Vischio

鈍感なんです。


※ED後
※オドロキくんがなんでも事務所で炊事・掃除を担当していた設定




弁護士・王泥喜 法介の朝は早い。
日本に居た頃からの習慣で、発声練習は欠かさない。
近頃は近隣住民に目覚まし時計の代わりにされているような噂を聞くが、苦情ではないため聞き流している。

今日も今日とて発声練習をして、事務所を整えつつ舞い込んでくる弁護と雑用の混じった依頼を確認する。

「…………絶対ひとりで捌く量じゃないよな」

積みあがった書類から目を逸らしても、ぎゅうぎゅうに詰め込まれたスケジュールからは逃げられない。
成歩堂の事務所にいたころも雑用(ペットや紛失物の捜索やらショーの手伝いなど)を請け負っていたが、ここまで忙しくはなかった。
王泥喜ひとりではなかったし、みぬきはもちろん成歩堂も手を貸してくれた。
初めてできた“後輩”だって、ぶつぶつ小言を言いながらも、いざ始めてしまえば真面目に取り組んでくれたのだ。

クライン王国に残ると決めたのは自分だけれど、ときおり日本の──とくに事務所のみんなに会いたくてたまらなくなる。

「──こんなことじゃダメだ!よし、王泥喜法介は大丈夫です!!」

気分を入れ替えて依頼内容を分別していく。
急ぎのものはナユタが直接持ってきてくれるが、ダッツやボクト、レイファが持ち込んでくるものは弁護以外のものも混じったごった煮状態だ。法律事務所とは名ばかりの何でも屋になっている。
弁護の依頼、雑用、後回しにしても良いもの、確認が必要なもの。

(これは……早めに寺院に確認かな)

ついでに近場の用事や聞き込みを済ませてしまいたい。
王泥喜は手帳に軽くメモをして、必要になりそうなものをまとめる。最後に携帯電話をポケットへ仕舞ったところで着信音が鳴った。

「……成歩堂さん?」

画面を見れば、つい先ほど思い浮かべた一人の名が表示されており、王泥喜はしばし固まってしまった。
──朝から電話が来るのは初めてじゃないだろうか。
胸騒ぎを覚えて通話ボタンを押すも、直前に切れてしまったらしい。
慌てて折り返せば、いつも通りの声で「もしもし、オドロキくん?」と呑気に応答されて脱力した。

「こんな時間にどうしたんですか。なにかありました?」
『いやいや、事故とかそういうのはないから大丈夫』
「はぁ、それならいいんですが。珍しいですね」
『うん。用があるのはぼくじゃなくてさ、ココネちゃんが君に聞きたいことがあるらしいんだ』

ぱっと思い浮かべた彼女の姿は元気よくVサインを突き付けてくるところで、用があれば直接連絡してくるような子だったと思うのだが。

「…成歩堂さん、それ本当に希月さんの用なんですか?」
『ちょっとナルホドさん!』
『そうそう、オドロキくんにしか答えられないみたいでね』

割って入ってきたのは確実にくだんの彼女だと思うが、電話口の成歩堂は気にするそぶりもない。
事情はよくわからないものの、成歩堂が連絡してきたということは心音は王泥喜に遠慮でもしていたのだろうか。

内容は不明だが、あえて自分に振ってくるくらいだ。力になってやりたい。
──だが、午前中に済ませてしまいたいものが多々あるのも事実だ。

「すみません、ちょっと用があるのでこっちから希月さんに掛け直します。少し待っててもらってもいいですか」
『ああ、そうなの?わかった、伝えておくよ。時間は気にしなくていいからね』
「それは助かりますけど、希月さんの都合は…」
『今日は大きな依頼もないし、午後には事務所を閉めるからさ。まあ、もしダメだったらぼくのほうに掛けてよ』
「…わかりました」

