思考を掠めるのは先ほど見たヴァイツからの書類と、同時に思い出す母の言葉だった。

『……いいこと、グリーエン。彼らはわたくし達とは相容れないもの。異なるものです。一生を海で過ごし、半身は魚ですって!? あのような生き物が同じ世界に居るだなんて気味が悪い!』

 幼いころからじわじわと埋め込まれた毒は、確実に根付いている。
 王子にとって、人魚は嫌悪するものだ。そう言い聞かされて今まで育ってきた。
 母の刷り込みは、まるで呪詛のようだった。今では“人魚”という単語を聞くだけで胸がムカムカし、早々に排除したい気分にさせられる。

「……ま、実際ちゃんと見た事ねーんだけどな」

 見た事もない物に対してこの嫌悪感はおかしいくらいだと自覚している。
 自嘲して呟いた王子は、唐突に軽く響く水音を耳にした。海が近いせいだろうか。

(……に、しちゃあ妙にはっきり聞こえたな)

 物音を立てないよう、足音を忍ばせて近寄る。 木々の合間から海面へ視線を移すと、岩の上を流れる淡い金糸が見えた。
 緩く波打つ長い髪の間からはほっそりした白い腕。髪の合間で揺れる飾りは、陽の光を反射してキラリと光った。
人気の無いこんな場所で何をしているのか。
 いくらロッドが平和とは言え、治安が完璧であるわけではない。
 自分も人のことを言えた義理ではないが、王子は剣を携帯しているし、当然腕に覚えもある。

 仮に目の前の女が事件に巻き込まれでもしたら寝覚めが悪い。
 注意を促そうと近づくと、微かに歌が聞こえてきた。か細く小さな、ともすれば聞き逃してしまうほどの音量。
 海の国を謳うその歌詞に、聞き入っていた王子はハッとして相手を凝視した。
 身体を支えている岩陰の向こう側。目に入ったのは薄紅色をした尾ひれだった。

(人魚……!)

 咄嗟に腰の剣に手を掛けた王子は、慎重さを欠いてガサリと大きな音を立ててしまう。
 ピタリと歌声が止み、僅かに身体を奮わせた人魚が振り返った。
 身体に合わせて赤い髪飾りが揺れ、人魚の双眸が自分を捕らえるまでの時間がやけに長く感じられた。

「ッ、」

 人魚は表情に怯えの色を浮かべると、あっという間に海の中へと消えてしまった。
 一連の動きを呆然と見送った王子は、ゆるりと息を吐き出す。
 ──ガラにもなく緊張していた。
 剣の柄から手を離し、抜刀する気だったのかと自問する。
 さすがにそれをするほど憎いとは思っていないはず。恐らく条件反射だろう。
 まるで、狩猟をする時のような──そこまで考えて、王子は自分の考えに眉を顰めて舌打ちを漏らした。

『ねぇ、グリーエン。貴方は知っていて? 人魚の肉はね、不老不死の薬になるんですって。本当かしら。ねぇ? もし貴方が人魚を捕らえたら、わたくしにご馳走してくれる?』

 溜息を吐きながら思い出を振り払う。
 自分の意思なのか、刷り込まれた記憶から成る行動なのか、判別が難しい。

 物音を気にする必要のなくなった王子は、先ほどまで人魚が座っていた岩場へと移動した。
 初めてしっかりと見た人魚は美しかった。
 自分の物とは異なる色合いをした金の髪、白磁の肌──そして、つい聞き惚れるほどの美しい声。
 こちらを向いた眸はどんな色をしていたのか。もっと距離が近ければそれも判別できただろうに。
 比較的滑らかな岩肌を撫でると、硬質なものが手に触れた。
 拾い上げて間近で見てみれば、それは一粒の真珠だった。

(……アイツのか?)

 陸ではあまり見ない大きさの粒。質もいい。店に持って行けば高値で売れるだろう。
 だが自分に金は必要ない。妹姫にやれば喜ぶだろうか。
 しばらく考え込みながら真珠を手のひらの上で転がしていた王子は、それをそっと懐に仕舞いこんだ。
「お兄様!」

 城の門をくぐった途端、高い声が自分を呼びとめる。
 足を止めて視線を投げれば、声の主は足早に近寄ってきて小言を言い始めた。

「お兄様の休憩時間は二刻半ほど先だったはずです。お兄様がいらっしゃらないから、緊急のお仕事がわたくしの方まで回ってきましたのよ? おかげでわたくしの休憩時間は丸つぶれで、すっかりお茶が冷」
「あー、ハイハイ。そりゃ悪かったな。ご苦労さん」

 愚痴だと発覚した途中で再び歩き始めたにもかかわらず、ローザは同じ速度で横を歩きながら喋りをやめなかった。
 思わず強制的に労いの──とも言いがたい──言葉を挟むと、余計ヒステリックに「お兄様!」と怒鳴られた。

