Vischio

Carezzando

受け入れてくれなくてもいい……なんて……ただの強がりだ。
こうでも言わないと、お前はきっと困るだろうから。
お前がオレから離れて行くくらいなら、自分の本心を隠すくらい簡単だ。

只でさえ、もう以前と同じ距離にはいられないのに。
“姉弟”という枠から外れて嬉しいはずなのに、誰よりも近くにいるという確信が遠ざかって不安になる。

「──ちゃん、ぐっちゃん聞いてる?」
「え? あ……なんだ?」

再会してから掴まれっぱなしだった制服の袖を引かれ、ようやく瞳に呼ばれていることに気がついた。

「やっぱり聞いてない」

眉を寄せて瞳はオレから視線を外すと前を見た。
それでもオレの袖を放さない瞳が可愛くて口元が緩む。消えるかもしれないという不安からくるものだろうとわかっていても、嬉しいことに変わりはない。

……重症だな、オレ。

「ぐっちゃん完璧遅刻だよねって言ったの。こっちじゃ遠回りでしょ?」
「……は?」

とんちんかんな事を言い出す瞳に、つい怪訝な表情を返す。
そもそも瞳の歩いてるペースだって既に遅刻決定なくらいゆっくりだし、オレだけじゃないだろう。
──それにコレ、放す気あんのか?
皺になるくらい強く掴まれている袖と、瞳の手を見た。

とりあえず瞳が何を言いたいのか、何を考えてそう言ったのか……頭を回転させて“遠回り”のキーワードでようやく思い至った。

「……お前、目、大丈夫か?」
「なっ! 何よ、いきなり……」
「向こうから帰ってきたばっかで上手く機能してねぇんじゃねーの?」
「だから──……あれ? これ……海楠?」
「そ。なんかよくわかんねぇけど、“今の”オレはお前と同じ学校ってワケだ。どうせだから遅刻してこーぜ」
「……うーん……やっぱりダメ!」

そう言うと、瞳はオレの腕を掴んで走り出した。

「おい、瞳!」

引かれた勢いのまま一緒に走り出してしまったけれど、まだ9月。残暑。暑い。
とてつもなく嫌だったけれど、それ以上に瞳の手を払うことが躊躇われて……結局学校まで走ってしまった。

「こらー、遅いぞ!」

校門前には瞳の親友がいて、大きく手を振っていた。

「ご……め、ん……茜……待っ……て、くれ、た、んだ」
「また寝坊かあ? 仕方ないなぁ……」
息も絶え絶えの瞳を気の毒そうな目で見て、「よしよし」と言いながら撫でた。
遅刻しなかったことを褒めているらしい。

「…………はぁ、あっちー」
「な、んで……ぐっちゃ……そんな、涼し、顔」
「落ち着くまでしゃべんなよ。……ほら、貸せ」

膝に手をついて呼吸を整えている瞳から荷物をひったくる。
いつもならこの辺に──
勝手に中を漁り目的の物──タオルを取り出して瞳に放った。

「ありがと……」
「ん」

二人分の荷物を持ったまま、昇降口に向かう。
ここなら瞳を迎えに何度か来てたから、内部構造に不安はない。
少し後ろで瞳が「ふぅ」と一呼吸置いたのを聞いて、今度はペットボトルを差し出した。
当然のように、黙ってそれを受け取る瞳。
唯一違和感があるとすれば、オレの外見ぐらいだろう。

「はー……ありがと、ぐっちゃん」
「それ、やめろって言ってんだろ……」
「だってぐっちゃんはぐっちゃんだもん」

気が済んだのか、ペットボトルを返してくる瞳からそれを受け取って、元の場所──瞳の鞄にしまう。
ふと強烈な視線を感じて、そちらを見た。

なんつーか、『呆気に取られる』をまんま表現したみたいな……そんな茜と目が合った。
黙ったままでいるのも悪い気がして、軽く頭を下げる。
瞳は気付いていないのか、気にした様子もなくオレから自分の荷物を引き取って、肩にかけ直していた。

「……ねぇ、瞳?」
「なあに?」
「あんた、いつの間に彼氏なんて作ってたの? あたしに内緒で!」
「ちょ、茜!?」

……ああ、そうか。
オレと瞳にとってはいつものことでも、第三者から見るとそうなるのか。
そうだよな……オレはもう“瞳の弟”じゃないんだから。
ってことはオレを知ってる奴は瞳しかいないのか?
おかしいくらい何の疑問も持たずにここまで来たけれど、この学校にオレの籍はあるのか?
──始業式前に職員室へ寄った方がよさそうだ。

「んもー、報告ぐらいしてよね!」

茜はからかうようにそう言って瞳の背を叩いた。……すげぇいい音。
それに軽く笑って、どつかれたせいでよろけた瞳の腕を咄嗟に掴んで引き寄せた。

「しっかりしろよ……」
「う~……」
「あはは。ごめん、ごめん。しっかし……よく気が利くし、あんたの世話も手馴れてる感じだし、イイ男捕まえたねー」

肱で瞳をつつきながらオレを見てくる。
……なんか変な感じだな。オレは知ってるのに、相手はオレを知らない。
妙な違和感に苛まれていると、瞳が力一杯首を振るのが見えた。

