その優しさは、
※両想い
――雷蔵は怒らない。
私が課題のテキストに落書きしても、落とし穴に落としても。激辛料理を食べさせようが、お茶に痺れ薬を混ぜ込もうが、怒らない。
いつも困ったような笑顔で優しく許してくれる。
現に今だって雷蔵の膝の上を占領してゴロゴロしながら読書の邪魔をしてるのに、読みづらいとか重いとか、そういう一言すらない。
雷蔵は迷い癖って悪癖もちだけど、それが発揮されないときは穏やかで親切な好青年だ。
誰にでも優しいし、こうして居心地のいい空気を作ってくれる。
この間だってくのたまの下級生に悪戯されそうになってたくせに、笑顔でやんわり注意して終わり。
罠を回避した雷蔵と、ほんのり頬を染める後輩の前に飛び出すのを我慢するのがどれだけ辛かったか!
(…思い出したらイライラしてきた)
はっきり言って雷蔵は見た目でキャーキャー言われるタイプじゃないけど、その人当たりのよさと優しさで密かにモテる。
「雷蔵のばか!」
「え?ど、どうしたの名前、僕なにかした?」
「どうして怒らないの!?」
「どうしてって……え?」
唐突に無茶を言いだした自覚はある。
でも、私は今すぐにでも珍しい雷蔵が見たかった。
普段怒らない雷蔵を怒らせることができたら、どこか特別な気もするし。
身体を起こし、戸惑った顔でおろおろしている雷蔵の首に腕を回す。
ぎゅう、と思い切り抱き締めて温かさを堪能したところで、雷蔵に笑顔を向けた。
「私、浮気してくる!」
「…………は?」
ぽかんと口を開けた雷蔵はなんだか可愛い。
離れたくないなぁと思ったものの、私は雷蔵に怒られたいんだと気合を入れて協力者を捜しに行くことにした。
+++
「さぶろー、私と浮気して」
「とうとう頭が沸いたのか…」
色々な説明をすっ飛ばし、用件だけを口にすると、三郎は可哀想なものでも見るかのように私を見た。
さすがに説明が足りなかったらしい。
「雷蔵に怒られたいの。だから協力して」
「断る!お前の変な嗜好に私を巻き込むな!」
「いいじゃないちょっとくらい!」
雷蔵っぽい見た目の三郎なら、フリがし易そうだと思って頼みに来たのに冷たい。
逃がすまいと装束を掴むと、三郎は片手で私の頭を押し返しながらキョロキョロあたりを見渡した。
「そんなことをしたら私が!雷蔵に怒られるだろ!」
「ずるい!!」
「馬鹿かお前は!いいから離――うわっ」
ぐいぐい私を押してくる力を利用して、三郎を引き倒す。
私は上手く受け身を取れたのに、三郎にとっては予想外だったせいか、思い切り潰されて苦しい。
ふぎゃ、と間抜けな声と軽い咳を溢しながら、逃げようとしていた三郎を捕まえて首元にぶら下がった。
「この…、」
「…あ。しまった」
状況を作ったはいいけれど――雷蔵に見られないと意味がない。
今更なことに気づいて手を離そうとした瞬間、あさっての方を向いていた三郎が息を呑んだ。
「三郎?どうしたの?」
「…………」
「なにを…してるのかな…?」
雷蔵の声を聞いて反射的に嬉しくなったものの、私は雷蔵の姿を目に入れた途端固まった。
――あれ?
いつものふんわりした空気は?
ふわふわで柔らかくて、あったかい雰囲気はどうしたの?
にっこり笑顔ってところは一緒なのに、空気がものすごく冷たい。
雷蔵の後ろに見えちゃいけないものが見える。黒いもやっぽい、うん、幻覚。
「誤解だ!私は被害者だぞ雷蔵!!」
「とりあえず離れようか」
「名前に言ってくれ!」
ふう、と溜息をつく雷蔵に三郎共々びくっと震える。
雷蔵は私を支え起こしながら、腕から私の顔へと視線を移す。
それから問いかけるみたいに「名前?」って私の名前を呼んだ。
声音は優しいのに、不思議と背筋がゾクゾクする。
パッと三郎から手を離す。
三郎はあっという間に私から離れると「私は無実だからな!」と言い置いて消えてしまった。
「ら、らいぞ…」
「うん。説明してくれるよね?」
「喜んでさせていただきます」
背筋を伸ばし、雷蔵の前に正座する。
怒った顔が見てみたかったんです、と“浮気ごっこ”に及んだ理由を正直に言ったら、雷蔵は心底不思議そうに「どうして?」と返してきた。
「雷蔵は優しすぎるんだもん!私にも、他の女の子にも!そういうところ好きだけど、私はもっといろんな顔が見たいの!」
「…………そ、それで怒った顔選ぶのは変じゃない?」
「変じゃない。あいつらだけ見られるのはずるい」
「ずるいって…」
顎に手をやって、そうかなぁと呟く雷蔵が首を傾げる。
確かに笑顔で静かに怒る雷蔵はちょっと怖かったから、これからは怒らせないように気をつけようと思ったけど。
「名前にだけ見せてる顔も、あると思うんだけど…それじゃだめかな」
「私は欲張りだから、それだけじゃ満足できないの!」
力強く言い返したら、雷蔵が驚いたように目を見開いて瞬く。
「名前には敵わないなぁ」
ほんのり頬を赤くして、眉尻を下げて困ったように笑う雷蔵が好き。
和らいだ空気にたまらず抱きつくと、驚きながらもちゃんと受け止めてくれた。
「…僕が名前に怒らないって言ってたけどさ」
「うん」
「あれ、一応理由あるんだ」
「そうなの?忍耐力つけたいとか?」
問い返せば雷蔵は視線を宙に投げ、迷うそぶりを見せた。
じいっと見つめて先を促すとちらちら私を見ながら照れくさそうに頬を掻く。
「僕の勘違いだったらちょっと恥ずかしいんだけど…名前が悪戯するときって構って欲しいのかなって。可愛いなぁって思ったら…怒る気がなくなるというか…」
「…………気づいてたんだったら、構ってよ」
悪戯の目的がバレていた恥ずかしさで可愛くない態度をとる私に、ふふ、と穏やかな笑いを返してくる雷蔵は心が広い。
でも、気づいてて構ってくれなかったところは意地悪だとも思う。
新発見を喜んでいいのか複雑に思いながら、雷蔵をぎゅうぎゅう抱きしめた。
「ねえ名前」
「な、なに?」
「今度からはちゃんと構うから、もう浮気しないでね」
雷蔵は私の背中に腕を回しながら、どこかひんやりする笑顔でそう言った。
「雷蔵…」
「ん?」
「読みづらくない?」
「あ、めくるの早い?音読してあげようか」
「一緒に読みたいって言ってない!」
「だって構って欲しいサイン出してたから」
「……本は置いて私だけって意味だったのに……雷蔵のばか…」
(…………全部声に出てるんだけど)
読み切り短編
2704文字 / 2011.06.02up
edit_square