カラクリピエロ

最後に、きみへ。

※尾浜視点





――毎日話ができるだけで幸せ。

ふと、名前が照れくさそうに微笑みながらこぼしていたのを思いだす。
そのときは欲がないなぁと思ったものだけど、今なら少しだけ、その気持ちがわかるよ。

『勘右衛門、あのね』

そう言って嬉しそうに寄って来る彼女をもう随分と見ていない。
それどころか、自然に微笑んでくれることさえなくなった。
あの幸せそうな笑顔と、くるくる変化する表情を好きになったのに……今の名前はおれを見ると僅かに気を張る。

なるべくおれと二人きりにならないようにしてるのも、とっくに気づいてるよ。
注意してないと気づかないくらいの些細な変化。それを一番気づかれたくないであろうおれに察知されちゃうんだから、皮肉なものだ。

一連の名前の行動に傷ついてないって言ったら嘘になるけど、同時にじわりと滲みでてくる嬉しさを無視できなかった。
名前が“いつも通り”にふるまおうとするための行動は、おれを意識してるせいだとわかるから。

『――おれ、名前が好きだよ』

誤魔化しがきかない言い方で、ことあるごとに伝え続けた結果だから後悔はしてない。
“好き”を彼女に告げるたび、名前は息を詰めて顔を赤らめ、震えた声で苦しげに「ごめんなさい」と返してくる。
だと思った。知ってるよ。そんな風に笑って言えば、泣きそうな顔になって胸元を握るんだ。

おれのことだけ考えて、おれのためだけに苦しんで、心を痛める彼女。
名前がおれのものになる、ほんの少しの時間。

軋みをあげる心臓を無視して得た僅かな満足感は、当然おれにしか作用しないもの。
名前にとっては辛いものだってわかってたから、おれを避け出すのはある意味予想通りだった。

けどまさか――夕飯の席まで辞退するなんて。

犬の世話しながら言われたんだけど、と八左ヱ門経由で聞いたときは冗談かと思ったのに。
いつもより一人少ない食卓と、妙に気づかわしげな八左ヱ門の視線と、よりによって兵助の「なんだか少し寂しいな」という言葉で事実だと認識せざるを得なかった。

名前がいないのは作法委員会の面々に誘われたとか、友人と約束したとか…あたりさわりなく理由付けされてたけど、そんなの建前だってすぐにわかった。
名前がそうまでしておれから逃げたがってるってこと。

名前は馬鹿だ…)

兵助に会いたい欲求より、おれに会いたくない方が勝って兵助と交流する機会を減らしてる。
けど形はどうあれ、おれの方を優先させたってことに喜びを感じてる自分は…もっと馬鹿だ。

部屋に戻る気にもなれずに一人でふらふらと学園内をうろつきながら、溜め息をひとつ。

名前は兵助を好きなままでいい。
そう告げたあの時は間違いなく本心だったはずなのに――名前の心を侵食して、全部塗り替えてしまいたい。
これだっておれの本音で、しかも段々大きくなってきてるんだから…今ではだいぶ怪しいものだ。

「こんなはずじゃなかったんだけどな…」

ただ伝えたい、知っておいてほしい。一縷の望みをかけてはいたけど、心の底では絶対に叶わないのもわかってた。
さっさと両想いになって、おれの入る隙間なんてないんだと思い知らせてくれればいいのに。
もしくは――

(……早く、“きらい”って言いに来てよ)

そんな自分勝手なことを思いながら、くの一教室の方を眺めた。

+++

名前の姿を見かけなくなって一週間。
空いた時間に彼女を捜して食堂、飼育小屋、図書室に加えて作法委員会が使ってる教室まで行ったのに、見事なまでに捕まえられない。まあ、作法室では立花先輩にていよくあしらわれたうえに嘘情報を掴まされ、最後は綾部の罠に嵌められたんだけど。

