厳かなほど威圧感に満ちた紅い部屋。
中央には玉座、その横に寄り添うようにもう一脚が置かれている。
落ち着く、とは程遠いその部屋で、オレは王と王妃に向かい合って、頭(こうべ)を垂れていた。
こっちでのオレの両親になる二人だけど、未だに慣れない。
向こうの親にはなかった……なんつーか、威厳? これがどーにも苦手だ。
「……グリーエン、」
「はい」
ようやく始まるのか、と内心思いながら顔を上げ、オレはそこで固まった。
二人して、なんかおかしい。
いや、親に向かって“おかしい”はいかがなものかと思うが、それでもこの状態を見たら、きっと誰だっておかしいと言いたくなる。
揃いも揃って満面の笑顔。まるで機嫌を伺うように。
……これから何を言われるのか、想像するのが恐い。
王が口を開こうとするのを、王妃が手にしていた扇で遮って──そんなことしていいのか?──再度オレを呼ぶ。
「グリーエン、あなたルイ姫と結婚してどれくらい経ちますか?」
「…………は?」
どれくらい、と言われても……とっさには想い浮かばない。
こっちと向こうでは時間の経過が違うし、向こうにいる間こっちで(ってさっきからややこしいな)どれくらい寝ていたのかもはっきりしない。
はぁ……
重すぎるくらいの溜息が王妃の口から出た。
あぁ、なんかその目は懐かしい感じがする。母さんが父さんに対する愚痴を零すときの目にそっくりだ。
「あなた自分が結婚した日くらいは覚えているんでしょうね?」
「はあ……」
覚えてねぇ。
こっちの暦は書庫で見たから、向こうでいう12月頃なんじゃないかとは思う。
どこの世界も変わらず、記念日というのは大切にしたいものなんだろう。
──瞳も、そうなんだろうか。
……大体結婚記念日とやらを覚えているかどうか、それさえ怪しい。
まあ、戻ったら聞いてみるか。
「それでね、グリーエン……」
……オレの聞いていない間にも、王妃の話はずっと続いていたらしい。
横にいる王をチラと覗き見ると、笑顔を貼り付けたまま船を漕いでいた。
「世継ぎはまだかしら」
「………………はあ!?」
今度は自分の考えの波に呑まれる間もなく、オレは思考を停止させた。
その後、オレは無理やり意識を回復させられ、再度“世継ぎ”をせっつかれた。
ルイ姫も呼んで聞かせるべきかしら、と提案しだした王妃を必死で止めて、あろうことかオレは……
『ルイにはオレから話しますから!』
……そう、言ってしまった。
「はぁ……」
どうやって切り出したらいいんだよ。
相手は瞳だぞ? そりゃ抱きたくないって言ったら嘘になるけど──ってか今まで手出してないなんて、それだけで十分紳士だと思う。
当然、王妃は未だにオレたちがなんの関係も持ってないなんて知らない──知ってても困るが──だからこそ“世継ぎ”なんだろう。
王妃曰く『王に嫁いだ女は世継ぎを産むのが役目』だそうだから。
……オレは瞳にそんな風に割り切って欲しくない。
「それじゃ道具みてーじゃねーか……」
溜息をついて、それでも考えはまとまらず。
こんなんじゃ瞳になんて言やーいいんだよ。
『瞳、オレの子供を産んでくれ!』
『ぐっちゃん……嬉しい……』
「……ぜってーねぇな」
アホかと自己ツッコミを入れ、そもそもそんなに進んだ関係じゃないことを思いだした。
以前よりははるかに恋人に近いけれど、閨を共にするほどじゃない。
本当に亀の歩みで、瞳に合わせてゆっくり近づいているところだった。
──よく耐えてるぜオレも……
部屋の前。
ノックをするにも躊躇う。
なにもそんなすぐに言わなくていいことだとわかっていても、聞く前と後じゃ、心持ちが違う。
今日は様子見だ。
緩く息を吐き出しながらそう決めて、オレは二度扉を叩いた。
コンコン。
叩いてから、らしくないと思う。いつもはノックなんてしない。
開けて、瞳に小言を言われて軽く謝ってがいつものやりとりのはずなのに──
自分で思っている以上に混乱しているらしい。
「…………?」
あれこれ考える間にも、中から反応が返ってくる様子はない。
出かけてるのか?
