カラクリピエロ

小さな罠にご用心


小さな罠にご用心(前編)




たまには化粧の練習でもしてみようかと気まぐれを起こし、作法の生首を借りようと思い立った私は『い組』の部屋を訪れた。
運よく二人とも揃っていたから(といっても文次郎に用はないんだけど)、迷わず用件を口にした。

「仙蔵、生首一つ貸して」
「誰のがいいんだ?」
「仙蔵か伊作」
「ない。文次郎のならあるが」
「文次郎じゃなぁ…化粧のしがいがないし…」

特に詳細を聞くでもなく、あっさり物入れを確認してくれる仙蔵と会話を進めていたら、「おい」とやたら低い声で呼びかけられる。
なに、と返しながら文次郎を見れば、彼は筆を握り締めて小刻みに震えていた。

「どうしたの文次郎。具合悪いの?」
「違う!お前らの会話はおかしいだろう、特に名前!!」
「盗み聞きしてるなんて…文次郎のエッチ」
「なあ…!?」

額に青筋を浮かべて顔を真っ赤にする文次郎を見て、ちょっとやりすぎたかなと思う。
色々言いたい事が浮かんでいるらしく震えが大きくなったけど、これ以上関わるのは面倒くさい。
さっさと立ち上がり、さっきから可笑しそうに笑っていた仙蔵の腕を引いて部屋を出た。

途端、背後でドガシャンと派手な音。
ちらりと横を見たら、仙蔵が笑いをひっこめて溜息混じりに私の額を小突いた。

「お前のせいだぞ」
「仙蔵だって止めなかったでしょう」
「まぁ片付けは文次郎にやらせるから問題はない」
「だと思った。で、生首は?」
「作法室と用具倉庫にいくつかあるが――学園長ので妥協しろ」

それなら作法室にあるから、と続けて言う仙蔵は私の返事を聞くことなくそっちへ足を向けた。
学園長先生で妥協することになるなら、さっき文次郎のを借りればよかった。
あまり変わらないだろうしと一人で考えていたら、仙蔵が意味ありげな視線を投げてくる。

「なに?」
「…本人にやると言い出さないだけいいかと思ってな」
「ああ、化粧?やってもいいなら仙蔵の」
「さあもう着くぞ」

にこりと綺麗な微笑と共に遮られたものの、目的の作法室はあと五歩は先だ。
無言で見上げる私には気づいたはずなのに、笑顔を崩さず速度を速めた仙蔵は私を置いてさっさと作法室へ入ってしまった。

後を追って入室すると、普段来ない場所へ立ち入ったときと同じような独特の空気を感じる。
思わずきょろきょろしていたら「あまり不用意に触るなよ」と釘を刺された。
別に悪戯する気はないのにと反抗心が芽生えたけれど、ふと違和感を覚えて壁に近づく。

「仙蔵、ここ――うわ!?」
名前!」

ほんの少し色が違う気がしてぺたりと手を置いたら、急に壁がなくなった。
傾く身体に心臓が竦む。珍しく慌てた顔の仙蔵が腕を掴んでくれたけど、その拍子に足を引っ掛けられてなだれ込むように暗闇へと吸い込まれてしまった。

「いったぁ……なに、ここ」
「壁の裏だろう」
「ひゃっ!え、ちょ、は!?」

真っ暗な視界の中、耳元で声をかけられてものすごく驚いた。
溜息をつく仙蔵の吐息が髪を撫でるのにドキリとして動こうとしたのに、動けない。動こうとすると必ず壁か仙蔵に腕が当たる。
前にも後ろにも行けなくて、なんだか狭い収納スペースに押し込まれたような感覚に、益々息苦しくなってきた。

「さて。そろそろ目が慣れてきたんじゃないか?」
「あ、うん…慣れてきた、けど…」

それだけに、目前の仙蔵の肩とか、顔の横にある仙蔵の腕とか、逆の腕は私がしっかり掴んじゃってるとか、身体を跨がれてる状態だってことに気づいてしまった。

「この状態は私も辛いんだ。腰が痛い」
「…………仙蔵、年寄りくさい」
「私がこうして無茶な姿勢を取っているのは誰のせいだ?」
「は、半分は私かもしれないけど、もう半分はこんなところに変な罠仕掛けてるあんたたちだよね!?」
「耳元で騒ぐな、うるさい」