雷蔵は三日前に図書室で会ったらしい。八左ヱ門は飼育小屋で毎日遭遇してる(だから、見てさえいないって言ったおれに驚いていた)。だけど三郎はおれと一緒で見かけてないって言う…きっと三郎と名前の行動範囲が被らないからだ。それなら――

「――名前?」
「うん。最近会った?」
「…たしか…昨日、いや一昨日か。焔硝蔵に来たな。立花先輩のおつかいだって」
「…」
「俺としては先輩より名前が来てくれた方が気楽で助かるんだけど……勘右衛門?」

呼びかけられ、慌てて首を振る。
口ではなんでもないと言いながら、思考の方は忙しなく動き回っていた。
二人が会っていたこと――名前が会いに行っていたことを頭では“やっぱり”と思ってるくせに、予想が外れて欲しかったんだと遅れて実感する。

「…兵助が羨ましいよ」
「ん?」
「――いーや、こっちの話。名前、元気だった?」
「元気…か、どうかはちょっとわからないな」
「は?」

明るさを装って聞けば、思ってもみない返事をされてつい呆けてしまった。なんだその曖昧な感じ。

「なんとなく、顔色悪い気がしたんだけど…気のせいだって言われるし、蔵の中が暗いからそう見えるだけとか……途中で土井先生が来てさ、有耶無耶なまま気づいたら名前が居なくなっててちゃんと聞けなかったんだ」
「…………兵助、医務室には行った?」
「お前はなんでそう急に話を変えるんだよ……特に用事がないから行ってない」

呆れながらもちゃんと答えてくれる兵助に笑って礼を言う。
根拠はないけど、名前がいる可能性に賭けて医務室へ行くことに決めた。

「勘右衛門、」
「ん?」
「その……大丈夫か?」
「なんだよ急に」

言いよどむ兵助は自分でも言いたいことがよくまとまっていないのか、あー、とか、うん、とか意味のない音をもらして首の後ろを掻く。

「…最近、寝てないだろ。部屋に戻ってくるの朝方だし、そんなんじゃ身体壊すぞ」

驚いて息を呑む。
確かにここのところは毎夜自主鍛練に身を費やしてるけど、気を付けていたつもりだったのに。

「――――起こしてたんだ。ごめんな」
「いや、別に謝ってほしいんじゃなくて」
「わかってるって。心配してくれてるんだろ?昼寝だってしてるし、たぶん……もう少しで終わるから」
「…?」

おれが名前に気持ちを伝えるうえで、自分に課した制約は三つ。

一つ、名前がおれを“嫌い”になるまで。
二つ、名前の恋が実るまで。
三つ、絶対に兵助の前では伝えないこと。

名前にとって一番いいのは二つ目が達成されることで、必要なのはきっかけだけだと思ってる。
けどおれはずるいから、それを知ってて“きっかけ”を遠ざけてきた。
最初から叶わないと確定済みの、時間制限付きの片想いを少しでも長引かせたかったから。
でも、それも…もう苦しいんだ。

「……兵助はさ、名前のことどう思ってる?」
「え、名前?」
「そ。くの一教室の苗字名前さんについて。ほら、前は“わからない”とか言ってたろ?」
「……うん、言ったな」
「それは、今もわからないまま?」

おれの質問に目を丸くする兵助に笑って手を振り、考えてみて、と言い残して部屋を出た。
これでお膳立ては十分だろう。
微かに胸のうちをよぎる後悔の念を追い払い、頬をぴしゃりと叩く。不規則に乱れた呼吸を整えて、そのまま医務室の方へと足を向けた。

名前が居てくれるといいんだけど。
もし居なかったら……そのときは、くのたま長屋に乗り込もう。これで最後にするから、それくらいは許してもらう。

くだんの医務室前廊下では、なぜか保健委員の一年生二人が戸口に張りついて、中を覗きこんでいた。
なにやってんだ、と声をかけようとしたところでくのたまが一人飛び出し――当然のように一年生に蹴躓いて彼らを下敷きにしてしまった。

