mellow
mellow(前編)
ふとしたときに感じる空気や、時折合う視線。その度にほんのり頬を染めて笑ってくれるのは、名前も僕と同じ気持ちだから……と思っているけれど、それを確かめてみたことはない。
そうだったらいいという願望が少なからず――いや、多分に含まれているし、勘違いかもしれない。
そんな僕の不安は三郎や八から呆れ交じりに鼻で笑われ(さっさと確かめりゃいいだろ、は八左ヱ門の台詞だ)、兵助には「現状維持したいのか?」と何の気なしに聞かれ、勘右衛門からは「おれが聞いてきてあげよっか」と面白半分に首をつっこまれたのが昨日の話。
ふと話題が途切れた合間にこぼしたのが間違いだったなぁと溜息混じりに振り返りながら、図書室の鍵を開けた。
委員の仕事を確認しながらも、時折ちらつくのは名前のこと。
今のままでも構わないと思っている自分に“一歩踏み出してみたらどうか”と誘う声がする。
(……やっぱり、無難に「好きです」って言えばいいのかな)
でも、いざ場面を想像するとなんとも落ち着かない。
今更って気がするし、もっと気の利いた言い回しなんかがあるんじゃないかって――
「――雷蔵!」
「や、やあ名前。今日は返却?」
「それと、貸し出しね」
「何借りるの?」
開けたばかりの図書室に一番乗りの勢いで尋ねてきた名前に、内心の動揺を押し隠して対応する。
彼女は僕の問いかけにパチリと瞬いて、照れくさそうに笑った。
考えてなかったと彼女から零れ落ちた呟きと、僕の様子を気にしてるような視線にドキッと心臓が跳ねる。
「名前…?」
「ら、雷蔵の好きな本…とか、読んでみたいんだけど」
教えてくれる?って首をかしげる仕草や上目遣いもそうだけど、その台詞に体温が上がっていく。
顔も赤くなってそうだなと思いながら、名前も赤くなってるからいいか、とよくわからない結論に達した。
「名前の好みに合うかわからないけど、それでもいい?」
パッと顔を明るくして、何度もこくこく頷く名前が可愛い。
名前のほかに生徒がいなかったから、くだんの本がある棚まで一緒に移動した。
「名前が借りてたのは何の本?」
「これ?珍味100選。今度竹谷に材料貰おうと思うんだ」
何の気なしに聞いてみたら名前から返ってきたのはそんな答えで、なぜか背筋がヒヤリとした。
「ざ、材料って…」
「虫とかヘビとかキノコとか。美味しいって書いてあったんだよ」
にこにこキラキラしている名前はとても可愛い。けど、どうしてだろう。その食事はとても危険だと本能が告げている。
「…………珍味よりさ、普通の…えっと……うどん食べに行かない?中在家先輩がね、美味しいお店を見つけたって教えてくれたんだ」
なんとかして諦めさせようと思いつくまま提案すると、名前は驚いた顔で僕を見て少しずつ顔を赤くしていった。
自分も、それにつられていくのがわかる。
「…みんな、も?」
「…………僕と、二人、で」
名前の反応を見て、そっと指を2本立てながら言ってみる。
今にも心臓が飛び出てきそうになってるけど、それを悟られないように軽く息を止めていた。
こくん、と頷いたまま顔をあげない名前に「いいの?」と確認してしまう。
彼女はもう一度頷いて、赤い顔で笑ってくれた。
「嬉しい」
無意識に動く手が彼女の頬に触れる。
ビクッと震えて何度も素早く瞬く名前を見つめ返した。
「ら、雷蔵?」
「僕は、」
「失礼しまーす!あれ?不破せんぱーい?いないんですかー!?」
「うわっ!!」
「あ、いるじゃないっすか!カウンターお願いしまーす」
ドクドクなる心臓を片手で押さえて振り返れば、笑顔のきり丸が「待ってる人いますから」と付け足す。
すぐに行く旨を返して名前に視線を戻すと、彼女はぎこちなく頷いた。
「ひとりで、大丈夫だから」
「う、うん。また後で」
同じくらいギクシャクしながらその場を離れる。
――僕は、何を……
口元を押さえながらカウンターに入る。少しのつもりがだいぶ時間が経っていたらしい。
返却と貸し出しの手続きをする合間に、手伝ってくれてるきり丸が不思議そうな顔をした。
「きり丸?」
「苗字先輩はいいんですか?」
「な、なにが!?」
「あの辺埃っぽいじゃないっすか。居心地あんまりよくないと思うんですけど」
「…ひと段落したら様子を見てくるよ」
「あ、オレが行ってきますって!」
止める間もなくきり丸がカウンターを抜け出す。
動揺したせいでまた顔に熱が集まりそうになるのを慌てて振り払った。
「苗字せんぱーい」
「きり丸、しー」
「あ、はい。……先輩、ここの本面白いですか?」
「まだ読んでない」
(? じゃあなんでここにいるんだ?)
