Vischio

Mon cheri

人魚が一人養えるようなばかでかい水槽が欲しい。

岩の上で尾びれを振って水しぶきを上げている人魚を見ながら、オレはそんなことを考えた。
そうすれば部屋から出さず、誰の目にも触れさせることなく、この綺麗な生き物を独り占め出来るのに。

大体露出面積が広すぎんだよ。
なんでそんなエロい格好なんだよ……目のやり場に困るだろーが。

「なぁ瞳……お前いっつもその格好なのか? それで色んなとこ行ってんの?」
「そうだけど……なあに、急に」

海を移動したほうが速いもの、と言う瞳は少し陸に──オレのいるほうに近づいて来た。

「ぐっちゃん?」
「……目の毒」

そう言うと、どんぐりのように大きな目は途端に鋭く細められ、ギッと音がしそうなくらい睨まれた。まずい。

「違! おま、何勘違いして──」

バシャンッ

「ッ、冷てぇ……おい、瞳!」
「ぐっちゃんのばか!」

パシャ、と先程よりも随分控えめな音を出して、人魚はオレの前から消えた。

あぁくそ……!
オレはバカか? 怒らせてどうすんだよ……

わざわざ──弟が心配だからという理由だとしても──会いに来てくれたのに。

「瞳……」

気配すら残ってない水面を見つめて、名を呼んだ。

この世界のものではない彼女の名を。
オレを現実世界へと繋げるただ一人の──愛しい名前。

……お前の姿は『目の毒』だ。
平静じゃいられなくなるんだよ。
そんな姿でうろちょろされるなんて、他のヤツがお前を見るなんて……嫌なんだ。

「だっせー……」

瞳が去った岩場まで行って、そのまま海に手を伸ばす。
指先に触れた蒼は冷たくて──

オレは、そこに頭から突っ込んだ。

水は手で感じた通り冷たくて、頭を冷やすのに丁度いい。
段々服に染み込んで身体を重く、オレを海底へと運ぶ。
……このまま瞳のいるミーアまで連れてってくれりゃあいいのに。

『ぐっちゃんッ!?』

はは、幻聴が聞こえるよ。海はお前の領域だもんな。
このまま目を開ければ、お前が優雅に泳ぐのが見られっかもしんねーな。

「ぐっちゃん!」

目を開けようとしたら、突然首を絞められて下から押し上げられた。

──下、から?

そこを考えたかったのに、苦しくて止めていた息を吐き出す。
ゴボゴボ音を立てながら、泡が顔を撫でた。

「ぶはッ!」

明るくなった視界に直ぐ飛び込んできたのは柔らかい色をした金色。
それからその合間で揺れ動く赤い花。
首を絞めているのは白くて華奢な腕で、繋がる肩が震えてるのが見えた。

背中にはさっきまで自分がいた岩場が当たって少し痛い。

でもオレはそんなことよりも──

「……瞳…?」

確かめるように呼べば、びくりと震えて拘束が緩む。
このまま離れてしまうんじゃないかと思って、背に腕を回した。

「……びっくり、させ…ないで」

声が震えて聞こえたのはオレの気のせいだろうか。
ぎゅっとオレの肩を掴んだまま、頭を押し付けてくる瞳。
そのまま動く様子のない瞳の頭に手をやって、軽く撫でた。

「わりぃ……」
「……ばか」

しっかりオレを睨みつけてから「よかった」と小さく言って抱きついてくる瞳に愛しさが募る。
抱き返すと瞳の肌が──体温が直に伝わってきた。
細い腰、柔らかく温かい身体。

──ヤバいよな、これ。

気を紛らわすように一度目をきつく瞑り、海の中でゆらゆら揺れる尾びれに目をやった。

「──たでしょ?」

「は?」

オレにくっついたままの瞳が声をかけてきたけれど、生憎ほとんど聞いていなかった。
案の定瞳は不満気にムッとして、一言ずつ、言い聞かせるみたいに「私が、人魚で、よかったでしょ?」と自慢気に覗き込んできた。

「ああ……だな……」

そう答える以外ない。返す笑いが若干苦笑気味になったけれど、それでも瞳は嬉しそうに目を細めた。

「ふふ、この姿でもいいことあるんだから」
「……さっきは、その……悪かったよ」
「いいわよ、もう」
「よくねぇ。誤解のねぇように言っとくけどな、オレが見る分にはいいんだよ」
「? どういう意味?」

──他のヤツに見せたくない。
なんて……んなこと直接言えるかよ。

「ぐっちゃん?」
「……あんま、ふらふらあちこち行くなよ」
「あ、もしかして……心配してくれてる?」
「…………まぁな」
「人魚って嫌われてるみたいだもんね……」

……なんか微妙に噛み合ってなくないか?
瞳は一人納得したように頷いてオレの肩を押した。離れていく熱。

「もう帰らなきゃ。来るときはまた連絡するわね」
「ッ、瞳!」
「ん?」

呼び止めたはいいものの、特に伝えたいことはなく。

「……また、な」
「ふふ、うん! じゃあね、もう私のいないとこで溺れちゃだめよ」

別に溺れてたわけじゃない。
反論してもよかったけど瞳の言葉が嬉しかったからやめた。

──お前に助けられるのも悪くねぇかもな。

無邪気に手を振る瞳にオレも片手を上げて応え、姿が見えなくなったあとも暫く動かずそこにいた。

超がつくほど鈍くて無自覚なところもお前らしい……けど、なるべく目の届くとこに……傍に、いて欲しい。

「それはオレのわがまま、か……」

どうすれば自由奔放なお前を捕まえておけるんだ?

「マジで水槽でも造るかな……」

砂浜で重くなった服を絞りながら、とりあえず水は常備しておこうと思った。
いつ連絡が来てもいいように……

「……瞳…なるべく早く来いよな」

でないと、本気でお前の捕獲計画立てるかもしんねーぞ?
穏やかな海を見ながら穏やかでないことを考えて、ようやくオレは城へと足を向けた。

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