「ああああ、ごめん!ごめんね!お詫びは後で改めて――ゃ、いやです…やめてください善法寺先輩!放して!!」
「ちょっと名前、それじゃあ僕が暴漢みたいだろ!」

まったく人聞きの悪い、と善法寺先輩がブツブツ言いながら名前を室内に引きずりこむ。
あっけにとられてその光景を見ていたおれは、慌てて名前を追うように中を覗いた。医務室内には怪しげな鍋とすり鉢と薬草(たぶん)が乱雑に散らばっている。

「…名前、怪我でもしたの?」

思わず足を踏み入れて、素早く彼女の状態を確認する。
目立った怪我はないことに安堵しながら答えを求めて先輩を伺えば、善法寺先輩は大きな溜め息をついて名前の前に湯呑みを置いた。ひどく薬臭い。

「精神的疲労および寝不足、ついでに過度な食事制限による栄養不足!ほら、飲んで。経口摂取がいやなら他の方法取るからね」

有無を言わせず名前に湯呑みの中身を飲むように促す。
名前は「別に制限してたわけじゃ…」と小声で反論しながらも、嫌そうに湯呑みを持ち上げた。

「栄養たっぷり入れておいてあげたから、全部飲むまで帰らないように。尾浜、悪いけど名前の見張り頼んだよ」
「え!?」

おれと名前が同時に声をあげる。おれの隣でぎこちなく身じろいだ名前をチラ見したところで、先輩が「二時間くらいたったら起こしてやって」と暗に睡眠薬を盛ったことを耳打ちしてきた。
おれにだけ聞こえるように言ったってことは、名前には秘密なんだろう。
微かに頷いて返し、一年生とともに薬草園へ向かうらしい先輩を見送った。

しんと静まり返った医務室内で、戸口を背にして座り込むおれと、黙々と薬を飲む名前
意図的かはわからないけれど、名前の行動はおれとの会話を拒否している気がして、微かに心臓が軋みをあげた。
ゆっくりと呼吸して、自分を奮い立たせる。

「…善法寺先輩ってあんなに強引だったっけ。名前にはいつもあんな感じ?」
「今回は、友達…くのたまの子と、立花先輩が絡んでるから余計だと思う」
「どういうこと?」

目は合わないものの、普通に話に乗ってくれたことに内心安堵しながら質問を重ねる。
名前は言いにくそうに唇を引き結び、再度湯呑みに口をつけた。苦いのか、眉間がぎゅっと寄せられてこめかみを揉んでいる。

「…顔色が、蒼通り越して白いって言われて、授業終わりに無理やり連れてこられたんだけどね。その時は一年生しかいなくて…大丈夫だからって委員会に出たの」
「あー……それで立花先輩か」

あの先輩も、過保護だもんなぁ。
あいにく(いや、わざとか?)名前には伝わってないみたいだけど。

「相変わらず、勘右衛門は察しがいいね」

ふふ、と小さく聞こえた笑い声にパッと顔を上げる。
久々に向けられる自然体の笑顔を見て、ズキズキするほど早鐘を打ちだした心臓に戸惑った。
しかも目頭が熱くなって涙が出そうになってるなんて…かっこわるい。

深呼吸して衝動を抑えつけ、口から零れてしまいそうになる“好き”を無理やり飲み込む。
立てた両膝の間に頭を埋めて、自分に言い聞かせるように――名前には聞かれないように……心の中で「これで終わり」と呟いた。

これが、最後。
幕引きは名前にしてほしい、おれの我が儘。

名前……きらいって、いって」
「え?」
「おれのこと、嫌いだって、言ってよ」
「かん…」
「おねがい。それ聞いたら、もう困らせたりしないから」

一度強く目を閉じてから顔を上げる。
こうしてまっすぐ向き合うのは久しぶりだ。前情報通り、名前は顔色を悪くしていて…少し、痩せたように見えた。
戸惑いに揺れる瞳を見つめれば、名前の目にじわりと涙が浮かんでくる。
震える唇が開いては閉じるのを繰り返し、微かに首が振られた。

