あなたじゃなきゃ嫌なんです(1)
※夢主視点
それはいつものように飼育小屋でペットの世話をしている最中だった。
距離はあるものの、不躾なくらい私をじっと見て独り言をぶつぶつ言っている竹谷は怪しい。というか、はっきり言うと鬱陶しい。
なに?って聞いたら「やっぱ気のせいだな」と一人で納得して私の頭に触るし撫でるし……本当に鬱陶しい。
「あのねぇ竹谷、私は愛玩動物じゃないんだけど」
「お前を愛玩とかねーよ」
「じゃあ撫でないでよ!」
イラッとして手を振り払って溜息をつく。
直後に髪を掴まれて、思いっきり抗議した。
「なにすんの!」
「んな怒ることねぇだろ?」
「……信じられない…あれだけ動物の世話した手で…」
「前はそんなこと気にしてなかったくせに」
どうしてそういうどうでもいいことには気づくんだろう。
押し黙ったまま世話を終えて、小屋を後にしながら隣についてくる竹谷を見上げる。
「……綺麗にしてるの。だから汚れた手で触らないで」
「ふーん……どうりでなんか毛艶いいと思った。そういうことなら悪かった、ごめんな」
まるで馬に対する評価みたいだと微妙な気持ちになっていたら、さらりと謝られてびっくりした。
ぽん、と頭に手を置かれてぎこちなく頷く。最近は三郎とひねくれたやり取りばっかりしてたから、なんだか落ち着かない。
「とすると、やっぱ気のせいじゃないのか?」
「なんの話?」
「いや、最近名前が可愛くなったって噂がな…」
何を言っているのかと竹谷を凝視すれば、彼も私を観察するように見返してくる。
居心地が悪くて顔を逸らしたら軽くあごを掴まれて、反射的に肩が跳ねた。
「ちょっ、」
「――いっ…てぇ!!」
「…え?」
私、まだなにもしてない。竹谷の手を振り払おうと力を込めた手は半端に浮いたままだ。
なのに竹谷は手首を押さえてその場に蹲って呻き声を上げている。
「おい、こっちだ」
「!」
いつからいたのか…私の背後にいたらしい三郎が上から私を覗き込んでくるものだから、勝手に足が下がる。
トン、とぶつかった背中に驚いていたら、顔をはさまれて強引に上向かされた。ぐき、と首が鳴る。
「痛っ!?私は、体育委員じゃ、ないんだからね!?」
「何を言ってるんだお前は」
(…っていうか、近い!!)
痛むところを押さえながら抗議したあとは、ただ三郎の視線にさらされる格好で――目の前にあるのは不破くんの顔なのに三郎にしか見えなくて混乱してくる。
「…いつもどおりの顔じゃないか」
「? 当たり前でしょ」
「八左ヱ門がアホなことを言いだすからだ」
パッと離れていく三郎にほっとしながら、ほんの少しがっかりしている自分もいて…ちょっと恥ずかしい。
ドキドキしている胸を押さえてゆっくり息を吐くと、復活したらしい竹谷が三郎に食ってかかるところだった。
「いきなり何すんだお前は!!」
「それは私の台詞だ。手刀で済ませてやったんだ、充分穏便だろう」
「どこがだよ」
「名前、行くぞ」
竹谷の文句を無視して隣を通り過ぎながら、私の髪をひと房掴み、軽く引く。
うん、と返事をしたのに三郎の指は絡んだままで、ドキドキが大きくなった。
無言で何度か指にくるくる巻くと、ぱらっと放して何事もなかったかのように前を行ってしまう。
……最近は三郎がよく触るから、気合い入れてお手入れしてるつもりなんだけど。
前よりも触り心地よくなってない?駄目だった?
気合いが空回った気がして自然と肩が下がる。
気づけば溜息まで漏れていて、ますます気分が落ち込んだ。
「それ三郎のためだったのか」
「っ、た、たけや!!」
「動揺しすぎだろ。あー…俺じゃやっぱわかんねぇな…雷蔵か、勘右衛門に聞いてみたらどうだ?」
なんのこと、と白を切ってみても竹谷は朗らかに笑うだけで取り合わない。
少し前を歩いていた三郎が苛立たしげに「さっさと来い」と私たちを呼ぶ。
どうしてそんなに不機嫌なんだろうと思いながら、同意を求めて竹谷を見た。
「……俺、初めて三郎に同情したわ」
「は?」
「――名前!さっさと来ないとお前の変装で下級生に悪戯するぞ!」
「ちょ…冗談やめてよ!」
足早に近づいたら、三郎まで足を速める。つられるように追いかける形になって、途中からは鬼ごっこをしている気分だった。
掴んだと思ったらひょいと避けられ、ニヤリと笑われる。私を見下ろす形でのそれに煽られて、余計むきになって三郎を捕まえようと躍起になった。
「っもう!いい加減、捕まってよ!!」
「仕方ない」
「わっ、急に…ぶっ!」
目の前で急停止した三郎に思いっきり激突して顔面をぶつけてしまった。
鼻の辺りを手で押さえ、目を瞬かせながら余裕たっぷりの三郎を睨む。
そのまま乱れた息を整えようとしたのに、顔面を胸元に押し付けられて可愛くない悲鳴をあげてしまった。
「苦、し…」
「お前は本当に体力がないな。走り込みでもしたらどうだ」
つい、と髪を引かれながら、不機嫌そうに言われたせいか、三郎の言葉を深読みしてしまう。
髪の手入れなんかしてないで――そんな意味を込められたような気がして、勝手に胸を痛めてる私は馬鹿だ。
「……うん、そうだね」
かろうじて相槌を打って、小さく自嘲めいた笑いをこぼす。
無言になった三郎を見返すと、三郎は苦い顔で私を見下ろしていて…何か言いたそうだった。
「三郎?」
「――…、」
「あ!鉢屋先輩見つけました!尾浜せんぱーい!!」
口を開きかけた三郎に割って入った声に顔を向ける。
こっちに向かって走ってくる彦四郎と、あさっての方向に手を振っている庄左ヱ門がいて、それを見た三郎は「げ」と呟いて身体を強張らせた。
「捕まえましたよ鉢屋先輩!」
「…まいったな。捕まってしまったのなら仕方ない、もう逃げやしないさ」
がし、と袖口を掴む彦四郎を見下ろして苦笑する三郎を見てドキッとした。
同時に――痛い、と感じている自分にも驚く。
(…どうして?)
ぎゅう、と胸元を握る。微かに混じるチクチクした痛みに戸惑っていると、庄左ヱ門が追いついて三郎に小言めいたことを言っている。
「はいはい。庄左ヱ門は本当に真面目だな、多少は力を抜くことも大事だぞ?」
「鉢屋先輩は抜きすぎです」
「三郎ー、お前こんなところにいたのかよ。手間かけさせんなよなぁ…」
最後に到着した勘右衛門がうんざりした顔で、手に持っていたボードで三郎の胸を軽く叩く。
委員会の仕事中だったのかな、とぼんやりした頭で成り行きを眺めながら、痛みの増した胸を押さえた。
一年生を見る目や、語り口調はとても優しい。それを羨ましいと――私にも向けてほしいと、思ってしまうなんて。
(……こんなの、いつものことなのに)
「――名前?どうしたの」
「え?どうって……別にどうもしないよ。なに勘右衛門、私、何か変?」
「……言っていいの?」
真顔で返されて答えに詰まる。
咄嗟に首を振ってそこから逃げだす――こんなときも、三郎は何も言ってくれなかったと気付いたら余計に胸の痛みが増したようだった。
わた恋
2945文字 / 2012.05.21up
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