Vischio

狂乱のレガロ

それはほんの偶然だった。
ローザにどうしてもとせがまれて出た街中で、ヒトの姿で買い物をしている瞳を見つけた。
声をかけようとして、隣りにもう一つの影を見た。
楽しそうに笑いかける瞳と、それに応える男。

「お兄様?」

ローザの声は遠く、オレは信じられないものを見た時のように思考を止めた。



***



「やっぱり陸はいいな……なんだかんだで落ち着くよ」
「ほんと? 迷惑じゃなかった?」
「何言ってんだよ、ありがとう速水」

雪草君はにっこり笑ってそう言った。
よかった。海の中で会うよりこっちのほうがまだ落ち着く。

私は雪草君に笑って返すと、ゆっくり息を吐き出した。

突然できた婚約者……そんなことを言われても、結婚なんて私にはまだまだ先の話だと思ってたし、実感なんて全然ない。
なのに陛下に親睦を深めて来いとヴァイツを訪問させられて、思いついたのが陸に上がることだった。

雪草君とこうして出かけるのは初めてじゃないけど、何故かいつも緊張する。
会う機会は増えていく一方なのに、落ち着かなくて……いつも家──ミーアに帰ると疲れているのを実感するのが嫌だった。

こんな気持ちで会ってるなんて雪草君にも失礼だわ……

「ごめん、な」
「え?」
「気ぃ遣わせちゃってるだろ? ほんとはおれの方が色々してやるべきなんだろうけどさ……」
「そ、そんな、ごめんなさい、」
「速水?」
「私そんなに暗い顔してた? 違うの、その、つまんないとかじゃなくて、自己嫌悪っていうか──」
「速水!」

強い声に思わず身体が震える。
雪草君は苦笑して「落ち着け」って小さく言った。

「謝るなよ。速水は全然悪くないんだからさ」
「で、でも……」
「いいから。今日はもう帰るか?」
「うん……」

私の方こそ雪草君に気を遣わせちゃってるじゃない……
こんなのがずっと続くのかしら。

無理よ、こんなの耐えられない。

そうは思ってみても結婚の準備は着々と進んでいるし、このままでは本当に雪草君と結婚することになる。



◇◇◇



「──で?」
「……どうしたらいいと思う?」

一旦ミーアに帰ったあと、マリンコンパクトでぐっちゃんをロッドの海岸に呼び出した。
もちろん、婚約解消の為のいい知恵を貸してもらおうと思ってなんだけど……なんだかずっと機嫌が悪いみたい。
私と目を合わせようとしないし、距離も遠い。
……せっかく人間の姿で来たのに……

「満更でもねーんじゃねーの?」

不機嫌そうにしたまま、ぐっちゃんが呟くように言った。

「雪草ってアレだろ? 昼間一緒にいた」
「み、見てたの?」
「…………偶然、だけどな」
「だったら声かけてくれればよかったじゃない。私──」
「邪魔すんのも悪いかと思ってよ。オレもローザと一緒だったし」

そう言われちゃうとなにも言えない。
だからって、なんでそんなに機嫌悪いのよ。

「困ってるのはほんとだもん……」

言い訳みたいになったのはわかったけど、どうしたらいいかわからない。
つい溜息をついて地面に視線を落とすと、小さく笑い声が聞こえた。

「……ぐっちゃん?」
「婚約解消、ね──協力しろってのか、オレに」
「え?」

どういう意味?

──ねぇ、どうしてそんなに痛そうな顔してるの?

「なぁ瞳」
「な、なあに?」
「それってどんな方法でもいいのか?」

顔を俯けたぐっちゃんはそう言いながら私の隣に来た。
髪の毛が表情を隠してしまって、どんな顔をしてるのかわからない。
それは少し気になったけど、ぐっちゃんが協力してくれそうなのが嬉しくて、私はよく確かめもしないで頷いた。

「ならさ、明日……この時間城に来いよ」
「……でも、遅すぎない? 私なんて門前払いになっちゃうと思うけど」

海の中でなら姫だけど、陸に上がっちゃえばただの一般庶民だもの。
簡単にお城になんて入れるわけがない。
ぐっちゃんなら知ってるはずなのに、なんでそんなこと言うのかしら。