mellow(後編)
――本当に、タイミングが悪いとしか言いようがない。
弾みとはいえ、気持ちを伝えかけたあの日を皮切りに、僕は改めてきちんと言葉にしようと決意した。
にもかかわらず、意図的に二人きりになろうとすれば何故か時間が合わず(だからまだうどん屋にも行けてない)、偶然二人きりになれたと思えば“いざ!”って時に邪魔が入る。
「…もう…ほんとに、なんなんだろう…」
「疲れてるね雷蔵」
精神的な疲れから部屋でぐったりしていたら、戸口からひょこっと名前が顔を出した。
まるで謀ったようなタイミングに『もしかして三郎なんじゃ…』と疑ってしまったけど、名前はちゃんと名前だった。小柄で、柔らかそうで、見るとドキドキする。
(……なんか、思考回路も疲れてるな僕……)
「入ってもいい?」
「もちろん」
立ち上がって名前を招きいれながら、そのまま戸口から外を覗く。
また邪魔が入るのかもしれないと気配を探ってみたけれど、長屋の廊下は静かだった。
「尾浜が、これ雷蔵に返しておいてって」
「…? なに?」
「さあ。でも“直接渡して!”って言われたから大事なものじゃないの?」
勘右衛門に何かを貸した記憶はなく、名前が見せる包みにも見覚えはない。
名前に座るように促して包みを受け取ってみると、中身はどうやら本らしい。
「あ」
包みを開けようとした僕を止めるように名前が声をあげた。
「どうしたの?用事?」
「ううん、今日はもう何もないけど……私、見てていいのかなって…だから、その…」
首を傾げて聞けば、次第にしどろもどろになっていく名前が頬を染め、ちらりと僕を見た。正確には、名前の華奢な腕を掴む僕の手を。
予定を聞いたくせに、こうして彼女を引き止める気満々なんだから苦笑してしまう。
そのまま訪れた沈黙と部屋を満たす空気に息を呑む。
落ち着かない様子でそわそわしだす名前はしきりに僕の手を気にして、小さく僕を呼んだ。
頭の隅ではそれに答えないとと思うのに、耳の近くで聞こえる心臓の音がドクドクうるさい。ごくりとつばを飲み込んで「名前」と名を呼べば、彼女はびくりと震えて胸元を握った。
持っていた包みが足元に落ちる。
つられて視線を落とす彼女の両肩に手を置いて目を合わせ、口を開いた瞬間――――頭上から聞こえた物音に思考が停止した。
「………………ごめんね名前」
「らい、ぞ…?」
へにょっと眉を下げる名前は不安気で、言うのを待っていてくれたのかなと期待がチラつく。
このまま離れるのは惜しくて、僕は名前の肩に手を置いたまま懐から苦無をとりだして天井へと投げつけた。
カッ、カッ、カッと小気味よく響いた音に混じってよく聞き知った声がする。
『いって!?』
『おい馬鹿押すな!』
『おれじゃなくて兵助が』
『ちょっ、こら、こっちは――』
そんなやりとりを繰り広げていた彼らはまとめて机の上に落下して(お世辞にも綺麗とは言いがたい着地の仕方だった)痛みに悶えていた。
「やあ雷蔵」
「……何をしてたのかな?」
いち早く回復したらしい三郎が、僕に向かって手を挙げる。
笑顔を貼り付けて質問すれば「いやあ、はは…」と答えにもなってない返事を寄越した。
「勘右衛門が音出すから…」
「だって折角の差し入れをさあ!扱い酷くない!?」
溜息をつく兵助と、僕の足元を指差してわめく勘右衛門とそれに「中身はなんだ」と問いかけている三郎は置いといて。
「惜しかったよなぁ…」
うんうん頷きながら、僕の肩をポンポン叩いてくる八左ヱ門の言葉に笑顔が引きつった。
同時に、隠れるように僕の後ろに移動していた名前がびくりと跳ねたのがわかる。
そっと伺ってみたら、赤い顔で俯いて僕の装束をきつく握るのが目に入って――思わずその手をとっていた。
「……好きだよ」
こぼれた呟きに名前が勢いよく顔を上げて何度も瞬く。
僕は僕で自分自身に驚きながら、徐々に赤く染まって行く名前を凝視していた。
(……まあ、いいか)
――予定とは全然違ったけど。
おろおろしている名前に笑って、自分よりも小さな手を握りなおす。
「僕は……君がずっと好きだったんだ」
やっと言えた。
一度言ってしまえば、どうして今まで言えなかったんだろうって思っちゃうから不思議だ。
「知ってたよね?」
苦笑交じりに聞く僕に、名前はどう答えたらいいのかわからないって顔をしてる。
そんな顔も可愛いなぁとふわふわした頭で見つめていたら、目を泳がせる名前が何かを呟いた。
「名前?」
「私だって…雷蔵のこと、ずっと…」
好きだったんだよ。
と、僕にしか聞こえないくらいの告白が嬉しくて、声を上げて笑ってしまった。
「なんで笑うの!」
「だったらいいなあって思ってたんだ……よかった」
衝動のまま彼女を引き寄せて抱き締める。
名前は居心地悪そうに身じろいでいたけど、もう少しだけ。
僕はこのまま次の休みの予定について、名前に尋ねることにした。
「……なんかすごくあっさり決着ついてるんだけど」
「そんなことより腰打った…」
「俺なんか顔だぜ…」
「この未熟者どもめ!」
「三郎…お前人のこと下敷きにしといてそれかよ!謝れ!せめて労れ!」
「勘右衛門、結局その本なんだったんだ?」
「『恋の駆け引き初級編』」
「………………」
「あーあ。“二人で見てね☆”ってメッセージまでつけたのに…」
読み切り短編
4245文字 / 2011.11.14up
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