Vischio

好きになったのは、俺の方が先だとしても

あぁ、好きだな。
無邪気に笑う瞳を見て、漠然とそう思う。

放課後の部活時間、水泳部はグラウンドの片隅で柔軟運動をやっていた。
季節柄プールを使うのはまだ早いということで、体力づくりが主な部活内容らしい。
瞳が親友とじゃれあうようにしてノルマをこなしていく。

スコアボードを手にぼんやりとその風景を眺めていたら、ふと目が合った。
動きを止めた瞳はオレを指差して、口をパクパク動かした。

『ちゃんと仕事して!』

口の動きと表情から察するにそう言っているらしい。
──ハイハイ、わかってるって。
答えるように片手を上げると、満足そうに頷いて柔軟の続きを始めた。単純。
まぁオレも自分のやることを放りだすわけにいかないので、さっきよりは真面目にマネージャー業をこなす。
とはいえ、データをまとめる上でどうしても気になってしまう。
“速水瞳”って単語が既に思考切り替えのスイッチになってるんじゃないかと思わずにいられない。

なぁ。今のオレのこと、どう思ってる?

「おーおー、でっかい溜息だねぇ、青少年」

間近で聞こえた声に顔を上げると、腰に手を当ててこっちを見ている友永茜が居た。
柔軟は終わったのか?
疑問をそのまま口にすると、彼女はレギュラー限定メニューに移るらしい。

「でね、瞳まだ残ってんのよ。あと前屈だけなんだけどさ……マネージャーさんお願いしていい?」
「オレは別に構わねーけど……」

普通男に柔軟手伝ってもらうのって嫌なもんじゃねーの?

「瞳がキミならいいって言うからさ」
「…………ふーん」

やっぱ意識されてないって?
ま、他のヤローに任せるよりずっといいけど。
促されるままに瞳の方へ行くと、柔軟そっちのけでだらけて座っている。
わざと静かに近づいて、持っていたスコアボードで軽く頭を叩いた。

「いった! ぐっちゃん!」
「でけー声だすなよ、サボり魔速水サン」
「サボ……、どっちがよ。私は茜が居なかったから休憩してただけだもん」
「いーからほら、座れって。わざわざオレを指名してくれた礼にじっくり丁寧に手伝ってやるよ」
「…………茜、ぐっちゃんになんて言ったの?」

なぜか座るのを躊躇う瞳は、しきりに親友の方へと視線を投げる。
……逆にお前が何て言ったか気になるじゃねーか。

「そんなにオレがよかったのか?」
「なっ、別に、ぐっちゃんじゃなきゃ嫌とか、そんな風には言ってないわよ!」

そこまでは言ってねーじゃねぇか。
つーか……似たようなことは言ったのか?
それよりお前声でけーよ。

案の定注目を浴びて視線が集まる。遠巻きに見ていた茜はなぜか大笑いだった。
こうなることを予想してたんじゃねーかと密かに思う。
少し遅れてそれに気づいた瞳は真っ赤になって、理不尽にもオレの背中をバシバシ叩いてきた。

「後輩に暴力は良くないんじゃねーの、速水センパイ」

言いながら身体を反転させて、尚も叩こうとしていた瞳の腕を掴んだ。

「何よ“先輩”って! いつもは呼べって言っても呼ばないくせに、こういう時だけ呼……っ」
「だーから、うるせーよ」

溜息混じりに瞳の口を空いているほうの手で塞ぐ。
赤かった顔が更に色づいて、あっという間におとなしくなった。
つい抱きしめそうになるのを堪えて、丁度いいとばかりに瞳をその場に座らせる。

「んじゃ押すぞ」

了解の答えを聞く前に、瞳の背中をグッと押した。

「いいい痛い痛い痛い、ぐっちゃん!」
「ちっとは痛いくらいのほうがいいんじゃねーの?」
「そん、な……わ、けな……でしょっ、ばかっ」

振り向く瞳は、眦に涙を浮かべながら抗議してくる。
オレは一気に力を抜いて、反動で戻ってくる瞳を抱きとめた。
腕の中にすっぽりと納まる身体は華奢で柔らかくて、痛い想いをさせて悪かったなという気にさせた。

「ッ、ぐっ、ちゃ……」

小さく息を呑んだ瞳の身体が強張る。
…………あーあ。やっちまった。
腕の中を覗くと身体をより一層縮こまらせている瞳がいる。
オレの腕にすがるようにして俯く仕草と、かろうじて見える耳がほんのり染まって、どうしたらいいかわからなくなった。

「瞳……」

何を言う気だろう。
自分でもよくわからずに名前を呼ぶ。
ピクリと反応を返してきた瞳は、声を出す代わりなのか、更に強くオレの腕を掴んだ。

「る、」

「もう耐えらんねぇよ!!」
「いい加減にしてくれーーーー!!」
「他所でやってちょうだい!」

あまりにも可愛くて、とりあえず何か言いたくて結局名前を呼ぼうとした──ら、遮られた。
周囲が今にも泣きそうな、必死な声を上げている。
どう対応すべきかぼんやりしている間に、部長命令で『部内でイチャつき禁止令』が出された。ついでに今日は帰れとも。
まだ付きあってねーのに。先に禁止令がでるってどうなんだ。
なぁ瞳?

「……ぐっちゃんのせいだからね」

なにがだよ。
恋人扱いされたことか? それとも禁止令が?

「ち、違うわよ。追い出されたこと!」

もう、と怒ったように言いながらズンズン前を歩く瞳。
思わず笑いを漏らしながら、目の前でゆらゆら揺れる髪を引いた。

「? なあに?」
「別に。触りたくなっただけ。……あと、どうしたら機嫌直っかなー、とか?」

おどけて言ってみると、黙り込んだ瞳は自分の右手を付きだしてきた。
摘んだままだった髪を離したオレは、出された瞳の手を握る。

「……ぐっちゃん、これじゃ握手でしょ」

握手の形に合わされた手をパッと離して、左腕のほうに移動した瞳が体当たりしてきた。
……油断してただけに不覚にもよろめいて、それに文句を言おうとした口は音を出す前に固まった。
しっかり取られた腕と瞳を交互に見てみるものの、やっぱり言葉がでてこない。

「白玉ぜんざい、ぐっちゃんは宇治抹茶パフェね。もちろんぐっちゃんの奢りで」
「おい、」
「それで直してあげるから」

こっちを全然見ようとしない瞳は、きっと顔をみられたくないんだろう。
──だって耳が赤い。まぁ、オレも人のこと言えねーと思うけど。

帰り道の喫茶店じゃなくて、少し遠い甘味処なのは偶然か?

「……わざとってことにしとこ」

「何?」

「いーや、何も言ってねーけど? それよりお前、オレの分まで食う気だろ。太るぞ」
「そ、そういうこと言う!?」

ようやくこっちを向いた瞳に笑いかけると、口をぴたりと閉ざして慌てて前を向いた。
……そうやって期待させるなら、それなりの見返りは要求してもいいよな。
引かれる腕をそのままに、これからの駆け引きを思って口元を緩めた。





恋愛感情成長中。部活中のバカップル。

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