「オレが迎えにでてやるから心配すんな」

ぐしゃりと私の髪の毛を混ぜて撫でながら、ぐっちゃんは笑った。
いつもみたいに「しょーがねーなぁ」って言うときの優しい顔。

「なーに笑ってんだ」
「え? わ、笑ってないわよ。ぐっちゃんの見間違いでしょ?」
「んなわけねーだろ。何考えてたんだ? 言ってみろよ」

ほんとに笑ってたの?
変ね、昼間はあんなに憂鬱だったのに。

「んー……なんかぐっちゃんに会ったら元気でたみたい。ありがと」
「ッ、……単純なやつ」

なによ、せっかく素直に言ったのに。
でも見たんだから。一瞬嬉しそうに笑ったの。

「素直じゃないんだから……」
「なんか言ったか?」
「なにも?」
「──ま、いーか。瞳、明日遅れんなよ」

また私の頭をくしゃりと撫でてぐっちゃんが言う。
髪の毛ぐしゃぐしゃになるじゃないの。

それでも止めないのは、私もそうされるのが好きだから。

絶対遅れないと啖呵を切って、私は人魚に戻るソーマを口にした。

「何度見ても慣れねーな……一体どうなってんだ?」
「……私に聞かないでよ」
「だよな」

むか。

去り際にぐっちゃんの顔に思いっきり水をひっかけて、私の名前を大声で呼ぶぐっちゃんの声を別れの挨拶に、私は海に潜った。



▽▲▽▲▽▲▽▲



「くっそ……」

瞳のせいで頭から肩にかけて潮水まみれ。
思いきり怒ってもいいはずなのに、普段と同じ瞳の態度に安堵して喜ぶ自分がいる。

単純で純粋で──残酷。
オレにとって、瞳はそんな存在だ。

この気持ちに気付かない振りをしてたのに。

──認めたくなかったのに。

水が滴り落ちる髪を乱雑に掻き上げると、合間から月が見えた。
影の部分が大きく、姿が歪んで欠けている。

「──ぴったりじゃん……」

今のオレと、今の気分に。

どんな方法でも構わない。
そう言ったのは瞳だ。

壊れて歪んで欠けたモノ。
もう元には戻らないかもしれない……あの月とは違って──



▽▲▽▲▽▲▽▲



言われたとおり、言われた場所、少し早いけど約束の時間。
私だってその気になれば──

「……って、いないじゃない」

早くと言っても1時間も2時間も早いわけじゃない。
ほんの2,3分。これくらいならぐっちゃんがいてもおかしくない。むしろ、いないとおかしい。

「なによ、はりきったのに……」
「たかが数分でか?」

背後から掛けられた声にびっくりする。
慌てて後ろを見ると呆れたように溜息をつくぐっちゃんがいた。

「ぐっちゃん、いたんだったらもっとわかりやすいとこに」
「静かにしろ」
「んぐ」

……ちょっと、どういうことよこれ。

いきなり口を塞がれて、ぴたりと壁に身を寄せる。
お城の兵士っぽい人が通り過ぎると、ぐっちゃんは小さく息を吐いた。

「……でかい声だすなよ?」

声を潜めるぐっちゃんに渋々頷くと、ようやく手を離してくれた。
ああ苦しかった。

「なんなの? やっぱり不法侵入扱いってこと?」
「…………こっち」

私の問いかけには答えてくれないまま、強く肩を抱かれた。

ぐっちゃんて結構手大きいのね。

いつもより近い顔は整ってて、なるほどモテる理由もわかる。
しかも今は異国の王子様みたいに金髪で青というか……碧色をした眸がとっても綺麗。

「……なんだよ。あんま見んな」
「うん、ぐっちゃんがモテるのわかるなって」
「はあ? 何言ってんだよお前は……」
「嬉しくないの?」

あっちじゃ結構色んな子と付き合ってたくせに。
モテるの嫌なのかしら。

「瞳は何とも思わねーんだろ?」
「? ぐっちゃんを見てドキドキするかってこと? 別に……長年見てるし……」

弟にいちいちドキドキしてたら生活できないと思うんだけど……
そう思うのに、ぐっちゃんは大袈裟なほど溜息をついて、「なら嬉しくねーよ」ってぶっきらぼうに言った。
どういう意味よ。

「瞳、ここ。足引っ掛けて転ぶなよ」

裏口らしきところまで連れられて、そこから中に通される。
室内はとても静かで、人の気配が薄かった。
それに──見渡す限り本ばっかり。ぐっちゃんの好きそうな場所ね。

「おい、ボケっとしてんな。行くぞ」
「あ、うん」



──次に入ったのはちゃんと生活感のある紅い部屋。
いかにも必要なものしか置きません、と言っているようなシンプルな部屋だった。
似たような場所に覚えがあった。
向こうの世界、隣の部屋。

「ここって……」
「瞳、こっちで話そうぜ」
「え? う、うん……ねぇ、どうしたの?」
「……なにが?」

うまく言えないけど、焦ってるというか……緊張してる?

言葉に出来ないうちに隣の部屋に連れて行かれて、勧められるままソファに座った。
次いで私の前に跪くぐっちゃんに驚く。

黒いマントがふわりと扇状に広がっていく。
それが、やけにゆっくりに見えた。

「どんな方法でもいいんだよな?」
「……ぐっちゃん?」

カシャン。

────え?

普段絶対聞かないような金属音。
足に触れたものは固くて冷たくて──重い。

「……瞳は今日から行方不明だ。ずっと、な」

そう言って笑うぐっちゃん。
手には細い鎖が乗っていて、私の足元に伸びている。
それはジャラ、と音をたてながら、床に滑り落ちた。

「……な、なんの冗談? ねぇぐっちゃん、これ外してよ!」
「冗談? ……はっ、冗談でこんなことできっかよ。いーじゃねーか。お前の望みは叶うだろ?」

一体どうしたの? どうしちゃったの?
こんな風に叶えて貰っても全然嬉しくない。

「……どうして?」
「…………さあ? どうしてだろーな。独占欲ってやつじゃねーの?」

他人事のように言いながら、私の髪を掬う手つきはとても優しいのに……

恐い。まるで知らない人みたい。
目の前にいるのはぐっちゃんよね?

「瞳、次は何して欲しい?」

唇で弧を描いて、囁くように言う。
その言葉と声は冷たさなんて全然ないのに──甘さを帯びるほどなのに──眸が笑ってなかった。

「ぐっちゃん……こ、れ……はずし、」
「それ以外ならなんでも聞いてやるよ」

私の髪を取って口づけを落とす。
そっと優しく、まるで壊れ物を扱うように。

こんなの、嘘。夢でしょう?
いつもみたいにからかってるだけよね?
目が覚めたら頭を撫でて、「変な夢見てんなよ」って言いながら笑ってくれる?

──私は遠くなる意識の中で、ぐっちゃんの声を聞いた気がした。

「ずっと大事にしてやるよ。……お前はオレの大切な──」

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