――できない。
音にもなっていない拒絶が少し嬉しくて、小さく笑いが漏れる。嬉しいのに、同じくらい苦しい。

「……じゃあ、兵助じゃなくて、おれを選んでくれる?」

今まで一度も告げたことはないけど、いつのまにか胸の奥底にくすぶっていた問いかけ。
絶対に名前が頷けない、意地悪な質問をあえて選んだ。

名前はとうとう両目から大粒の涙をあふれさせて、途切れ途切れに“ごめん”を紡ぐ。距離を詰めて、固く握りしめられた両手を自分の手で覆いながら、泣いている彼女の姿を目に焼き付けた。

「ね、名前。言ってよ…………おねがい」

嗚咽を漏らして肩を揺らす名前を自分の胸元へ引き寄せる。
つられるように落ちた涙が彼女の肩に染み込むのをどこか他人事のように見つめながら、名前が必死になって音にしてくれた「きらい」を受け取った。
一音ずつがバラバラで、ちっとも気持ちがこもってない“嫌い”だった。

「…ありがと」

ひく、と声をもらした名前が首を振る。
無理に言わせた言葉で、おれはまた彼女の心を痛めつけたのに、名前はうわ言のように謝ってくる。
精神的疲労と、寝不足。善法寺先輩が告げた名前の症状の原因は、きっとおれなんだろう。

いつだっておれの“好き”を真剣に受け止めて、追い詰められて、こんなにボロボロになってるくせに……名前は一度も「やめて」とか「もう言わないで」とは言わなかった。

『――名前はそのままでいいからさ、おれにも好きなようにさせてよ』

あのときの約束、きっちり守ってくれてたんだろ?

「…………――今まで、ごめんな」

聞こえるかどうかの謝罪を落として、そっと抱きしめる。
びくりと身体を揺らした名前にもう一度謝ると、とんとん、と宥めるような動きで背中を叩いた。
じっとしているせいか、それとも薬が効いてきたのか、少しずつ名前の呼吸も落ち着いてきたようだ。

「かんえもん…」
「ん?」

脳裏に“いつもの調子”を思い描きながら、上手くいっているように祈って返事をする。
名前の声がいつもよりぼんやりしているのに気づいて視線を下げたけど、彼女は俯いていたから、どんな状態なのかはわからなかった。

「……わた…し、…いやじゃ、なかったよ……」
「――……うん」

大人しくしている名前に甘えて少しだけ抱きしめる力を強くする。
温まってくる身体と寄りかかられていることに気づいたときには、名前はすっかり瞼を閉じて規則正しい呼吸を繰り返していた。
肩を抱いて支えた状態で顔色を確かめる。泣いたせいで赤くなっているから一見健康そうにも見えるけど、目元にはうっすら隈が浮いてるし蒼くも見える。
善法寺先輩をはじめとした人たちが、こうして薬を盛る強硬手段にでたのもわかる気がした。

――散々泣かせて、苦しめてごめん。
――こんなになるまで悩んでくれたの嬉しかったって言ったら、呆れるかな。
――おれ、名前を好きになって良かったと思うんだ。後悔も……ちょっとしか、してないし。

伝えたいことを心の中で呟いて、涙の痕が残る目尻にそっと口づけを落とす。

「……だいすきだよ」

届かない最後の告白を告げて彼女の髪を梳くと、勝手に涙が落ちて名前の頬を濡らした。
慌てて装束の袖をひっぱって濡れたところに触れながら、まだしばらくは燻ぶり続けるだろう気持ちに苦笑してしまった。

ぎゅう、と心臓のあたりを絞られるような痛みを感じて、本気だったんだなぁ、と他人事みたいな感想を持つ。
この感情とどう折り合いをつけていこうかを考えながら、医務室の隅に用意されていた寝床へと彼女の身体を横たえて――おれの代わりとなるべき目覚まし要員を捜しに、部屋を後にした。

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