カラクリピエロ

メイン長編if(勘右衛門→夢主)の続き

※尾浜視点




失恋を癒やすには新しい恋かなあ。

学級委員長委員会用の部屋で寝転がりながら、ぼんやりと思考する。
知れずこぼれた溜め息は、自分で聞いてもうんざりするほどの暗さで室内に落ちた。

名前に「嫌い」と言わせてからひと月程が経過した。
あれ以来、彼女とは顔を合わせていない。
誰かに様子を聞くこともせず、兵助との仲については極力耳に入れないようにしていた。それを受け入れるための気持ちの整理がまだつかない。
兵助も、時折考え込む様子はあってもそれを表に出してこないのが幸いだ。相談なんてされたら理不尽な感情をぶつけてしまいそうで怖い。

表面上はいつもどおり、授業や委員会活動にも参加できていると思う。雑用係と揶揄されがちな学級委員長の仕事だって、気を紛らわせるなら役に立つ。
友人とも変わらず付き合っているつもりだけど、どこかぎこちなさが滲みでているのは自覚していた。きっとみんなも気づいているだろうに、なにも言わずにそっとしておいてくれる。

――ひと月、経った。
いまだに名前のことを思い浮かべてしまうのを止められない。

これが遠くに姿を見かけたときだったり、声が聞こえたときだったらまだ当たり前だと思えるのに。
おれの目と脳はだいぶやられているらしく、くのたまの制服を見ただけでってこともあるし、ときには兵助と話しているときだったりするのが困る。

――気持ち的には“まだ”ひと月だけど、引きずりすぎなんだろうか。
名前を思うのと同時に浮上する恋心と、それにくっついてくる痛みはいつ無くなるんだろう。

「尾浜先輩、具合悪いんですか?」
「…………うーん」

クラスの日誌をつけていた庄左ヱ門を見返しながら、ごろりと転がる。
曖昧な返事をしたからか、日誌から顔を上げてこっちを見た彼は“問題なさそう”と言いたげにひとつ頷いて筆を握り直した。

「あっさりしてるなあ、庄左ヱ門は」
「今日は新野先生が不在だそうですから、診てもらうなら善法寺先輩になりますよ」

診てもらいますか?と首を傾げるのを苦笑混じりに遠慮していると、バタバタ廊下を駆けてくる音がして、戸が勢いよく開いた。

「せ、先輩、助けてください!」

転がるように飛び出てきた彦四郎の声で跳ね起きる。
急いで近寄れば、息を切らせたままの彼に袖を掴まれた。

「伝七が、はやく、おねがいします」と彦四郎の言葉からは焦りと混乱が伝わってくるけれど、逆に言えばそれしか伝わってこない。

「彦四郎、落ち着け。いま状況を説明できるのはお前だけなんだよ。伝七がとうしたって?」
「すみ、ません。……さっき、苗字先輩が、倒れて、」
「!? どこだ!?」
「校舎と、食堂のあいだにある、渡り廊下です!」
「わかった、医務室連れて行くから善法寺先輩に連絡頼む!」

落ち着いて説明を、と求めたくせに自分がこのザマだ。
自嘲しながら呼吸音と荒く脈打つ心臓の音だけを耳に入れて、ただ走る。
くだんの場所に駆けつけると、俯いた状態で蹲っている名前と、膝をついて彼女を支える伝七が見えた。

名前!伝七!」
「お、おはま、せんぱい……」

弱りきった声を出す伝七は、今にも泣き出してしまいそうだ。
励ますように肩を軽く叩いてから、伝七とは逆側にしゃがんで名前の様子を窺う。目を閉じている彼女の顔は青白く、頬には真新しい擦り傷ができて薄く血が滲んでいた。

名前、医務室いこう」
「……かんえもん?」
「うん。立てる?倒れたって聞いたけど痛いところは?」

聞きながら覗き込むと、ぼんやりしていた瞳が焦点を結んでおれを映す。
――なんだか、様子がおかしい。

名前?」
「痛いってことは、夢じゃないんだ」

かろうじて拾った声は掠れていて、どこか虚ろで……名前自身、言葉にする気がなかったのかもしれない。
ずっと不安そうにしている伝七が名前とおれを交互に見て、迷った末に手ぬぐいを取り出しながら名前を呼んだ。

