Vischio

カミヒトエ


「ちーす」
「おはよう、匂坂くん」

旅団で活動するのは久々で、なんとなく浮かれた気分で今日も@HOMEのドアをくぐる。
いつものように穏やかに微笑む志乃さんの横に、仏頂面をしたままの黒い塊が居るのにも慣れてきた。
つーか挨拶くらいしろっつーの……新人のクセに礼儀がなってないんじゃねェの?

「ハセヲくん、」
「……何」
「さっき教えたよね?それとも、もう忘れちゃった?」

口元に笑みを浮かべたまま、志乃さんが言う。
まるで先生と生徒……いや、姉弟?親子?そんな感じに見えた。
俺が二人のやり取りを凝視していると、黒い塊──新人ハセヲは仏頂面を更にムッとさせて俺を見た。

見た……っつーより、睨んだ、のが正しいな。

「…………ドーモ」
「はい?」

え?ドーモって何?俺に言ってんのか?
睨みをきかせたまま消えるような声で言うハセヲに、疑問符しか浮かばない。
ホントこれどーしろってんだろう。志乃さん、助けてくれ。

「ふふ……」
「志乃さん……今の何?」
「挨拶、じゃないかな」

へー……挨拶、ね。今のが。
俺は思わず呆れたけど、どうやら志乃さんは違うらしい。
にこにこ嬉しそうに笑いながら「よくできました」とハセヲの頭を撫でる仕草。
ハセヲは「やめろ」とそっけなく言うものの、志乃さんの手を振り払う素振りはない。それどころかされるがままっつーか……

おいおいおい、なんだこの春色の空気は。

どこかむず痒くなるそれに耐えられず、俺は今日やるべきことを志乃さんに聞くことにした。
さっさとココから離れたい。

「あー……えーっと、志乃さん?」
「ん?何?」
「今日の任務なんだけ、ど……────なんだよハセヲ」

志乃さんに声かけといてなんだけど、突き刺さる視線が痛い。
思わず半眼で視線の主を見てみれば、途端にフイと逸らされた。

……コイツ……!やっぱ礼儀なってねェよ!
言いたい事あんなら言えっつーの!!

「ッだー、もー!イライラすんなぁ!!」
「匂坂くん?」
「おいハセヲ、」

「おっはよーございまぁーす!!」

俺がビシッとカッコよくハセヲに指を付きつけながら、教育的指導と言う名の説教をしてやろうかと思ったのに。

……なーんで邪魔するかね……

「あ~師匠だぁ!」

入り口付近に立ってたのが悪かったのか、足取り軽く入ってきたタビーに一早く発見されて襲撃を受けた。
背中にのしかかられて、顔の両側からにゅっと出てくる腕にギョッとする。

「ねぇねぇ師匠~」
「いきなりくっ付くな!!」
「スキンシップだもん。あ、もしかして照れてる?」
「んなわけあるか!」

やたらと纏わりついてくるタビーを呆れ混じりに押しのけていると、ハセヲが「ヘッ」と鼻で笑ったのが目に入った。
志乃さん、ちゃんと教育してくれよソイツ。

「匂坂くん、今日はタビーのレベル上げ……お願いね」
「今日“も”じゃなくて? たまには他の事してぇなぁ……」

最近同じことしか言われてないから、つい嫌味が口をついて出た。
言った後に“やっちまった”と思ったけどもう遅い。
微笑みを苦笑に変えた志乃さんが視界の端に映って、益々罪悪感が沸いた。

謝るべきかと頭を掻くと、今までじっとしていたハセヲがユラリと身体を起こして口を開いた。

「おい……匂坂」
「ハセヲくん」
「コイツはオーヴァンから言われたことをアンタに伝えてるだけだろ。いっつも同じことやってんだから、聞かなくてもわかんじゃねぇの?それ以外の任務だったらそん時に指示もらえばいいじゃねぇか」
「……なんだと?」

言われた事が図星でカチンとくる。
人間図星を指されると怒るって話は案外バカにできねぇもんだと、改めて気付いた。

「ハセヲくん、いいから」

俺とハセヲの間に身体を滑りこませて志乃さんが止める。
荒れた空気を宥めるように、柔らかい笑みを浮かべた。

「けど」
「ハセヲ」
「ッ、」

笑ったままの志乃さんが呼んだだけで、無礼者……じゃねぇ、ハセヲは頬を赤くして息を詰まらせた。
急いで志乃さんから視線を逸らして……って、こいつはひょっとしてひょっとする?
思わず口元を緩めた俺に気付いたのか、ハセヲが鋭く睨んできた。
けど、今の見たあとじゃ威力半減だよな。

「なんだよ!!」
「べぇつに~?なんでもねぇよ。志乃さん、悪かったな。八つ当たりして……エリアの指定はあるか?」
「……匂坂くんに任せる。タビー」
「はいはーい」

呼ばれて飛び出て、な勢いで現れたタビーに驚く。
そういや、居たんだよな……つか、今までどこに居た?隅っこ?