「瞳?」
言いながらドアノブを回して、押す。
静かだけれど、瞳の気配は確かにあって部屋に満ちている。
「瞳ー?」
もう一度呼びかけながら、寝室のドアを開けた。
────いた。
「……暢気なもんだ」
ベッドは陽の匂いがして、布団を干したばかりなのだとわかる。
瞳はそれを取り替えてる内に眠りに引きずられたんだろう。
しっかり布団を握り、ゆっくり呼吸を繰り返す瞳は無防備で、警戒心の欠片もない。
「ガキ……」
眠る瞳の横に寄って、髪に口付けを落とす。
「瞳、起きろよ」
次いで瞼に、頬に。順に唇を押し付けて起床を促した。
「んー……、ぐっちゃ……ん」
うっすら目を開けた瞳が腕を伸ばしてくる。
オレはそれを引っ張ろうとして、逆に強く引かれた。
「ッ、ん──」
柔らかい唇に触れる。
瞳からのキスなんて滅多にないもので、それだけに心が騒ぐ。
オレは応えるように軽く唇を噛んで、瞳を離した。
──これ以上はオレの方がヤバい。
「……起きたか?」
「ん……おはよ」
目を擦りながら身体を起こす瞳に、世継ぎどころじゃないなと思う。
瞳自体が子供みたいなもんなのに──
オレは何度目かわからない溜息をついて、とりあえず聞くべき事を聞いてみる。
それはもちろん世継ぎ云々じゃなく、個人的に知りたいことだ。
「瞳、お前さ……結婚したのいつか覚えてるか?」
「なあに? 改まって……」
「ん、ちょっとな……」
瞳はちょっと考える仕草をして、唸った。
「あ、思いだした。確か人馬星5の日よ」
「覚えてたのか!?」
「失礼ね! 私だってそれくらい覚えてるわよ」
ムッと眉根を寄せて渋い顔になった瞳に軽く謝る。
そうか……やっぱ瞳もそーいうの好きなんだろうな。
「そういえば、ぐっちゃんとココで暮らすようになってから結構経つわね」
ぽつりと零す瞳は感慨深げで、今ならさりげなく切り出せるかもしれない。そんな雰囲気があった。
「なあ、」
「ん?」
「お前……さ……」
「?」
『子供欲しくないか?』
……んなこと聞けるか!
あー、やっぱちゃんと考えてからにするべきだったな。
「ぐっちゃん?」
「なんでもねー」
溜息をつくオレに疑問符をたっぷり浮かべて、瞳が首を傾げた。
あぁくそ、可愛い。
思わず腕を伸ばして瞳を引き寄せ、腕の中に閉じ込める。
布団の移り香なのか、瞳の髪は微かに陽の匂いがした。
「変なぐっちゃん」
小さく笑って言いながらオレの背に腕を回して、頭を押し付けてくる瞳。
さっきの寝起きのキスといい……今日はやけに甘えてくる気がする。
嬉しいが、我慢をする身としては複雑だ。
「なんかあったのか?」
「どうして?」
「……珍しいじゃん」
髪を撫でながら言うと、瞳は一瞬身体を硬くした。
なんなんだ、ほんとに。
ゆっくり顔を上げた瞳の表情は先程とは全く違う。
赤い顔で、眸を潤ませて、オレを……オレだけを映す。
「──ぐっちゃん、」
声には熱が籠もり、いつの間にかオレの服を掴んでいる瞳の手が見える。
必死さを表すように──それは微かに震えていた。
──待て。……ちょっと、待て。これは都合のいい夢か?
固まったまま瞳を見つめていると、勢いよく身体が押された。
「なっ!?」
ギッ、
スプリングの軋む音、柔らかい布団、紅い天蓋。赤い顔。
瞳の柔らかい髪が零れてオレの頬を撫でたところで、我に返った。
待て待て待て!!
ちょ、冗談じゃねーぞ!? なんだこの状況、なんでオレが瞳に押し倒されてんだ!?