反射的に口を閉じる。
自分の声を自重したのもあるし、仙蔵が身近で声を抑えて喋るから――妙に緊張する。

「これは仙蔵なのに…」
「何をブツブツ言ってるんだ。早くしろ、立てば少しはましになるから」
「そう言われても、仙蔵が邪魔で動けないよ」
「……ふむ。交互に少しずつ動くしかないか。名前、腰を引いてまず足を抜け」
「わかった」

と、頷いてはみたものの、私はほとんど寝転がっている状態で足は変に浮いてるし(壁に圧迫されているというか)、上手く力が入らない。

「仙蔵、掴まるから動かないで」
「ちょっと待て」
「え!?もう動いちゃったよ」

仙蔵の背に腕を回して、掴んだままだった仙蔵の腕も支えに使って上体を起こす。
ずりずり動いてやっと座る姿勢まで持ってこられたときには、精神的にもぐったりしてしまった。

「――名前、私が動けない」
「ん、ごめん、ありがとう」

言外に離せと言ってくる仙蔵は、私のお願いどおりきちんと動かず待っていてくれた。
息切れしながら礼を伝えたら小さな溜息と共にさっさと立ち上がり、上から私の頭を二度ほど押した。

「………………兵太夫、未完成だぞこれは」
「何?どうしたの?」

仙蔵が壁に向かってぼそりとこぼした呟きが気になって問いかけると、彼は壁をコンコンと叩きながら「開かない」と理解しがたい一言を発した。

「――……どどどどどういうこと!?」
「落ち着け」
「だ、だって開かないって、どうするの!?」
「それを今から考えるんだろうが。お前も少しは役に立て」

しれっと言い放つ仙蔵の落ち着きようを見ていると、焦っている私の方が異常みたいだから困る。

「…仙蔵の宝禄火矢でどっかん」
「お前も私も爆発に巻き込まれるが、いいのか?」
「よくない。じゃあ作法委員に助けてもらおうよ」
「あいにく今日は委員会がない」

ええ、と絶望じみた声を発する私に「仕方ない」と返してくる仙蔵。
何かいい案でもあるのかと期待したら、

「文次郎が気づくのに賭けようか」
「……それ、確率はどんなもんなの……」
「なに、夕飯時になれば文次郎でなくとも誰かしか気づくだろう」

やけに楽観的な仙蔵に呆れ混じりの溜息をつく。
すると、彼はこっちを見てくすりと笑った。

「?」
「少しは気が紛れたか?」
「…………優しい仙蔵って変」
「その調子なら大丈夫だな」

座っていた私を立たせて、自分がしゃがむ仙蔵を見下ろす。
床に手をついて何かを探っているのを見ながら、綺麗な髪が汚れちゃうなと思った。

「…仙蔵って、あんまり気にしないよね」
「なんだいきなり。会話する気があるのならきちんと」
「はいはいごめんなさい。せっかく綺麗な髪なのに、汚すの躊躇わないよねって…」
「馬鹿者。そんなものを気にしていたら忍なんてやっていられないだろう」

ごもっとも。
だけど、馬鹿って言う必要はなかったと思う。

「――駄目だな。やはりこちらからは開かないようだ」
「え…」
「普段なら褒めるところだが、今回ばかりは欠陥なのが惜しい」
「仙蔵、」
「なんだ、腹でも減ったのか?」

立ち上がって先ほどまで触れていた壁に寄りかかる仙蔵を目で追う。
てっきり完全に諦めてるのかと思っていたのに、仙蔵は脱出方法を模索し続けていたらしい。

「私にも、できること、なにか」
「残念だが何もない」
「……ごめん」
「しおらしい名前なんて気持ち悪いな」
「ちょっと!?」

何もしていなかった自分が情けないばかりか、巻き込んでしまったということを今更ながらに反省してみたのに、その言い方は酷い。
ムッとして見返せばクツリと笑われて、これ以上見ていたらまた文句を押し付けてしまいそうだった。