苗字先輩、あの、これ……ほっぺた、血が出てますから」
「え、出てる?」

あ、と思わず声をだす。
名前は無造作に自分の頬――そこにあった傷をこすり、痛みをこらえるように目を閉じながら眉根を寄せた。

「尾浜先輩、僕先に医務室に行って苗字先輩のこと伝えてきます」
「それなら、さっきおれから彦四郎に頼んだぞ」
「一応、です。苗字先輩、膝も痛いはずですから気をつけてくださいね」
「……うん」

覇気がない名前の返事を聞いて、伝七の表情が一瞬泣きそうに歪む。やっぱり、彼女の様子がおかしいのは気のせいじゃないらしい。
伝七は、彼の手ぬぐいを握りしめたままぼうっとしている名前の手をぎゅっと握ってから、おれに向かって「苗字先輩をお願いします」と念押しして医務室の方へ走っていった。
名前へと向き直り、どう声をかけようか迷っていたのに。ぽろぽろ涙をこぼす彼女を見た途端、なにもかも吹っ飛んだ。

「ど、どうした!?痛い?」
「――勘右衛門、あのね」

小さな声を聞き漏らさないよう耳をそばだてていると、なんだか懐かしさを感じる呼びかけが聞こえた。
相槌を打つと嬉しそうに笑ってくれる。その表情を見るのが好きだった。おれが、彼女に恋をしたきっかけ。
兵助の話題に直結しているそれを言われなくなって久しくなった今、ちらりと“聞きたくない”と思ったくせに……どうやらおれは、名前が話すのをやめてしまう方が嫌だったみたいだ。

「なあに?」

自分で認識するよりも早く、先を促す返事をしていた。
泣いている彼女を前にしているからなのか、今までもこうだったのか――甘やかすような響きがある、なんて他人事みたいな感想が浮かんだ。おれ自身のことなのに。

名前はわずかに目を見開いたかと思えば微かに首を振る。顔を青くした彼女からは謝罪の言葉が聞こえた。
案の定、兵助に関する内容だったんだと察すると同時に、気遣われたことにも気づいてしまう。
変わらない彼女を見て嬉しいような寂しいような、複雑な感情が湧いて微かに苦笑が漏れた。

「言いかけでやめられるほうが気になるけど……とりあえず医務室行こうか」

先に立ち上がり、迷った末に彼女の手を取って引き上げる。
しっかり握り返してくれたことが泣きそうなくらい嬉しいなんて、名前は知らないままでいてほしい。

数歩進んで振り返っても、彼女はその場から動かず「行きたくない」と呟いて渋る様子を見せた。
おれと一緒なのが気まずいのかもしれないけど、置いていくわけにはいかない。彦四郎の言うとおり倒れたのなら行くべきだし、頬の怪我を放置するのもよくないだろうし、庇うように自身の腕を掴んでるのはそこが痛むからだろ?

「……彦四郎も伝七も、名前を心配してたよ」

おれの言葉に反応して肩が小さく跳ねる。下級生に弱くて甘い彼女のことだ、彼らに心配をかけたくないなら動いてくれるはず。

「それに、おれ名前のこと伝七から頼まれちゃったし」

ダメ押しのように付け足せば、名前は自身の肘のあたり――装束をぎゅっと握ってから顔をあげ「わかった」と諦めたように呟いた。
頬についた擦り傷が思いのほか目立っていて、見ている方が痛い。もし許される立場にあるなら、いたわるように触れて応急手当をするのに――“友達”としての範囲が、もうわからない。

「手、貸そうか?」
「……だいじょうぶ」

ありがとう、と付け足す名前の言葉で、また胸がうずく。いっそのこと抱き上げて運んでしまいたい。
湧いた気持ちを抑え込み、のろのろ歩き出した彼女に気付かれないように小さく息を吐いた。
医務室への道を先導しながら進み、ときおり彼女がついてきているかを確認するために振り返る。
名前はかろうじて進んでいるものの、気もそぞろで今にも崩れてしまいそうな……どこか危うい雰囲気があった。

――勘右衛門、あのね。

彼女の様子についての答えは、きっとあの呼びかけの続きにある。
気になるくせに、聞くのが怖くて声をかけることさえできないなんて。

(……こんなはずじゃなかったのに)

内心はどうあれ、彼女と遭遇したときはもっと平然と――思いを告げる前のように、向き合えると思ってた。

(けっこう自信あったんだけどな)

