カラクリピエロ

未だ眠れる恋つぼみ(6)


「帰ってくるよね」

長屋の廊下を歩きながら――たぶん部屋にいるんじゃないかとしんべヱが予想した―― 一度家に戻ろうと思ってることを口にすると、しんべヱは当たり前のようにそう言った。
言葉に詰まる私に、ふふ、と笑う。

「まだやめたい?」
「…戻ってきたい、とは思ってるよ」

両親に私の気持ちを全部吐き出しておきたい。
どんな反応が返ってくるかはわからないけど、自分でもすっきりさせたいと思ってるから。

「ついてっちゃだめかな」
「ええええ、なんでよ!」
「ぼくらみんなでさ、名前とまだ一緒にいたいんです、って」

ぞろっと引き連れて家に帰る様子を想像して、急いで頭を振った。

「だめ?じゃあ誰か代表でっていうのは?」
「そんなに頼りない?私、説得頑張るよ?」
「――っていうか、なんで話す前からネガティブ思考なんだ」

突然混じった声にしんべヱと一緒になって飛び上がって振り返ると、呆れ顔のきり丸が部屋から顔を覗かせて手招きしていた。

「なに通り過ぎてんだよ、自分の部屋だろ?」
「ごめんごめん、話に夢中になっちゃって……って、ぼくが連れてこなかったらどうしてたの」
名前はもう全部知ってるって伊助が言ってたし、しんべヱが動かなくても勝手に捜してくれたって。な?」

部屋の床を埋め尽くしかねない量の紙と何かの骨組と糊のにおい。
それらに気をとられていたのに、きり丸の発言に顔が引きつった。なにその自惚れ発言。

「そりゃ、会いに行くって言ったのは名前だったけど」
「ちょ、しんべヱ!」
「ほらな」

笑いながら手を動かしているきり丸は、次々にうちわを生み出していた。
速いし綺麗でつい見惚れるけれど、座る場所がないのはいただけない。
しんべヱが「も~」と文句を言いながら紙の束を避けてスペースを空けた。

「はい、名前。ここ座って」
「しんべヱは?」
「教室行ってくる。きり丸、ほどほどにね」
「あいよ~」

作業の手を止めないままのきり丸としんべヱを見送った後は室内がシンと静まり返る。
どうやって話を切り出そうかを考えてそわそわしていたら、きり丸が小さく笑った。

「なんで緊張してんだよ。これ乾かして」

ひょいと渡されたのはきり丸が作っているのとは別の、ちょっとボロいうちわ。
示されるままそれを振り、ひとまずお礼を言ってみた。

「…なにが?」
「髪飾り、直してくれたでしょ?」
「あー…あれな。じゃあ今度バイト手伝って」
「…………これは?」
「これはまた別」
「ちゃっかりしてる」

あっさり言い切るきり丸に苦笑して返すと、きり丸は悪びれもせず笑顔になった。

「あと、ごめんね」
「へ?」
「…さっき言ったこと、撤回したいの」
「やめないってやつか?それならとっくに知ってるけど」
「それもだけど…勿体無いって言い訳したこと…」

思い出したらきり丸にとても無神経なことを言った気がするのに、上手く形にできなくて俯く。
はあ、と溜息が聞こえてびくりと肩が震えた。

名前がなにを気にしてんのかわかんねぇけどさ、無駄遣いが勿体無いって思うのは普通だろ。むしろいいことじゃん」

けろりと返されて思わず顔をあげると、きり丸は「手、止まってる」と完成間近のうちわで私を指した。

「まぁ、名前がどーしても気になるってんなら自分で稼いだらいいんだし…でもま、それは最終手段にしとけよ。やらないで済むにこしたことねぇんだから」
「……うん、ありがと」

