カラクリピエロ

素直になれない(8)


※竹谷視点





委員会も無事(とは言いきれないが)終わり、食堂の戸をくぐる。
時間が少し遅いせいか、くのたまの姿は皆無だ。
これまでだって毎日見ていたわけじゃないくせに、目が名前を捜していることに気付いて苦笑した。

「こら八、素通りするな」
「お、そっちか」

呼び止められて振り返ると、既に食事を終えているらしい三郎が目に入る。
テーブルに膳を置いて座ればすぐに三郎は身を乗り出してきた。

苗字は呼んでいないだろうな」
「…見りゃわかんだろ」

疑り深く周囲を見渡す三郎を余所に手を合わせる。
改めてメニューを見ながら、今日は名前もちゃんと自力で完食できたかなと思った。

「八左ヱ門、建前はなしだ」
「んん?……ああ、名前の話な」

なにが聞きたいんだと食事を進めながら視線で聞けば、三郎は少し考える仕草をしてから僅かに眉根を寄せた。

「――さっきは聞けずじまいだったが……義理か同情か、憐れみか…もしくは強迫観念にとらわれているとか…そういうのじゃないのか?」
「………………は?」
「お前が苗字に付き合わされている理由だ」
「別に付き合わされてるわけじゃねぇ…っつーか、なんでそういう考えに行き着いてんのかが気になる」

三郎のあげた例は“俺は名前に逆らえない状況にある”とでも言いたげだが、当然そんなことはない。
今までだってちゃんと迷惑はしてない、無理もしてないと言ってきたはずなんだが。

「従順すぎるからだ」
「あ!?」
「お前は苗字に呼ばれればすぐに行く、命令には従う、毒見だってするのに文句一つ言わない。言ったかと思えばぬるい注意――どう考えたってあの女のわがままを増長させてるだろうが」
「…俺そんなに忠犬っぽいか…?」
「じゃなかったら、ドMだ」
「それから離れろよ」

半眼で三郎を見ながら味噌汁を飲む。
三郎に言われたことを反芻しながら、俺って本当に受け身でしかなかったんだということに気付いて自分に呆れた。

「…ん?そういや三郎、さっき“違うのか”って聞いたよな」
「…………聞いたな」
「なんでだ?」

俺の問いかけにぐっと言葉を詰まらせた三郎は顔をしかめ、フン、と鼻を鳴らしながら僅かに身を引いた。

「…お前が…」
「俺が?」
苗字を見て、ああいう顔をするから…」
「あのなぁ、もっとわかりやすく言ってくれよ」
「だから、心配でたまらんって顔だ。いつもはああじゃないだろうが」

――いつももなにも、自分で表情の変化なんかわかるかよ。

呆れながら見返せば、三郎は「普段は苦笑いだろ」と短く言った。
それを聞きながら必死に記憶を辿れば、長屋の廊下でのやり取りに行き着く。そういえばあれの直後から三郎が変だった気がする。

なんだか色々と誤解が生じてたんだろうってのはわかった。
ついでに俺自身にも誤解させる原因があったのも。

「……まあ、今は誤解解けてんだろ?」
「八は忠犬でもドMでもなく、ってことか?」
「そうだよ。ったく…名前に余計なこと吹き込んでくれやがって……おかげで誤解されるわ告白は保留になるわ、しばらく手は出せねぇわで――うわ汚ぇ!!」

三郎が傾けていた湯飲みから思いっきり茶が飛んでくる。
涙目になりながら咽る三郎は、俺を指差して何かを言おうとしていた。

「おいおい大丈夫か?」

手ぬぐいを貸してやろうかと思って懐に手を入れる。
指先に触れたのは自分のとは違う少し質のいいもので、咄嗟に“貸したくない”と思ってしまった。
代わりにおばちゃんに声をかけて布巾を借りて、一枚を三郎に、もう一枚でテーブルを拭くことにした。

落ち着いたらしいことは様子からわかったが、口を開く気はないのか黙り込んだ三郎と連れ立って部屋へ戻る。
くのたま長屋へ侵入する準備をしないとなと思いながら、名前の部屋までの道のりを脳裏に描いた。

「おかえり」
「…なにしてんだ勘右衛門」
「やだなー、待ってたんじゃん!」

自室の戸を引くと、寝転がっていた勘右衛門が起き上がって俺を出迎えた。今更だとは思うが、人の部屋で寛ぎすぎだろ。

勘右衛門はトン、と机の上に指を置いて「これを八にね」と言いながら笑う。
それを拾い上げる俺を横目に、戸口の方へ視線をやった。

「三郎、納得できた?」
「……まあな」
「そ。これで雷蔵の苦労も減るねきっと」
「なあ勘右衛門、これなんだ?地図…いや、間取り?だよな?」
「あれ、わかんない?」

勘右衛門がくれると言ったものはずらりと部屋が並ぶ間取り図で、なんだか忍たま長屋によく似て――

「…マジか」
「あ、気付いた。苗字さんの部屋はここだからね、間違えて他の人の部屋入ったりしないように」
名前の部屋はこっちじゃないか?」
「この前部屋替えがあってさ、移動したんだよ」

なんでそんなことを勘右衛門が知ってるんだ。
それにこの間取り図、罠の位置まで書き込まれてるけど調べたんだろうか。

「い組の実習でちょっとね。兵助と作ったから結構いい出来だろ?」
「なんで…」
「んー…………理由って必要?」

思ってもなかった品に呆然と呟いた俺に、勘右衛門はきょとんとして何度か瞬くとあっけらかんとそう言った。

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