Vischio

譲れないもの

「どうぞ、瞳ちゃん。熱いから気を付けて」
「ありがと」

柔らかな、優雅とも言えそうな手付きで茶器を扱う男は、にっこり笑って瞳の前にティーカップを置いた。
嬉しそうに手を叩く瞳は、初めてのものに興味津々で、それにゆっくり顔を近付ける。

「こちらで楽しまれているお茶だそうですよ。発祥地がリーテだとかで、葉の種類も豊富なんです」
「……ふうん? 運にーちゃんてお茶好きだったっけ?」
「ええ、特に紅茶が。こっちにも似たようなものがあって嬉しいですね」

大きく開いた窓から──拭きぬけ構造だから壁だろうか──風が入る。
緩やかなそれは部屋を通り抜け、肌や髪を撫でた。

……オレ、ここにいる意味あんのか?

部屋に設置されたソファを一人占めしながら、溜息をつく。
なんでわざわざ他国の城まで来てソファで寛いでいるのか。
瞳がどうしてもと言うからついてきたものの、この状況はあまり好ましくない。
退屈すぎて溜息が出る。
それがたとえ瞳に甘すぎる自分のせいだとわかっていても。

「ぐっちゃん、」
「あ?」

マントを下敷きに横になった途端、瞳が近寄ってきた。
手には男──ローゼンライトが淹れた茶のカップ。
……まさか。

「これ、飲んで?」
「……なんで」
「火傷したら嫌だもの。ぐっちゃん熱いの大丈夫でしょ?」
「──ああ、そっちね。毒見かと思った」
「そんな酷いことしないわよ!」

ふくれた瞳を宥めながらカップを取り上げて、一口飲む。
……まだ瞳には熱いな。
軽く中身を冷ましていると、急に頭上が陰った。
瞳はおとなしくソファ──オレが寝転がってるところ──で待ってるし、該当するのは一人しかいない。

「なんだよ」
「……せめて味見、と言って欲しいですね」

視線だけを上げると、笑顔のローゼンライトがそう言った。

「紅蓮君、ちょっといいですか?」
「は? オレ?」
「……運にーちゃん?」
「瞳ちゃんはここにいてください。すぐ終わりますから」

にこにこ音がしそうな程の笑顔が胡散臭すぎる。
しかもオレを呼ぶなんてどういうワケだ?

とりあえず話だけでも聞いてやるか。
そう思って瞳にカップを返した。

「もういい?」
「ああ、焦って飲んで咽んなよ?」

頭を数回叩きながら言うと「そんなに子供じゃない」と怒られた。
さあどうだか。

立ち上がろうとして身体を起こす。
が、何かに引っ張られて再び戻された。
──瞳がオレのマントを下敷きに座っているせいだ。

「おい、瞳、」
「ん?」
「踏んでる」
「わ、ごめ──」
「ったく、お前の重さで破れたらどうすんだよ」
「なっ、そんなに重くないもん! 大体ぐっちゃんが寝っころがってるのが悪いんじゃない!」

憤った瞳はガチャンと茶器を鳴らして立ち上がり、手を振り上げる。
動きの単純なそれを避けるのは簡単で、オレが避けたことで無様にもソファに突っ込んだ瞳に笑った。

「ぐっちゃん酷い!」
「トロいお前がわりぃんだろ」

「──二人とも、そこまでにしてください」

オレたちの間に割って入ったローゼンライトは小さく息を吐くと、瞳の肩に手を置いた。

「落ち着いてください、瞳ちゃん。紅蓮君も」

そのまま瞳をソファに座らせて、ゆっくりと頭を撫でるのが目に入る。
──おもしろくない。
眉間に皺が寄るのがわかったけれど止めることはできなくて、見続けるのが嫌で。「ローゼンライト、話ってなんだよ」

誤魔化すように話を振った。

ローゼンライトは頷くと、瞳に笑顔を向けながら立ち上がり、「こちらで」とオレを手招いた。
隣室に通されたオレは座るように言われ、不審に思いつつ腰を降ろした。
さっさと帰りてーんだけどな……