「おい、」
「や……り……じゃ、無理?」
瞳は急に泣きそうな顔になって俯いた。
掠れ気味の声を全部拾うことはできなくて、問い返す。
落ち着けと自分に言い聞かせて。なるべく常と同じように。
「瞳……? なあ、どうしたんだよ」
「わたし、じゃ、無理……? 魅力ない?」
オレを見下ろしながら、小さな声でそう言った。
──何言ってんだ? オレがどんだけ我慢してると思ってんだよ。
そんなオレの内情など瞳が知るはずもなく。そのまま黙り込んでしまった。
オレは瞳を抱き寄せて、ポンポンと軽く背中を叩く。
そのまま横に転がして顔を覗きこんだ。
「瞳、落ち着いて、何がどうしてこうなったのか説明しろ」
しばらく黙ったままオレを見ていた瞳は、一つ息をつくと視線を逸らしながらボソボソ喋りだした。
「……ぐっちゃんが、なにもしないから……」
瞳は瞳なりに、色々悩んでいたらしい。
一足飛びに夫婦になって、最近ようやく恋人らしくなったものの、一定の域をでない。
いつまで経っても先へ進まないオレに、瞳は自分の魅力がないから、距離が近すぎて──姉弟の期間が長すぎて──身動きが取れないのだと解釈したらしい。
「だから……トーヤに相談して……」
「とーや? 誰だ?」
「友達よ。お姉さんみたいな王子様」
……どんなヤツだよそれ……。
『やっだ~ルイちゃんったら、そんなことで悩んでるの? バカねぇ』
『……だって……』
『そんなのアンタから乗り越えちゃえばいいじゃない』
『私!? で、でも自信ないわ……』
『大丈夫よ。アンタ、十分魅力的だもの。……気づいてないの? 最近益々綺麗になってるわ』
『ほんと……?』
『ええ、ホントよ。そうだ、アタシがとっておきの方法教えてあげるわ。ちょっと耳貸しなさい』
──で、それを実行に移したと。
「……今度そいつに会わせろ」
「どうして?」
瞳に変な入れ知恵しそうだから。
そう正直に言ったらきっと瞳は怒るだろう。
オレは曖昧に誤魔化して、瞳の額を叩いた。
「たッ! なにす──」
「お前なぁ、バカじゃねーの?」
「な、」
文句を言おうとする口を塞いで、瞳に圧し掛かる。
漏れ聞こえた甘い声に煽られながら、白い首元に口付けた。
「ぐっちゃ……痛ッ、」
「待ってたんだぜ?」
囁くように言うと、瞳が息を呑んだ。
「ずっと待ってたんだ──……やっと、」
捕まえた。
躊躇いながらも腕を伸ばしてくる瞳は、今までで一番綺麗で、愛おしい。
これ以上なんて、ないと思ってたのに。
「愛してる」
──何度言っても、きっと足りない。
◇◇◇
コンコン。
ドアをノックする音。
まどろみながらそれを聞いて、薄く目を開けた。
<──グリーエン王子、開けてよろしいですか?>
扉の向こうで自分を呼ぶ声がして、段々意識がはっきりしてきた。
久しぶりに深く眠ったような気がする。
とても幸せな夢を──
──夢!?
ガバッと身体を起こすと、軽い怠惰感。
手に触れた、温かいモノ。自分のものではない熱。
「……寒い……ぐっちゃん……」
もぞもぞ動いて寄ってくる瞳を視界に入れた途端、叫びそうになって慌てて口を押さえた。
「──失礼致しま」
「待て! 開けんな!!」
「は?」
夢と現実の境があやふやで、オレも軽く混乱していたんだと思う。
怪訝な顔をする従者に隠すことなく、実に正直に瞳が寝てると告げてしまった。
いつもならオレも瞳も起きてる時間だから、妙な違和感が漂った。
「心得ました。お食事は隣室にご用意させて頂きますが、宜しいですか?」
「あ、ああ」
従者の対応をしているうちに、オレ自身も大分落ち着いた。
食事の用意が整ったテーブルを前に、瞳を起こすべきか迷う。
一応聞くだけ聞いてみるか。
らしくもなく咳払いをして、瞳のいる寝室へ足を運んだ。
「瞳、メシだぞ」
「………………」
……返事は寝息だ。無反応なのがつまらない。
オレは半身をベッドに乗せて、瞳を揺らした。
「ん……、」
ようやく反応を返した瞳を覗きこむ。
ゆっくり瞼が上がる様に、つい見惚れた。
蒼い、海の色をした眸にオレが映る。
ぼやけたそれがだんだんクリアに、瞳の瞬く回数も増した。
「瞳──」
「ッ、」
声をかけようとした途端、瞳の頬が赤くなる。
止める間もなく、瞳はシーツを引き寄せるとオレから目を逸らすように転がった。
……なんでこんな──可愛いんだ?
「……参った……」
瞳と背中合わせになるようベッドに転がって深呼吸。
落ちつかねーと……ほんとにヤバい。
「そういや──」
瞳を見ていたらふと思いだした。
言い忘れていたこと、ずっと……どう伝えようか迷っていたこと。
「王妃がな、早く世継ぎが見たいって言ってたぜ」
気を紛らわすつもりで軽く言ったつもりだったのに。
目をやった先にいた瞳は益々顔を赤くして、今度こそ完全に潜り込み、丸くなった。
──そんな反応、予想外だ。
本当に可愛くて、愛しくてどうしようもない。
“世継ぎ”もいつかは欲しいと思うけど、今は──しばらくは、二人だけがいい。
ようやく手に入れたんだ。まだまだ独り占めしてたって罰は当たんねーだろ?
しあわせ家族計画?
マーメイドプリズム シリーズ(連作)
5443文字 / 2006.12.12up
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