きり丸の話し方は軽めだけれど、優しい声と内容から私を思ってくれてるのが伝わってきて、言葉が詰まる。

また手が止まってると注意された作業を再開させながら、温かくなった胸の辺りを握った。

「…きり丸は、弟じゃなくてお兄ちゃんみたいだね」
「…………は!?」
「さっきしんべヱとそういう話してて」
「冗談!!」

私よりずっと大人だってことが言いたかっただけなのに、ぎゅっと眉間に皺を寄せて拒絶するきり丸の反応はちょっと傷つく。

「ただの例えだったのに…」
「…例え、ね…」
「もう言わないよ、ごめんね!」

ぷいと横を向いて、自棄気味に積み上げられているうちわに風を送る。
頑なに動いたままだった手を止めるほど嫌がられるとは思わなかった。

「どうすっかなあ…な、名前
「え…、なに!?」

唐突に両肩を押さえられて驚くと同時に、上から声が降ってくる状況に理解が追いつかない。
素早く瞬きながら固まっていると、背中が重くなった。

「ちょっと、きり丸!?」
「オレはさ…名前と馬鹿やって笑いあって――が性に合ってると思うんだ」

振り返ろうとしたら余計に背中が重くなって、前のめりになる。
自分の膝に手を置いて支えると、きり丸が身じろいで何故か自嘲気味に笑った。

「けど、兄妹って言われんのは不満だし、お前が誰かのもんになるのは…やっぱ面白くねぇんだよなぁ」
「……いきなりなんの話」
「金吾のこと好きなのか?」
「好きだけど…え?」

ぶはっ、と吹き出したきり丸のせいで身体が揺れる。
私に寄りかかるのをやめたきり丸を覗き込むと、唸りながら顔を抑えていた。

「あー…忘れてた」
「何を」
「お前庄左ヱ門にもそう返したんだってな」
「? いけなかった?」
「…………じゃあ、オレは?」
「もちろん好きだけど…、ちょっと!?」

途中でぐいっと腕を強く引かれ、私はあぐらを組むきり丸の片膝に、上半身を乗せる形で押さえ込まれていた。

静かに私を見つめるきり丸を見返しながら、せっかく綺麗に完成したうちわが、とか何か蹴っちゃったとか頭の隅っこで色々なことを考える。
私の腕を掴んだままのきり丸の手を見て、またあの変な感覚が戻ってきてしまった。
――なるべく考えないようにしてたのに。

「ふーん…」
「きり、ちゃん、」

放して欲しいのに、動揺して上手く形にならない。
それを誤魔化すように睨むと、きり丸は笑いながらむぎゅっと私の鼻をつまんだ。

「いっ!」
「ま、今回は許してやるよ」

涙目で鼻を押さえる私に、嬉しそうな笑顔を向けてくるきり丸が憎い。
しかも“今回は”ってなに。

名前って鈍いよな」
「なんなのもう!」
「言われたくなかったらよーっく考えろ」

笑いながらそう言うと、きり丸は中断していた内職を再開させて(当然のように私にも手伝わせて)、そろそろ稼ぎ時だとか宣伝の幅が広がるとか(私が手伝うのは確定らしい)、徐々に目を銭の形に変えていった。

