カラクリピエロ

素直になれない(10)


※竹谷視点





あれから数日、俺はこれ以上ないほどの律儀さで名前との約束を守り続けている。
毎晩くのたま長屋へ通ってるせいで一つ二つ擦り傷を作るのは当たり前になっているが、名前に会って告白したときの表情や態度を見るとどうでもよくなるからいいとして。

問題は“緊急時以外には触れない”って約束の方だ。

名前を抱き締めて口付けたあの日から、俺はことあるごとに名前に触れたくて仕方ない。
それ以前は適度な距離で接してきたはずなのに、もしかしてあいつには中毒性でもあるんじゃないだろうか。

「…………はぁ」

触れたいのに約束があるから触れられない。
結局自分の脳内で処理することになるわけだが、そのせいなのか近頃の夢は名前が啼いたり喘いだり懇願したり――とても朝から口にできるような内容じゃない。

強烈すぎて目が覚めるから、最近は軽く睡眠不足だ。

この生殺し状態っていつまで続くんだろうなぁと思ってみたりもしたが、仮に名前が今すぐ自分の気持ちを認めても、俺の好きなようにさせてくれないのはわかりきっている。

無理強いをする気はない(俺の理性の脆さはこの際置いておく)が――

(せめて抱き締めるくらい……)

無意味に手のひらを握って開く。
ぼんやりそれを見つめていたら、八、と気遣わしげに呼びかけられた。

「雷蔵、どうした?」
「どうしたじゃないよ。なんかぼーっとしてない?寝不足?」
「おー…よくわかったな。最近あんまり眠れてなくてさ」

真面目に心配してくれてる雷蔵に“欲求不満で”と告げるのはなんとなく気が引けて曖昧に誤魔化す。いや、言ってもいいんだけど『ああ…そっか…』って生温かい目で納得されそうだ。

「もう授業ないし、少し眠ったらどうかな」
「そうだなぁ……限界きたらそうする。雷蔵はこれから図書当番だろ?わざわざありがとな」
「うん。無理しないようにね」

軽く手を上げて立ち上がる雷蔵に笑って、図書室へ向かうのを見送る。
教材を手早く片付けて、雷蔵の言う通り仮眠しておいたほうがいいだろうなと長屋へ向かっていたら、前方から名前が姿を見せた。

なんで怒ってるんだと思う間もなく、いつもの――名前が俺を呼ぶときの第一声を口にした。

「八左ヱ門!」

頼みごとは一時保留だったはず。
距離を詰めてくる名前を見ながら返事をすれば、目の前で足を止めた名前がいきなり手のひらを俺の額に当てた。

「な、なんだ急に」
「…熱はないみたいね」

手をどかし、今度はまじまじと俺を見る名前と今朝見た夢が重なってつい視線を逸らす。
同時に色っぽく喘ぐ名前の妄想を振り払うべく、今の行動について問いかけた。

「フラフラしてたでしょう?」
「…心配してくれてんのか?」
「そんなの当然――……な、なによ悪い!?らしくないって言いたいの?」

思わず聞いた俺に、名前も反射で返したんだろう。
取り繕うようにムッとした表情になって両手を腰に当て、語調を強めて言いがかりをつけてきた。

そんな態度を取られても前半が本音だってわかるから、むしろ笑いたくなってくるんだけども。

「…名前
「なに」
「頼むから少し声抑えてくれ、頭いてぇんだ」
「っ、ごめんなさい…」

軽く言ったつもりだったのに、ハッとして俯く名前の謝罪に心臓が跳ねた。
予想よりもあっさり素直になられると……それはそれで戸惑う。

俯いているからよく見えない表情に内心焦る。頭を掻きながらとりあえず彼女の心配事を解消してやろうと考えた。

「単なる寝不足だよ」
「寝不足?」

僅かに目を見開いて何度も瞬きをする名前が俺の言葉をそのまま繰り返す。
そうだと頷けば、疑わしげに眉根を寄せた。

「さっき頭痛いって」
「それも寝れば直るだろ」
「そう。それなら……八左ヱ門?」
「――!!」

無意識に、俺の手は名前の頭を撫でていたらしい。
訝しげな名前に指摘されて気付くなんて、どれだけ触りたかったんだと思いながらすぐに手を引いた。

「わ、悪ぃ、今のは無しで!」
「……いいわよ。それくらいなら」
「へ」

焦って言い訳しようとする俺に返された言葉に、一度思考が止まる。
間抜けに抜け出た音は俺の心情そのものだったが、名前はほんのり目元を赤くするとプイと横を向いてしまった。

「わからないならいい!」
「な、なんでそう短気なんだよお前は」

少しくらい俺に理解する時間をくれ。
ムッとしながら「どうせ短気よ」とブツブツ言っている名前を眺めながら、改めて彼女の頭に手を置いた。

「……ちゃんとわかったって」
「ニヤニヤしないでよ」

悪いけど、こればっかりは無理だ。
そっけないようでちゃんと俺のことを見ている名前に益々口元が緩むのがわかる。

「…………好きだ」
「な!?」

こみ上げる衝動そのままに口にすれば両目を丸くした名前が勢いよく俺の方を向いた。
何か言いたげに唇を震わせて、少しずつ頬を染めていく。

「ど…して、今言うの?」
「どうしてもなにも、言いたくなったからだよ」

別に夜に限定したわけでもないしな。
そう返せば、名前はぐっと言葉を飲み込んで俯きがちに口元に手をやった。

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