カラクリピエロ

未だ眠れる恋つぼみ(4)


げほげほ咳き込みながら目の前の煙を払う。
煙が目に入って痛い。何度か瞬きしたら涙で視界が滲んできた。
俯いて目を擦っていると、冷やされた手ぬぐいが手に触れる。

「ありがと……」
「ごめん、配合間違えたみたい」
「んー、だいじょ…ん!?その声、伊助!!?」
「よくわかったね」

微かに驚きを含んだ声を聞きながら、目を開けると伊助と目が合った。
向けられた微笑みにつられて頬を緩ませながらも違和感を覚える。

「…きん、ご、は?」
「金吾は……ちょっと、おしおき中、かな」

あはは、と取り繕うような笑いを溢す伊助が視線を泳がせる。
どうしていきなりおしおきなのか、聞きたいのに金吾の名前を口にした途端、さっきのやりとりを思い出して心臓が跳ねるからそっちに気をとられた。

顔は熱いしドキドキしっぱなしだし、今までこんな風になったことなかったのに。もうわけがわからない。

「…顔赤いね。大丈夫?」
「い、すけ……」

問いかけが優しくて、縋るように見上げる。
伊助は私の頭をぽんぽんと撫でると、穏やかに微笑んで「食堂行こうか」と言って歩き出した。

私を気遣うように視線を向けてくるものの、伊助は急かすようなことはしてこない。
おかげで自分なりに考えることができたけれど、何度思い出しても抱き締められたところで思考が止まる。
勢いよく頭を振って別のことに切り替えようとしたら、今日起こっている『は組』連中の襲撃についてを沸々と思い出し、一つの結論に辿りついた。

淹れてもらったお茶を前に、伊助が座るのを待つ。
それがわかったのか、伊助は少し身構えて深呼吸してから私の前に座った。

「……あのね、思ったんだけど。これって私を何かに引っ掛けようっていう『は組』の悪戯でしょ」
「僕の番でそういう疑問持っちゃうんだ…」
「だって、おかしいよ!急に『は組』が次々来てさ、伊助でもう七人目だもん。き、きんごも、変だったけど、思い出してみたらなんか……みんな、どっか変だし……」

伊助は見てなかったから知らないだろうけど。
私は答えを求めるように、伊助をチラりと見上げた。

「…もし、僕が悪戯だよって答えたら、名前はどう思う?安心する?」

逆に聞かれて考えてみる。
伊助の言う通り、安心する、が一番近い気がしてぎこちなく頷くと、伊助は困ったように笑いながら「ごめん」って謝ってきた。

「なんで…?」
「これ僕が言っちゃっていいのかわかんないけど…」
「もう!」

この期に及んで勿体つける伊助に思わずテーブルを叩く。
眉間に皺を寄せながら先を促すと、伊助は私を宥めるように手のひらを前に出した。

「わ、わかってるよ、ちゃんと言うって!僕らは全員本気だし、誰も嘘はついてないんだ。名前を安心させてあげられない」

だから“ごめん”と伊助が言う。
拠り所が…逃げ道が、今消されたような気がする。

「僕らもさ、急で焦ってるんだよ」
「……なにを?」
名前がいなくなるなんて言うから――そりゃ、いつかは別々になるだろうけど…まだ先だと思ってたんだ。なのにさ」

もやもやしたままの私に追い討ちをかけるように、伊助が言葉を重ねる。
伊助は小さく溜息をついて湯のみを両手で包み、じわじわと視線を上げる。私はそれをじっと見守っていたから、当然目が合った。