なんだか腑に落ちない気分で胃の辺りにモヤモヤしたものを感じたが、成歩堂からの激励を受けて、いつの間にか不快感はどこかへ飛んでいた。

≪某月某日 午前11時56分──王泥喜法律事務所≫

「つ、つかれた……」

以前から事務所内にあるボロボロのソファは、王泥喜が倒れこむとギシリと今にも壊れそうな音を発して揺れる。買い替えたいが、あいにくそんな余裕はない。
ソファも机も棚も、今のところ看板以外はすべて革命派の──ドゥルクのおさがりだ。
使い古された事務机はドゥルクのつけたと思われる傷や、引き出しのクセが残っているので割と気に入っているのだが、このソファだけはいただけない。

──オドロキ先輩って本当に体力ないですねー。

仰向けに転がり、自分の手で作った影が以前の記憶を掘り起こす。
成歩堂なんでも事務所に居た頃、今と同じように転がっていると決まって上から覗き込まれてそう言われた。
時には居合わせたみぬきが笑って心音に同意したり、彼女の首にくっついているモニ太が“軟弱”だの“情けない”だの好き勝手に言ってくれたものだが、王泥喜ひとりの事務所では静かなものだ。
それを少しだけ、寂しいと思ってしまう。

「…大丈夫です」

目を閉じて、まじないのようなそれを口にする。
王泥喜 法介は、大丈夫です。
まだまだ、やるべきことがたくさんある。沈んでいる暇はないのだ。

──潰れる前にちゃんと水分とってください。ほら、ココネちゃんがわけてあげますから!

王泥喜と同じ量(もしくはそれ以上に)走り回ったとは思えないほど元気な彼女は、わざわざ顔の上で水滴の浮いたペットボトルを振り、仕上げとばかりに底を王泥喜の額に押し当てて笑う。
顔に落ちる水が不快で文句を言っても「またまたー、ちょっと嬉しいって思ってるくせに」と取り合ってもらえない。

彼女の良すぎる耳は、ときどき自分でも意識していない部分を指摘してくるから困る。

(……でも、別にいやじゃないんだよな)

一言余計なことが多々あるし(これは王泥喜もよく言われるが)、負けず嫌いですぐムキになって突っ込んでくるけれど、本当に踏み込まれたくないところへは入らずに一歩引いてくれる。
相手の感情に寄り添って、一緒に怒ったり悲しんだりと親身になれるところはとても好ましいと思うのだ。

「──と、とりあえず、電話するか!」

思考を打ち切って立ち上がり、頭を掻く。
一人でなにを焦っているのか。自問しながら、冷蔵庫から取り出した水を飲んだ。

今朝の成歩堂との会話も久々な気がしたが、心音ともしばらく話していない気がする。
毎日があっという間に過ぎていくから王泥喜がそう感じているだけで、実際はそんなに間が空いてないかもしれない。

心音の番号へ発信し、定番の呼び出し音を聞きながら手帳を開く。

(えーと、この前は…確か みぬきちゃんのショーで助手したとか言ってたっけ)
『もしもし!!?』
「うわっ!?」

突然の大声に電話を遠ざけ、持っていた手帳も落としてしまう。
反射的に大丈夫かと声をかければ、恐縮したように「うう…」と唸る声がした。

『ごめんなさい先輩、ちょっと考えごとしてました』
「いや、何もないならよかった」

彼女の声音からは、しおしおと縮こまっている様子が想像に容易く、安堵と相まってつい笑ってしまった。
合間に混じった小さな電子音声──モニ太の声がうまく聞き取れず気になったものの、内容は教えてもらえなかった。

電話口の心音はいつもより落ち着きがなく、見えていないのに緊張が伝わってくるようだ。
成歩堂が言っていた“オドロキくんにしか答えられない”ことはそんなに聞きづらいものなのか。
心音が質問しやすいようにと、極力気にしていない風を装ってこちらから尋ねれば、