慣れ親しんだ様子に溜息を吐き出すと、スパーンと勢いよく戸が開いた。

「――お、ま、た、せ」

光を背負って満面の笑みを浮かべる兵太夫の第一声に、私は「待ってません」と反射的に呟いてしまった。
だって嫌な予感しかしない。

「兵太夫のやつ張り切ってんなぁ…」
「き、きり丸、私、このまま帰りたい」
「だってよ兵太夫」
「大丈夫だよきり丸。名前だもの」

兵太夫は首を傾げながら「ね?」って私に同意を求めてくるけれど、意味がわからない。

「僕にだけ付き合わないなんて、名前がそんな意地悪するわけないじゃないか」

やけに演技がかった台詞と仕草で近づいてくる兵太夫に身構える。笑顔が怖い。
私だって逃げたいときは全力で逃げるに決まってる。

「はい捕獲」
「ぎゃっ!」

じりじり距離をとっていたつもりだったのに、きり丸の内職道具が散乱した部屋ではすぐに引っかかって、それに気をとられている隙に手首をつかまれた。

名前が全部知っちゃってるうえにもう残ってくれるのは確定なんだよね?」
「確定じゃないよ!?ちょ、ちょっと、きり丸!」
「ごめんなぁ名前。基本邪魔は禁止なんだ」

助けを求めたのに苦笑しながらも手を振ってくるきり丸に、兵太夫が「そういうこと」と言いながら笑う。
ぐいぐい引かれて廊下に連れ出されると、少し力が緩んだ。

「そんなに警戒しなくても、危ないことはしないよ」
「ほ、ほんと…?」
「もちろん。ただ新作をね」

言葉途中でギクリと身体が強張る。
兵太夫はきょとんと目を丸くして私をじっと見た後、ゆっくり口の端をあげた。

「そんなに期待されると照れるよ」
「してないから!」
「…三治郎のは喜んだくせに僕のが駄目ってどういうこと?」
「当たり前でしょー!?」

こっちがどういうことって聞きたい。
兵太夫のからくりはまさに忍者屋敷みたいなものばっかりで、床を踏むと上から何か降ってきたり近くに穴が開いたりするし、壁に手をつけば矢が飛んできたり壁が回転したりと予測しづらい動きで危ないことこの上ない。

歩きながら壁や柱に触る兵太夫に今までのあれこれを文句交じりで訴えると、兵太夫は嬉しそうに笑った。

「そこで笑うのおかしいでしょ…」
「からくりが正常に動いてるのがわかって嬉しいし、名前が色々覚えててくれるのも嬉しい。ね、笑っても不思議じゃないでしょ?」

どうぞ、って言いながら戸を引く兵太夫の動きで、いつの間にか彼と三治郎の部屋まで案内されていたことに気づいた。
恐怖のからくり部屋に足を踏み入れるのは何年経っても怖い。

慎重に兵太夫の踏んだ場所に足を運ぶ。
笑いをこぼす兵太夫を気にしている余裕もなく、中まで入って腰を落ち着けたところでハッとした。
――完全に逃げるタイミングを逃した。

「ほんと、名前って可愛い」
「む、むかつく!!」
「褒めてるのに」

全然褒められてるように聞こえない。
いつ罠が発動するのかわからない緊張感でそわそわしていたら、兵太夫が苦笑して小さく謝った。

「新作はなしにするからさ、話しようよ」
「…………信じるからね」

ホッとした顔をする兵太夫に、ちょっと警戒しすぎたかなと罪悪感が湧く。
トントン、と壁を叩いた場所からお茶セットがでてくるのを見て、やっぱり少しくらい警戒しておこうと思い直した。

名前が考え変えてくれてよかった」
「だ、だからまだ確定じゃなくて…」
「そうなの?まぁ今後のことは置いといて、僕のところまで考えが変わってなかったら学園から出さないのもありかなぁって思ってたんだ」
「………………は?」

淹れてもらったお茶に手を伸ばしかけたところで止める。
今、なんて言ったんだろう、この子。

「今までの経験を活かしてさ、名前の歩幅、視線の動き、心境の変化…色々予測して罠張って…まあ冗談だから、そんな顔しないでよ」
「冗談でもこわいよ」

衝撃的すぎる。
今までのみんながやんわりだったから、余計にそう感じてしまう。
兵太夫曰く冗談らしいから大丈夫だとは思うけど。
しばらく学園内を歩くときは緊張しそうだ。

「…それだけ名前は僕のお気に入りってことだよ」
「おもちゃ扱いか!」
「わかんないかなぁ、僕なりの愛情表現なんだけど」
「こわい!兵太夫、それ改めたほうがいいよ!」

目をぱちぱちさせる兵太夫がにこっと笑う。
つられて引きつった笑いをこぼしつつ、じりじり後ずさった。

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