Vischio

寒い日の寄り道

冬ともなれば水泳部の活動は少ない。
室内での筋トレが主で、そのペースも週2、3回。今日はお休みの日だ。
そんな日もレギュラーに選ばれてる人たちは体力づくりに余念がないけれど、私はまだまだ補欠レベル。
夏以降、少しはマシになったような気がしたのに、それを実感する前にプールの使用期間が終わった。
来年のために頑張ったらどうかと茜が誘ってくれたけど、もう既に約束があったから断った。
少し急いで教室を出て、歩きながら携帯の液晶を覗く──案の定、メールと着信が一件ずつ。
……せっかちなところは変わってないんだから。
そう指摘すれば、すかさず『瞳がとろすぎんだよ』と返ってくるに違いない。



二年生の昇降口、丁度私の靴が入ってる辺りに蹲ってる影が見えた。
思わず早足を止めると、キュ、と上履きが音を立てた。
ぼんやり外をみていた影は、その音を耳聡く聞き取ってこちらを向くと、すぐさま顔を不機嫌に歪めた。

「るーいー」

目が合うとわざとらしく声を間延びさせて私を呼ぶ。
続けて出てくる言葉は100%──賭けてもいい──“遅い”という文句に違いない。

「おっせーよ、バカ」
「……ばか、は余計よ」

ムッと眉根を寄せると、ぐっちゃんは立ち上がって下駄箱を二回、ノックするように叩いた。
早くしろ、と言いたいのだろう。

「そんなに急かさなくたっていいでしょ」
「お前が5時までに行きたいっつったんだろ」

ぐっちゃんの口から出てきた時刻を聞いて、サッと腕時計に目をやる。
──4時半。ここからストロベリーカフェまではどれくらいかかったっけ?
今日は新作が出る日だから帰る前に寄りたい、と誘ったのは自分だ。

「オレは別にいいんだぜ? このまま──」
「ぐっちゃん!」
「……やっぱ行くのか……」

溜息を吐くぐっちゃんに構ってる暇はない。下駄箱から靴を出し、そのままぐっちゃんの腕を取って引っ張った。



昇降口を出ると、途端に冬の冷たい空気に晒される。
反射的に首を引っ込めてマフラーに顔を埋めると、斜め後ろから「亀みてぇ」と、とても失礼なことを言われた。

「寒いんだからしかたないでしょ! 大体ぐっちゃんだって……ぐっちゃん、マフラーは?」
「あぁ、忘れてきた。今朝は奇跡が起こったからな、慌てちまってさ」

ニヤニヤ可笑しそうに笑うぐっちゃんの言う“奇跡”は、私がぐっちゃんを迎えに行ったことだと思う。
暗に私が早起きするなんて奇跡でしかありえないってことで──なんて失礼な弟!ううん……今は弟じゃないんだから、なおさら酷い。

「なにブツブツ言ってんだよ。聞こえねーぞ」
「……明日も迎えに行くからね。明後日も。今週はずっと!」

こうなったら宣戦布告だ。奇跡なんて言わせない。
空いてるほうの手の指を立ててぐっちゃんを見上げながら言うと、ぐっちゃんは目を僅かに見開いてゆっくり瞬いた。
それから少し顔を背けて、私に捕まれてない方の手で顔を半分隠す。
隠せていない耳はほんのり赤く染まっていて、そうかよ、と呟いたのを聞き逃すところだった。

「ま、期待しねーで待っててやるよ」

一瞬だけ、眉を寄せてぐっちゃんを睨む──やっぱり酷い。
私の気持ちなんてお構いなしに、ぐっちゃんはご機嫌になったときと同じように少し早歩きになった。
そのまま私の隣に並んで、ぐっちゃんの腕を掴んだままだった私の手をやんわりと解く。
それがなんとなくイヤでぐっちゃんを見上げると、目元が柔らかく細まるのが見えた──私を甘やかす時と同じ表情(かお)。
解かれて半端に浮いた私の手のひらは、一回りくらい大きいぐっちゃんの手に包まれて握られた。
ぐっちゃんの手はあったかくて、優しくて。カイロよりもずっとずっと魅力的だと思う。
そんなことを考えていると、ぷっと吹き出す声が聞こえてまた顔を上げる。
嬉しそうに笑うぐっちゃんは、私を指して──人を指差しちゃダメって教えたのに──百面相、とからかった。
文句を言おうとして口を開いたタイミングで、繋いだ手をぐっと引っ張られる。
転びそうになって慌てて足を動かすと、そのまま小走りの軌道に乗った。

「転ぶなよ瞳」
「ッ、ぐっちゃんが引っ張らなければ」
「時間に間に合うようにしてんだから文句言うな」

私が言いかけたことをぴしゃりと遮って、ぐんぐん進む。
──もう! ストロベリーカフェに着いたら覚えてなさいよ。
言いたいことを手のひらに込めて、ぐっちゃんの手をギュッと握った。

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