『──先輩、結婚する予定ありますか!?』

…と、予想だにしない問いかけが返ってきた。
突拍子もなさすぎて、未知の言語を聞いたかのように理解できないまま右から左へ流れていく。
改めて聞き直しても内容は王泥喜の結婚予定について。予定どころか相手すらいないし、想像したこともない。

身構えていたぶん脱力しながら答えれば、なぜか心音の元気がなくなっていて妙に焦る。
何かまずいことでも言ったのだろうか。

「希月さん?」

反応がなくなったのが心配で声をかけると、彼女は聞き逃してしまいそうな声量で「夢を」と呟いた。
心音が消沈してしまった理由はわからないが、王泥喜はきっかけを探るために彼女の漏らした単語を反芻する。

『夢を、見たんです。先輩が結婚して、奥さんを紹介してくれる夢』
「……うーん……」

まず、どうして心音がそんな夢を見たのかがわからない。
日本に居た頃も、こちらで一緒に捜査をしていたときも、そのような色恋沙汰とは無縁だったはずなのだが。

王泥喜は人差し指を額に当てたまま、とりあえず浮かんだ答えを口にした。

「希月さんはオレに結婚してほしいってこと?」
『逆ですよ!嫌だったから……現実になってほしくなかったから、確かめたんです』

即座に(むしろ喰い気味に)反応されてたじろぐ。
勢い込んだ心音が告げた内容を追っていくうちに、じわじわと耳の辺りが熱くなってきた。

(な、なんだこれ…)

王泥喜が空いている方の耳をつまんでみるとやはり熱を持っている。
ついでに頬の辺りもこすりながら、おずおずとよびかけてきた心音の声を強引に遮った。
つい法廷にいるときのように大きな声で“待った!”と叫んでしまったのは申し訳ないと思うが、とりあえず落ち着きたい。

「ええと、つまり……どういうことだ?」

心音は王泥喜に結婚してほしくないらしい。
ただ夢に見ただけで。確かめるのを緊張するほどに。

「……なんだこれ」

王泥喜は口を押えて呟くと、そのまま強く目を閉じた。
──なぜか、無性に照れくさい。
胸の辺りがむずむずして、意味もなく叫びたい気分だった。

そんな王泥喜を引き戻したのは、突如室内に響いた破裂音と視界を満たす黒い煙だった。

「なっ!?っ、げほっ、げほ…!」
『せ、先輩!?大丈夫ですか!?』

王泥喜よりもよほど焦った様子で呼びかけてくる心音に驚いたが、彼女には音しか伝わっていないのだから当然だ。
煙を吸わないように口を覆って、無事である旨を伝えながら室内を移動する。
こんなことをする人物は一人しか思い当たらない。
窓とドアを全開にして振り返ると、煙の中から仁王立ちしているダッツが現れた。ゴーグルと口元に巻いたバンダナで自身への被害を抑えているところを見て、王泥喜のこめかみが引きつる。

「ダッツさん!」

怒りもあらわに呼べば、彼は至極愉快そうに王泥喜を指差しながら大きな笑い声をあげた。
新しいかんしゃく玉はどうでもいいが、なぜそれを王泥喜の事務所で使うのか。
叱りつけても“反省している”と言いながら笑う、清々しいほどの嘘だった。
──ドゥルクはこの男をどうやって動かしていたのだろう。
溜め息交じりに今後を思いながら、つながったままの電話を持ち上げる。

「お、またナユタ坊からの依頼か?」
「違います」
「では女か」

とたんに目を輝かせるダッツには嫌な予感しかしない。小声になった意味もわからない。
つっこみを入れたい衝動に駆られながらも、王泥喜はダッツの問いを無視して書類の束を手渡す。

「これ、ダッツさんにお願いしてもいいですか」

ダッツは感慨深そうな目で王泥喜を見ると、口端を吊り上げ、グッと親指を立ててから紙束を引き取っていった。

「もしもし、希月さん」

再び静かになった室内で、心音にことの原因を報告する。
王泥喜もダッツも声が大きいから、電話を通じて大体の事情は察してくれているだろう。

「聞こえてたと思うけど、ダッツさんのいたずらだったよ」
『そうみたいですね』

ダッツに会ったことがあるぶん想像もしやすかったのか、心音はくすくす笑い出した。
普段あまり聞くことのない、控えめな笑い声で耳がくすぐったい。

(…どうせなら、直接見たかったな)

