カラクリピエロ

scene.5 心も身体も血液さえも、

※久々知視点





“吸血鬼”としての習性が色濃く出る満月の日。
俺の悩みの種だった夜――夜までもたなかったという話は置いておくとして――は、驚くほどあっさり過ぎ去った。それはもう、その日に備えて悶々と葛藤したのはなんだったのかとツッコミたくなるくらいあっさりと。
もちろん名前のおかげだ。
慣らしもせずに牙を立て、一方的に傷つけたのに、名前は俺を責めることもせずに受け入れて…あまつさえ、時々であれば満月じゃなくても血をくれると言った。

『だから、これからは、私だけにして』

顔を真っ赤にして俺の手をぎゅっときつく握りしめての独占宣言に殺されるかと思った。
実際、数秒は呼吸するのも忘れていたし、危うく彼女を抱きつぶして窒息させてしまうところだった。

俺がどんなに嬉しかったか、きっと名前は知らないだろう。
彼女はつくづく俺に甘い。なんでもないことのように俺を甘やかして喜ばせるから、その心地よさに嵌り込んで抜け出せなくなる――端から抜け出す気はないけれど。

あぐらをかいた足の上に名前を座らせて、下からすくい上げるようにして彼女の指と自分のを絡ませる。細い指をやわく揉みこんでいくと落ち着かなげに名前の指先が動いた。

「…っ、くすぐったい」
「血行がよくなるように。善法寺先輩に教わってきたんだ」

元から悪くないよ、と呟くのを笑って流し、うん、と相槌を返す。
教わってきたのは本当だけど、こんなの触れるための口実でしかない。俺があっさり頷いたからか、名前はぐっと黙り込み俺の指を握り返してきた。
可愛らしい反応に頬が緩む。絡ませたままの手を持ち上げて指先に軽く口づければ、びくんと肩を震わせて硬直した。本当にかわいい。

――――好きだなぁ、と思う。今までよりも、もっと。

「あの、久々知くん」
「ん?」

おろおろ戸惑う名前を見ていると微かに笑いが漏れてしまう。
これ以上の触れ合いだってたくさんしてるのに、未だに初々しい反応を返してくれるから、つい悪戯心が湧いて唇で指を食んでみた。カリ、と歯を立てると息をのむ音が聞こえる。
横目で伺えば名前はぶわっと音が出そうな勢いで顔を赤くして身を引こうとし、逃げられないのがわかると(俺が抱えてるんだから当然なんだけど)唇をわななかせて「久々知くんえっち」と呟い――

「えっ」
「だ、だって、なんか、目が……………うう、手離して」

名前は俯きがちに顔ごと逸らし、ゆらゆら繋いだままの手を揺らす。そうされると逆に離したくなくなるよな、と他人事のように思いながら絡ませた指にがっちりと力を入れ、名前の腰を抱き込んだ。
驚きに小さく漏れる声を聞きながら視界に入った首を甘噛みする。「ひぅ」なんて、そっちのほうがよっぽどやらしいじゃないか。

そもそも名前と二人だけの空間でこんなに密着してるんだから、いやらしいことしたいに決まってる。
名前を抱きしめているだけでも幸せだけど、きっかけさえあればスイッチなんて簡単に切り替わるんだから名前は自衛するべきだ。

(……なんて、思ってても言わないけどな)

自分の卑怯さに目を瞑り、ちゅ、ちゅ、と首筋に唇を落としながら痕が残らない程度に吸いつく。
先日夢中になってつけてしまった情交の痕は装束で隠せないほどで、各方面から色々とツッコミが入り俺よりも名前の方が可哀想だった。
勘右衛門には「おれの気遣い大正解だろ」と胸を張られ、三郎と八左ヱ門は「おいしくいただかれたのか」「二重の意味でな!」と名前へのからかいを浴びせ(雷蔵が無言で制裁を加えていた。俺も殴ったけど)、作法の面々からは巧妙な罠をプレゼントされた。
羞恥で泣きそうになっていた名前は可愛かったけど、やっぱり笑ってる顔の方が好きだ。

名前

顔が見たいと呼べば潤んだ瞳が返される。彼女の上気した頬と早くも乱れ始めている呼吸につられるように、は、と息が漏れた。熱い。
口を覆っている手をどかして顔を上向かせれば、わずかに眉間に皺が寄る。体勢が苦しいのか、僅かに開いた唇からは掠れ気味に俺の名前がこぼれおちた。

ふわりと立ち上る甘い香りに気づいて心臓がドクリと音をたてる。
名前の味を覚えてしまった舌がすぐさま脳に信号を送ったに違いない。飲みたい、と率直な欲で思考が染まって、小さく喉が鳴った。

段々と色濃くなる香りの原因はなんだろう。名前の感情だろうか、それとも俺の欲による思い込みだったりするのか。
とろりとした甘さを思い出しながら、匂いの元を探るように名前の首元に顔を埋める。すん、と鼻を鳴らせば名前は肩を跳ねさせて不安そうな顔で身をよじった。