「僕は名前と別れるのが寂しいし、できればこの先もずっと一緒にいたい」

何を言ったらいいかわからなくて押し黙る私に、伊助はふわりと笑顔を見せて「本気だよ?」と冗談めかして言った。

「……たし、も……みんなとお別れするのは、寂しいよ」

本音をさらけ出す気恥ずかしさで声が掠れる。
だけど言ってもらった言葉が嬉しかったから、懸命に振り絞れば、何故か伊助がテーブルにつっぷしていた。

「ど、どうしたの!?」
「…………泣きたい気分だから」
「なんで!?」
「“みんな”だもんね、は組でひと括りだって知ってたよ、どうせ……」
「い、伊助…?」

笑っているのに楽しくなさそうというか怖い。
むくりと上体を起こした伊助は俯いたまま首を振り、溜息をついてから私を見た。

名前には言葉より態度ってことなのかなぁ…」

ね、って同意を求められたけど、それに頷いていいのかわからない。
誤魔化しがてらお茶を飲むと、パタパタこっちに走ってくる音が聞こえた。

「み~っけ!」
「喜三太、ちょっと遅かったんじゃない?」

声に振り返ると、食堂の入口からこっちにビシッと指を向けてくる喜三太がいた。
伊助はそれを合図にしたように席を立ち、喜三太の分と私のお茶を淹れなおしてくれた。

「なめ蔵となめ千代が脱走しちゃって、探してたんだぁ」
「見つかったの?」

隣に座る喜三太に聞けば返ってくるのは満面の笑み。
思わずつられて笑うと、喜三太はますます嬉しそうに笑ってテーブルにべたっと上体をうつ伏せた。

「こら喜三太、こぼすだろ」
「わ、ごめん。もうボクの番みたいだけど伊助は話終わったの?」
「ルール違反しない程度には」

ごろごろしている喜三太に返しながら立ち上がる伊助を目で追うと、彼は「もう気づいたかもしれないけど」と言いながら自嘲気味に笑った。

「僕ら、名前を引き止めるのに必死なんだ」
「はにゃ、言っちゃっていいの?」
「だって悪戯だー冗談だーって怒るんだもの。言っちゃ駄目って言われてないしね」
「そっかぁ。じゃあやりやすくていいね」

伊助に相槌を打つ喜三太は笑うけど、私には二人の話の断片を聞いて想像するしか方法がない。
それでも『は組』が私のことで動いてるのは確かで――それがとても嬉しいと、思う自分がいる。

「――あ、もう一つだけ言ってっていい?」
「いいよ~」
「ごめん。名前、僕たちの目的は一緒だけどね、方法は自由なんだ」

私がその台詞を理解しきる前に、伊助は喜三太にお礼を言うと手を振って出て行ってしまった。

「…喜三太」
「なあに?」
「私…、すごい優柔不断かも……」
「どういうこと?」

腕を枕にして顔だけこちらに向ける喜三太の目が真っ直ぐで、直視していられない。
決心したはずなのに、簡単に揺れる心が情けなくて唇を噛んだ。

「言ったら楽になるかも~」

ぴょこ、と喜三太の袖口から飛び出てきたのはなめくじ。
一瞬ぎょっとしたものの(食堂に持ち込んだら怒られそう)、よくみたら模型だ。
なんだか懐かしく感じるそれを動かしながら、喜三太は相変わらずにこにこ笑っている。

「……あのね、」
「うん」
「…や、やめるの、やめようかなって……」
「うん」
「でも、こんな…友だちがいるからって理由で、通い続けるのっていいのかなとも、思うの」
「だめなの?」
「え?」

揺れるなめくじ模型から喜三太に視線を移せば、彼は不思議そうに首を傾げて私を見ていた。

「くの一教室って、上級生はみんな忍者になりたい子しかいないの?」
「え、ど、どうだろ…」

聞いて回ったことはないから、わからない。

動揺して視線を泳がせる私を見て、ふにゃりと表情を緩める喜三太が一回聞いてみたらどうかと提案してくれる。
それにためらいながら頷けば、“やめない”の比重が大きくなったことに気づいて泣きたくなった。

「ボクさあ、名前は考えすぎだなぁって思うんだ」

怒らないでね、って前置いて喜三太がポツリとこぼす。
そんなことないと返そうとしたのに、喜三太の笑顔に抑え込まれた気がした。

名前が居たいなら居ればいいんじゃないかなって思うけど、…苦しそうなんだもん。ボクは名前に居て欲しいからやめないでって言って止めちゃうよ。でもね、名前がそうやって苦しそうな顔するのは嫌なんだ」

笑顔だった表情は眉尻が下がって段々困ったように変化する。
うまく言えないや、とこぼす喜三太が謝りながら笑うから、慌てて首を振った。

「ボクさ、名前が喜ぶならなんでもするよ」
「……いきなりだね」
名前の嬉しそうな顔がね、大好きなんだ」

結局言いたいのはこれだけだと頬を紅潮させて、喜三太が照れくさそうに笑う。

その優しさが既に嬉しくて、さっきとは違う意味で泣きそうになったから、慌てて顔を伏せて前髪に触れ、顔を隠した。

「……ありがと」

呟くと、喜三太は小さく笑ったようだった。

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