「聞いてたよね?今日は……今日も、匂坂くんと一緒にエリア行って来てくれる?」
「うん! わたしは師匠と一緒に冒険するの好きだからバリバリオッケーで~す!ってゆーか、師匠が失礼すぎ」
「だってお前のテンション疲れるんだもんよ……」
「ひっどーい!」

俺はまた余計なことを言ったらしい。
めげないタビーはいつも以上にやかましく俺に対する愚痴を零し、俺は倍疲れるはめになった。

その日気付いた生意気少年の些細な感情は、どうやら俺の気のせいではないらしい。
俺とタビーがエリアから戻ってくると、@HOMEには珍しくオーヴァンが居た。

ハセヲの位置は動いていなかったけど、オーヴァンと志乃さんは中央で今後の予定について話し合ってるように見える。
そんなつまんなそーな顔するんなら混ざればいいのに、変なヤツ。
視線は常に二人へ向いているのに──

「ハセヲっていーっつも志乃さん見てるよね」
「どわぁ!?タタタタビー!!おどかすなよ!」

ぴたっとくっ付かれての言葉は正に今俺が考えていたのと同じもの。
それだけに余計ビビって一瞬宙に浮いた──これは俺の気のせいだと思うけど。

「師匠が勝手に驚いたんじゃん。……やっぱり志乃さんのこと好きなのかな」
「さぁな~」

くだらないおしゃべり──周りには聞こえないようにPT会話にしてある──をしてると、オーヴァンがゆっくりこっちを向いた。
志乃さんに促されたから気付いたように。どうせ入ってきた時から気付いてたくせにな。

「久しぶりだな」
「ほんとだよなぁ、ギルドマスター? こんだけ留守にしてたんだ、手がかりは見つかったわけ?」
「くっ……相変わらずだな、匂坂」
「お互いサマってやつだな」

ニヤリと笑った俺にオーヴァンも笑いを返し、もう少し詳しく調べてくると言って志乃さんを連れて出ていった。
それはいつものこと。99%の確立でこうなるって──当然ハセヲだって知ってるだろうに。

──なんだってそんな顔するかねぇ……
今のハセヲはなんつーかアレ、雨の日に捨てられた仔犬とか仔猫みたいな……
じっとオーヴァンと志乃さんが去った扉を見つめて、小さく溜息をついていた。

「なぁ」
「…………何」
「ハセヲ……お前、ぶっちゃけ志乃さんのこと好きだろ」
「は?」

気づいた時には聞いてた。
余計なお世話だといつもの睨みを貰うかと思ったら──コイツほんとに“何言ってんだお前頭大丈夫か”とでも言いたげに眉を顰めやがった。

ムカつく。今の顔はすげー腹立つ。
けど……無自覚って……マジかよ。
タビーだって、俺だって気付いてんのに……当の本人無自覚ってか?
これには俺ばかりかタビーも呆気に取られて「ハセヲって鈍い」と小さく呟いていた。

この日を境に、俺は何故かハセヲを観察するようになっていた。
ハセヲはハセヲで思うことがあるらしく、時々考えるように黙り込む──まぁコイツは大抵自分からはしゃべらないけど。
もしかしたら、自覚したのかもしれない。

「ハセヲくん」
「………………」
「……ハセヲくん?」

目の前に居る志乃さんを無反応のままボーっと見つめるハセヲは、呼ばれてることに気付いてない。
志乃さんがハセヲの前で手をヒラヒラ動かすものの、動かなかった。

「……離席中かな」

ぽつりと零した志乃さんは、動かないハセヲの横に寄り添って座った。

…………寄り添って?なんで?
微かに疑問に思うものの、俺が答えに辿り着く前にハセヲのデカい声に遮られた。

「ななな、何!?なんでアンタ」
「アンタ……じゃなくて、志乃。何度も言ったよね?」

焦った様子で立ち上がるハセヲを見上げつつ、事も無げに言う志乃さんは実に楽しそうに見える。

──若いっていいねぇ……

……いやいや、俺いくつよ?
自分の考えにガクリと項垂れている間にも、以前感じた春色空気が漂ってきている。
チラと二人を見れば、植物っぽいものを世話する志乃さんの横で名前を呼ぶ練習をさせられているハセヲ。