「ゃ、久々知く…、やだ」
「…ん。においだけ」

できれば舐めたり噛んだりもしたいけど。そう脳内で付け足しながら言えば、それこそが嫌なんだと言わんばかりに強く首を振る。

「いや?」
「に、臭うんでしょ?」
「うん。すごくおいしそうだ」

俺を誘ってやまない香り。これがわかるのも、これに惹かれるのも俺だけでいい。
先ほどから黙りこくったまま動かない彼女に笑って、薄紅色の頬に口づける。名前、と呼びかける声は自分でもびっくりするほど甘ったるかったけど、彼女を見つめて喉を鳴らす俺は捕食者でしかない。
仕方ないじゃないか、極上の獲物が目の前にいるんだから。

ぱちりとやけにゆっくり瞬く名前の頬に手を添えて唇を塞ぐ。
油断しきって開いていた咥内に舌を差し込み、縮こまっていた彼女のそれを絡めるとわざと音を立てて吸った。

「ん、ん…ぅ、」

微かな水音と漏れる声に煽られながら、苦しげな色が滲むのを感じとってそっと唇を解放する。
名前自身を放す気はなかったから腕の囲いを狭めれば、はっはっと息を整えながら寄りかかってきた。
やわらかくて温かい身体に、色っぽく乱れた顔。

気が急いているのを自覚しつつ名前を反転させる。
俺をまたぐ姿勢が恥ずかしかったのか、ビクッと跳ねて躊躇いを見せたが、当然逃がすはずもない。素早く膝裏を捕まえて背中を支えながら引き寄せたら、思いのほか――というかぴったりと密着してしまった。
当然俺が兆してるのも直に伝わっただろうけど、想定外のことに思考が飛び無意識に腰を揺らしていた。

「ひゃ、あ、ぁ…!」
「……ッ」

まだ。待って。駄目。ほとんどを吐息にのせて首を振る名前が、小刻みに震えて俺の腕を掴んで肩に顔を伏せる。その震動が、声が、体温が――つまり彼女の全部が俺を煽る材料にしかなってない。
すぐにでも焼き切れそうな理性を総動員しながら、衝動を逃がすためにきつく目を閉じて奥歯をかみしめた。

+++

「…久々知くんって何百年も生きたりするの?」
「――は?」

聞きたいことがある。そう言いだした名前に先を促した途端、突拍子もない質問をされた。
もぞもぞ動いて俺を見上げてくる彼女を見つめ返し、なんだか以前も似たようなやりとりをしたような気がするなと思い返しながら髪を撫でる。
そのときは美女がどうのこうの、文献だか中在家先輩だかに影響されての質問だったっけ。
ということは、今回もそうなのか。

気持ちよさげに目を細め、くすくす笑う名前を見ているともっと甘やかしてやりたくなる。そうっと髪をかきあげて覗いた額に唇で触れ、可愛らしさを腕に抱きしめながら、彼女の頭に顔を擦り寄せた。
久々知くん、と甘さを含んだ声に促され、質問を反芻。“俺”が長生きするか、だっけ。

「……“吸血鬼”は長命らしいな。調べたのか?」
「うん。若い姿で成長止まっちゃうんだってね」

先祖はもしかしたらそうだったのかもしれないが、人間よりも極端に長生きだという話は聞いたことがない。
だから漠然と自分も同じように老いていくんだと思うけど――

「もし、俺もそうだったらどうする?」

からかうように質問を返すと、名前はパッと顔を上げて「それ考えたんだけど」と既に仮定の先を思い描いていたようだった。

「私も仲間に入れてくれる?」
「………………ん?」
「えっと、眷属?っていうんだっけ?それにしてほしいなって」
「――本気で?」

一拍置いて、名前が真剣な顔で頷く。
人間じゃなくなるのにとか、俺が拒否したらどうするんだとか、色々質問を投げかけても名前の答えは変わらない。

「久々知くんと一緒にいたい」

たったこれだけ。

「それくらい、すきなの」
「…名前
「私と、ずっと一緒にいてくれる?」

まっすぐな瞳がとてもきれいで、よくわからない感情が渦巻く。情けない話だが、なんだか泣きそうになった。
誤魔化すように名前を抱き込んで衝動が収まるのを待っていたけれど、ぎゅっと俺を抱き返してくる腕の強さや温かさで、なんとなく気づかれているような気もした。

嬉しい、愛おしい――どうしようもなく幸せだ。

「――嫌だって言っても、絶対離してやらないからな」

ぜんぶぜんぶ俺が貰って、一生返さない。
顔を覗きこんで口づければ、名前は数回瞬いて……それはもう幸せそうに微笑んだ。






「そういえば、試したいことあるんだけどいいか?」
「え」
「…なんでちょっと警戒気味なんだ」
「今までのあれこれのせいだよ……ちなみにどんなこと?」
(シながら血を吸ったら名前がどうなるか知りたい……って今言ったらさすがに拒否されそうだな)
「久々知くん?」
「ん……いや、やっぱり今度にするよ」
(…………笑顔が怖い)

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