「違……ぐっちゃんは──」
「そんなんじゃねーよ」

つい、口を挟んでしまった。……一斉にこっちを見た二人の視線が痛い。

他人になっても、瞳の気持ちがすぐに切り替わるなんてありえない。
──そんなこと、十分わかっているつもりだったのに……
瞳の口からはっきりと"弟"だと言われてしまうのが嫌だった。

「……オレ、職員室行ってくっからここで」
「あ、うん……場所、わかる?」
「ああ」

逃げるように瞳から離れて職員室を目指す。
そこで得られた情報では、オレは今日からここに転入することになっているらしい。
まったくよくできているものだ。

体育館へ行くようにと指示されて退室すると、扉の前に瞳がいた。

「……どうした?」

声を掛けると明らかにホッとした顔をする瞳。
オレは一つ息をついて、瞳の頭を少し乱暴に撫でた。

「ちょ、痛い!」
「……なんだよ、なんかあったのか?」
「ううん……なんにも……」

そう言って笑った顔がなんだか泣きそうに見えて、思わず瞳を抱き寄せた。

「きゃ、ぐっちゃん!?」
「“ただいま”ってちゃんと言ったろ? しっかりお前の目の前にいるだろーが」
「……だって、だって、目を離したらまた消えちゃう気がして怖いの!」

ぎゅう、と背中にしがみ付いて声を震わせる。
弟だから、ここまで想ってくれるのか?

──それ以上になりたいと告げたら、お前はどうするだろう。

一度吐露した想いは自分ではもう止められないところまできてる。
ただ瞳に知っていてもらえるだけで満足だと……そう思っていたのに……
人間って欲深いな。

華奢な身体を抱き締めて、喉まででかかった言葉を止める。
オレとしては瞳の気持ちが変化するのを願っているけれど、今はまだ──

「瞳」
「?」
「……生きてるだろ、オレ……聞こえるか?」

心臓の辺りに瞳の耳を押し付ける。
ゆっくり瞬いた瞳は、次いでカアッと顔を桃色に染めた。

「なんだ? 変な音でも混じってたか?」
「ち、違……」
「なんだよ、顔赤いぞ? 熱でもでたのか?」
「だ、だって、ぐっちゃん……ドキドキしてる」
「……いや、そりゃするだろ」

むしろ、してなきゃ困る。

「違うってば! その、は……速いなって……」
「ッ、」

──それは……仕方ねーだろ?

「……オレにはどうにもできねーよ。悪ぃな」
「……もうちょっと……」

瞳は一度緩めた腕を再度オレの背に回して、頭を押し付けてきた。
……お前がそんなことしたら、期待しちまうじゃねーか。
目の前にある頭の天辺にキスを落とすと、驚いたのか肩が震えた。
オレはもう少しこのままでいたくて、上がりかけた瞳の頭を押さえつけた。

「ぐっちゃん……!?」

ゴホン。

「あー……お前たち、少しは場所を考えたほうがいいと思うが?」

背後から聞こえた咳払いと忠告。
ゆっくり振り返ると、長身眼鏡のおそらく教師が立っていた。
教師は面倒くさいと言わんばかりに髪に手をやって、溜息をついた。

──そういやここって職員室前か?

「もうじき始業式も始まる……今の内に早く行きなさい」

追い払うように手を振った教師は瞳を視界に納めると、何故かぴたりと動きを止めた。

「ほう……珍しいな、瞳が──」
「は、ははは宙先生!?」

顔を真っ赤にした瞳は、口をパクパクさせながらオレの腕を引いた。
一刻も早くここから去りたいのだろう。
抑えた声でオレを急かし、引き攣った笑顔を「ハルカ先生」に向けていた。

体育館に入る直前、瞳がぴたりと足を止めた。

「ぐっちゃん、今日一緒に帰ろ?」
「いいけど……」
「? けど?」
「いや、なんでもねー」
「何? 気になるよ」

……確実に誤解されるって気付いてねーんだろうな、やっぱ。
ま、誤解されてたほうが悪い虫が付く心配しなくて済むし、色々都合がいいけど。

「ねぇ、何?」
「……茜と一緒じゃないのか?」
「あ! うーん……うん、いい。今日はぐっちゃんと帰る」

にっこり笑ってそう言う瞳は、言われたオレがどれだけ嬉しいかなんて、知らないんだろう。

「どっか寄ってくか?」
「じゃあストロベリーカフェ!」

丁度秋の新作が、と嬉しそうに話す瞳に相槌を打ちながらこれからのことを考えた。
時間はたっぷりあることだし、ゆっくりいくか。

願わくば──誰よりもお前の近くに。

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