「ローザ……もうちょい声量落とせって。せっかく土産持ってきたのにやる気失くすだろ」
「え……!? お、お兄様が? わたくしに?」

 数度に渡り忙しなく瞬いたローザは、グリーエンを凝視している。
 兄が自分に土産、という珍しい事態に状況が飲み込めないようだった。

「いらねーなら捨てるけど?」
「お、お待ちください! いらないだなんて言ってませんわ!」
「んじゃ、手」

 出せ、と視線で促すと、ローザはまだ半信半疑な様子で両手を皿の形にして出してきた。
 グリーエンはフ、と笑いを零すと右手に持っていた物をそこに乗せた。
 ゆっくり離れていく兄の手から現れたのは、小さな砂糖菓子の詰まった小瓶だった。
 ロッドの街中で売っている、小さな子どもが大好きなお菓子だ。

「……お兄様、いったいどこまでいってらしたの?」
「見てわかんねーか? 街だよ、街。軽ーく視察も兼ねてな」
「視察……ですか。それにしては、随分とお時間がかかっているようですけれど」
「んなもん菓子(それ)のせいだろ。あの大通りは広くて遠いしな」

 ああ言えばこう言う兄に溜息をついて、ほんのり磯の香りがするという事実に目を瞑った。
 兄の真意はわからないが、こうして自分に土産を買ってきてくれたことはまぎれもない事実だ。
 ローザは兄が自分に見せた珍しい優しさに、素直に喜んでおくことにした。

「ありがとうございます、お兄様」

 おう、と短く返事をして、兄は部屋の方へと戻って行った。
 すっかり見送ってから砂糖菓子の小瓶を天井のシャンデリアに翳して見たところで、自分が小言を言っていた途中だったことを思い出した。

 出掛けた先も、ローザの怒りも、土産理由も全てうまく誤魔化された気がする。
 悔しげに眉を寄せたローザは通りかかった文官──戻ってきたグリーエンに仕事を再会させるべく移動していた──を捕まえて、自分の分までしっかり仕事をやるように言い含めた。




以下プロットもどきのその後の展開(これも途中まで)



次の日から、王子はふらりと出かけるようになる。
人魚のいた入り江に、無意識に彼女の姿を求めて。

一週間ほど経過したある日の夜、再び人魚を目撃した王子は、鋭い声で呼び止める。
傍若無人な態度は崩さず、人魚に名を名乗るよう言った。
「……あなたは?」聞かれた王子は自分の身分を明かさず、ただ名前だけを告げる。
人魚にもそう呼ぶようにと指示し、二人は知人になった。

王子は彼女がこの入り江に来る日の予定を聞きだすが、常に気まぐれだと返される。
魔族のいる陸地は怖くて近寄れず、ロッド、ブラウ、リーテの3国を不定期にめぐっているらしい。
それを聞いた王子はロッドの日には必ずこの海岸に来いと約束させる。

だんだん人魚に惹かれる王子だが、それを認めることはしない。
だがある日、腕に怪我をさせられた人魚を見て非常に不快になる自分に気づく。
自分以外が傷つけるのは許さない。傷を負うのも許さない。
自覚せざるを得ない状況に、王子は唇をかんだ。

人魚の昼間の行動が気になる王子は、率直に尋ねる。
いいづらそうにしていた人魚の口を強引に割らせると、人の形をとって陸をフラフラしていると新たな情報が得られた。
なんでもっと早く言わないんだと、逆切れにも似た感情をぶつける。
堂々と街を歩かせてやる、と人魚を連れ出してロッドの街へ

怖いと思われた相手がみせる不器用な優しさに、笑顔の多くなる人魚。
彼女は徐々に王子に惹かれていくけれど、それがかなわぬ思いだとわかっていた。
ロッドは人魚に寛容ではなく、相手が王子だということも薄々だが気づいていたからだ。
せめてブラウの人間だったらよかったのに、と独りごちる人魚は、王子の頬に軽く口付けを落とし、もう会わないと告げた。

これ以上傍に居たら、本当に好きになってしまう。自分が傷つきたくないから、これ以上王子の傍にはいられない。
自分勝手だけど自分のことは忘れてほしい。今までのことは全て。

自分はもうすぐ永い眠りについてしまうから。

人魚の掟、禁忌。当然人魚はそれを知っていたけれど、そのことを王子に告げることはしなかった。
納得出来ない王子は、人魚を勝手だと責める。
それでも泣きそうに笑う彼女に口をつぐみ、代わりのように抱きしめて、口付けを贈り、忘れないと告げた。
「オレは人魚が嫌いだったのに」
なのに、ルイを好きになってしまった。
簡単に忘れられるような、そんな想いじゃない。

「……好きなんだ」
「私も…グリーエンが好きだったわ。この国で初めて人魚を受け入れてくれたあなたが。不器用な優しさが、凄く……好きだった」
「……過去形で言うんじゃねーよ」

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