Vischio

優先順位


「ぐっちゃん」

お前がオレを呼ぶのなら、他の何を後回しにしてもお前の傍に行ってやるよ。
だからさ、瞳……他のヤツなんか呼ぶんじゃねぇぞ?

***

キンコンカンコンと高らかに鳴るのは学業終了を知らせる合図。
それを見計らって、すかさず近づいて来るのはクラスの女。

──俗に言うカノジョというやつらしい。

らしい、というのはいつの間にかそういうことになってただけで、別にオレがどうこう思ってる訳じゃない。

「紅蓮くん、今日は一緒に帰れるの?」

伺うように、わざとらしいほどの上目を使ってくるのがうっとうしい。計算高い女。

ふと思い浮かんだ顔と目の前の女を比べる。
あいつはいつも無意識にコレをやってるんだろうな、なんて今はここにない姿を想像してしまう。

『ねぇ、お願いぐっちゃん…!』

いかにも悔しそうに眉を寄せて、僅かに唇を尖らせた後にする顔。
口では「またかよ」って悪態ついてみても、結局オレはその表情に弱いんだ。

「…紅蓮くん?」

返事がないことに焦れたのか、再度声をかけられた。
同時に脳内に浮かんだあいつの顔を引き離す。

「ね、一緒に帰ろ?」
「ん?んー…」

曖昧に返しながら、携帯を開ける。
パチンと鳴ったそれは、メール受信を知らせるランプが灯っていた。

「…………わりぃ、今日パス」
「え!?」

今にも文句を言い出しそうな女を無視して短縮に入ってる番号を呼び出し、通話ボタンを押した。
メールを打つよりこっちの方が早い。

『はい』
「オレ」
『ぐっちゃん?授業終わったの?』
「だから電話してんだろ。瞳、そこ動くんじゃねーぞ、すぐ行ってやっから」
『うん、でも用事あるんだったら──』
「大丈夫だって。もう切るからな」
『じゃあ待ってるね』

嬉しそうに弾んだ声を耳に残し、先に瞳が切ったのを確認してから携帯を閉じた。
怪訝な顔でオレを見た女──まだいたのか、とぼんやり思う──は予想通りのつまらない質問を口から出した。

「瞳って……誰? 私より──」
「オレの一番大事な女」

遮りながらキッパリとそう言って、オレはその場を後にした。
嘘は言ってない。瞳はオレの一番。

一番大切な────ねーさんだ。

校門前に佇む姿を見つけて口元がゆるむ。
忠犬みたいだっつったら怒るだろうな。

オレが声をかけるよりも先に気がついて、無駄に大きく手を振る。
ますます犬だ。

「ぐっちゃん、何笑ってるの?」
「別に。それよりなんだよ、今日は」
「あのね、明日から夏休みでしょ?」

僅かに首を傾げて問いかけてくるその質問内容に、つい溜息が漏れた。
瞳はそんなオレを見て一旦言葉を切る。
その先を言うべきか迷っているようで、小さな声で「ぐっちゃん?」と呼んだ。

「瞳……お前、計画性なさすぎ」
「う、うう…」

よく見れば瞳の足元には常にはありえない量の荷物。
完璧に荷物持ちだろう、これは。
瞳はといえばすっかり押し黙って、それでもオレから目を逸らさない。

あぁもう……
オレはその顔に弱いんだっての。

「……最近できた駅前のカレー屋」
「え?」
「美味いんだってな」
「わ、私、奢ってあげてもいいわよぐっちゃん!今度一緒に行こ?」

パッと明るくなった表情に苦笑を返すと「だから…」とようやく本題を話し出した。



「瞳、そっちも貸せよ」
「ありがと」
「重……どんだけ溜め込んでんだお前は」
「う…ごめんってば……ぐっちゃんが来てくれて助かったわ」

自身でも荷物を持っている瞳は、それをぶらぶらさせながら笑う。
まぁ頼られて悪い気はしないけど、オレが捕まらなかったらどうするつもりだったんだろう、この無計画な姉は。

「ぐっちゃん暇な日いつ?」
「?なんだよ急に」
「さっき約束したでしょ。いつにする?」

急な話題転換についていけず、思わず瞳を凝視した。
暇な日、ね……

考えてみるものの、夏休みの計画なんて立ててないからいつでも空けられる。
それでも連れ立って外に行くのはめったにないことで、瞳の気が変わらないうちがいい。

「……明日」

無理を承知で言ってみると、意外にもあっさりOKがでた。
なんだ、瞳も案外暇なのか?

「ぐっちゃん携帯……」
「ん?」
「電話じゃない?」

肩にかけたままの鞄から瞳が携帯を引っ張り出した。因みにオレの両手は瞳の荷物で塞がっている。
メールかと思ったら電話だったようで、瞳の手の中でしつこく震えていた。
発信者はさっき学校で別れた“カノジョ”だ。

「ぐっちゃん、女の子待たせちゃだめよ」

お節介にもそう言って、更に余計なことに──通話ボタンを押した。

「バッ……」
「はい」

瞳はどうぞと言いながら腕を伸ばして、オレの耳に携帯をあてる。
……普通違うだろ。荷物引き取るだろ。

正面に立って「聞こえる?」と小さく言う瞳に言葉も出ない。
往来で立ち止まっての奇妙な事態に、オレは盛大な溜息を吐き出してようやく電話口の相手に応えた。
これは早く終わらせるに限る。

「──何?」
『……明日のこと、聞きたくて』
「明日?」
『そうよ、前から約束してたでしょ?』
「わり、用事入った」
『なッ、ちょ──』

不意に途切れた音声に瞳へ視線を戻す。
疲れたのか、オレに腕を寄りかからせて少し楽をしていた。

「瞳、もっと上」
「う……こう?これくらい?」
『ッ、』
「あぁ……そのまま」
「……わかった……」
「まぁ頑張れよ──あれ?」

静かになった耳元に意識を集中してみると、定期的な電子音が漏れている。
どうやら切られたらしい。なんとも一方的なものだ。呆れさえ沸いてくる。

「ぐ、ぐっちゃん……まだ……?」
「くっくっ……もう終わった」

腕をぷるぷる振るわせて必死の顔をする瞳を見て、笑いが込み上げる。
口を押さえたかったけれど両手が塞がったままなので、近くにあった瞳の肩に頭を乗せた。

「お、終わったんだったらすぐ言ってよ!私が疲れてるのわかってたくせに……って、ぐっちゃん、いつまで笑ってるの!?」

重い、と訴えるのを無視してそのままでいると、諦めたのか肩から力が抜けた。
頭の片隅で電話の相手を思い出し、“また”終わったなと思った。
今までと同じように決定打をだされるのも近いだろう。

『付き合ってるのに片思いの気分』

これはもう別れ際の常套句だ。誰といてもオレの中での最優先は固定で、揺るがない。
──それが悪いと思ったこともない。

「ぐっちゃん?笑い治まった?」

オレの一番が視線を寄越す。

いつか……こいつじゃなくなる時がくるんだろうか。

とても想像できなくて、考えるのを止めた。
それは瞳がオレから離れた時にでも考えよう。
……まぁ、しばらくはないだろうけれど。

「瞳……明日何時に出る?」

この時間が長く続けばいい。
顔を上げながら、心からそう思った。

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