ままならないなあ、と溜め息をつきながら、彼女に合わせて速度を緩めた。

たどり着いた医務室では、声をかける前に戸が開いた。
彦四郎と庄左ヱ門と伝七と、それから保健委員が勢ぞろいしている室内は少し圧迫感がある。

名前……また怪我したのかい?」

びくっと肩を揺らし首をすくめる名前に、善法寺先輩は「まったく」と溜め息混じりに言いながら自分の前に彼女を座らせる。すでに彦四郎と伝七から名前の状態を聞いていたのだろうが、前フリなく彼女の袖をめくりあげるのは心臓に悪いからやめてほしい。

「そんなに酷くないね、かすり傷だ。塗り薬をあげるから、膝も怪我してるなら後で自分でやってね。ほら、こっち向く。なに?痛い?はいはい、痛みよ去れー」

傍から聞いていると善法寺先輩の対応はかなり雑だ。
痛みを逃がす“おまじない”なんて効果がまるでなさそうな棒読み加減だった。

名前の治療中、彦四郎がおれに助けを求めに来た経緯を聞いた。
立花先輩が不在で委員会が休みになったという伝七と一緒に歩いていたこと、途中で遭遇した名前の様子がおかしかったこと。声をかけたら笑って応えてくれたけど、話をしている途中で倒れたこと。
名前はすぐに起き上がったものの、驚いた一年生二人は助けを求めたほうがいいと結論づけたらしい。
そこで彦四郎が思い浮かべたのがおれと三郎だったようだ。きっと委員会に向かっている最中だったからだろう。
三郎は今日忍務で居ない。偶然だろうけど、立花先輩と新野先生も同時に居ないとなると、なにか大きな事件でも起きているような錯覚を起こした。

「――はい、終わり」
「ありがとうございました」

二人の声にハッとして振り返ると、名前は既に立ち上がって退室するところだった。
善法寺先輩が慌てて彼女の手に薬を握らせ、気遣わしげになにかを告げている。頷く名前の表情は見えなくて、わけもなく不安感に襲われた。

名前!」
「びっくりした……なあに?」
「お、おれ、送ってく」
「一人で平気だよ。勘右衛門はまだ委員会中でしょう?」

微笑んで答える彼女の笑い方に違和感があるのに、それを言われると動けなくなる。
そんなおれに助け舟を出してくれたのは、庄左ヱ門と彦四郎だった。

苗字先輩、尾浜先輩は部屋でゴロゴロしていただけなので、しばらく不在でも大丈夫ですよ」
「また途中で倒れたら大変ですし、伝七だって心配で泣いて――痛い!」
「な、泣いてない!余計なこと言うなよ彦四郎!苗字先輩、僕泣いてませんからね!」

庄左ヱ門の余計な一言は黙殺し、なにか(おそらくは断り文句)を言いかける名前を促しながら外へ出る。
諦めがついたのか、苦笑をこぼした名前は「ありがとう」と律儀に口にしてから隣に並んでくれた。

「かすり傷ならすぐ治りそうだね」
「うん」
「あっさり出てきちゃったけど、体調はいいの」
「だって転んだだけだもん」
「……倒れたんじゃなくて?」
「転んだの」

ただ転んだだけなら、あんなに彦四郎と伝七が動揺するわけないのに。
明らかに嘘をついている名前は、それを善法寺先輩のところでも押し通したんだろう。退室するときの様子を思い出しながらこっそり様子を観察していると、時々腕のあたりに触れて痛みをこらえるように目を閉じていた。

「運んであげようか」
「へ…き…」
「でも痛むんだろ?おれだから遠慮したい、って言うなら別のやつ……兵助に、頼む?」
「だめ!!」

一瞬ためらってしまったものの、兵助の名を口にできたことにホッとしたはずが――名前の激しい拒絶に驚いて数回瞬く。
彼女は自分の声の大きさに戸惑うように口元へ手をやって、浅く呼吸を繰り返していた。

名前?」
「だい、じょうぶ……だから、久々知くんは、よばないで」

震える声で、かろうじて聴きとれる程度の音量で告げた名前は、口元に添えた手のひらを握りしめると「もうここでいい」と呟いた。
少なからず動揺していたおれは、それがおれを遠ざけるための言葉だと気づきながらも彼女に近づいてそっと肩に触れる。
びくりと大きく身体を揺らした名前がはじかれたように顔を上げ、その両目から涙をあふれさせた。
慌てて顔を俯ける名前が息を詰める。急に動いたせいで、先ほどから庇っている腕が痛んだのかもしれない。