──彼女が隣に座っていたらよかったのに。
ギシリと鳴くソファに腰を沈めながら、煙で煤汚れた室内を眺める。
必ずダッツにも掃除を手伝わせることを決め、王泥喜は通話口にささやかな愚痴をこぼした。

『でも、先輩が無事でよかったです』
≪アイタイナー≫
『あ』

心音の声音から、だいぶ心配してくれていたことがわかったから一言礼を言いたかったのに。
はっきり聞こえたモニ太の言葉と、無意識に漏れたらしい彼女の声でふっとんでしまった。

会いたい、と思ってくれていることが嬉しい。
王泥喜はこぶしを握り締め、一度息を止めてから意を決して口を開いた。

「オレも……会いたいよ」

普段うるさいと言われるほどの声量はどこかへいってしまったようだ。
内容はもちろん、独り言に近くなってしまったことがじわじわと羞恥を煽る。
直後、追い打ちをかけるように「先輩恥ずかしいです!」と叫ばれて、王泥喜は熱の集中した顔を覆いながら心音のせいである旨を反論した。

二人の不毛なかけあいは、心音の「近いうちにクライン行きます」という宣言で(やや強引に)収束した。
決断までが早すぎるだとか、都合がつくのか──気になるものの、王泥喜の“会いたい”もまた本音である。
迷いながらも、ついに彼女を止める言葉は出てこなかった。

(それなら、オレは少しでも成果を出そう)

心音をがっかりさせないように。逆に驚かせるくらいを目標に。
王泥喜は決意を新たにぐっと手のひらを握り、心音を呼んだ。

「希月さん、オレ頑張るよ」
『どうしたんですか、改まって』
「いや、もっと気合い入れようかなって」
『それ以上ですか?倒れたりしないでくださいね。オドロキ先輩、体力ないんですから』
「…気を付ける」

容赦のない物言いだが、心配してくれているのだろう。なんだか懐かしさも感じて思わず笑ってしまった。
心音は不思議そうにしていたが、突然「そうだ!」と大きな声を出した。

『先輩、わたしが行くまで結婚相手作らないでくださいね!』

忘れかけていたが、そんな話をしていたっけ。
予定はないと言ったのに、やけにこだわっている彼女に苦笑を漏らし、ふと気になった“わたしが行くまで”という条件に触れた。

「希月さんが来たあとならいいのかよ」
『はい。たぶん結果がでますから』

多少からかうつもりだった王泥喜は、やけにあっさり肯定されて自分が戸惑うことになった。
心音の言う“結果”とはどういうことなのか。

『直接会えるときまで秘密です!』

彼女は笑いをにじませながらも王泥喜に質問する隙を与えず、あっという間に別れの挨拶を済ませて通話を終えてしまった。
呆気にとられたまま固まっていた王泥喜は、再度心音に電話をかけてみたが“電波不通”の無情な機械アナウンスが流れるだけである。
その日の終わりにもう一度だけかけてみたものの、やはり繋がらなかった。よほど聞かれたくないことらしい。

「…直接会えるのっていつになるんだ」

王泥喜は諦めの溜め息とともにそう呟いて、その機会がなるべく早く訪れることを願った。

◆◆◆

「…オレ考えたんだけど、希月さんはこっちで結婚式あげたいんじゃないかな。みぬきちゃん何か聞いてる?」
『オドロキさん……みぬきから言えることは一つです』
「う、うん」
『ユガミ検事にそれ言ったらダメですよ!!』
「えっ」
『オドロキさんなんてズバッ!で終わりですから!』
「斬られるってこと!?オレそんなにヤバイこと言った!?」

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