カラクリピエロ

Kindness



善法寺伊作という男は保健委員の鑑だと思う。
誰にでも分け隔てなく優しくて、理由なんて“保健委員だから”それだけ。この一言と柔和な笑顔で大抵の相手を黙らせる。
たったそれだけで他人に尽くせる人なんて伊作くらいじゃないかと、私は本気で思っている。

名前、」
「あ、うん。はい」

下級生の傷を見ていた伊作に塗り薬を渡す。
きょとんとした顔を返されて、これじゃなかったかと手を引こうとしたら、その手を思い切り掴まれた。

「違う違う、合ってるよごめん!」

笑いながらびっくりしただけって呟く伊作にどういう意味って聞こうと思ったのに、私の手は包帯作りに取り掛かっていてタイミングを逃してしまった。
薬を塗って即席の包帯を手早く巻いて、あっという間に傷の手当を終える。
それから「お大事に」と優しく笑顔で相手を送り出すまでが既にお決まりの流れだ。

相手が後輩でも同級生でも、くのたまにだって同じ笑顔と台詞を向ける優しい伊作。

「……伊作」
名前もお疲れ様」

――もちろん、私にも同じように笑ってくれる。
伊作のこういうところが好きになったのに――物足りないと感じるなんて、告白してからの私は少し贅沢になってしまったらしい。

「? 具合悪い?」
「違うの、私――」

すっと額に手のひらを当てられて言いかけていた言葉がすっかり飛んだ。
熱はないね、と診断する声音はいつもと変わらない。それが当たり前なのに、すっきりしない。

――みんなと同じは嫌、意識してほしい。

ぎゅっと片手を握りしめ、息を呑む。ドクドク大きくなる心音をなるべく無視して少し距離を詰めた。

伊作に触れる勇気は出なくて、情けなくもそっと覗き込むだけ。それでも想いだけはありったけ込めて見つめる。

「ん、と……お、お茶でも飲もうか!」

視線を彷徨わせて困ったような笑顔を向けてくる伊作を見れば、嫌でも気付く。
ドクンと一際大きく鳴った心臓を押さえて顔を背ける。恥ずかしい。こんなことで泣きそうになってるなんて、知られたくない。

「ご、ごめ…ん…私…」

逃げ出す勢いで医務室を出ると、私を呼び止める伊作の声が聞こえた気がした。

一度足を止めて振り返る。
静かな廊下を見てまた心臓がチクリと痛んだけれど、気のせいだと思い込んで廊下を駆け抜けた。

――恋仲になれたと思ってたのは私だけだったのかもしれない。

我武者羅に走り回って、ひと気のない廊下の隅っこで膝を抱えながら考える。
だって私はちゃんと「好き」って言ったけど、伊作は「ありがとう」って笑っただけなんだから。
でもそのときの笑顔がいつもと違ってたから。
照れくさそうにはにかんでくれたから、だから勘違いした。

「ほんとうに恥ずかしい……」

浮いた涙を膝に押し付ける。
声に出したら余計に涙が出てきて自嘲するように笑った。

名前!!」
「っ、い、さく……?」
「よかった、見つかって…」

突然現れた伊作はボロボロだった。髪は乱れてるし肩は濡れてるしほんのり薬臭い。忍装束は土まみれで顔に擦り傷まである。

何があったの。
不運をまとめてもらってきました、と言わんばかりの有様を思わず凝視してしまう。

伊作はそんな私をよそに安心した表情をすぐに焦ったものに変えて、おろおろしながら私に手ぬぐいを差し出してきた。
放っておいて欲しくて首を振る。なのに伊作は隣に腰を下ろし、その手ぬぐいを優しく私の頬にあてた。

自分の方が酷いくせに、そうやって他人ばっかり優先する。
どうしてって聞いたらどうせ“保健委員だから”って言うんでしょう。

――大好きだけど、今だけは大嫌い。

「そ、やって、優しく、しないで…」
「無理だよ。名前が泣いてるなら放っておけない」
「ほけ、いん…だか、ら、」
「そんなの関係なく、君が好きだから…………って、なんか、照れるなこういうの」

ひく、と自分のしゃくりあげる声が聞こえる。
目の前には指で頬をかきながら照れくさそうに笑う伊作がいて、相変わらず私の頬に手ぬぐいをあてていた。

「本当はすぐ追いかけたかったんだけど、放り投げたお茶の筒が仕分け前の薬草につっこんでさ…気をとられてるうちに名前はいなくなるし戸口で数馬とぶつかって転ぶし…ああ、あとで数馬にも謝らないと……途中でも、その、色々あって……」

不自然に言葉を切る伊作に下がりかけていた視線を上げる。
私からややずれたところを見ていた伊作は手ぬぐいを降ろし、代わりにぐっと距離を詰めてきた。
視界は暗く、伊作の顔がよく見えない程の近さに驚いてあっさり涙が引っこむ。

「……僕は、我慢しなくてもよかった?」

言うなり私の目尻に口付けてくるから、問いかけのようなそれに答える余裕なんかない。
私の唇は動いてるはずなのに声が出てこない。どれだけ混乱してるのかわからず、一度離れようと思ったのに、壁に手をつく伊作に阻まれて動けなかった。

「僕も、男だから……ああやって煽られると、さ……わかるだろう?」

言いにくそうに、照れたような声色で呟かれた内容に顔が熱くなった。
同時に拒絶されたわけじゃなかったんだとわかって伊作の肩に頭をつける。

「…よかった」
「いや、え!?だ、だから…僕の話聞いてた?っていうか汚れる、」
「いいの」

遮って言いながら、伊作の背中に腕を回す。

「我慢、しなくていいよ」
名前…」

伊作は小さく身体を震わせて、確認するみたいに私を呼んだ。
視線を上げれば赤い顔で驚いて口をパクパクさせてる伊作が私を見下ろしている。じっと見つめ返したら少しずつ伊作の顔が降りてきて、そっと目を閉じた――のに、ドガッと鈍い音がした直後に私は伊作の下敷きになっていた。

「む゙~~~~~っ!!」
「ご、ごごご、ごめん名前!!」
「ぷはっ、だ、だいじょうぶ」
「頭ぶつけなかったかい?」
「うん。伊作が庇ってくれたから…………伊作こそ、大丈夫?」

テンテン、と弾んで転がるバレーボールと、痛そうに背中をさすっている伊作を見れば、さっきの音の原因もわかるというものだ。

「はは…あんまり大丈夫じゃないかも」
「音重かったしね」
「うん…それもなんだけど心がね……」

はあ、と大きな溜息をつく伊作の腕を引いて寄り添ってみる。
こっちを見て何度も瞬きをした伊作は、いつかと同じように「ありがとう」って言いながら照れくさそうにはにかんだ。






「……あのさ名前
「なに?」
「やっぱり医務室は駄目だと思うんだ」
「? 何の話?」
「君が誘惑してくれるのは嬉しいんだけどさすがに」
「も、もうやらないよ!!あれは、あの時は私もどうかしてたから!!」
「え!?」
「えって……え?」
「…ものすごく惜しいことしたって思ってる。今度は絶対のるから」
「…………そんなこと真顔で言われてどう返したらいいの」

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