「で、なんだよ」
「紅蓮君は何故ここに?」
「は?」

何を言ってるんだこの男は。
已然胡散臭い笑顔のまま、手を組んだローゼンライトは「おかしいですね」と呟いた。
全く意味がわからない。

「お前何言ってんだ?」
「僕はね、紅蓮君。瞳ちゃんだけを招待したつもりだったんですよ。ようやく誘いに応じてくれたと思ったら、どういうわけか君が一緒じゃないですか。僕がどれだけがっかりしたかわかりますか?」
「…………わかんねぇ」
「でしょうね」

だったら聞くんじゃねーよ。

得心顔で頷く目の前の男を半眼で見やると、再度「何故ですか」と聞いてきた。
……本気でわかんねーのか?
オレがお前のところになんか嬉々としてくるわけねーだろーが。

「瞳に連れてこられた」
「瞳ちゃんが?」
「お前と二人っきりになりたくなかったんじゃねーの?」
「ッ、言ってくれますね……」

ようやく笑顔を崩したローゼンライトが顔を引き攣らせる。
それに軽く笑って返すと、椅子をひいた。

「それで終わりなら、もう帰っていいか?」
「ええ、どうぞ。ですが、瞳ちゃんは置いてってくださいね?」
「オレがそれに応じるワケねーだろ」

たぶん本気で言ったんだろう。目がマジだったしな。
だけどそれは無理な相談ってもんだ。
こいつだけじゃない。誰であっても──

「瞳、帰るぞ」

声をかけながら戻ると、不機嫌そうな顔をした瞳が見えた。

「やっと終わったの? もー待ちくたびれたわよ」
「文句ならローゼンライトに言え」

後ろにいるはずの相手を指して、荷物──といってもほとんどないが──を準備する。
途中、ローゼンライトが瞳の傍に行くのを感じ取って、顔を上げた。

「瞳ちゃん、お茶のおかわりはどうですか?」
「え? でも……ぐっちゃん、帰るんでしょ?」
「心配しなくても、瞳ちゃんは僕が送って行きますから──」

「ローゼンライト、オレの話聞いてなかったのか?」

溜息をつきながら言うと、ローゼンライトは腹が立つほどの笑顔を向けてきた。

「もちろん、ちゃんと聞いてましたよ?」

飄々と言い放つと、オレとローゼンライトを交互に見て不思議そうな顔をしている瞳の肩に手を置いた。

……落ち着けオレ。

「でも──瞳ちゃんにだって選ぶ権利はありますよ。ねえ瞳ちゃん?」
「え? う、うん。そうね」

わかってねーくせに返事してんなよ。
オレは再度溜息を吐き出して、荷物を持った。
もうこれ以上長居は無用だ。

「わりぃけど──」

きょとんとしたままの瞳の腕を引いて、ローゼンライトから離す。
説明しろと言いたげな瞳を無視して、空いたローゼンライトの手に一枚のカードを押し付けた。

「こっちの瞳は売約済み。オレのだから手ぇ出すなよ?」
「何を──」
「ま、気が向いたら来いよ。リーテの王子サマ」

からかい気味に言うと、口を挟むタイミングを窺っていたらしい瞳が首を傾げた。
視線はローゼンライトの持っているカードに釘付け。
金の箔押しプラス派手な紅の色をしたそれは無駄に煌びやかで、嫌でも目を惹く。

──あれを作った王妃とローザの趣味を疑うぜホント。

「ぐっちゃん、今のなに?」

不思議そうに聞く瞳に笑う。
ローゼンライトも気になったのだろう、呆然としながらもようやくカードに目を止めて、二つ折りのそれに指を引っ掛けた。

「ただの招待状」
「なんの?」

「オレとお前の結婚式」

「「は!?」」

驚く声には応えることなく、ただ笑いを返した。
“してやったり”ってこーいうときに使うんだろうな。
カードに釘付けのローゼンライトを放置したまま、固まった瞳を引っ張った。

「帰ろーぜ、瞳」

「あ、え? うん。運にーちゃん、また……」

混乱したままの瞳は従順にオレについて来る。
ローゼンライトはカードを見つめたまま、もう聞く耳すら持っちゃいない。

わりぃな、そーいうことだから。

瞳の隣はオレのもの。
──絶対誰にも譲らねぇ。

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