小さな罠にご用心(後編)



仙蔵を見ないように逆の壁を見つめる。
仙蔵が言うのを信じれば夕飯時には出られそうだけど、それはあとどれくらいなんだろう。
目が慣れてきたとはいえ薄暗い空間に二人きりの状況――思考から追い出していた現実を思い出して急に意識してしまった。

名前
「な、なに?」
「…………クッ、」
「!?」
「そう身構えなくても襲ったりしないから安心しろ」
「私は別に、そういう心配はしてないから!」
「してないのか?」

振り返ろうとしたら、それを止めるように背中に密着されてギシリと固まってしまった。

「警戒されないとなると、それはそれで面白くない」

なんて身勝手な。
そう反論したかったのに、上手く声がでてこない。
焦って両手を握り締めて口をパクパクさせていたら、頭上から笑いを堪える気配がした。

「仙蔵!!」

くっついた身体を剥がす勢いで振り返る。
案の定、クツクツ笑っている仙蔵が目に入って思わず胸倉を掴んでしまった。

「よくもからかってくれたわね……」
「緊張をほぐしてやろうと思ってな。一緒に閉じ込められたのが私でよかったろう?」
「どこが!」
「なら、誰ならよかったんだ」
「誰って…」

聞かれて、六年生の面々を思い浮かべる。
こんな狭苦しい空間に二人きりは、誰が相手でも困ると思う。

「っていうか閉じ込められたくないから」
「つまらんな。文句なら色々あるだろう。暑苦しいとか、やかましいとか、状況がより悪化しそうだとかな」
「…………確かに、そう言われてみると仙蔵が一番……」

マシかもしれない、と言いかけて慌てて頭を振る。
というか、なんで私、仙蔵とこんなに密着してるの。
掴んだままだった装束からぱっと手を離して身体を引こうとしたのに、背中は壁に当たってあまり距離が変わらない。

名前、言い掛けでやめるなんて狡いんじゃないか」
「なにが!?」

距離が縮まったような気がして、仙蔵の胸を押す。
おっと、なんて言いながらあっさり下がるから、逆に私が仙蔵に抱きついたみたいだ。

「っ、と!?」
「ちょっと、仙――ひゃっ、」

慌てて離れようとしてより強く押せば、何故かぎゅっと抱き締められて、そのまま倒れこんでしまった。

「おや、まあ」
「あああああの、た、立花先輩、僕ら、お邪魔する気はなくて!!」

きょとんとした顔の四年生と、真っ赤になって慌てふためく三年生。
さらに視線を巡らせれば壁の一部を押している一年生二人がわいわい言い合っているのが見える。

「……え?」
名前、そろそろ私の上からどいてくれ」
「え、え!?」
「積極的なのは嫌いじゃないがな」

そう言ってにっこり笑う仙蔵を見て、私はようやく今の状況を理解した。
仙蔵を下敷きにして、自分も一緒に倒れこんでいるこの場面。これは私が、仙蔵を押し倒してるようにしか見えない。

「これは違う!私はむしろ仙蔵に嵌められた被害者であって」
「言い訳は見苦しいぞ名前
「仙蔵は黙ってて!!」

やれやれと肩を竦めた仙蔵はちゃんと黙ってくれたけど、その場に居合わせた作法委員に言い聞かせている途中で文次郎が入ってきた。
話に夢中で仙蔵の上から退くのを後回しにしていたせいで事態は余計にややこしくなり、文次郎の説教を長々と聞かされることになってしまった。






「だから、私は悪くないって言ってるでしょ!」
「まだ言うかこの破廉恥娘が!」
「文次郎の頑固親父!!」
「なんだとぉ!!?」
「同い年の女の子に“娘”なんて言っちゃうんだからぴったりだと思うけど!?」
名前ーーー!」
「なによ!怒鳴ったって怯んだりしないんだから!」

「兵太夫、」
「立花先輩、すみませんでした!!」
「なに、次は気をつければいいさ。私もなかなか楽しかった」
「……ありがとうございます」
「礼をいうのは私の方だ。それより、お前たちは早く行け。巻き込まれないうちにな」
「止めないんですか」
名前にも気分転換は必要だろうよ」

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