「……名前、もう少し歩けるならこっちきて」
「でも、」
「無理に聞いたりしないよ。けど、このままでいると目立つだろ?」

彼女の泣き顔を見るのは苦しくて、動悸が激しい。
なにがあったのか問い詰めたくなるのを必死に堪えて、脇道へと誘導した。

「おれにしてほしいこと、なにかある?」

もの言いたげについてきていた名前に向き直りながら言うと、彼女はぐっと息を詰めて迷うそぶりを見せた。
赤くなったままの目元と、浅い呼吸。 いまにも泣き崩れてしまいそうで、目を離した瞬間いなくなってしまうんじゃないかって不安がまとわりついている。

(そんなわけないのに)

馬鹿げた考えだと否定しながらも、落ち着かない気持ちで名前を見つめた。

「かんえもん………」
「うん、なあに」
「はなし、きいて……」
「……もちろん、聞くよ。 おれ、やだって断ったことないだろ?」

軽く聞こえるように意識して言えば、名前は張り詰めた空気を少し緩めて 「そうだね」と同意してくれる。
そのまま何度か言いにくそうに唇を開閉させたあと、ぎゅっと口元を引き結びおれをまっすぐ見た。
なにかをお願いするときの名前の瞳は真剣で、綺麗だ。 それを見返しながら、ああ、こういうところも好きだったなぁ、なんて場違いなことを考えていた。

「今から話すこと、久々知くんには、言わないで」
「……ん?」
「な、泣いてた、 ことも……内緒にして」

いつもとは趣が違う内容に戸惑いながら、既に潤み始めている瞳に気圧されるように頷く。
じっと黙ったままの彼女に改めて 「約束する」 と告げると、名前はほっと息を吐いた。
おれだけの特権を喜ぶ気持ちと、兵助への羨ましさが混じりあって苦しい。
そんな葛藤を抱えるおれの姿を映したように、彼女の表情も苦しげに歪む。 名前は仕切りなおすようにゆっくり目を閉じたけれど、その拍子に涙が転がり落ちていくのが見えた。


「……ふられちゃった」


ほろりとこぼれた音が理解できなくて、地面にできた彼女の涙の跡が少しずつ増えていくのをただ眺めていた。

「――え?」

間抜けにも一音しか出てこない。 だって、 名前が何を言っているのか全然わからないんだ。
それはおれの中で一番あり得なかった言葉で、 未来で、可能性だった。
起きたまま夢を見ているんじゃないかと逃避しかけるおれを引き戻すように、名前のしゃくりあげる声が聞こえる。

「ずっと……と、とも…友達で、いたい、って」
名前、」
「私のこと、大切だって。 みんなと、同じくらい……女の子の中で、一番好きだって。でも、だから…だから、友達でいたいんだって……私、 “わかった” って 言ったよ。 ちゃんと、 笑って、 ありがとうって、いえた」
名前!」

衝動のままに彼女を抱きしめて、言葉を遮る。
見ていられなかった。 まるで“褒めて”と言いたげに告げる名前の話を聞き続けるのがつらかった。
装束が引っ張られる感覚を受けながら奥歯を噛みしめる。そうでもしないと、つられて泣き出してしまいそうだったんだ。

「ともだちなら、 ずっと……みんな、みた…いに、ずっと、仲良しでいられ…かもしれな…けど、」
「……うん」
「でも……っ、 わたし、 わたしは…」
「うん」

――よく、 わかるよ。
腕の中に名前を囲い込んで、ただ相槌を打つ。
じわじわと肩の辺りが濡れていくのと、時折揺れる身体と、たえず聞こえる涙声が、おれの涙腺を刺激する。それを無理やり押さえ込んでるせいで、喉の奥が熱くて痛い。
兵助の前では “いい子” を保ってたみたいだけど、その本音をぶつけて困らせてやればよかったのに。



+++



「……ごめんなさい」
「別に謝ることないのに。名前は帰ったらどうするの?家の手伝い?花嫁修業?」
「とりあえずお見合い行かされると思うから……嫁ぐのかなぁ」
「……。……それってさ、相手は誰でもいいの」
「うん。だって、どうせ……」
「じゃあ、おれでもいいよね?」
「――え?」
「だから、 誰でもいいならおれでもいいでしょ?」
「だ、だめ。 勘右衛門は、 だめ」
「それじゃあ、名前が誰かのものになるのを黙って見てろってこと?おれはね名前、兵助だから…名前と兵助が好きだから、二人が一緒にいるのが好きだったから……だから、引いたんだよ。 なのに…なんで……」
「か、かんえもん、泣かないで」
名前のばか」

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