「前、呼んでくれたでしょ?あんな感じでいいのに」
「し、」
「ん?」
「ッ、……志乃……さん」
「ふふ……うん、いい感じ」

なにやってんだかな。
それよりも──この場に居づらい。そりゃもう、かなり。
俺は場の空気を読む男ってやつだからな。

「匂坂くん?どこか行くの?」

聞かないでくれ、頼むから。
目的地なんてない……一刻も早くここから離れたいだけなんだ。

「……チョットな」

曖昧に答えて@HOMEの外へ出る。扉横の壁に凭れて、ゆっくり大きく息を吐き出した。

「ったく……別の場所でやってほしいもんだ……」
「なにを?」
「タビーか……今日は遅かったな」

覗きこんでくるタビーに驚きのリアクションをとってやる元気もない。
あの短時間で春色桃色な空気にすっかり充てられている。

「師匠、なんかぐったりしてない?」
「……やっぱそう見えるか?」

元気よく「うん」と言いながら俺の腕をとるタビーに引き摺られるようにして、再度@HOME内戻ってきてしまった。
せっかく外に出られたっつーのに……

「あー、ハセヲはっけーん!」
「……うるせぇ」

あからさまにウンザリするハセヲを見ると、コイツは素直なんだか捻くれてるんだかわからない。
──因みに、後ほど志乃さんに意見を聞いてみたら「素直だよ」と即答された。

「今ね、中央広場で“初心者限定セール”やってるの!一緒にいこ~?」
「……いかねぇ。面倒だし、特に買いたいもんなんて」
「ほらほら、早く!」
「聞けよ人の話!離せ!」

余程の目玉商品があったのか、タビーは興奮気味に──且つ強引に──ハセヲを連れ出した。

「ふふ、元気いいね」
「……いや、アレはちょっとよすぎだと思うけどなぁ」

突風のように去って行った二人を見送った形で現状を把握する。
志乃さんと二人きりなんて今となっては難しくなった状況に、ふと聞きたくなった。

ハセヲは最近になってようやく自覚したようだけど、志乃さんはどうなんだろう。
ハセヲを振り回している──ように見える──のはわざとなのか、無意識なのか。
おせっかいなことこの上ないとはわかっていても……さっきのような空気をしょっちゅう出されていたら堪らない。

「志乃さん、てさ……ハセヲのことどう思ってんの?」
「ハセヲくん?どう……っていうと」
「ぶっちゃけアイツのこと好きかどうか?」

回りくどいことは苦手だ。
直球でズバッと聞くと、志乃さんは目を何度か瞬かせてからふわりと柔らかく微笑んだ。

「好き、かな」
「へ?」
「ん?何か変なこと言った?」
「い、いや……随分はっきり言うもんで……吃驚したっつーか」

若干疑問は残る──“かな”ってとこが微妙だ──けど……よかったなぁハセヲ……
ということは、春色空気は志乃さんが故意に作り出しているということなんだろうか。それなら一言“別の場所でやってくれ”と言おうと思った。

が。

「……弟がいたら、あんな感じかなって」
「あ、そ。弟……ね」

やっぱりそういうオチなのか、と肩を落とす。
いやでもあの空気は姉弟って雰囲気じゃなかったような──

納得しかけた俺が首を傾げると、目の前の箱がガタンと音を立てて揺れた。
驚いてそっちに目を向ければ、黒い影が素早く外へ出て行くのが視界に入る。
あの性格だ、タビーを途中で強引に振りほどいて戻ってきたんだろう。

……もしかして悪いことしたか?
少年の淡い恋心を打ち砕いたかもしれない。冷や汗をたらす俺は動けず、ハセヲが居た辺りを凝視するばかり。

「──ふふっ」

………………“ふふっ”?
この場には俺と志乃さんしかいない。でも今のは俺じゃない。

「志乃、さん?」
「“弟”、だよ……」

言いながら身体を反転させた志乃さんは、閉じたままの扉を見て笑みを零した。

「今は、ね」

楽しそうに小さく呟いた志乃さんに苦笑して、俺はこれから苦労するだろうアイツに少し同情した。

お前、凄い人に惚れちゃったんじゃねぇ?

なにかと腹の立つ相手だけど。
──まぁ頑張れ、くらい言ってやってもいいかもしれない。

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